第五十六話目~キャンピングカーと特製BLTサンド
翌日、ディシディアと良二はカーラの車に乗ってある場所へと向かっていた。ただ、ディシディアたちはその場所について何も知らされていない。ただ彼らの私有地である、ということしか。
「にしても、かなり遠くまで来たものだね」
ディシディアはチラリと窓の外を見やる。元々ウィスコンシンは緑が多い場所だが、徐々に住宅も見えなくなってきて人も車の姿も見えなくなっていった。
「まぁ、それなりに田舎だもの。仕方ないわ」
カーラがポツリと呟く。ちょうど信号待ちになったあたりで彼女の視線は誰もいない助手席の方へと向いた。
ケントはカーラの車に乗っていない。というのも、そこに行くまでに彼らの父母を迎えに行くからだそうだ。その上、色々と必要なものもそろえてくるらしい。だからこそ、行きは別行動となっていた。
「にしても……いい天気ですねぇ」
酔いを醒ますため窓を少し開けていた良二の言葉に二人は同時に頷いた。今日は絶好の旅行日和であり、雲一つない青空だ。気候も過ごしやすく、ポカポカとしていて眠たくなってしまう。
特に昨日酒を飲み過ぎたらしきディシディアは終始眠たそうに欠伸をしていた。そんな彼女を見たカーラは苦笑しつつ、車に流れていた音楽を切る。
「寝てもいいわよ? まだ四時間以上かかるから、起きているのも辛いと思うし」
「……すまない。では、少しだけ眠るとしよう」
彼女はそっと目を瞑り、だらんと身体を弛緩させる。彼女は後頭部座席に体を預けたまま、数秒もしないうちにすやすやと気持ちよさそうな寝息をたてはじめた。
その寝顔は穏やかで、昨日見せていた憂い気な表情はどこにも見当たらない。良二はつい安堵のため息を漏らしてしまい、ハッと口元を押さえた。
「リョージは大丈夫? 眠たくない?」
「……実を言うと、ちょっとだけ」
「ふふ、正直ね。たぶん向こうについたらずっと遊ぶことになるだろうから、今のうちに寝ている方がいいわ」
「……ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて」
良二は彼女にぺこりと頭を下げた後で瞑目。それから数分もするとその口からは心地よさそうな寝息が漏れ始めた。カーラはバックミラー越しに二人の姿を見て、微笑ましそうに目を細める。
「ふふ、本当に仲がいいわね」
バックミラーには、肩を寄せ合って眠っている二人の姿が映っていた。
――あれからどれくらい経っただろうか?
車はまだ移動しているのか、微かな揺れが伝わってくる。
ディシディアは半ば夢見心地で体を良二に預けていた。
伝わってくるのは彼の鼓動と呼吸、それから彼の温もり。それを感じていると不思議と心が落ち着くようだった。
思えば、こうやって誰かと共に肩を寄せ合って寝ることも久しぶりだった。
大賢者となってからはほとんど一人だった。そして、体裁を重視する者たちのせいでいくつもの規則に縛られていたのだ。
しかし、今やその戒めは存在しない。彼女はもう自由の身だ。
ディシディアはわずかに身じろぎをして、良二の方に少しだけ体を近づける。
自分よりもはるかに年下のはずなのに、大きく、がっしりとした身体。そこからは確かな安心感が伝わってくる。
その何とも言えない感覚に頬を緩めた直後、車が静かな挙動と共に動きを止める。
そこでディシディアはうっすらと目を開け――ハッと息を呑んだ。
視界を埋め尽くすのは無数の木々たち。そよ風によって枝がなびき、葉がひらひらと落ちてくる。その光景に、ディシディアはある既視感を覚えていた。
「ここは……」
彼女はこの光景をよく知っている。いや、この光景に似た場所をよく知っている。
故郷の森だ。かつて自分が過ごした場所だ。思わぬサプライズによってノスタルジーに浸ってしまいそうになっていると、
「さぁ、着いたわよ。一旦ここで荷物を下ろしましょう」
と、カーラから声をかけられてディシディアはピンと耳を伸ばした。彼女はごほんと咳払いをした後で良二の肩を優しくトントンとたたく。
「リョージ。リョージ。着いたよ。起きたまえ」
「う……むぅ。あぁ、ディシディアさん。おはようございます……」
「ああ、おはよう。よく眠っていたね」
