第四十八話目~特製ワッフルとペッパージャックチーズ~
ディシディアの目を覚ましたのは、心地よい小鳥たちのさえずりだった。彼女は寝ぼけ眼を擦るなり天井を見やる。と、すぐに目をパチクリとさせてあたりをきょろきょろと見やった。
「……そうか。もうホテルではないのだな」
見慣れぬ天井と家具類に視線を移す。どうやらここはジェシカが使っていた部屋らしく、家族との思い出が詰まった写真などが飾られていた。ディシディアはそれをどこか遠い目で見つめていたかと思うと、のっそりとベッドから這い出る。
靴を履き、トントンとその場で足踏みをして感触を確かめる。彼女は満足げに鼻を鳴らして部屋のドアを開け、前方に見えるバーカウンターを見て口元を緩めた。
昨日はずいぶんと盛り上がったものだ。二人ともフランクでよくしてくれたし、最初は緊張していた良二も徐々に馴染んでいたのを覚えている。
「しかし、いい家だな」
どうやらここからも外に出ることができるらしく、ガラス張りの扉に顔を近づけると奥の方に森が広がっているのが見えた。それもかなり広く、木々は高い。夏の朝なのに寝苦しくなく涼しく感じるのは、あれが日光を緩和してくれているからだろう。
無論、見どころはそれだけじゃない。かなり本格的なダーツができる機械が壁に張り付いており、そこから数メートル離れた場所には赤い線が引かれていた。
次に彼女は自分の部屋の隣――良二が寝ているであろう部屋へと視線を移す。が、どうやらまだ眠っているようで人の気配はしない。思えば、彼はケントに付き合ってよく酒を飲んでいた。無理もないだろう。
「……む?」
その時、上の階から何やらいい匂いが漂ってくる。ちょうど起き抜けで空腹を感じていた彼女は敏感にそれを察知し、耳をピンと張らせた。
「朝食か。さて、ではお先に行くとするか」
良二を起こすのはかわいそうだと思ったのか、彼女は一人で階段を上っていく。そうして二階に到着すると、台所に立って食事の準備をしているカーラとバッチリ目があった。
彼女は慈愛に満ちた目のまま、穏やかに語りかけてくる。
「おはよう。早起きね」
「あぁ。ちょっと早く起きすぎてしまったよ。何か、手伝えることはあるかい?」
「それじゃあ、お皿を出してもらえる? もうすぐご飯ができるから」
「あぁ、わかった」
ディシディアはすぐに彼女の近くにある食器棚によってそこから数枚の皿と人数分のコップを取り出す。カーラはせっせと配膳している彼女を見て、わずかながら目を細めた。
「ありがとう。ところで、リョージは?」
「まだ寝ているよ。昨日は呑んだみたいだからね」
「ケントもよ。本当、男の人たちって困ったものだわ」
肩を竦めながら陽気に笑うカーラを見て、ディシディアもつい笑ってしまう。そうしている間にオーブンからチーンッという小気味よい音が鳴り、カーラはパタパタとそちらに歩み寄った。
「さぁ、ご飯よ。たぶん二人は当分起きないだろうから、先に食べておきましょう」
カーラがオーブンから取り出したのは、ワッフルだった。彼女はそれを皿の上に乗せ、それから超が付くほど巨大な冷蔵庫からジャムやバターを取り出す。
「あ、そうそう。言い忘れていたけど、冷蔵庫に入っているものはいつでも食べて構わないわ」
「いいのかい?」
「もちろんよ。言ったでしょう? ここはあなたたちの家だと思っていいって」
彼女は『一階にも冷蔵庫はあるからね』と付け加え、ディシディアが座りやすいよう椅子を少し引いてやる。彼女はその行為に甘えてそっと座り込み、未だ湯気を立てているワッフルを見やった。
表面はオーブンでこんがりと焼かれており、何とも香ばしい匂いを放っていた。それを嗅いでいるだけで腹の虫が五月蠅くわめきだしてしまう。
「飲み物は?」
「オレンジジュースを」
「はい、どうぞ」
カーラは恭しくディシディアのコップにオレンジジュースを注いでやり、それからフォークとナイフを差し出す。
ディシディアはそれを使ってバターとジャムを皿の端にちょこんと乗せた。が、カーラはチッチッチと指を振り子のように振って、意味深な笑みを浮かべてみせる。
