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第四十二話目~ホテルの朝食バイキング~

 あれからどれくらい経っただろうか?

 ディシディアは大きな欠伸をした後で枕元にある目覚ましを見やる。どうやら、相当眠っていたらしい。四時に寝たはずが、今は午前二時。十時間以上も寝た計算になってしまう。


「ふぅむ……そういえば、最近はろくに寝ていなかったから仕方ないと言えばそうか」


 飛行機の中ではほとんど眠れなかったにもかかわらず、昨日はかなりの早起きだった。だからこそ、これはある意味当然のことだろう。

 彼女は目をゴシゴシと擦りつつスリッパを履いて窓際へと寄り、まだ寝ている良二を起こさないようこっそりとカーテンを開けた。

 当然ながら、まだ日の出は拝めない。まぁ、そもそも向かいがビルであるので見れるかどうかすら疑問だが。


「ふぅむ……少し小腹が空いたな」


 ディシディアは腹を撫でさすってから、部屋に備え付けられた冷蔵庫を漁って飲みかけのコーラを取り出す。固く締まっていたキャップを取り、グイッと煽った。

 シュワシュワとした炭酸が口の中で弾けていき、ぼんやりとしていた意識を覚醒させてくれる。彼女は数度ほどコーラを口に含んでから、ぐるりと首を回した。

 早めに寝たのが功を奏したのか、体に疲れはない。変な時間に起きてしまっただるさはあるものの、それを除けば完璧だ。


「……っと、そうだ」


 彼女は髪をガシガシと掻いた後で、ようやく自分が風呂に入っていなかったことに気づいたようだ。コーラのキャップをキチンと締めた後でキャリーバッグを自分のベッドのほうまで持ってきて、ガバッと開けた。

 トランプや旅行ガイドなど今は使わないものを手で押しのけ、下着と寝間着――を取ろうとして、はたとその手を止めて再び時計の方を見やった。


「……寝間着はいらないな。どうせすぐに出かけるだろう」


 彼女は数度頷き、寝間着の代わりにチェック柄のノースリーブとデニム生地のショートパンツを取り出した。彼女は鼻歌を歌いつつシャワールームへと向かい、ドアをゆっくりと開けた。

 ユニットバスタイプだが、それなりの間取りがあって大きめである。彼女は便器の蓋の上に自分の着替えを置き、ゆっくりとワンピースを脱ぎ始めた。が、すぐにハッとしてシャワールームの扉をガチャリと閉める。


「まぁ、彼なら大丈夫だと思うがね……」


 少なくとも、良二なら覗いたりすることはないだろうが、念には念をという奴だ。


「ふふ、そういえば昔は交代制で水浴びをしたものだが、懐かしいな」


 ディシディアがかつて傭兵たちと旅をしている折、どうしても野宿をしないといけない場面というのはあった。その時は傭兵たちの中の女メンバーたちと交代で見張りをしつつ、水浴びをしていたのである。


「あれと比べると、こちらの旅はずいぶんと楽だな。移動手段がそれなりに豊富だし、宿もしっかりとしている」


 やがて下着を全て脱ぎ去り生まれたままの姿となった彼女は浴槽の中に足を踏み入れ、シャワーの蛇口を捻ってお湯を出す。それを数秒ほど手で受けてから、彼女は満足げに頷いて自分の体にお湯を当て始めた。

 海外のシャワーは日本のものよりもやや勢いが強い。柔肌を強く攻め立てる水の勢いに顔をしかめた後で蛇口を緩め、水量を調整。徐々に弱まっていくシャワーを一瞥した後で今度は左側にあった備え付けのシャンプーを取って髪をゴシゴシと洗い始める。

 よほど機嫌がよいのだろう。彼女がいるシャワールームからは鼻歌が絶えなかった。


 ――さて、それから数十分後。ようやくシャワーを浴び終えたディシディアは着替え、髪をドライヤーで乾かしていた。最初はこれらの電子機器にも戸惑っていたものだが、今では完全に使いこなしている。恐るべき適応能力だ。


「……よし、これでバッチリだな」


 彼女は髪をサラリと掻き上げた後でドライヤーを所定の位置に戻し、それから自分の髪を三つ編みにし始める。これはずっとやってきたことだ。あっという間に編み終えた彼女は鏡を見つめて満足げに鼻を鳴らす。


「ふむ、中々の出来栄えだね」


「……本当、綺麗ですよ」


「ッ!?」


 突如聞こえた声にハッとして、後方を見やる。と、そこでは瞼を擦りながら身を起こしている良二の姿があった。ディシディアは驚いたように目を見開いていたもののすぐに平静を取り戻して微笑を浮かべる。