潤んだ寝ぼけ眼でこちらを覗き込んでくる彼に、ディシディアは淡い笑みを返す。しかし次の瞬間にはわずかに眉をキリリと吊り上げ、彼のほっぺたを軽くつねった。
「さぁ、今から荷物を下ろすよ。君の出番だ」
「あたた……わかってますよ」
良二はふわぁ……と大きな欠伸と共に背伸びをしてから車を後にし、すでに荷物を下ろし始めているカーラに加勢した。ディシディアも微力ながら荷物を下ろすのに貢献し、やがて全てを下ろし終えたあたりで周囲を今一度見渡した。
今車が停まっているのはやや開けた場所だ。キャンプファイヤーができそうな場所もあれば、奥の方にはキャンピングカーなどが停まっている。この広場に停まっているのは二台だが、奥の方にもう一台見える。おそらく、そこが自分たちの泊まる場所だろうとディシディアは直感していた。
「さぁ、行きましょう」
カーラに促されるまま、案の定奥の方へと進んでいく。その間も、ディシディアは妙な既視感に苛まれていた。
辺り一面を木々に囲まれているということも関係しているかもしれないが、非常に故郷の森に似ているのだ。雰囲気というか、空気もだ。ひんやりとしていて、体に神聖な力がみなぎってくるようである。
(これならば、もしかしたらいつも以上の力が出せるかもしれないね)
ついついそんなことを思ってしまう辺りは大賢者というところだろうか?
魔法を使う際にはいくつかの条件が密接に関係している。本人の体調、周辺の環境、はたまた使う魔力量などによって威力が変動するのだが、ディシディアが使う魔法の半数はその環境によって左右されるものが多い。
元が森暮らしな上、自然と共に暮らす師匠に指示していたからかもしれないが彼女は自然系の魔法を使うのに長けている。ただし、それらのほとんどは攻撃魔法であるので普段は絶対に使うことがない。
ただ、この状況で使えばどうなるのかには多少興味があった。が、彼女はすぐに首を振ってその考えを頭の隅に追いやり、ふと前方のキャンピングカーを見やる。
白塗りのキャンピングカーはとても大きく、しかも清掃はキチンとなされているようだった。定期的に来ているのか、はたまた誰かに清掃を依頼したのか。それはわからないがやはりカーラたちは相当リッチな家庭のようだ。
「あ、靴はそこで脱いで頂戴ね」
キャンピングカーに乗り込む前にカーラが注意を寄越す。ディシディアたちはキャンピングカーの入り口付近に設置されていた足ふきマットの上で靴を脱ぎ、車内へと乗り込んだ。
「おぉ……中々に広いんだね」
きょろきょろと中を見渡しながらディシディアが感嘆の声を漏らす。簡素ではあるがキッチンもトイレも風呂もある。その上、冷蔵庫には大量の炭酸飲料やアルコール飲料が詰め込まれていた。
ベッドもちゃんとあるし、寝る分にも大丈夫そうである。
「奥は私とケントの部屋だから何かあったら来てちょうだい。あ、二人のベッドはここね?」
そちらを見やって、良二は思わず口元を引くつかせた。
カーラが指差しているのは可変式のソファ。ベッドにもなるという優れものだ。しかし、それは一つしかない。つまるところ導き出される答えは……
「どうやら、私たちは二人でこれを使うみたいだね」
そう。ディシディアの言う通り、これをシェアするということだ。
カーラは苦笑しながら、申し訳なさそうに頬を掻く。
「ごめんなさいね。嫌だったかしら?」
「いやいや、大丈夫ですよ。ねぇ、ディシディアさん?」
「あぁ、特に不便はなさそうだし構わないよ。それより……」
「それより?」
「ちょっとお腹が空いたんだが、何か食べるわけにはいかないだろうか?」
ディシディアは腹をすりすりと撫で、乾いた笑いを漏らす。その言葉に良二のみならずカーラもつんのめり、しかし次の瞬間にはクスクスと陽気に笑う。
「そうね。朝はちょっとしか食べていなかったもの。じゃあ、ご飯にしましょうか」
カーラは冷蔵庫からいくつかの食材を取り出す。そうしてやや不安げにしている良二たちに「心配しないで」と声をかけた後でキッチンに立ち、手際よく作業をしていった。
流石は主婦。動きに一切の淀みがない。トントンと小気味よい包丁の音が車内に響き、肉の焼ける香ばしい匂いが車内に充満した。