「美味しい食べ方はね、こうよ」
彼女は自分のワッフルにこれでもかとバターを乗せ、それをナイフでワッフル全体へと馴染ませていく。そして、イチゴジャムをどっさりとワッフルの上に乗せた。
カロリーの暴力。そんな言葉がディシディアの頭をよぎる。
けれど、確かに美味そうではあった。
溶けたバターの芳醇な香りが香ばしいワッフルと合わさって鼻孔をくすぐる。バターで光沢を帯びたワッフルは照明の光を浴びてキラキラと輝いて見える。それに赤いイチゴジャムが乗っている様は、さながら宝石のようにも思えた。
ディシディアはごくりと喉を鳴らし、
「では、そうさせてもらおう」
カーラに倣ってバターとジャムをどっさりとワッフルの上に乗せる。ワッフルの熱でバターが徐々に溶かされ、けれどワッフルの窪みに溶けそこなったバターの塊がちらほらとできていく。しかし、それも次第に溶けていって完全にワッフルにバターの風味が染みたころになって今度はジャムを塗りたくる。
この作業は意外に楽しいものだ。器用にナイフとフォークを使ってジャムをワッフルに塗って、それからようやく手を合わせる。
「いただきます」
ナイフを入れ、一口大に切ったものを口に入れる。
その瞬間、彼女の目がカッと見開かれた。
「美味い……ッ!」
まだ寝ぼけていた頭が完全に覚醒した。
バターが染みたワッフルは狂気じみた美味さで、味覚と嗅覚を同時に刺激する。その上、ワッフルは表面がカリカリになっていて、しかしバターが染みてしっとりとした部分との対比も味わえた。
無論、ジャムを忘れてはいけない。甘酸っぱいイチゴジャムがバターとワッフルと共に口の中を蹂躙する。三位一体。この言葉が似合う料理はそうないだろう。
正直、最初は重そうにも思えたがそうではない。イチゴジャムが後味をすっきりさせてくれているし、バターとワッフルは力強い味わいだがパクパクと食べられるほどだ。しつこくなく、それでいてまた食べたくなる味である。
「おかわりは?」
「いただこう」
「ふふ、朝からすごい食欲ね。感心しちゃうわ」
カーラはディシディアの皿を受け取り、台所へと向かっていく。その間手持無沙汰になった彼女はオレンジジュースを口に含んだ。
これは果汁百パーセントのフレッシュジュースだ。新鮮かつ爽やかな後味で、朝の胃にも優しい。これならばいくらでも飲めそうだ。
「焼けるまでもう少し時間がかかるわね。今日は、何かしたいことあるかしら?」
カーラが席につきながらそんなことを言ってくる。彼女はテーブルに両肘をついて、興味深そうな眼差しをディシディアに送っていた。
彼女はやや考え込んだ後で、静かに口を開く。
「とりあえず、色々なことをやってみたい。釣り、散歩、ドライブ……こっちの景色を少しでも見たいんだ。後、できればウィスコンシン大学に行ってみたいと思っている」
「あら? もしかして、リョージの付き添いで?」
「いいや、学食を食べるためさ」
カーラは一瞬ポカンとしたが、すぐにぷっと噴き出して腹を抱えて笑いだす。
「ふふ、ごめんなさい。だって、大学に行く理由がご飯を食べるため、だなんてあまり聞かないもの。でも、そうね。あそこの学食は美味しいって聞くわ。よかったら、今日行ってみたらどうかしら?」
「いいのかい?」
「えぇ。送り迎えはするわよ。私も今日はお仕事だし、どこかに連れていってあげることはできないもの」
「失礼だが、お仕事は何を?」
「事務の仕事よ。まだまだ現役なんだから。それに、ケントは石工所で働いているの。逞しいのよ、ああ見えて」
何気にのろけを交えてくる辺りがジェシカたちに似ている、とディシディアは思う。流石は親子、といった感じか。
カーラは窓の外に視線をやり、ハッと手を合わせた。
「そうだ! 実は私たちもちょっとずつ仕事が入っていて、遊びに連れていけない時があるの。だから、そういう時は学校に行ってみたらどうかしら?」
「名案だ! 是非頼みたいが……いいかな?」
「えぇ。だって、ウィスコンシン大学までは通勤コースだもの。それに、大学の近くには色々と楽しめるものもあるのよ?」
「たとえば?」
