第五十七話目~水泳後のBBQ~
昼食から数時間後。良二はとあるビーチにいた。しかし、そこに広がっているのは海ではなく湖。かろうじて対岸は見えるものの、それでも巨大だ。日本の琵琶湖よりも大きいかもしれない。
そんな中、彼は砂浜にビーチパラソルを刺しながらディシディアが来るのを待っていた。彼女は現在車の中で着替えを行っている。流石に一人にするのも危険だ、ということでカーラが付き添いに行っているのでここにいるのは良二だけだ。
「にしても……結構人がいるな」
見てみるとかなり大勢の人がいる。主な客層としては家族連れとカップルだ。彼らは楽しそうにビーチで水遊びをしていたり、競泳に興じている。いかにも夏、といった光景だ。
ただし、やはり湖なので潮の香りはしない。だがそれすらも新鮮だ。良二はビニールシートの上に腰掛け、大きく息を吐く。
「さて、どうしようかなぁ?」
彼はトランクスタイプのカラフルな水着を履いており、難しそうな顔をしながら準備体操をしている。すでに泳ぐ準備は万全のようだ。
「リョージ!」
屈伸をしていると、そんな声がどこからか聞こえてきた。何事か、と思って後ろを見てみるとそちらからは――可愛らしい水着を身に纏ったディシディアが走ってきていた。
彼女は風で飛びそうになっていた麦わら帽子を手で押さえつつ、照れくさそうに身を捩る。
「ど、どうだろうか……? 変、ではないか?」
「とても似合ってますよ。可愛いです」
その言葉に嘘はない。ディシディアはピンク色のフリルがたっぷりとついたセパレートタイプの水着を着ており、それは彼女の白い肌によく似合っている。
やや大きめの麦わら帽子はややアンバランスにも思えるかもしれないが、だからこそ彼女の小柄さと愛くるしさがより強調された形になっていた。
「そうか……ありがとう」
ディシディアは満足げに胸を撫で下ろし、麦わら帽子をパラソルの下に置いて自分も準備運動をし始める。
「私はここにいるから、二人で遊んでらっしゃい」
クーラーボックスから早速アルコール飲料を取り出しているカーラが告げる。アメリカの人たちはなんというか、とても大らかなので飲酒運転などに対する規制はそこまで厳しくない。
それこそ缶ビール数本くらいならば飲酒の域にも入らないらしいのだ。
ディシディアたちはまたしても新たなカルチャーショックを覚えつつ、準備運動を終えた。と、そこでディシディアが良二の手をギュッと握って湖の方へと駆け寄る。
良二は彼女に引かれるまま波打ち際へとやってきた。風はあるので波はある。ただし、サーフィンができるほどではない。せいぜい寄せては返す程度だ。
「おぉ……この感覚はいいな」
足元の砂が波に寄って攫われていく感覚にディシディアは目を細める。むず痒く、それでいて心地よい感触だ。水温は意外にも冷たくなく、温水プールのようだ。だからこそ泳ぎやすいとも言える。
ディシディアは大きく息を吸い、トプンと頭の先まで水に浸かる。そうして目を開けるとそこには何とも言えない光景が広がっていた。
澄んだ水の中にたくさんの魚たちが泳いでいる。人に慣れているのか警戒心は薄いようだ。その上、砂にはぽこぽこと小さな穴が開いている。顔を寄せてみるとその奥に貝らしきものの姿が見えた。
どうやらこの湖は自然が保たれている場所らしい。観光地としての側面を残しつつ、キチンとゴミの処理などは行っているおかげで水は綺麗だし、他の生き物たちに弊害は残していない。
ディシディアは感心したようにため息を漏らす。が、それは水泡となって消えていき、彼女は水面へ浮上。顔の水を掌で拭い、同じく浮上してきた良二にニコリと笑いかけた。
「すごいな! ここは綺麗だし、面白そうだ」
「えぇ。もうちょっと奥に行ってみますか?」
「もちろんだとも。行こう!」
彼女はまたしても水に浸かり、先へと進んでいく。両手は平泳ぎをするように開き、しかしバタ足で泳いでいく。彼女の白い髪はゆらゆらと海藻のように揺れており、どことなく優雅な雰囲気を醸し出していた。
(ふむ……この世界にまだこのような自然があったとはな)
この世界に来て、彼女が主に見ていたのは都会の建造物などだ。アルテラにいたころに見たような自然が残っていることなど想像もしなかった。
