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第五十一話目~エンジェル・ヘアー~

 大学を後にしてから数時間後。良二はケントと共にダーツを楽しんでいた。

 彼らがやっているのは三〇スリーオーワン――俗に言うゼロワンゲームの一種だ。その中でも比較的簡単で早めに決着がつくものである。


「ヘイ、リョージ! 中々やるじゃないか!」


 ケントは見事に的の中心――ブルズアイに命中させた良二に惜しみない拍手を送る。良二は元々手先が器用な方で大抵のことは人並みにこなせる。彼は朗らかに微笑みながら的に刺さったダーツを抜いてバーカウンターに座っているディシディアとケントに視線を送った。

 彼らはポテトチップスをポリポリと食べながら缶ジュースを煽る。良二はそんな彼女たちに微笑んだ後で、ディシディアの隣に腰掛けた。それと入れ替わりでケントが立ち上がり、線のところへと向かう。

 今回参加しているのはケントと良二のみ。ディシディアは最初の数ゲームをやった後は見学に移っている。別に嫌になったから、というわけではなく小腹が空いてそれどころではなくなったからだそうだ。


「にしても、ケントさんは上手いですね」


 三本の赤いダーツを手中で弄びながら良二が呟くと、ケントはニカッと快活に笑った。


「まぁね。こう見えても、ジェシカたちが家にいたころは毎日のようにやっていたから」


 その言葉に嘘はないように思えた。彼のフォームはとても綺麗で、そこから放たれるダーツもほとんど狙った場所へと向かっていた。

 ゼロワンゲームはただ高得点の的に当てればいいというわけではない。今回は三〇一なので、キッチリその数で終わらせなければならないのだ。仮にその数を超えてしまったら『オーバー』となり、次の手番まで待たなくてはいけなくなる。手軽だか中々奥深いゲームで誰でも楽しめるのが魅力だ。

 ケントは二本目のダーツをブルズアイに命中させた。これで残るは――十三。そこで彼は悩ましげに眉根を寄せた。

 やろうと思えば、ここで終わらせることもできる。ただ、問題は十三の部分に当てるしかないということである。終わらせることを重視しなければキリがいい数字まで減らすことも可能だが、良二もすでに三十間近まで迫っている。逆転は十分に可能な距離だ。

 ケントはしばし難しそうに顔をしかめた後で、すっとダーツを構えた。十三を狙うつもりなのだろう。彼の普段は温和そうな瞳が真剣そうな色に彩られた。

 息も詰まりそうな間が流れる中――彼は大きく息を吸ってヒュンと腕を振った。そうして放たれたダーツは的の枠にあたってコトン、と地面に落ちた。


「あっ!? しまった!」


 ケントはガックリと膝をつき、頭を抱えてみせる。その愛嬌のある姿にディシディアも良二もつい笑ってしまった。

 彼はたまにこうやっておどけることがある。どこかユーモラスな彼には人を和ませる何かがあった。


「いやぁ……緊張するとダメだなぁ」


 ケントはたはは、と乾いた笑いをしながらやってきて椅子にどっかりと座りこんだ。ディシディアはそんな彼を労わるようにそっとポテトチップスが入った皿を押しやる。


「まぁ、これでも食べたまえ。次頑張ればいいさ」


「むぅ……けど、リョージがなぁ」


 チラ、とケントは良二の方を手で示す。確かに彼は順調にダーツを命中させていき、残りの数は四まで減っていた。この場合、ニのダブルか単純に四を命中させた段階で勝ちである。

 良二はほぅっと息を吐き、静かにダーツを構えた。まだ習って間もないというのに、その姿は堂に入っている。

 彼は何度か手を振って感覚を確かめる。その時だった。


「ヘイ、リョージ。ここで外したら終わりだよ……」


「んなっ!?」


 と、ケントが囁いてきたのは。彼は悪そうな顔をして良二にプレッシャーをかける。良二はそれに反応を示し、ガクッとつんのめった。今が好機、と思ったらしきケントはチラチラと意味ありげな視線をディシディアに送ってくる。無論、彼女もすぐにその意図を察した。


「さぁ、リョージ。ここが正念場だよ……」


「ディシディアさんまで!?」


 流石にこれは予想外だったらしい。彼はギョッと目を剥いた。しかも、その拍子に手を滑らせてしまい持っていたダーツはゆっくりと地面に落ちていく。カチン、と硬質な音を立てて着地したそれを見た良二は訳がわからないというように目を瞬かせていた。

