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第四十六話目~アメリカン・チェリーパイとストレートティー~

 タクシーに揺られること数時間。ディシディアたちはというと……。


「ハッハッハッ! どうだい、この曲! イカスだろ!?」


「あぁ、最高だ! ノれる、という奴だな!」


「ですね! 気分が上がってきましたよ!」


 ……すっかり意気投合していた。

 今はリーが持っているスマホに入っている音楽を大音量で流している。ここら辺がフリーな感じに思えるのもやはりアメリカならではだろう。規則はあるだろうが、それには縛られない。ディシディアたちもそれには驚いたようだったが、すぐに慣れて今では楽しげに笑っている。

 運転席に座るリーは一旦スマホの音楽を止め、それから窓の外に視線をやる。つられてそちらを向いたディシディアは顎に手を置いて考え込む仕草をしてみせた。


「しかし、シカゴとはずいぶんと趣が変わってきたな」


「あぁ。ウィスコンシンはどっちかというと田舎だからな。でも、物は言いようだぜ? 田舎っていうか、自然が豊かっていうか。そうそう。リョージは大学生なんだろ? ウィスコンシン大学に行ってみろよ」


「俺がですか? いやいや、不法侵入で怒られますよ」


「いや、それはねえよ。だって、キャンパス内に家があったりするんだぜ?」


「そうなんですか!?」


 リーの言葉に良二はギョッと目を剥いた。だが、リーの言っていることは正しい。

 ウィスコンシン大学のキャンパス敷地内には住宅街があり、そこから学生たちは通学したりする。もちろん学生寮もあったりと日本の大学とは一線を画しているのだ。


「そうそう。俺もジェシカもそこの出身だが、いいとこだよ。何より、飯が美味い」


「飯?」


 その言葉にいち早く反応したのは当然のごとくディシディアだ。彼女のエメラルドグリーンの瞳がギラリと光り、リーを見据える。彼は口の端を歪めながら、ひらひらと手を振った。


「ディシディアは結構食いしん坊だな。だが、だったらなおさら行った方がいいぜ。なにせ、あそこは食べ放題だからな。しかも、朝昼晩」


「素晴らしい……ッ! ちなみに、どんなものがあるんだい?」


「う~ん、日によって変わるがな。印象に残っているのはステーキ、パスタ、ブリトーに……タコスもあったな。ブリトーやタコス、サンドイッチは自分で作ることもできるんだぜ? あ、それと忘れちゃいけないのがチーズとポテトだな」


「チーズとポテト?」


「あぁ。ウィスコンシンはチーズとポテトが特に有名なんだ。その二つを組み合わせた『チージーポテト』は絶品さ。思えば、あれがバイキングでは一番のご馳走だったなぁ……」


 リーは懐かしそうに目を細めつつ、ごくりと喉を鳴らす。それほど美味しかったのだろう。彼は若干トリップしているようだった。


「むぅ……是非食べてみたいものだ」


「で、そこは学生以外も利用できるんですよね?」


「たぶんな。確か金さえちゃんと払えば利用できたと思うぜ?」


「たぶんって……」


 この大雑把な感じはまさしくアメリカといった感じだ。だが、それがどことなく安心感があり、フランクに接せる要因となっていた。

 リーはカラカラと陽気に笑ったかと思うと、ピッと人差し指を立ててみせた。


「まぁ、お義父さんたちに頼めば連れていってもらえるだろうから、行ってみるといい。キャンパス内を散策するのも、中々に乙なもんだぜ?」


「あぁ。是非そうさせてもらおう。それに、リョージにとってもよその大学を見学するのはいい経験となるんじゃないかな?」


「それは、まぁ……確かに」


 見事に言いくるめられた良二は少しばかり釈然としないのか、ほんの少しだけ唇を尖らせてそっぽを向いた。そんな彼に微笑を向けた後で、ディシディアは運転席にいるリーの肩をちょんちょんと叩く。


「ちなみに聞くが、ウィスコンシンはどんな雰囲気なんだい?」


「まぁ、さっきも言ったけどのどかな感じだな。大学のキャンパス内ではリスやウサギを見ることもできる。それからちょっと離れた湖では釣りもできるし、運がよければ鹿を見ることだってできる」


「ほぉ……ッ!」


「もちろん、自然ばかりじゃないぜ? キャンパスの周りには映画館や大型スーパーマーケットだってあるし、生活するのには苦労しない。まぁ、と言ってもお義父さんたちの家は大学からはちょっと遠い、それこそ田舎の部類だけどな!」