アルテラの自然も趣深いが、こちらも中々に興味深い。生態系など、調べてみればキリがなさそうだ。
(いや、今は忘れよう。今日は楽しまなくては)
彼女はフルフルと首を振り、再び浮上する。その頃にはすでに足は地面につかなくなっており、良二すらも立ち泳ぎをしていた。
「大丈夫ですか? ディシディアさん」
良二が不安げに問いかけてくる。おそらく、小柄な彼女のことを心配しているのだろう。だが、ディシディアは不敵に返す。
「私を誰だと思っているんだい? この程度の湖ならかつてはよく泳いでいたさ」
実際、賢者としての各地を巡っている時はよく仲間の傭兵たちと潜水勝負をしていたほどだ。その時の経験はどれほど時が経っても忘れるものではない。彼女は妙な懐かしさを覚えながら再び水に潜っていった。
その後を良二も追おうと――したその瞬間だ。
「プハッ!」
先ほど潜っていたはずのディシディアが浮かび上がってきた。彼女はブンブンと頭を振って水気を飛ばした後、なにやら意味ありげな様子で鼻を鳴らす。
「……? どうしたんですか? というか、何持っているんですか?」
「ふふ、見たまえ。ほら」
彼女は両腕で抱えていたものを掲げてみせる。それを見て、良二はギョッと目を丸くした。
「さ、魚!?」
そう。彼女が抱えていたのはブルーギル。しかも日本のものとは比べ物にならないくらい巨大なものだ。
未だじたばたと暴れるブルーギルを押さえつつ、ディシディアはひょいと肩を竦めてみせる。
「この湖の魚たちには野性がないね。簡単に捕まえることができたよ」
「ま、マジですか……?」
「マジだ。これでも昔は相当な腕前だったんだ。と、邪魔したね。さぁ、おかえり」
彼女はブルーギルをそっと手放してやる。ブルーギルはそそくさと泳ぎ去っていき、水底へと消えていく。
ディシディアは顔にペットリと張り付く髪の毛を手で払い、砂浜を見やった。良二もつられてそちらに目をやると、なにやらカーラが叫んでいるのが見てとれる。その横には見慣れぬ男性がいた。
「とりあえず、戻りますか?」
「そうだね。行こう」
二人は競い合うようにして砂浜へと戻っていく。そうして水から上がるとカーラがパタパタと駆け寄ってきて後ろにいる男性を指さした。
「ねぇ、二人とも。ジェットスキーに乗ったことはあるかしら?」
「いや、ないです。ディシディアさんもないですよね?」
二人が同時に首肯すると、カーラは後ろにいる男性に向きなおる。
「と、言うわけなの。乗せてもらえるかしら?」
「もちろん。ついておいでよ」
男性は快くサムズアップをしてみせ、二人はその後を追う。が、そこで良二がカーラにそっと尋ねた。
「あの、お知り合いなんですか?」
「いいえ、初対面よ?」
「初対面!? い、いいんですか……?」
「いいのよ。快く引き受けてもらえたんだし」
アメリカではこういったことがままある。人見知りしない文化、ということもあるかもしれないが見知らぬ人にも気軽に話しかけることがあるのだ。
その上でこういったお願いまでして、さらに引き受けてくれるということもあるのだからわからないものである。
「さぁ、乗りなよ」
いつの間にかジェットスキーの近くまでやってきていた。男性は颯爽とジェットスキーに跨り、ライフジャケットを二つ、ディシディアと良二に渡す。
二人は急いでそれを着け、ジェットスキーに跨った。良二が男性の後ろ、ディシディアが良二の後ろだ。意外に大きいので三人が座っても余裕だった。
「じゃあ、行くよ」
ブルン、と豪快なエンジン音を響かせ、続けてゆっくりとした挙動で進み始める。
が、それは数秒のこと。
あっという間にスピードに乗り、海上を滑走する。
「おおおおおっ! すごいな、リョージ!」
体中で風を感じながらディシディアが叫ぶ。カーブをするたびに水が跳ね、体に飛沫がかかる。しかしそれすらも心地よい。
男性は喜んでくれているのが嬉しいのか、その場でクルリとターンをしてみせたり、くねくねとうねるような動きをしてみせた。アトラクション顔負けのライドアクションに二人は大満足で声を上げ、楽しげに笑っている。