 しかし、ミスをしたのは確かだ。ケントとディシディアはハイタッチをしており、良二は泣きそうな顔で二人に詰め寄った。


「今のはズルでしょう!?」


 しかし、ケントとディシディアは二人で笑いあったままだ。良二は何か言いたげにしていたが、そんな二人を見ているうちに頬を綻ばした。


「もぅ……しょうがないですね」


 彼は椅子に腰かけ、ぐびぐびとコーラを煽る。ヤケ酒ならぬヤケコーラだ。ディシディアはポリポリと頬を掻きつつ、彼の方にポテトチップスの皿を寄越す。


「ふふ、ごめんよ。ちょっとだけ意地悪が過ぎたね」


「本当ですよ……あ、やられた」


 そんな声を彼が漏らす。見れば、ケントはすでに十三の部分にダーツを命中させていた。ディシディアと良二は彼に拍手を送りつつ、二階へとつながる階段を見やる。そこにはすでにカーラがおり、ひょいひょいと手招きをしていた。


「ずいぶん楽しんだみたいね。さぁ、そろそろご飯だからいらっしゃい」


「だって、さ。さぁ、リョージ。ディシディアちゃん。行こうか」


 ケントは意気揚々と階段を上っていく。二人はすぐにその後を追い、キッチンの近くにあるテーブルに腰掛けた。そこにはすでに大皿がいくつも並べられており、なんとも壮観なありさまだった。


「さぁ、食べましょうか」


 カーラの言葉を合図に、ケントは近くにあったガーリックトーストを数枚皿の上に置く。ディシディアたちも料理を一通り取り分けてからそっと手を合わせた。


「では、いただきます」


 ディシディアはまずガーリックトーストにかぶりついた。表面にはオリーブオイルとニンニクがたっぷりと塗られ、とてつもなく香り高い一品となっている。塩味も絶妙で、これがまたコーラと合う。炭酸で口をサッパリさせた後だと、さらに味のインパクトが強まるのだ。

 また、カリッとした歯ごたえも実に心地よく、メインでも十分戦える一品だ。

 ディシディアがそれをむしゃむしゃと食べていると、横からトントンと肩を叩かれる。


「ディシディアさん。これ、とても美味しいですよ!」


 良二が指差しているのは大皿の上に乗ったパスタだ。麺は非常に細く、日本で言うそうめんのようにも思えた。その上にはたっぷりとトマトソースとゴロゴロとしたミートボールが乗っている。なんとも豪快な一品だ。

 興味深そうにパスタを眺めているディシディアを見て、すかさずカーラが説明を入れる。


「その麺は『天使の髪の毛』――エンジェル・ヘアーって言われているの。よかったら食べてみて」


「む。なら、頂くとしよう」


 カーラに促されるままフォークを手に取り、クルクルとパスタを巻き取る。無論、ソースとミートボールを絡めるのも忘れていない。彼女は目いっぱい口を大きく開けて一気に頬張った。


「――ッ!?」


 刹那、彼女の大きな目がさらに見開かれることになる。

 細い麺はその名の通り天使の髪の毛のように滑らかでつるりと喉を通っていく。キチンと茹でられているが、芯は残っている。日本ではなかなか見ないタイプの麺だが、なぜこちらに輸入されていないのか不思議なくらいだ。少なくとも、万人受けするだけのポテンシャルは秘めている。

 しかし、これの真価はソースと絡むことで発揮される。濃厚なトマトソースが細い麺にしっかりと絡みつき、口の中で麺が解けるとじゅわぁ……と口の中に広がっていく。みじん切りにされた玉ねぎは甘く、そしてシャキシャキという食感を与えてくれた。

 ディシディアが耳をパタパタさせて喜びを露わにしていると、左に座っているカーラが首を傾げながら問う。


「どう?」


「……あぁ。とても美味しいよ。何より、これが素晴らしい」


 ディシディアがフォークの先端に刺して掲げたのはとても巨大なミートボールだ。ピンポン玉くらいの大きさはあるそれは綺麗な円形で、見ているだけで美味いとわかるほどだ。

 その言葉を聞いたカーラは嬉しそうに破顔して手を合わせる。


「まぁ、嬉しい! それは私が作ったの! よかったら、どんどん食べて!」


「言われなくても。こんなに美味しいんだ。できれば、もっと食べたいくらいだよ」


 ディシディアはニコニコとしながらミートボールを頬張っている。噛み締める度に肉汁がじゅっと溢れ、それが麺とソースに合う。しかも、ミートボールにはいくつかの香辛料が用いられているおかげで臭みがまるでない。肉の旨みだけが凝縮された品だ。