 リーは豪快に笑い、それからアクセルをふかす。それなりにキャリアがあるのか、やはり安心感がある運転だ。


「あ、そうそう。お義父さんたちはすごくいい人たちだから心配しなくていい。きっと、実の孫のように扱ってくれるさ」


 と、リーはウインクと共にそんなことを言ってくれる。

 まぁ、実年齢でいえばディシディアの方が圧倒的に年上だろうが、そう答えることはできない。ディシディアは曖昧な笑みを浮かべながら、話題を逸らすべく助手席に置いてあるバスケットを指さした。


「ちょっと小腹が空いたのだが、食べてもいいだろうか?」


「あ、そうか。考えてみれば、もう十二時か。悪い。気が利かなかったな。ほら」


 リーはそっとバスケットをディシディアの方に寄越し、自分は運転に集中する。

 一方で、ディシディアはバスケットを開けるなり感嘆の声を上げた。

 そこに入っていたのは、ラップに包まれたサンドイッチとパイだ。どちらも美味しそうな見た目で、期待値はグンと上がっていった。


「ほら、リョージ。君の分だ」


「あ、どうもありがとうございます。じゃあ、これはリーさんに」


「お、ありがとよ。へぇ、ジェシカの奴、お客さんが来たからちょっと見栄を張ったな?」


 そのコミカルな言い方に、ディシディアたちはぷっと噴き出してしまう。おそらく、普段からこのクオリティなのだろう。だが、それを正直に言うのは恥ずかしかったのか、わざと茶化した言い方をするリー。新婚さんならではの惚気がそこからは感じられた。

 ディシディアはチラリとサンドイッチに視線をやる。サンドイッチは黒糖パンをスライスしたものらしく、挟まっているのは白いチーズ……だけだ。少なくとも、ラップに包まれた状態ではそれしかわからない。

 彼女は慎重にラップを解き、それから中身を確認――しようとしたが、グッと思いとどまる。最初から種明かしをしては、驚きが減ってしまう。彼女はサンドイッチを膝の上に置いた後で、静かに手を合わせた。


「いただきます」


 そうしてサンドイッチを口に運ぶなり、パクッとその小さな口を目いっぱい広げてかぶりついた。

 黒糖パンの微かな甘みと苦みを感じたかと思うと、続けてハムの塩っ気とまろやかで濃厚なチーズが追い打ちをかけてくる。さらに食べ進めると、マヨネーズで和えられたツナが顔を出してきた。

 ブラックペッパーがかけられており、スパイシーさが倍増している。それが黒糖パンと見事な対比を織りなし、絶妙なハーモニーを醸し出していた。

 その上、味に変化を与えるべくキュウリのピクルスとオリーブが入れてある。これのおかげで口の中がキュッと引き締まり、またサンドイッチを楽しむことができる。

 コンビニで買ったサンドイッチもよかったが、こちらは家庭的な味がして親しみが持てる。正直言って、良二たちはこちらの方が気に入ったようだ。

 特別な材料は使われていない。強いて言うなら、自家製のピクルスだろう。こればかりは既製品の数段上をいっている。けれど、他の具材はほとんど既製品だ。が、食材同士のコンビネーションが抜群なのでとても奥行きのある味わいとなっている。

 黒糖パンを使っているのも工夫点の一つだ。黒糖パンの甘さと苦さがあるからこそ、他の品が際立つ。

 ディシディアは二つ目のサンドイッチのラップを解きながら、片手でサンドイッチを頬張っているリーに微笑みかけた。


「うん。美味しい。ジェシカはいい奥さんだね」


「ハッハッ! 嬉しいな! ジェシカに言ったら、今度はもっとご馳走を作ってくれるよ!」


 嫁のことを褒められて上機嫌になっているらしい。リーは口笛を吹き、とても嬉しそうだった。

 さて、一方で良二はサンドイッチを食べ終えるなりパイに手を伸ばした。見た感じ……チェリーパイのようだ。しかもこれは――


「すごいだろう? ジェシカのお手製だ」


「やっぱり。もらったレシピの中に、似たものがあったのでもしかしたらと思ったんですよ」


 しかもこれはただのチェリーパイではない。アメリカンチェリーパイと呼ばれているものだ。良二はゴクリと喉を鳴らした後で、がぶっと勢いよくかぶりついた。

 直後、チェリーの甘酸っぱさが口の中で弾ける。だが、決して嫌なものではなく、むしろ癖になるような甘酸っぱさだ。基本は甘さが主体になっているのに、時折酸っぱさがひょいと顔を出してくる。

