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第四十五話目~新婚夫婦と三種のピクルス~

 酒盛りの翌日。先に荷物をまとめたディシディアは良二に語りかけた。一方、昨日無理な飲み方をしていた彼はずきずきと痛む額を押さえながら首肯する。


「えぇ、大丈夫ですよ」


 言いつつ、良二は財布の中身を確認する。ルームサービスに対するチップを払うためだ。昨日は酒盛りをしたせいで色々とゴミが多くなっている。申し訳程度だが、五ドルほどの小銭を枕元に置き、部屋を後にする。

 ディシディアは昨日買ったばかりのイヤリングを誇らしげに指で弄びながらエレベーターの方へと向かっていく。良二も自分の右耳にはめたイヤリングをちょんと指でつついた。


「それにしても、ウィスコンシンとは……あまり俺も知らないですよ、そこ」


「私だって知らないとも。まぁ、いいんじゃないか? 旅にはノリも大事だよ」


 ディシディアはニコニコとしながらエレベーターのボタンを押し、中へと乗り込む。そうして一階へと到着した二人は受付で鍵を返し、それから外へと歩み出る。

 朝の冷たい風がぴゅうとビルの隙間から吹き込み、二人のイヤリングを揺らす。ディシディアは顔にかかる髪の毛を手で払いながら、近くに停まっていたタクシーの方に歩み寄る。

 と、運転席に座っていた黒人の運転手がハッとした様子で外へと歩み出てきた。

 良二よりも頭一つ分大きい、スリムな男性だ。けれど筋肉はしっかりとついており、アスリートのような体型だ。もしかしたら、学生時代は有名な選手だったのかもしれない。

 彼は礼儀正しく背筋を伸ばした後で、ニコリと愛想のよい笑みを浮かべてみせる。


「どうも。ご利用ですか?」


「あぁ、お願いするよ」


「あいよ。んじゃ、荷物を……っと」


 彼は二人のキャリーバッグを軽々と持ち上げ、荷台へと詰め込む。ディシディアたちはすぐに後部座席へと乗り込み、シートに体を預ける。

 数秒後、運転席に乗り込んできた運転手はバックミラー越しに二人に視線を送ってくる。


「本日はご利用ありがとうございます。で、どちらまで?」


「ウィスコンシンまで」


「ウィスコンシン!? ここから四時間以上かかるぞ!?」


『四時間!?』


 運転手のみならず、二人までも驚愕の声を漏らした。

 そう。地図上で見ればそうでもないように思えるが、シカゴからウィスコンシンまではかなり距離があるのだ。しかも途中で休憩をはさむことを考えれば、四時間以上タクシーに揺られることは確定である。

 だが、ディシディアはすぐに平静を取り戻して口元を不敵に歪めた。


「まぁ、いいじゃないか。頼むよ」


「いや、俺は構わないが……あんたたち、金はあるのか?」


「もちろんだともさ」


 ディシディアはがま口の財布から束になったドル札を出してみせる。運転手はそれを驚愕の表情でまじまじと見つめ、今度は二人へと向き直る。


「あんたたち、何もんだ?」


「別に。ただの観光客さ。なぁ、リョージ」


「えぇ、まぁ……ただのって所に違和感ありますが」


 運転手はしばし怪訝な表情になってディシディアと良二を交互に見る。だが、それも仕方ないことだろう。

 いきなりこんな大金を出されれば、驚くのは道理だ。それに、お世辞にも良二たちの身なりはセレブのものとは言い難い。

 運転手はしばらく唸り、唇を尖らせていたがやがて考えるのを諦めたかのように大きく息を吐いて自前のドレッドヘアをガシガシと掻き毟った。


「まぁ、俺もプロだ。乗ってもらったからには、しっかりとお届けしますよ」


「話が早くて助かる。では、頼むよ」


「けど、待ってくれ。ちょっと家に寄らせてくれないか?」


 そう告げる運転手の顔は真剣そのものだった。何か事情があるのだろう。そう判断した二人は同時に頷く。


「ありがとう。まぁ、メーターはまだ動かさないから安心してくれ」


 運転手はそれだけ言ってタクシーのギアを入れ、発進させる。かなり安定した運転だ。四時間の長旅になるが、彼になら任せられるだろう。そう実感することができた。

 しばらくしてタクシーは下町の方に入っていき、辺りには高層ビルではなくアパートなどが見え始める。正直、少しだけみすぼらしい感じがするがディシディアたちにはかえって親しみ深いものだった。


