第五十三話目~シスターと恐竜グミ~
「にしても、中々に美味しい品だったね」
会計を終えた二人は再び大学のキャンパスへと足を踏み入れていた。雨足は先ほどよりもやや弱まっている。ディシディアは先ほど買ったばかりのシャツのボタンをはずしながら、天を見上げる。
「むぅ。そろそろ止むころかもしれないね」
「できれば、これ以上強くならないでほしいです……」
良二は自分のカバンを大事そうに抱えている。その中には先ほど買ったばかりのフィギュアが入っている。よほど大事なものなのか、彼は必死に雨から庇おうとしていた。
それを見たディシディアは彼の体に回す手に力を込め、やや歩を早める。おそらく、早く雨宿りさせてやろうという心遣いだろう。良二は内心彼女に対して頭を下げながら歩いていった。
先ほどと同じく寮がある場所を通り過ぎて体育館を突っ切る。そうして二人は遠くに見えてきた教会目がけて小走りで向かっていった。
その度に足元で水がパシャパシャと跳ね、ディシディアの服の裾を濡らしていく。白い服に灰色の染みができていき、それは徐々に広がっていく。良二はそれに目を止めるが、
「気にするな。この程度、洗えば済むさ」
彼女はそうにこやかに答えてみせた。良二はやや躊躇いがちに頷き、なるべく水を跳ねないように細心の注意を払って歩いていく。
そうこうしているうちにいつの間にか教会へと到着。どうやらここはカトリックの教会らしく、それらしき文字が描かれていた。
「では、参ろうか」
ドアを開けると、まず聖人が象られた像が出迎えてくれた。優しく慈愛に満ちたまなざしを手中にある赤子の像に向けている様は神々しく、それでいてある種の荘厳さを醸し出している。
「……綺麗だな。空気が澄んでいるようだ」
この場は清浄な空気に満ちているように思えた。まるで体に付いている穢れが清められているような感じである。
二人は辺りを見渡しつつ前方に見える階段を上る。どうやらその奥が本堂であるようだ。
もしかしたらすでに人がいるかもしれない……そう考えたディシディアはそうっとドアを開けた。直後――二人の目に十字架に磔にされた姿のキリストの像が映りこんでくる。
入り口にあった像とはまた違う神々しさと威圧感を放っていた。二人はズラリと並んだ椅子の真ん中にある通路をまるで何かに取りつかれたかのようにふらふらと歩いていく。
その像から目が離せない――そう思わせるだけの奇妙な魅力がそこにはあった。キリストの顔は穏やかでありながら苦悶に歪んでいるようにも思える。二人はすっかりその像に見入っていた。
その時だ。ふと、奥の扉が開いて誰かがこちらにやってきたのは。
「……あら? お客様ですか?」
「ッ!?」
二人がハッとしてそちらを見やると、奥の扉から来ていたのは一人のシスターだった。修道服を身に纏い、眼鏡をかけた知的そうな女性。彼女は優しそうな笑みを浮かべながら二人の方に身を寄せた。
「こんにちは。珍しいですね、こんな時間にお客様が来るなんて」
「いつもは違うんですか?」
「えぇ。だって、今日はミサの日ではありませんもの。それに、生徒たちも夏休みに入っていますし、何よりこんな天気ですから」
彼女の口調は終始穏やかなもので、こちらを安心させる何かがあった。その雰囲気に和まされた二人は身構えるのをやめ、微笑みを返す。
シスターはかけている眼鏡をクイッと目で押し上げ、胸の前で両手を組んでみせた。
「申し遅れました。私はミランダ。ここで修道女をやっているものです」
「あ、これはどうもご丁寧に。飯塚良二です」
「ディシディア・トスカだ。今回は見学に来たのだが……入っては駄目だっただろうか?」
ディシディアの問いに、ミランダはブンブンと首を振って否定する。
「そんなことはございません! 神のご加護は万人に与えられるものですもの。どうぞ、見ていってください」
言われて、二人は教会の内部をきょろきょろと見渡す。壁などには十字架などを象った装飾がところどころに施され、天井からは灯篭のような形をした変わったシャンデリアが掲げられている。
教会に入ったのは二人とも初めてだが、神聖な造りをしていることは見るに明らかだった。その有様に舌を巻いている二人を見たミランダはわずかに目を細めてみせる。
「気に入っていただけたようで何よりですわ。よろしければ、お話などしていかれませんか?」
「是非頼むよ。色々と聞きたいことがあるんだ」
「わかりました。確かお茶菓子がありましたので、ちょっとだけお待ちくださいな」
彼女はすぐに裏の方へと向かっていき、ディシディアたちは近くの椅子に腰かける。前の座席を見やれば、聖書らしきものがポンと置かれていた。とりあえず手にとっては見たものの、何が書かれているのかはさっぱりである。
ディシディアが不満げに唇を尖らせるのとほぼ同時、トレイを抱えてミランダがやってくる。そこにはいくつかのお茶菓子とティーカップが並べられていた。
「はい。どうぞ。こちらのお茶菓子は教会に訪れてくる子どもたちのためのものなのですが、よろしければ」
グミ、クッキー、チョコレートなどなど。確かに子どもが好きそうなお菓子だ。
「ところで、今日は君しかいないのかな?」