 そして、これがサクサクのタルト生地に実によく合うのだ。パイとは言ったものの、アップルパイに使われているような生地とは少し違う。こちらはややしっとりとしていて、タルトのような食感だ。

 そこにとろりとしたチェリーの層が入り、味の根幹を形作る。まだ若干の形を残しているチェリーは舌の上に乗った途端じんわりと溶けていくようだ。


「これ、美味しいですね……」


「本当は紅茶と合わせるともっといいんだがな」


「どうやら、それは見越していたようだよ」


 と、ディシディアが割って入る。彼女の手には一本の水筒が握られており、バスケットの中にはいくつかの紙コップが入っていた。

 ディシディアは一本取られた、といったリアクションを取る二人に紅茶を注いだカップを渡した。そこからは胸のすくような紅茶のいい香りが漂ってきている。


「さぁ、どうぞ」


 ディシディアは紅茶を眺めている良二にそう促す。彼はコクリと頷き、まだ湯気の立つ紅茶に息を吹きかけて冷ます。そうしてちょうどよい温度になってから啜った。

 すると、彼の体がだらんと弛緩した。


「あぁ……なんだか、ほっとする味ですね」


 入っていたのは、ストレートティーだ。しかし上質の茶葉を使っているのか風味も後味もよく、パイの味に負けていない。どころか、パイを食べて甘ったるくなった舌をリセットしてくれる役割を担ってくれていた。

 なるほど。これは確かに紅茶がなかったらパイはその実力の半分も出せなかっただろう。

 ストレートの紅茶があってこそ、このパイの真価は発揮されるのだ。

 パイの完成度は非常に高い。生地はパサついていないし、チェリーはトロトロになっているし、甘酸っぱさのバランスも取れている。だが、こればかりを食べ続ければいずれは飽きてしまう。強烈な味わいを持つが故の業とでも呼ぶべきものだ。

 しかし、ストレートの紅茶を合間に挟むおかげでまた初心に戻って楽しむことができるのだ。その紅茶も上質なものだから、雑味がない。料理人――ジェシカの気遣いが伺える品だった。


「ジェシカさんはいい奥さんですね。羨ましいです」


「ハハッ! それは俺もそう思うぜ! ……それはいいとして、あんたたちがさっきからやってる『いただきます』ってのは何なんだ?」


「あぁ、これは……」


「感謝を伝える言葉だよ」


 答えたのは、良二ではなくディシディアだった。彼女は良二の言葉を遮り、解説を続ける。


「『いただきます』とはもちろん作り手に対する感謝でもある。が、それよりも食材たちに対してのものなんだ。私たちは命を頂いて生きている。だから、その感謝を伝えるための言葉さ……だろう、リョージ?」


 パチッと可愛らしくウインクを返してくるディシディアに、良二はにこやかに頷いた。今の言葉は、ディシディアがこの世界に来て初めて食事を取った時に良二が教えてあげたものだ。

 彼女はその言葉をちゃんと覚えていたのだ。それがなぜだか嬉しくて、良二は少しだけ涙ぐんでしまう。が、それを見られたくなかったのか欠伸をしてごまかした。

 運転席に座っていたリーは興味深そうに頷き、ニッと微笑む。


「いいな、それ。確かに言われてみれば、俺たちは何かを食べなくちゃ生きていけない。で、食べるってことは殺すことでもあるんだよな。だから、やっぱり感謝を忘れてはいけない……日本人らしい考え方だな。俺は結構好きだぜ。ってわけで……いただきます」


 リーはハンドルをポンと叩いた後で、両手を静かに合わせた。

 が、彼は一つ失念していたことがある。

 今は運転中であり、ハンドルを手放すことにはそれなりの危険が伴うということを。

 案の定車はコントロールを失い、道の端に寄っていく。

 慌てふためく良二と、マイペースに紅茶を啜るディシディア。リーはそんな二人を見た後で困ったように笑いながらハンドルを取り、運転を再開する。


「し、死ぬかと思いましたよ……」


「リョージは心配性だね。仮にも彼はプロだ。そんなことはないさ」


「そうそう! それに、こんなところで事故ったらジェシカから怒られそうだしな!」


 互いに顔を見合わせて笑い合うディシディアとリーを見て、良二は未だにバクバクと鳴り続ける心臓を落ち着けるべく紅茶を啜った。

 ストレートティーはざわめく心を落ち着けてくれるようである。良二はほぅっと息を吐き、またしてもパイを齧る。それを数度繰り返すうちにはすっかり気分も落ち着き、同時に腹も満たされていたのだった。


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