「っと、ここだ」


 運転手はそう告げ、比較的新し目のアパートの近くにタクシーを停める。そうして車の鍵を抜くなり、運転手は二人の方に振り返ってきた。


「待っててもいいが、どうする?」


「いや、私はついていきたいな。時間がかかるのかい?」


「いや、そこまでかからない。で、そっちの兄さんは?」


「俺も行きますよ。一人で待っているのも寂しいですし」


「じゃあ、ついてきてくれ。大丈夫。時間は取らせないから」


 運転手はドアを開け、外へと歩み出る。それに良二たちも続き、彼の後を追った。


「こっちだ」


 彼のアパートは二階にあるようだ。アパートの脇に備え付けられた階段を上り、彼の自宅へと向かっていく。カンカン、という音を聞きながらディシディアは懐かしそうに目を細めた。


「ちょっとだけ、リョージのアパートに似ているね」


「ですね。正直、これまではずっとビル街で疲れていたんですよね……」


「同感だ。安心するよ、ここは」


「ハハ、やっぱりあんたたちはセレブじゃないんだな」


 運転手は笑いながら顎に手を置いた。


「個人の事情を詮索するのはあまり好きじゃない。けど、あんたたちが悪い奴らじゃなさそうで安心したよ。まぁ、これから長旅になるんだ。仲良くしようぜ」


 差し出された手を、良二たちはがっしりと握る。やはりスポーツをしていたのだろう。武骨でゴツゴツしているが、とても大きな手だった。その手からは安心感と温かさを得ることができる。二人も緊張が解れたようで、肩の力を抜いていた。


「ほら、あそこが俺の家だよ」


 彼が指差す先は、二階の端。そこが彼の自宅であるようだ。一同は談笑しながらそこに寄り、やがてドアの前に来たところで運転手がピンポーンとベルを鳴らした。

 ということはつまり……。


「誰かと同居しているのかい?」


「あぁ、もちろん。ちょうど今は……」


 言葉の途中で扉が開き、運転手はひょいっとそちらを手で示した。

 そこにいたのは、白人の女性だ。金髪碧眼で、彼と同じくスポーツをしていたのかしなやかそうな体つきをしている。彼女はポニーテールにした金髪を揺らしながら、運転手の方に走り寄る。


「リーッ! お帰りなさい! もうお仕事は終わったの?」


「いいや、まださ。ちょうど、このお客さんたちを運ぶんだ」


 そこでようやく、彼女は良二たちの存在に気が付いたようだ。彼女は慌てて運転手――リーから身を離し、コホンと咳払いをしてみせる。


「は、はじめまして。ジェシカよ。よろしく」


「で、俺がリーだ。見てわかると思うが、ジェシカとは結婚している。よろしくな」


「これはどうも丁寧に。ディシディアだ」


「良二です。よろしくお願いします」


 四人は互いに握手と視線を交わす。夫婦そろって、穏やかな瞳をしていた。


「で、どうしてここに来たの? 今からこの方たちを運ぶんじゃないの?」


 ディシディアと握手を交わしたジェシカがリーに問いかける。彼はもったいぶったようにしながら、ジェシカの肩に手を置いた。


「実は、この二人はウィスコンシンまで行きたいんだとよ」


「ウィスコンシン!? 四時間もかかるわよ!?」


 先ほどの自分たちと同じリアクションをしたジェシカに、三人はぷっと吹き出してしまう。一方でなぜ三人が笑っているのかわからない様子のジェシカはキョトンとしていたが、すぐにハッとしてリーに詰め寄る。


