第五十四話目~ダブルドレッシングとわずかな憂い~
時刻は夜の七時。夕食時のテーブルにはずらりと料理が並んでおり、そのほとんどがポテトやチーズを使ったものだった。先ほど帰ってきたばかりで空腹感に苛まれているディシディアは目をキラキラとさせながらそれらを頬張っている。
今彼女が食べているのはポテトの丸焼き。芽は取られているが皮はついており、なんとも豪快な料理だ。ディシディアはカーラやケントに倣ってそれにナイフを入れ、真っ二つに割る。
そして、すかさずホカホカと湯気を立てているポテトの内側にバターをたっぷりと塗りこんでかぶりついた。パリッという皮の食感とほくほくとしたポテトの食感の対比が実に見事で食欲を増進させる。
ポテトは微かな甘みを持っており、微塩バターが塗り込まれているおかげでますます味に奥深さが増している。火入れの加減も抜群で中までしっかりと熱せられていた。その上、皮にできた微かな焦げがアクセントになって香ばしさを倍増させていた。
ディシディアは熱そうにはふはふ、と口をパクパクさせながらも嬉しそうに顔を綻ばせている。そこに、カーラがあるものを寄越してきた。それは瓶詰にされた何かの調味料である。白く、端から見たらバターのようにも思えるが違うようだ。
「サワークリームよ。こっちではよく塗って食べているの。美味しいわよ?」
「では、頂こう」
と言ってディシディアはおそるおそるサワークリームをポテトの断面に塗り込むが、ケントは大げさにため息をついてやれやれ、と言わんばかりに首を振る。
「もっとガッツリつけなくちゃ。騙されたと思って、さ」
そこまで言われては断るわけにもいくまい。ディシディアはこれでもか! とサワークリームをポテトの断面に塗りたくった。
そこでようやく彼女は気づく。たっぷりと乗せたはずのサワークリームがポテトの熱で徐々に熱されて溶けていき、すでにほとんどなくなりつつあることに。
微かな酸味のある香りが漂ってきて、意図せず喉を鳴らしてしまった。彼女はすぐにフォークとナイフを取り、ポテトを食べやすいように一口大にカットしてから一気に頬張った。
「~~~~~~ッ!?」
直後、彼女は驚いたように目を丸くして身を強張らせた。
じゃがバターというのは日本でもなじみが深いものだが、サワークリームを塗るというのは案外一般化していない。だが、それがなぜ普及しないのか疑問に思ってしまうほどポテトとサワークリームの相性は完璧だった。
サワークリームのさわやかな酸味がポテトの風味を何倍にも引き立てる。先にバターを塗っていたのもよかったのかもしれない。まろやかな味で、けれど確かな満足感があった。おそらく、バターとサワークリーム、どちらかが欠けたらこの味はできないだろう。
サワークリームだけではやや主張が強く、いずれは舌が疲れてしまうかもしれない。バターだけではいくらポテトとの相性がいいとはいえいつかは飽きてしまうだろう。しかし、この二つが合わさることで絶妙な塩梅に仕上がるのだ。
「まだまだあるからいっぱい食べなさい。リョージもね」
良二とディシディアは何度も頷いてパクパクとポテトを食べ進めていく。バターもサワークリームもたっぷりつけた方が断然美味い。先ほどケントが言っていたことの意味がわかり、ディシディアは得心気に頷いた。
彼女は口に残っていたポテトを嚥下した後で、箸休めにスープをすする。トマトベースのスープ――ミネストローネに近いものにはたっぷりとチーズが振りかけられていた。そのチーズもスープの熱でトロトロになっており、口に含むとコクのある旨みが広がった。
しかもかかっているのがチェダーチーズであるのも特筆すべき点だ。濃厚なチーズの風味がスープに溶けていき、味の新たな地平を切り開く。元々力強い旨みを持っているスープだが、それによって口に入れた時のインパクトが数倍にも跳ね上がっていた。
中に入っているゴロゴロとした角切りの野菜はしっかりと火が通っているので食べやすく、仄かな甘みがたまらない。タバスコを数滴たらすとまた違った味わいになり、ピリリとした辛味が加わるのだ。
ディシディアはタバスコを少しだけ入れたスープをおそるおそる啜り、すぐに目を輝かせて一心不乱になって食べ始める。辛味はあるものの野菜やチーズがあることで幾分かマシになっており、辛さが苦手なディシディアでも食べやすいものだ。
「ディシディアちゃん。リョージ。サラダのドレッシングはどれにする?」
ふと、カーラが問いかけてきた。見れば、彼女の眼前にはズラリと大量のドレッシングの瓶が並んでいた。良二たちはそれに目を這わせるものの、難しそうな顔になって唸る。
見かねて、ケントが近くにあった一本を指さした。