ディシディアはその細腕で良二の体をギュッと掴み、振り落とされないようにしている。それがわかっているのか、良二も彼女を安心させるように時折振り返って微笑んでくれた。
それから十分ほど海上を駆け回った後で砂浜に戻り、二人はひょいっとジェットスキーから飛び降りた。
「本当にありがとうございます。とても楽しかったです」
「いいよいいよ。じゃあ、よい週末を」
彼はパチッとウインクをしてから再びジェットスキーで海上を駆けていく。ディシディアたちは彼に手を振った後で再び顔を見合わせた。
「さて、リョージ。まだ帰る気は?」
「ないですね」
「言うと思った。では、行こうか」
ディシディアは彼の手を取り、砂浜を走っていく。
カーラは二人の後姿を微笑ましそうにずっと眺めていた。
さて、それから数時間後。ディシディアたちはぐったりとした様子でビニールシートの上に横たわっていた。カーラは苦笑しつつ、タオルで二人の顔を煽ぐ。
「大丈夫?」
「え、えぇ、まぁ……」
そう答える良二の声は掠れきっていた。だが、それも当然だろう。
あれからずっと遊び続けていたのだ。泳いだり、砂浜で砂の城を作ったり、はたまた潜水して貝採り競争をしたり。とにかく遊んでいたのだ。体力が尽きるのも必然である。
「ふ、ふふ、情けないな。リョージ。まだ若いのに……」
ディシディアが強がって言う。しかし彼女も瀕死の状態だった。ぜぇぜぇと荒い息をついているし、体はだらんと弛緩している。
カーラは二人を見渡し、呆れたようにため息をついた。
「仕方ないわね。そろそろ帰りましょうか」
それに異論を唱えることはない。ディシディアたちはゾンビのような動きで立ち上がり、出していた荷物を片付けて車へと向かっていく。
その時、先ほどジェットスキーに乗せてくれた男性がチラリと視界に入り、ディシディアはひらひらと手を振った。彼も陽気に笑いながら手を返してくれる。このフレンドリーでフランクな感じは中々に居心地がいい。
ディシディアは先ほどまでの疲れはどこへやら、ほっこりとした気分でスキップをしつつ車へと乗りこんだ。
「じゃあ、行くわよ」
カーラが急いで車のギアを入れ、キャンピングカーがある場所まで戻っていく。ここからはそう遠くない。あっという間に到着すると、ディシディアたちは妙な違和感に目を細めた。
「あれ? 車が二台……?」
「あぁ、あれはケントのね。それと、私の姪っ子たちの」
聞いていたらしきカーラが答えてくれる。よく見ればケントは奥の方で何かの作業をしているようであり、キャンプファイアができる場所には何名かの人だかりができていた。
「さぁ、私たちも行きましょうか」
カーラの言葉に頷き、二人は車外へと躍り出た。すると、円を描くように座っていた一団がこちらへと歩み寄ってくる。
「カーラ! 久しぶり!」
「お義母さん! 久しぶり!」
カーラは妙齢の女性とがっしりとハグを交わす。その女性はキョトンと目を丸くしつつ、ディシディアたちに視線を移した。
「あら? この子たちは?」
「リーとジェシカのお友達よ。今は私たちの家に泊まっているの」
「まぁ、そうなの! リナよ。よろしく!」
かなり高齢のはずだが、そうとは思えないほどパワフルな女性だ。彼女は二人の手を取り、ブンブンと上下させる。そこで、別の人影が歩み出てきた。
リナと同じ、もしくはそれより年上の男性だ。彼はしわだらけの顔で愛想のいい顔を浮かべてみせる。
「やぁ、はじめまして! リナの夫のマッドだよ! 日本人かい!? ボクは日本が好きなんだ!」
彼が着ているシャツには『大和』の文字が書かれており、戦艦大和まで描かれていた。どうやらかなり日本が好きらしい。彼はにこやかに微笑みながらも興奮を滲ませている様子だった。
「ほら、二人も挨拶して!」
マッドに促されて前に出てきたのは二人の男女だ。
「はじめまして、ハーリーよ。こっちはレン。私のボーイフレンドよ」
「レンだ。よろしく」
ハーリーは快活そうな女性。レンはスポーツをしていそうな精悍な顔つきをしていた。お似合いの二人、といった感じである。そもそもこうやって親族お集まりに呼ばれるというだけあってレンの信頼度は高そうだ。
「ディシディア・トスカだ。よろしく頼む」
「飯塚良二です。リョージでいいですよ」