「ってことはもしかして……」


「……ああ。もしかしたら帰りが遅れるかもしれない」


「そ、そんな……」


 ジェシカはこの世の終わりのような顔になってよろめき、リーの胸元に体を預けて彼の顔を見上げた。その瞳は涙で潤んでいる。


「できるだけ、早く帰ってきてね?」


「もちろん。交通違反してでもやってくるさ」


「もう。そんなことしたら捕まっちゃうわよ?」


 ちょん、と夫の鼻をつつくジェシカ。そのイチャイチャぶりを見て、良二は頬を掻いた。


「あの、もしかしてお二人は……新婚さんですか?」


「あぁ。去年結婚したんだ」


「大学時代からの付き合いなの。彼も私も陸上部でね」


 なるほど。二人はまだ二十代中盤くらいだが、それでもかなり長い付き合いだ。

 しかし、このラブラブっぷりは中々に強烈だ。気を抜けば二人はすぐに自分たちの世界に入ってしまいそうである。

 が、リーはすぐにごほんと咳払いをして、ディシディアたちの背を押した。


「さぁ、中に入ってくれ。ジェシカ、長旅になるから弁当を作ってくれないかい?」


「もちろんよ! 二人を連れてきたのも、そのためでしょう?」


「そうなのかい?」


 ディシディアの問いに、リーは照れ臭そうに頷いた。


「まぁ、それもあるけどジェシカに会いたかったのが本当の理由から」


「もう、貴方ったら」


「……何というか、非常にお熱いですね」


 ディシディアと良二は二人してジト目になっていた。けれど、そんなことには構わずジェシカとリーはリビングへと向かっていく。ディシディアたちも靴を履いたまま中へと入っていく。

 外観とは違って、中々に綺麗なアパートだった。リビングなども広々としているし、見た目より奥行きがある。そして、新婚さんらしく壁などには結婚式の写真や色々な贈り物などがあり、棚には二人が取ったと思われるトロフィーや盾が飾られていた。


「いいお家だね」


「ありがとう。あ、よかったらお茶菓子をどうぞ。それと、ナプキンもね」


 ジェシカは棚から高級そうなクッキーを出してきて、二人に差し出してくる。ドーナツ状のクッキーにはチョコレートがかけられ、なんとも美味しそうだった。


「ありがとう。いただきます」


「いただきます」


 二人はナプキンで手を拭ってから、クッキーを頬張った。

 カリッと香ばしいクッキーとチョコレートの甘みが口の中で混じり合う。上質な小麦を使っているのか、実に見事な風味だ。クッキーは甘すぎず、ちょうどいい味わいでかけられたチョコレートとの対比が素晴らしい。


「気に入った?」


「あぁ、とても美味しいよ」


「ふふ、ありがとう。奮発して買った甲斐があったわ。あ、そうだ! リー! あれを持ってきて!」


「了解。待ってて」


 ジェシカはリーに指示を飛ばした後で自分は厨房へと向かっていく。どうやら、リーたちのお弁当を作るつもりなのだろう。彼女は腕まくりをして臨戦態勢を取っていた。

 一方でリーは冷蔵庫からいくつかの瓶を取り出した後で皿の上にそれを乗せ、すぐにこちらへとやってきた。


「急ぎじゃないだろう? なら、ちょっとゆっくりしていくといい。ほら、食べてくれ」


 彼が出してくれたのは、ピクルス――ただし、日本でよく知られているものとは少し違う。日本でよく出るのはキュウリのピクルスだろう。だが、皿に乗っているのはキュウリ、セロリ、そして玉ねぎのピクルスだった。

 ディシディアは目を皿のようにしてそれをジロジロと見やる。


「これは一体……?」


「あぁ、ジェシカが作ってくれた手製のピクルスだ。美味しいから、是非食べてくれ」


「これはどうも。では、頂くよ」


 ディシディアは添えられていた爪楊枝を取り、まずは一番ポピュラーであると思われるキュウリのピクルスに突き刺した。そうして、ひょいと口に放り込む。

 甘酸っぱく、けれど瑞々しい味わいだ。しっかりと熟成された旨みがあり、非常に食べやすい。満足感もあり、これだけでもお茶請けとしては十分すぎるくらいだった。


「ピクルスを食べる時はこれに限る」


 リーは持ってきていたダイエットマウンテンデューをコップに注ぎ、二人の方に差し出してくる。彼女たちはそれで口の中をリセットしてから、次は玉ねぎのピクルスを口にする。


「――ッ!」


 その瞬間、ディシディアはカッと目を見開いた。玉ねぎのピクルスを食べるのは初めてだったが、中々に強烈な味わいだったからである。

 辛味はない。どころか玉ねぎ本来の甘みは倍増されており、コリコリとした食感も健在だった。使っていた液が違うのか、キュウリのピクルスよりも酸味は強い。けれど、それがたまらなく食欲をそそった。