紅茶を啜りながらディシディアが問うと、ミランダは困ったような笑みを浮かべた。
「えぇ。司祭様や他の修道女たちもいるのですが、休みの時期は皆故郷に顔を見せに行っているのです。私はここが地元なので、今は一人ですね」
「なるほど……寂しくはないかい? 一人なんだろう?」
「寂しくはないですよ? こうやってお客様たちも来てくれますしね」
ミランダはニッコリと微笑んでくれる。眼鏡の奥にあるブルーの瞳は宝石のようで見ていると吸い込まれそうだ。
修道服を身に纏っているのでプロポーションはわからないが、ミランダはかなりの美人だ。目鼻立ちはすっきりと整っているし、肌には染み一つ見当たらない。
彼女は再び眼鏡をくぃっと指で押し上げている。どうやらサイズが合っていないのだろう。上げてもすぐに落ちてきてしまう。
「それで、お二人はどうしてここに?」
「実はこっちには観光できているんです。で、教会に行ったことが今までなかったのでこの機会に、と」
「まぁ! すばらしい心がけです! きっと神もお喜びですよ!」
ミランダは相当敬虔な信者のようだ。彼女は両手を胸の前に組み合わせて神に祈りを捧げている。
「しかし、この教会は見事だな。正直、驚いたよ」
「でも、実は今から百年以上前に作られたものなんですよ?」
「百年! ずいぶんと長くあるのだな……」
「えぇ。それだけ長い間ずっと親しまれているんです。だから生徒たちだけじゃなくて、近所の方々もよく訪れるんですよ。たまにイベントなども行っているくらいですしね」
ディシディアは彼女の言葉に感心しながらもパクパクとお菓子を食べている。今食べているのは恐竜の形をしたグミだ。
クニュクニュと歯ごたえもよく、見た目も可愛らしい。トリケラトプスやプテラノドンなど、子どもたちに愛されている恐竜たちだ。日本で言う動物ビスケット的なお菓子だろう。
無論、味も見事だ。噛むごとに青リンゴの清涼感が鼻を抜けていく。そして、意外にもこれが紅茶とよく合う。一緒に口に入れるとまるでアップルティーのような味わいになるのだ。
他の菓子も動物や魚を模したものだ。教会に訪れた子どもたちも、これならば喜んでくれるだろうという彼女の心遣いが感じられる。
(おそらく、彼女は万人から好かれるタイプだな……)
ミランダが献身的であることはこの短い間でよくわかった。きっと彼女目当てに教会を訪れる者たちも多いだろう。
一方、ディシディアがそんなことを考えているなどはつゆ知らず、ミランダはお菓子をパクついていた。彼女も可愛らしいお菓子たちに目を奪われているようだったが、ふとディシディアの方に視線を寄越す。その時、彼女の形のよい眉がわずかに動いた。
「どうかしたのかい?」
それにいち早く気付いたディシディアが問いかける。ミランダは何度か目を瞬かせていたものの、すぐにフルフルと首を振って大きく息を吐いた。
「いえ、すみません。何か、貴女からは……奇妙なものを感じましたので」
その言葉に二人はぎくりと身を強張らせるものの、ミランダは恥ずかしそうに手をもじもじとさせていた。
「いえ、気にしないでください。私って、昔からそういうところがありまして……霊感、と言うんですかね? そういったものが強いらしいんです。でも、実際に霊を見たこともないですし、たぶん気のせいですから」
「は、ハハ……まぁ、気にはしていないさ」
ディシディアはカラカラになった口内を潤すべく紅茶を煽る。良二もこれ以上追及されるのを避けるためか、グミを数個放り込んでもぐもぐと咀嚼し始めた。
「あ、よ、よろしければ礼拝をしていきませんか!?」
微妙な空気を払うかのようにミランダが声を張り上げる。ディシディアたちは顔を見合わせるなり、ゆっくりと頷いた。
「じゃあ、私からやらせてもらおう」
ディシディアは意気揚々と祭壇の方に歩んでいき、そこで再び十字架を見上げる。それから瞑目し、両膝をついて手を組み合わせて祈りの態勢を取った。
――その時だ。
突如として窓から光が差し込み、彼女の姿を照らしたのは。
「……綺麗だ」
そんな言葉が良二の口をついて出た。彼は放心状態でディシディアを見つめている。
おそらく、一瞬だけ雲の隙間から日光が漏れ出てきたのだろう。窓ガラスから入り込んできた光がディシディアの体を照らす様はまるで絵画のような美しさだった。
しかし、目を閉じている彼女は気づかない。しばらくして礼拝を終えるなり立ち上がって、感動している様子のミランダと唖然としている良二を見てそこでようやく不思議そうに首を傾げた。
「どうしたんだい、二人とも?」
訳がわからない、といった様子の彼女にミランダが近づく。ミランダはディシディアの手を取り、そのエメラルド色の瞳をじぃっと見やった。
「ディシディアさん……いや、ディシディア様。貴女はもしかしたら神から愛された人なのかもしれません……」
「む? りょ、リョージ? ミランダはどうしたんだい?」
ディシディアは助けを請うような視線を良二へと向ける。だが、彼の方も放心していてそれにすら気づかない。
結局、二人が冷静さを取り戻すまでディシディアは目をパチクリとさせているばかりだった。