 このミートボールはふんわりとした食感でかつジューシーだが、軽い口当たりで何個でも食べられると思ってしまう。その上、大きめに丸めてあるおかげでボリューム感もたっぷりだ。食べ盛りの良二やディシディアにはうってつけとも言える。


「さて、次は……」


 ディシディアは皿の上に乗っていたパスタを平らげた後で、今度はチーズマカロニへと視線を移す。またしてもチーズを用いた料理だ。流石はウィスコンシン。チーズ料理の種類ならば相当のものである。

 ディシディアはマカロニをフォークに突き刺し、パクッとかぶりつく。

 トロトロになったチーズとまろやかなホワイトソースがかけられたマカロニは絶品だ。脳が痺れるほどコクが深い味わいで、思わず体を震わせてしまう。

 時々マカロニの中にチーズとソースが入っているので噛み締めた時は舌を火傷しそうになるのだが、それがいい。中に閉じ込められていたチーズとソースの旨みが炸裂し、マカロニと共に喉元を下る時はまさに至福。

 チーズ、ホワイトソース、マカロニの組み合わせと聞けば、ほとんどの者がグラタンを想像するだろう。だが、グラタンが香ばしさを重視しているのに対し、こちらは一口ごとのインパクトに特化している。

 大量のチーズが入っているからだろう。コクもまろやかさもグラタンとは比べ物にならない。

 しかも、驚くべきことにガーリックトーストと一緒に食べるとますますイケるのだ。どちらも強い味わいだが、癖はない。だからこそ、喧嘩をせずに見事に調和を織りなしている。

 ただ気になるのはカロリーだが……すでにディシディアと良二の辞書からそんな言葉は削除されている。今日の献立だけで相当のカロリーを摂取したはずだが、二人は一心不乱に食べ続けていた。


「そういえば、二人は今日学校に行ったんだって?」


 トーストをパクつきながら問いかけてくるケントにディシディアは首肯を返した。


「あぁ。学校に行って、図書館を見てきた」


「あそこはいい所よね。いっぱい本が揃っているし、何より静かだわ。キャンパス内は見て回れたかしら?」


「いやぁ、今日は図書館と学食だけで精一杯でしたよ」


 カーラの質問に答えるのは良二だ。彼は困り顔で肩を竦めている。

 ケントはそんな彼に微笑みつつ、手元のグラスにオレンジジュースを注ぐ。


「時間があったら色々と見て回るといい。見どころはたくさんあるから。あ、そうそう。学食に行ったって言ったけど、どうだった? 収穫はあったかい?」


「もう最高だったさ。チージーポテトというのを食べたのだが、あれは特に気に入った。また食べたいくらいだよ」


 ディシディアはあの味を思い出しているのかうっとりと目を細めている。ケントは朗らかに笑ったままカクテルを飲んでいた。


「ずいぶん気に入ったみたいだね」


「あぁ。あれは間違いなくこれまで食べた中でも五本……いや、三本の指に入るくらいだった」


「いいね! カーラ。明日はチーズとポテト料理を作ってあげたらどうだい?」


「そうね。まだまだ美味しい食べ方があるってことを教えてあげなくっちゃ!」


 カーラは威勢よく応え、力こぶを作る仕草をしてみせる。すでに気合は十分なようだ。

 ディシディアはそんな彼女に対して深々と一礼し、


「なんと……ありがたい。是非頂こう。と、その前に私はジュースを取ってくるとするよ」


 それだけ言ってすたこらと冷蔵庫の方へと走り寄る。その間に、ケントは良二の方にそっと身を寄せてきた。


「ヘイ、リョージ。ディシディアちゃんは面白い子だね」


「確かに、そうですね。表情がコロコロ変わるんで、見ていて飽きないですよ」


「そうねぇ。私の料理を食べてくれる時も新鮮な反応をしてくれていたもの。全く、ケントも見習ってほしいわ」


 ジト目で夫を見やるカーラ。ケントはその視線から逃れようと両手を顔の前に突き出してみせた。良二は二人のやり取りがおかしくてぷっと吹き出してしまい、ひとり遅れてやってきたディシディアはキョトンとした顔で三人を見渡していた。


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