カーラはその問いに頷き、ピッと三本の指を立ててみせた。
「まずは、映画館ね。是非行ってみることを勧めるわ。ちょうど面白い映画もやっている頃だし。後、大学の敷地内にある教会ね。結構立派だから、行って損はないと思うわよ。後……あ、そうそう。日本料理屋が最近オープンしたって聞いたわね」
「日本料理屋?」
「そうよ。寿司とかが食べられるって聞いたけど……」
アメリカまで来て日本料理を食べることもあるまい。と思うかもしれない。だが、海外で展開されている日本料理屋は独自の進化を遂げていることが多い。
ディシディアもそれを察したのだろう。うんうんと頷き、彼女の話に食いついていた。
話を真剣に聞いてもらえると嬉しいのは、万国共通だ。カーラは次々に情報を出してくれる。
「大学近くにKマートっていうスーパーマーケットがあるのだけど、行ってみたら? 必要なものはあらかた揃うし、お洋服やお菓子、おもちゃも売ってるから」
「なるほど……あぁ、今から行くのがとても楽しみだ」
無邪気にはしゃぐディシディアを見て、カーラは嬉しそうにその唇を半月状に歪める。見た目的にはまだ幼い彼女はカーラから見れば孫にも見えるだろう。視線には一種の慈しみが込められていた。
「あ、そうだ。ウィスコンシンではチーズが有名だと聞いたのだが」
「リーから聞いたの? そうね。確かに有名だわ。あ、よかったら食べてみる?」
言いつつ、カーラは冷蔵庫から棒状のチーズ――俗に言うストリングタイプを取り出してみせた。真空パックにされたチーズには、ぽつぽつと赤や黄色、緑の点が浮かんでいる。
「食べてみて。美味しいから」
ディシディアはおそるおそる封を開け、チーズを見やる。乳臭さはまるでなく、どころかとても芳醇な香りがした。
ディシディアはパクッと齧りつき、お、と目を見開く。
チーズは非常にまろやかでコクがある。そして、中に入っていた粒状のものの正体は香辛料だった。唐辛子などが入れられており、噛み締めるとピリッとした辛味が感じられる。しかしこれがチーズの旨みを格段に上げている。
濃厚なチーズをキリッと引き締め、味を見事にまとめ上げている。その上、スティック状なので食べやすく、パックされているおかげで手も汚れない。日本ではまず見ないタイプのチーズだったが中々――いや、かなりの出来栄えだった。
「『ペッパージャックチーズ』っていうの。美味しいでしょう? この会社が出しているのよ」
見れば、パックには会社のロゴが印刷されていた。どうやらかなりポピュラーなチーズらしい。しかし、この味を知れば納得だ。
もし酒と飲めば最高だったろう……朝っぱらから、そんなことを思ってしまう。
「他にもいっぱい美味しいチーズがあるのよ? 定番の『ブルーチーズ』や『サラミチーズ』。臭いけど美味しい『リンバーガーチーズ』とかね。それから……」
と、そこでなぜか彼女は言葉を止めて鼻をひくひくとさせた。その理由は、ディシディアもすぐに察することになる。
「い、いけない! オーブンをつけっぱなしだったわ!」
そう。オーブンをつけっぱなしだったせいでワッフルはこんがりと……いや、焦んがりと焼かれ、真っ黒になっていた。カーラは困ったようにディシディアに笑いかける。
「ごめんなさい。ガッカリした?」
しかし、ディシディアは首を振る。
「いいや、こんな美味しいチーズが食べられたんだ。全然気にしていない。ただ……」
「ただ……?」
そこで、ディシディアはへにゃっと笑って先ほどのチーズを包んでいたパックを掲げてみせる。
「おかわりを、もらえるかな?」
「いいわよ。喜んで」
ワッフルは駄目になってしまったが、それを帳消しにするくらいのものは得られた。ディシディアは新たに差し出されたペッパージャックチーズを齧りながら、まだ見ぬチーズへと思いを馳せる。
最初の一手でこれだ。きっともっと美味しいチーズがあるに違いない。それに、そこから派生したチーズ料理なども。
カーラは椅子に腰を落ち着けるとディシディアを見やる。その耳は激しく上下しており、彼女の感情をダイレクトに伝えていた。




