第四百二十話目~ママカリと朝食と~
良二の目を覚ましたのは穏やかな鳥のさえずりでもけたたましい携帯のアラームでもなく、芳しい味噌汁の香りだった。
「んぅ……」
ゆっくりと目を開けて大きな欠伸をする。見慣れぬ天井とふかふかとした感触に一瞬戸惑うも、今自分がどこにいるのかを思い出して良二は「あぁ」と小さく呟いた。
視線を隣に移してみれば、二つの布団が並んでいる。しかしそこには誰の姿もない。おそらく先に起きたのだろう。良二はまどろみながらも何とか体を起こし、布団から這いずり出る。
今に続く扉の向こうからは光が漏れている。それと、誰かの話し声も。
良二はのっそりと立ち上がり、扉を開く。すると、エプロン姿の河合と卓袱台の周りに集合しているディシディアとリリィの姿が目に入った。
「おぉ、おはよう、リョージ」
「おはようございます、リョージ様」
「おはようございます、二人とも。早いですね」
良二は頭をボリボリ掻きながら卓袱台の近くに腰掛けた。すでにそこには箸と料理が用意されている。今日の朝食は白米とわかめの味噌汁。それからテーブルの中央には缶詰がちょこんと置かれていた。
「河合さん、これは?」
「ママカリの缶詰。最近は毎日これなんだ。美味しいよ?」
麦茶の入ったペットボトルを持ってきた河合はそう答えたが、ママカリがどういうものなのかわかっていないのか、良二をはじめとする三人は首を傾げている。それを見て河合はタハハ、と軽く笑い、
「ママカリっていうのはお魚の一種だよ。ニシンの仲間らしくてね? ママ――ご飯を『借り』に行くほど美味しいから『ママカリ』っていう別名がついたんだって」
「へぇ……河合さん、物知りだね」
「伊達にここで何年も暮らしてないよ。はい、お茶」
河合はそれぞれにお茶を配膳した後で自分の席に腰掛ける。それから一同を見渡し、
「いただきます」
『いただきます』
河合に続けて三人も手を合わせた。
まず、ディシディアはママカリの缶詰に手を付ける。パッケージを見るに、これは『ママカリの燻製風オイル漬け』というものらしい。缶の中には小さくカットされたママカリの身が入っていて、前面にオイルが塗られている。
てらてらと輝くオイル漬けは実に美味そうだ。ご飯の上でワンクッション置くと、スモーキーな風味が鼻をくすぐってくる。
そのままそれを口に運べば、目が覚めるほどの旨みが体中を駆け抜けた。ママカリの身は柔らかく、それでいてしっかりとした旨みがある。缶詰にされているのは伊達ではなく、熟成された風味と味わいがあった。
しかも、これがご飯と異常なまでに合う。ママカリの名は伊達ではない。
燻製風にしてあるのもまた面白く、濃厚な味わいが特徴的だ。オイル漬けではあるのだがべたつく感じはなく、全体的にあっさりとした後味である。
「むぅ、これはご飯もいいがビールにも合いそうだな」
「お、ディシディアさんお酒もイケる口ですか? じゃあ、今日晩酌しません?」
「いいね! じゃあ、後で酒をいくつか買っておこうか」
一晩経ってすっかり意気投合している河合とディシディアを交互に見て良二はふっと笑みを浮かべる。最初はどうなるかと思ったが、やはり女性同士ウマが合うようだ。
「あ、リリィちゃんにはジュース買ったげるからね?」
「あ、ありがとうございます、河合さん!」
若干人見知り気味のリリィも活発な河合に触発されてかだいぶ慣れてきているようだ。
ひとまず広島観光が順調に進みそうなので、良二はほっと安堵のため息を漏らす。
「ところで、河合さん。今日の予定は?」
「色々。広島の美味しいもの巡りとか観光名所巡りとか。アタシの好みになっちゃうけど」
「それでいいよ。お願い」
「わかった。じゃあ、楽しみにしておいて。いい所たくさん知っているから!」
えっへんと胸を張り、自信満々に答える河合に良二も口角を緩める。学生時代から変わらない彼女の様相にどこか安堵を覚えた。
「ちなみに聞くが、広島にはどんなグルメがあるんだい?」
「たくさんあるよ? 広島焼とか、牡蠣とか、カレーとか」
「カレー? カレーが有名なのかい?」
ディシディアは思わず目を丸くする。てっきりもっと別のメニューがある思っていただけに、カレーというのは意外だったらしい。
河合はそんなディシディアの驚きを見越したように快活に笑う。
「うん。ほら、広島って昔海軍の街だったからさ。海軍と言えばカレー。カレーと言えば海軍だよ」
「……そういえば、河合さんって歴史好きだったよね」
「うん! 大好き! 広島は特に海軍由来のものがたっくさんあるから、飽きないよ!」
朝からテンションが高い、と良二は内心思う。それはいいのだが、今の河合の服装はTシャツにホットパンツという非常に危ないものなので目のやり場に困ってしまう。
付け加えるならば、横にいるディシディアの視線も痛い。他の女性に手を出そうものなら、容赦のない制裁が加えられることだろう。
良二はなるべく河合の服装を意識しないようにしながら味噌汁を啜る。これはインスタントなのか、なじみ深い味だった。
(そういえば、俺も一人暮らしの時は缶詰とかインスタントばっかりだったな)
ふと、そんなことを思う。ディシディアと同居するようになってからは食を意識するようになったものの、一人暮らしが長かった時期はずっと簡単に済ませられるものだった。
しかし、白米だけはしっかり揃えていたのを思い出し、苦笑する。
改めて独身と既婚の違いを思い知りながら朝食を平らげ、静かに手を合わせる。ちょうどその段階で他のみんなも食べ終わり、テレビに視線を移すことになった。
「そういえば、三人はいつ帰る予定なの?」
「む? 特に決めてないが……どうしようか、リョージ?」
「う~ん……そろそろ帰った方がいいかもですね。あまり長居するのもあれですし」
イレギュラーが起こってしまったために広島観光をすることになったが、本来の目的は食材などの買い出しだった。それに、自宅の風通しなどもしておきたいところではある。
そう考えると、今日か明日でここを去るのが一番現実的だろう。良二はディシディアとアイコンタクトを交わし、
「明日の朝、帰ろうかな。だから、悪いんだけど……明日まで泊めてくれる?」
「もちろん! あ、でも次来るときはあらかじめ連絡入れてね? 部屋の片づけができないから」
「あはは……」
確かに昨日は大変だった。一人暮らしのせいか自宅はそれなりに散らかっていて、四人で部屋の片づけを敢行したほどである。
その際、河合の下着を偶然ながら手にしてしまった良二はもちろんディシディアからの鉄拳制裁を喰らったのだが、それはまた別のお話。
ママカリは本当に死ぬほど美味しかったのでお勧めですよ!
通販もあるみたいですので、探してみるのもいいかと思います!
是非是非! 試してみてください! ご飯だけじゃなくてお酒にも合いますよ!