「やぁ、おはよう。よく眠れたようだね」


「寝すぎましたよ……って、まだこんな時間ですか」


 先ほどまでの自分と同じリアクションをしている彼を見ていると、思わず吹き出してしまった。ディシディアはごほんと咳払いをした後で、シャワールームの方をピッと指差す。


「シャワーを浴びてくるといい。サッパリするよ」


「それもそうですね。失礼します」


 良二は欠伸を噛み殺しつつキャリーバッグの中から下着と寝間着を取り出す。が、


「リョージ。どうせまたすぐに出るだろう? 洗いものは少ない方がいい」


 と、ディシディアが自分の服を引っ張りながら言う。良二は納得したのか寝間着の代わりに半袖のシャツとズボンを取り出してそのままシャワールームへと向かっていった。

 その後ろ姿を見送る彼女の瞳はとても穏やかなものだった。


「全く、共同生活を送るうちに行動パターンが似てきたのかな?」


 などと苦笑しながら再び冷蔵庫からコーラを取り出して飲み干す。そうして息を吐いてから、ベッドの上にぴょんと飛び乗ってテレビのリモコンを取った。

 赤いボタンを押すと、今日のニュースを読み上げている男性が映ってきた。まぁ、今は午前三時だ。そこまで面白いニュースもやっていない。ディシディアはチャンネルをコロコロと変えた後で、少しだけ唇を尖らせてテレビを消した。


「むぅ。暇だな」


 言いつつ、ベッドの上に大の字になって辺りを見渡した。当然ながら、ボードゲームやテレビゲームの類は置いてない。まぁ、あったとしても良二がいなければ遊ぶことは難しそうだが。


「いや、待てよ。そういえば……」


 彼女はゴロンと寝返りを打って、良二が使っていたベッドの枕の下を見やる。と、そこには昨日良二が途中まで読んでいたコミックが置かれていた。彼女はニヤリと笑いつつ腕を伸ばしてそれを取り、自分のベッドの上に腰を落ち着けてコミックの中を見やる。

 どうやらこれは超能力を持ったミュータントたちがチームを組んで戦う話らしい。総集編、ということもあってか昔のものも入っているのだろう。序盤はレトロなタッチで描かれていたが、それでも迫力などは変わらない。

 ただ、ここで問題が一つ。


「……読めないな」


 そう。彼女はまだ英語が読めないのだ。もしこのコミックに関しての事前知識があれば多少なりとも内容が理解できたのだろうが、あいにくこのコミックの映画はまだ見たことがない。

 彼女はしばらくうんうんと唸りつつコミックと格闘していたが、やがて大きなため息とともにそれを枕元へと置いた。


「ただ今戻りました~」


 それと同時、良二が風呂から上がってくる。彼は濡れた髪の毛をタオルで拭きながら自分のベッドに横になり、ディシディアの近くにあるコミックを見やった。


「あ、もしかして読んだんですか? 面白かったでしょう」


「……いや、恥ずかしながら読めなかったよ。まだここの言語は習得していないからね」


 肩を竦めるディシディアに苦笑を返した後で、良二は冷蔵庫を開いてコーラを取り出した。彼はごくごくと喉を鳴らしながらそれを飲んだ後で、ゆっくりと窓の傍に歩み寄ってカーテンを開けた。


「今、何時ですか?」


「今は……三時だね」


「……なるほど。今日はホテルの朝食バイキングを予約しているんですが、まだ時間がありますね。どうします?」


「決まっているだろう。少しばかり私と遊ぼうじゃないか」


 言いつつ、ディシディアはキャリーバッグの中からトランプを取り出してきた。良二はそれに不敵に微笑み返し、彼女のベッドに移る。若干ボフンとベッドが沈み込む感触を得ながらディシディアはカードをシャッフルし、良二に渡し始める。


「で、何をやるんです?」


「ババ抜きでもしよう。いいかな?」


「いいですよ。まぁ、二人だからババがあるかないかはわかりますけど」


「それもそうだ」


 とは言ったものの、やればそんな考えはどこかへと行ってしまった。そもそもババ抜きは心理戦なので、人数はそこまで関係ない。二人はすでにババ抜きに熱中しているようだった。

 良二は意外にポーカーフェイスが上手い。ディシディアがババを取りかけても眉一つ動かさず、ただ淡々と自分の手番をこなしていくだけだ。

 一方で、ディシディアはブラフが上手い。沈黙が苦手、というのも関係しているのかもしれないが終始口を動かし、そこに嘘を織り交ぜるのである。

 そうして十何回かババ抜きを繰り返した後で、良二は時計を見やってハッとした。


「って、もうこんな時間じゃないですか」


 見れば、すでに時計は五時を回っている。二人は顔を見合わせた後で、ぷっと噴き出した。


「ちょっとの息抜きのつもりだったが、意外にのめり込んでしまったね」


「いいんじゃないですか? ちょうどいい時間にもなりましたし」


「それもそうだ。では、行こうか」


 二人は互いに頷き合って部屋を後にする。もちろん、鍵を持つのも忘れない。良二はディシディアが付いてきていることを確認してからエレベーターのボタンを押し、中へと乗り込んだ。


「バイキングということは、食べ放題なのだろう?」


「えぇ。でも、食べ過ぎないでくださいよ? またお出かけするんですから」


「わかっているとも。心配するな」


 などと軽口を言い合っているうちにエレベーターは二階へと到着。ドアが開かれるなり二人は外へと踊りだし、朝食会場へと向かっていった。

 まだ人は来ていないのか、かなり静かである。だが、美味しそうな匂いはすでに外まで漂ってきている。二人の腹の虫が同時に目を覚まし、やかましく騒ぎ始める。

 ディシディアたちはやや歩を早め、朝食会場へと足を踏み入れた。そこは大きめのホールのようになっていて、円形のテーブルが散り散りに置かれている。そうして、右の方にはズラリと朝食が並べられている。


