第四十一話目~夕食代わりのサンドイッチ~
シカゴピザを食べ終え、店の外に出るなりディシディアはぐ~っと背伸びをした。かと思うとワンピースの裾をひらめかせて良二の方へと向き直る。
「よし、リョージ。どこか行きたいところはあるかい? できる限り要望には応えるつもりだよ」
「う~ん……それじゃあ、あそこに行ってみてもいいですか?」
良二はどこか照れ臭そうに頬を赤く染めながら左の方を指さした。そちらにあったのは――本屋だ。もっと詳しく言うならば、アメコミショップと言った方が正しいかもしれない。ガラスにはアメコミのキャラクターたちの絵が描かれていた。
「ふむ。あそこに行ってみたいのかい?」
「えぇ。いいですか?」
「もちろん。そうと決まれば、早速行こう。いいものが見つかるといいね」
ディシディアの足取りはひどく軽い。おそらく、美味しいものを食べて上機嫌になっているからだろう。彼女は鼻歌まじりにスキップをして、アメコミショップの前へとやってきた。
遅れてやってきた良二は間近に見えるアメコミのキャラの絵を見て、感嘆の声を漏らす。
「おぉおおおおお……ッ! すごい! ディシディアさん! ほら! 『アイロンマン』に『ザ・スィング』もいますよ! あ、こっちには『キャプテン・アメリカン』まで!」
良二はこれまでにないくらい興奮した様子を見せていた。その無邪気な様子を見て、ディシディアはクスッと笑ってしまう。
実のところ、良二は漫画や映画などの娯楽作品をかなり好んでいる。父親の借金の返済をするために漫画などを売り払っていたせいで今現在はあまり持っていないが、それでも毎週発売される週刊誌を立ち読みするのは習慣として根付いているくらいだ。
また、この店先に描かれているキャラクターたちのほとんどは映画化などがされていてそれなりの知名度を持つものである。ディシディアも良二と一緒に映画を見たことがあったため、それらにも見覚えがあった。
「ほら、リョージ。中に入ろう。ここにいてもいいが、やはり本を見たいだろう?」
良二はブンブンと首を縦に振り、本屋の中へと足を踏み入れた。視界を埋め尽くすのは、本、フィギュア、そして各種のグッズなどだった。ショーケースには高価そうなプレミア本などが飾られている。
良二は目をキラキラと輝かせながら、近くの本棚へと歩み寄った。
「すごい……こんなにいっぱいアメコミがあるなんて……ッ!」
「リョージ。ほら、こちらには日本の漫画があるよ」
「あ、本当ですね! 『MARUTO』に『TWOPIECE』! 『モンスター息子のいる日常』まで! やっぱり人気なんですねぇ……」
ディシディアの言う通り、ここには日本の漫画も大量に置かれていた。だが、やはり日本で売られているものとは装丁も違う。
日本では単行本にカバーがかけられているが、こちらではかけられていない。イメージとしてはペーパーバックと呼ばれるものに近く、紙に表紙がそのまま印刷されていた。
「これを数冊買って、後はアメコミ……でも、何を買えばいいものか……むぅ」
良二はアメコミの棚に寄り、悩ましげに眉根を寄せていた。彼は何を買えばいいものか悩んでいるらしい。だが、それも当然だろう。
ここには大量のアメコミが陳列されている。それこそ、シリーズものなら巻を一つでも間違えてしまえば内容が飛んでしまう。総集編、という手もあるがそれは中々に高価だ。日本円に換算して、四千円もする。それだけの分厚さと大きさを誇っているので仕方ないと言えばそうなのではあるが。
ディシディアは自分の世界に入り込んでいるらしき良二を視界の端に納めた後で、再び店内へと視線を巡らせた。
それなりに繁盛しており、老若男女、国籍性別を問わず人が集まっていた。誰もが楽しげに本を眺めている。それだけ、この物語を愛しているということだ。
何かに熱中している人間というのは、非常にキラキラと輝いているものである。その輝きと尊さは宝石の山ですら及ばない。
人々が楽しそうにしている様を見てディシディアは満足げに鼻を鳴らした。その後で、再び良二へと視線を寄越す。彼は大きめの総集編を買うか否かで悩んでいるようだった。