 ピクルスといえばハンバーガーの中に入っている役割が強いように思えたが、これはむしろメインを張れるくらいのポテンシャルを持っている。


「美味しいですね、ディシディアさん」


 良二もそれにはご満悦のようで、笑みを作っていた。そんな彼に、ディシディアはパチリとウインクを寄越す。


「あぁ。素晴らしいものだね。日本で言う漬物と似ているが、また違った趣だ。まぁ、私はどちらも好きだがね」


 ディシディアはまたキュウリのピクルスを食べた後で、今度はセロリのピクルスに爪楊枝を突き刺して口の中に運んだ。

 セロリのピクルスは、他の二つに比べてややクセが強い。セロリ特有の風味は、好き嫌いが別れるところだろう。だが、ピクルスにされたおかげでだいぶそれは緩和されており、ディシディアたちも気に入ったようだ。

 セロリは瑞々しく、カリッとした歯ごたえが味わえる。最初は少しだけクセが気になるところだったが、慣れるとそうでもなくむしろそれが欲しくなる。

 気づけば、二人は一心不乱にピクルスを食べ進めていた。これまでのピクルスの概念を覆すような品だ。無理もない。

 日本でも漬物をお茶請けとして食べる文化があるが、これはそれに近いだろう。なんにせよ、非常に満足感があるものだ。


「気に入っていただけてよかったわ。はい、リー。お弁当。この中に三人分入っているからね?」


 ジェシカは夫にバスケットを預けた後で、彼の頬に淡い口づけをした。それを見た良二は目を丸くしてその光景を見やっているが、ディシディアは特に驚いたような素振りはなかった。


「ありがとう。ハニー。なるべく早く帰るよ」


 人前だというのに、リーとジェシカは唇を重ねる。が、ジェシカは数秒ほどした後で名残惜しそうに身を離し、良二たちが座るソファに腰掛けた。


「ねぇ、ウィスコンシンに行くんでしょ? 宿は取ってるの?」


「いいや。なにせ、昨日決まったんだ。宿はこれから探すところさ」


「あ、それならいい考えがあるんだけど、私のパパとママがそっちに住んでいるの。よかったら、二人の家に泊まったら?」


「いいのかい?」


 その言葉にジェシカは優しく微笑む。


「もちろんよ。パパとママなら歓迎してくれると思うわ。ちょっと連絡してみるわね?」


 ジェシカはサッと携帯を取り出し、ピピピと番号を打ち込む。そうして通話音が聞こえるなり、携帯を耳に当てた。


「あ、もしもし、パパ? あの、お願いがあるんだけどいい? うん。実はね、今日ウィスコンシンに私のお友達が遊びに行くらしいんだけど、宿を取っていないらしいの。よかったら泊めて……本当!? やった、ありがとう! 愛してるわ!」


 ジェシカは受話器にチュッと口付けをした後で、満面の笑みのままぴょんとその場で飛び上がった。


「大歓迎だって! よかったわね!」


「……ありがとう。本当に助かったよ」


「いいのよ。だって、私のピクルスを美味しいって言ってくれたでしょ? そう言ってもらえると本当に嬉しいのよ。こちらこそ、ありがとう」


「いや、本当に美味しかったよ。正直、驚いた」


「あぁ……なんていい子なのかしら! ちょっと待ってて!」


 ジェシカはどたばたと台所に走っていったかと思うと、いくつかのメモ用紙を持ってきた。彼女はそれをディシディアの手にギュッと握らせる。


「ピクルスのレシピよ。よかったら、作ってみて!」


「じゃあ、日本に帰ったら作りますよ。俺が」


 良二はディシディアから受け取ったレシピを大事そうに鞄に仕舞いこみ、それからジェシカに目配せしてみせる。彼女は良二の意図をすぐに察したらしく、サッと携帯を取り出した。


「じゃあ、連絡先を交換しておきましょう。せっかくこうやって会えたんだもの。一回きりの仲にするのはもったいないわ」


「ですね。俺も日本の漬物のレシピを教えますよ」


「まぁ! ジャパニーズ・ピクルスね! 楽しみにしているわ!」


「きっと気に入りますよ。俺もこの美味しいピクルスをちゃんと作れるようになりたいです」


 主婦と主夫で気が合うのだろう。良二とジェシカはしばらく話し込み、結局リーたちがこの家を出発することになったのはそれから小一時間した後だった。


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