「ずいぶんと美味しそうだね」


「ですね。早く食べたいです」


 言いつつすぐにトレイを取って、そこにプレートを置く。それから順路に沿って、ディシディアたちは歩いていく。

 まずはベーコンだ。カリカリに焼かれており、香ばしい匂いを放っている。ディシディアはそれを五枚ほど取り、良二は三枚ほど取った。

 次に目に入ってきたのはベーグルとフレンチトーストだ。ベーグルは出来立てのようで、何とも食欲をそそる匂いだ。フレンチトーストも同様で、見ているだけでよだれが出てくる。

 二人はそれを一つずつ取った後で、次の品――フルーツの盛り合わせをプレートの上に盛り付けた。


「? なぁ、リョージ。そういえば、サラダがないな」


「あぁ、アメリカではそこまで食べられないみたいですよ。たぶん、フルーツがその代わりじゃないですかね?」


「そうなのか? むぅ……やはり興味深いな」


 などと呟きながらもオレンジジュースをコップに注ぎ、二人は近くの席へと座る。純白のテーブルはよく磨かれていて、ピカピカと輝いていた。


「さて、それでは、いただきます」


「いただきます」


 ディシディアたちは手を合わせ、まずはベーグルに手をつけた。

 まだ熱いそれを頬張ると微かな塩味が口の中に広がった。そうして咀嚼していると、モチモチという食感が伝わってくる。鼻を抜ける芳醇な香りは心地よく、思わずうっとりとしてしまうものだ。


「うん。美味しいな。これは毎朝でも食べたいくらいだ」


 ディシディアはそれをいたく気に入ったようでむしゃむしゃと頬張っていた。一方で、良二はフレンチトーストが気に入ったようだ。

 表面はカリッとしていて、けれど咀嚼しているとじゅわっと旨みが染み出てくる。バターと卵がよく染みたパンは絶妙の味わいで、起き抜けの胃に優しく染みわたっていく。


「リョージ。これはベーコンと合わせると美味しいよ」


 ディシディアに言われるまま、良二はフレンチトーストの上にベーコンを置いた。これだけでもう美味しいというのがわかるほどだ。

 彼はごくりと生唾を飲みこみ、それからがぶりと噛みつく。

 刹那、その目がくわっと大きく見開かれた。

 ベーコンとフレンチトーストの香ばしさは違ったベクトルのはずだが、なぜだか絶妙に絡み合う。甘いフレンチトーストとパンチの効いた塩味のベーコンが口の中で混然に一体になるのはまさしく至福だ。


「甘いものとしょっぱいものというのは意外にも合うんだね」


「何でも、アメリカにはパンケーキにフライドチキンを挟んで、そこにシロップをかける人たちもいるらしいですよ」


「本当かい? ふふ、それも食べてみたいものだ」


 ディシディアは心底嬉しそうな顔でベーコンが乗ったフレンチトーストを頬張っている。それを見ているだけで、自分まで幸せになってくるようだ。

 良二は口の中に残っていたベーコンを飲みこんだ後でオレンジジュースを煽り、それからフルーツ盛り合わせにフォークを伸ばす。

 具は二種のメロン――ポピュラーな緑色のものと、オレンジ色のものだ。どちらとも違った旨みがある。緑の方はサッパリとした後味で食べ慣れたものだが、オレンジ色のものはねっとりと舌に絡みついてくるような強烈な甘みがある。その二つを同時に口に入れるとちょうどいい塩梅になるというおまけつきだ。

 イチゴはしっかりと熟しており、とてつもなく甘い。そして、ブルーベリーは酸っぱく味をより引き締めてくれる。キチンと全体のバランスが考えられており、朝でも食べやすい一品だ。


「さて、私はおかわりに行ってくるよ」


 もう食べ終えたらしきディシディアが席を立ち、トレイをもってその場を後にする。そうして帰ってきた時には、最初よりもずっと多めの量を持ってきた。それを見た良二はジト目でディシディアを睨む。


「……ディシディアさん」


「まぁ、いいじゃないか。ほら、昨日も言っただろう? 後悔をしない選択をするべきだと。これだけ美味しい食べ物が揃っているというのに、我慢していてもいいのかい?」


 言われて、良二はグッと言葉に詰まる。確かに、まだまだ食べ足りない。それに、どの品も絶品だった。ここでセーブすれば、必ず後悔することになるだろう。


「……適いませんね、ディシディアさんには」


「当たり前だ。年季が違うよ……それと、あちらにミルクがあった。このフルーツと合わせたら、美味しそうじゃないかい?」


 悪魔のささやきが聞こえてくる。良二はそれに抵抗しようとしたが――やがて小さく項垂れて席を立つ。

 この後二人は三回ほどおかわりを繰り返し、ホテルの従業員たちからある種の賞賛を受けたのだが、それはまた別のお話。


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