ディシディアは中腰になっている良二の肩に、ポンッと手を置く。
「買わないのかい?」
「いや、買いたいんですが……高いし、かさばりますから」
確かに五千円もする上に週刊誌以上の分厚さを誇っているのだから良二がそう言ってしまうのも無理はないだろう。だが、やはり諦めきれないようであり、良二は棚に戻しても名残惜しそうな視線を向けていた。
ディシディアはわざとらしく大きなため息をついた後でごほんと咳払いをした。
「……しょうがない。私が買ってあげよう」
「いいんですか!?」
返されるのは、首肯。ディシディアは慈愛に満ちたまなざしを向けながら、棚に戻されたばかりのコミックを手に取った。
「もちろん。これは人生の先輩としてのアドバイスだが、旅を楽しむコツはいくつかある。その中で大事なのが『悩んだら買う』ということだ。だって、またここに来た時にこの本が残っているかはわからないだろう? だから、悩んだら買うといい。買わない後悔より、買って後悔さ……にしても、これは本当に重いな」
と付け加えつつも、ディシディアはそれを分厚いコミックを胸元に抱えた。良二は彼女にぺこりと頭を下げた後で、英語版の日本の漫画をいくつか手に取ってレジへと向かう。
「じゃあ、これで頼むよ」
がま口から代金を取り出し、レジ係へと渡す。店員はそれを綺麗にラッピングした後でディシディアへと渡し、彼女はそれをそのまま良二に手渡した。
「ありがとうございます、ディシディアさん」
「いいさ。いつも世話になっているお礼、とでも思っていてくれ」
ディシディアは愛嬌たっぷりに言い放った後で、チラリと上の方を見やった。そこにはアメコミヒーローたちのフィギュアが置かれている。数は少ないが、どれもこれもクオリティが高い限定品だ。
「あれはいいのかい?」
「大丈夫ですよ。フィギュアは買う予定ありませんから。もうこの漫画を買えただけで十分です」
よほど嬉しかったのだろう。良二は満面の笑みを浮かべてコミックが入った袋を大事そうに抱きしめていた。ディシディアはそんな彼の手を引きながら、外へと歩み出す。
「……ところで、リョージ。今は何時だい?」
「えっと……二時半ですね。結構遊んだつもり印象があったんですけど、まだ全然ですね」
「あぁ。しかし、体の方は大丈夫かい? 何せ、魔法をかけたんだ。ガタが来ていてもおかしくはない」
言われて、良二は自分の体を見渡した。特にこれといった不調も外傷もない。
疲れはあるが、それはおそらく観光によるものだろう。が、まだアメリカ旅行は始まったばかりだ。
良二は少しだけ考え込む素振りを見せた後、静かに口を開いた。
「とりあえず、今日は一旦ホテルに戻りますか?」
「それがいいだろうね。明日もたっぷり時間はあるんだ。無理をして体を壊してしまっては、本末転倒さ」
実際、魔力を持たない存在――人間に魔法をかけたのは初めてだ。それも、対象者に直接影響を及ぼすタイプであるため、何かしらの変化が起きていても不思議ではない。
ディシディアは難しそうな顔をしていたが、すぐに弾けんばかりの笑みを浮かべた。
「さて、そうと決まれば早く帰ろう! 君も、それを早く読みたいだろうしね」
良二は図星をつかれ、ギクリと身を強張らせる。実のところ、大事を取って休養しておきたいというのもあったが、何より漫画を読むのが楽しみでならなかったのだ。
もちろんそれを見透かしていたディシディアは意味深な目配せをするなり、てくてくと歩いていく。その後を追いながら、良二は彼女に語りかけた。
「ついでに夕飯も買っておきませんか? 夕飯は外で食べると思っていましたから、ホテルには頼んでいなかったので」
「そうだね。ホテルの近くにコンビニがあっただろう。なら、そこに寄ろう。前に寄った時わかったが、いい品ぞろえをしていたからね」
そう。以前ブリトーが食べられなかったディシディアのためにコンビニに寄ったのだが、日本のコンビニに負けないくらいの品ぞろえがあったのだ。いや、ホットスナックに限って言えば日本より量が多かったくらいである。