カーラが作っているのはサンドイッチのようだ。が、調味料などを見る限りかなり凝っている。彼女は腹を空かせているディシディアのためか、普段の二倍速で調理を進めている。
「ありがとう、カーラ。ところで、何を作っているんだい?」
「『特製BLTサンド』よ。もう少しでできるから待っていてちょうだい」
彼女は台所の棚から紙の皿をいくつか取りだし、それらをテーブルの上に配膳。ディシディアたちはその間に冷蔵庫から飲み物を取り出した。
それとほぼ同時、カーラの調理も仕上げにかかる。スライスしたパンに材料を挟み、紙の皿の上に置いて完成。彼女は達成感のある顔で頷き、サッと両手を翼のように広げた。
「さぁ、食べて頂戴! 特製BLTサンドよ!」
いつもながらのパワフルさを見せる彼女に笑みを返した後でディシディアたちはサッと手を合わせる。
「では、いただきます」
「いただきます」
BLTサンドに用いられているパンはオーブンでこんがりと焼かれている。しかもまだ熱く手に取ると思わず落としそうになってしまったほどだ。
「ほらほら、落ち着いて。はい、ペーパーね」
「あ、ありがとう」
ディシディアはカーラから受け取ったペーパーでサンドを包み、ごくりと息を呑む。
パンの隙間からはレタスやトマト、そしてベーコンが顔を覗かせている。この段階で彼女の期待値はマックスだ。
ディシディアは気持ちを抑えるようにマウンテンデューを口に含んでからサンドにばくっとかぶりついた。
カシュッという快音が鳴り響き、続けて瑞々しいレタスとトマトが追い打ちを仕掛ける。それらの水気でパンが湿らないようにパンにはキチンとマーガリンとマヨネーズ、それからマイルドマスタードが塗られていた。
ベーコンはジューシーで噛むと肉汁がじゅわっと口の中に溢れてくる。ところどころカリカリしている部分もあり、口の中に新たな食感を与えてくれた。
パンの耳が付いている点も高ポイントだ。オーブンで焼かれていることで香ばしく仕上がっており、わずかな焦げすらもアクセントになっている。
ただし、ここまでを述べるならばあくまで普通のBLTサンドだろう。特筆すべきは具材の量だ。
レタスもトマトもベーコンすらもたっぷりと挟まれており、どの部分から食べてもその三つが味わえるようになっているのだ。
ただし、マーガリンなどの調味料の塗り方は不均一になっている。そのため、マヨネーズが主張している部分もあればマスタードが主軸になっている部分などもあり、まるで飽きることがないのだ。
このサンドイッチは全ての食材が主張しつつも協調し合い、さながらオーケストラのようである。時折顔を出すときはまさにソロ。その食材の旨みを前面に押し出した造りとなっている。
さらに、空腹だったのもよかったのかもしれない。空腹は最高のスパイス、と言うがそれによって元々極上のサンドがさらに上の次元へと押し上げられている。
すでにディシディアたちの皿に乗っていたサンドイッチはなくなりつつあり、それを見たカーラは嬉しそうに冷蔵庫を指さした。
「気に入ってくれたようで何よりだわ。おかわりはいるかしら?」
「もちろん! まだまだ食べ足りないくらいだ!」
「実を言うと、俺もまだまだ……」
堂々とおかわりを求めるディシディアと、若干恥ずかしげな良二。対照的な二人を見てカーラは頷き、すぐに調理へと向かっていく。
「むぅ……にしても、奥深い味だ。特別な材料は使っていないはずだが……」
「カーラさんの工夫ですね。俺も勉強になりますよ」
「あら、嬉しいこと言ってくれるわね。ケントに見習ってもらいたいくらいだわ」
カーラはそれだけ言って調理に戻る。良二は彼女を視界の端に納めた後でディシディアの口元に手を伸ばした。
「ディシディアさん。マヨネーズが付いてますよ」
「む、ありがとう。そういう君も、ほら」
口元をペーパーで拭ってもらったディシディアは身を乗り出し、良二の口の端に手をやる。そうして親指の腹でマヨネーズを取るなり、その指をぺろりと舐めた。
「ふふ、ごちそうさま」
彼女は唖然とする良二に向かって蠱惑的な笑みを浮かべたまま告げる。良二はよほど恥ずかしかったのか、顔を真っ赤にして俯いていた。