二人はその場にいる全員と握手とハグを交わし、それから奥にいるケントの方を見やった。
「ああ、今はBBQの準備をしているんだよ。もうすぐできるみたいだから、行ってみようよ」
察したレンが答えてくれる。すでに腹ペコだったディシディアたちはごくりと生唾を飲みこみ、素早くそちらへと歩み寄る。と、ちょうど肉をひっくり返しているところだったケントがお、と目を丸くしてきた。
「あれ? どちらさま?」
「いやいや、私たちだよ、ディシディアとリョージだ。一緒に過ごしているだろう?」
「ハハ、ジョークだよ。だって、二人ともすごく焼けていて別人みたいだからね」
ケントはちょいちょいと後ろにある車のミラーを指さした。確かにそちらを見れば、二人はしっかりと日に焼けている。ディシディアたちは改めて互いの顔を見つめて、そこでぷっと噴き出した。
「はは、確かに。別人のようだな」
「ディシディアさんもダークエルフみたいですよ」
「クク、言ってくれるな」
「あらあら、二人とも仲がいいわね」
相変わらずのやり取りをする二人にカーラが茶々を入れると同時、すっと紙皿を差し出してくる。そこにすかさずケントが巨大な鶏肉を置いた。
この鶏肉とはぶつ切りにされたものではない。鶏肉のモモをそのまま取ったものだ。骨もついているし、実に豪快な見た目である。アニメでしか見たことがないようなビジュアルに二人は目を丸くした。
「さぁ、熱いうちに召し上がれ」
「では、いただきます」
ちょうどモモ肉には掴む場所がある。足の部分にペーパーを巻きつけ、ゆっくりと持ち上げる。この段階で相当な重量があり、ディシディアの細腕にはやや負担が大きかったようだ。が、彼女は口をぐわっと開けて豪快にかぶりつく。
途端、肉汁が一気に口の中に溢れ、肉の旨みが口の中で暴れまわった。肉の表面には塩コショウが軽くまぶされ、スパイスなどで臭みが消されている。かかっている濃厚なBBQソースは鶏肉との相性も実によく、ガツガツと食べ進められる。
アメリカではBBQソースは日本で言う照り焼きソースと同じくらいポピュラーなものだ。照り焼きに勝るとも劣らない味わいを感じつつ、ディシディアはその場でぴょこぴょこと飛び跳ねた。
「美味しい……ッ! なんと力強い味わいだ!」
肉には均等に火が入っている。この火入れは一朝一夕では習得できない。おそらく幼いころからBBQに慣れ親しんでいた彼らだからこそできる品だ。
皮つきなのも実にすばらしい。皮はソースが塗られることで香ばしさをプラスされ、その上カリカリになっている。皮と共に肉を口に含めばパリッとした食感の後にジューシーな肉汁を感じることができた。
ズドン、と舌と胃袋を殴りつけてくるようなインパクトがある品だ。空腹時にはピッタリである。ソースもモモ肉もどちらも味が強いものであるが、意外にも協調し合っている。いや、同じベクトルだからできた話だろう。
どちらも個性が強く、ともすれば別の食材の味を殺しかねない。だが、互いの力が拮抗している食材と巡り合えば最高のコンビネーションを発揮するのだ。まさしくモモ肉とBBQソースは巡り合うべくして出会った好敵手、と言うわけだ。
また、BBQと言えば肉や野菜などを串に刺しているイメージがあるが、アメリカではそれだけではないらしい。このように骨付き鳥を焼いたり、はたまたソーセージパティ――つまりはハンバーガーなどに使われているものなどを焼くなど種類も豊富だ。
これほど大胆な調理法は今まで見たことがない、と言わんばかりに良二は目をパチクリさせていた。巨大な骨付き鳥を手に持って食べるとなんだか海賊か山賊にでもなったような気分になる。このムードを楽しめるのも醍醐味だろう。
ディシディアなどはソースで口元が汚れるのも構わず一心不乱に食いついている。さながら彼女は一匹の獣のようだ。けれど、その耳だけは愛らしくピコピコと動いていて、彼女の心情を如実に表している。
それを見たケントたちは微笑ましそうに頬を緩めた。
「ね? こんな風に美味しそうに食べる子ってなかなかいないでしょ?」
カーラの言葉にその場にいた全員が頷く。一方、当事者のディシディアだけは何を話しているのかわからないようで目を瞬かせていたが。