「これはブルーチーズドレッシング。こっちはカタリーナドレッシング。それからこっちはイタリアンドレッシング。後はシーザードレッシングに、バジルドレッシングだね。どれにする? ちなみに俺のオススメは、これとこれだよ」
ケントが掲げてみせたのはブルーチーズドレッシングとカタリーナドレッシング。それを見た良二たちは頷き合い、
「じゃあ、俺はカタリーナドレッシングをもらいます」
「私はブルーチーズドレッシングを頼むよ」
と、答えたがケントは意味ありげな笑みを浮かべてチッチッチと指を振り子のように振ってみせた。そんな夫の様子をジト目で見ながら、カーラは深いため息をつく。
「ケント。意地悪しないで教えてあげなさいよ」
「わかってるって。えっとね、二人とも。俺のオススメはこうやって食べることなんだよ」
そう言って彼は自分のサラダの皿を引き寄せ、なんとそこにブルーチーズドレッシングとカタリーナドレッシングを同時にかけ始めた。
白いブルーチーズドレッシングと赤いカタリーナドレッシングの対比は鮮やかで芸術品のようにすら思えた。ケントはそれらをたっぷりとかけた後でフォークを取り、むしゃむしゃとサラダを口にする。
ディシディアはやや驚いたようだったが、すぐにキッと唇を結んで二つのドレッシングの瓶を手に取りまずはブルーチーズドレッシングをかける。すると、ひどくかび臭い匂いが漂ってきた。彼女はその臭気に一瞬だけ顔をしかめさせてしまうものの――やがてそれが不快感を催すようなものではないことに気づく。
ブルーチーズの香りは独特で人を選ぶが、ディシディアは平気だったようだ。同時に、良二も案外平気そうにしている。確かに特徴的な匂いだが、悪くない。嗅いでいると癖になりそうな感覚だ。
ディシディアは先ほどのポテトの件で学んだのか、たっぷりとブルーチーズドレッシングをかけた後で、カタリーナドレッシングをサラダの上にかけていく。
こちらは清涼感のある酸味のする香りだ。
カタリーナドレッシングにはヴィネグレット――いわゆるフレンチドレッシングに砂糖を加えた『白』とケチャップを加えた『赤』があるが、今回は後者だ。ケチャップはすでに二人にとってもなじみ深い調味料であり、ブルーチーズドレッシングよりは親近感が沸いた。
「……これくらいでいいかな? 待たせたね、リョージ」
「いえいえ、大丈夫ですよ」
良二はディシディアからドレッシングの瓶を受け取り、自分のサラダに振りかける。その間にディシディアはフォークを取り、早速サラダを口に入れた。
そうして次の瞬間感じるのは――これまでに感じたことがない風味だ。
ブルーチーズの濃厚な風味とカタリーナドレッシングのキリリとした酸味が混じり合う。一見相反しているようにも思えるが、実に見事なハーモニーを奏でている。
カタリーナドレッシングもブルーチーズドレッシングも二人にとってはあまり馴染みのない調味料であるがかなり気に入ったようだ。
レタス、キュウリ、ミニトマトは新鮮で瑞々しく、クルトンは香ばしくて食欲をそそる。それらに二つのドレッシングが絡み合う様は筆舌に値するものだ。
ブルーチーズドレッシングも最初は匂いが気になっていたが、食べていると全く気にならない。味わいはドレッシングの概念を打ち消すほど力強く舌に響いてくる。これをたっぷりと絡めて口に入れると腰が砕けそうになるほどだ。
そこにカタリーナドレッシングが加わった時などは思わず顔がにやけてしまう。二つのドレッシングをかけるという手法は初めてだったが、中々に悪くない。ベクトルとしては真逆の味なのに、もっともっと食べたいと思ってしまう。
にこにこと笑いながらサラダを頬張っている二人を見て、カーラとケントは嬉しそうに顔を緩ませた。
「いやぁ……日本人はブルーチーズドレッシングが嫌いな人が多いけど、二人は大丈夫なのねぇ」
「ふふ、それにしても……こうやって俺たちが好きなものを『好き』になってくれたのはとても嬉しいね。二人は俺たちの本当の家族だよ」
と、ケントはパチリとウインクをしつつそんなことを言ってみせる。その時、またディシディアの表情に陰りが見えたのを良二は見過ごさなかった。
が、そこには何かしらの事情があるのだろう。少なくとも、楽しい食事の時間を台無しにしてまで問うことではない。良二は水と共にその言葉を飲みこみ、再び料理に手をつけていく。
「あ、そうだ。二人とも、明日はちょっと遠出するから早めに起きてね?」
「遠出? どこに行くんだい?」
「内緒。でも、北に行くってことだけは伝えておくわ」
カーラは愛嬌たっぷりに言い放ち、再び食事に没頭する。ディシディアたちは悩ましげに唇を尖らせていたが、すぐに料理に戻る。
しかし、良二は気もそぞろでまるで集中できていない。彼の視線は終始ディシディアの憂い気な横顔に向いていた。