アメリカのコンビニには日本のように雑誌がたくさん置かれているわけではない。だが、その代わりに飲食物には相当の力を入れているのだ。専用の調理台までもが店内に置かれており、出来立てを味わえるようにもなっている。
「夕飯か……何がいいかな?」
「今日は色々食べたんで、軽めのものがいいですね」
「確かにそれがいいだろうね。まぁ、デザートのあてもあることだしね」
ディシディアが言っているのはプレッツェルピーナッツのことだろう。あれは確かにいいものだった。思い出すだけでよだれが滝のように溢れてくる。
良二は口の端からこぼれてきたよだれを親指で拭い、紙袋の中をチラリと見やった。そこにあるコミックを見る度、好奇心と興奮が掻き立てられる。
自然と歩幅が大きくなるのを感じながら、彼はスマホを開いた。そろそろホテルに着く頃だ。よく目を凝らしてみれば、コンビニはもう見える距離にある。
二人はわずかに速度を上げ、すたすたと歩いていく。そうしてコンビニの前に着くなり、ディシディアと良二は中へと足を踏み入れた。
「さて、では私は飲み物を買ってくるよ。コーラでいいかな?」
「はい。お願いします」
良二は彼女と別れた後でホットスナックの棚へと歩み寄るとそこではちょうどサンドイッチが売られているところだった。良二はそこにいる背の高い店員に向かって二本指を立ててみせる。
「すいません。サンドイッチ二つ」
「あいよ。毎度あり」
店員はサンドイッチを紙袋に詰め、良二に差し出してくれる。良二も彼に代金を渡し、ちょうどレジを済ませてきたらしきディシディアと合流した。
彼女はレジ袋を掲げつつ、ニッと笑ってみせる。
「どうやら無事に買えたようだね。それじゃあ、戻ろうか」
コンビニからホテルまでは徒歩一分である。幸いにも信号で捕まることもなくあっという間にロビーを潜り、自分たちの泊まっている部屋までやってきた。
良二はポケットから鍵を取り出して扉を開け、ドアマンの様な恭しい態度でディシディアを中へと招き入れる。
「ずいぶん紳士だね。言っておくが、ご機嫌を取っても本は買わないよ」
「別にそんなんじゃないですよ。ただ、さっきのお礼ってことで」
二人は顔を見合わせた後で互いのベッドの上へと腰かけた。かと思うと、ディシディアはサンドイッチの入った袋をおもむろにあけ始める。
「まだ夕食には早いんじゃないですか?」
「いいじゃないか。ちょっとだけ、味見だよ。それに、熱いうちに食べた方が美味しいだろう?」
「それには賛成ですけど……って、もう食べ始めてるじゃないですか」
良二のことなど放っておいて、ディシディアはむしゃむしゃとサンドイッチを頬張っていた。
このサンドイッチはバゲットにレタス、ハムを挟んだ質素な感じのものである。だが、流石はアメリカというべきか、ハムの量が尋常じゃない。それこそパンからはみ出すくらい中に詰め込まれており、肉肉しいという言葉がぴったりだ。
パンに塗りたくられたマヨネーズとマスタードが絶妙な風味を醸し出し、ハムの塩味と混じり合って絶妙のハーモニーを奏でる。瑞々しいレタスは口の中をサッパリとさせ、肉が多いにもかかわらず後味は重くない。
バゲットはボリューム感がたっぷりで、手に持つとずっしりとした重みを感じられる。具材との相性ももちろん抜群だ。
「うん。やはり美味しいね。案外、私はアメリカの料理が肌に合っているのかもしれないな」
アメリカの料理は豪快という言葉がよく似合う。シンプルで、変に着飾っていない。だからこそ、素材の力強さと旨みが最大限に活かされているのだ。
もちろん、豪快さの中に繊細さも隠されている。マスタードなどの薬味は分量を間違えれば途端に全てを台無しにしてしまうが、適量を用いればこれ以上ないほどの引き立て役になってくれる。その加減をキチンと理解していることが、全ての品から伝わってきた。
「言っておくが、私は日本料理も好きだよ? 特に丼だね。あれは素晴らしい。まぁ、他にも色々あるが」
「というか、正直何でも好きですよね」
「そういうな。私にだって好き嫌いはある……辛いものはもちろんのこと、例のサルミアッキや、ルートビアだな」
「あぁ……」
良二は額に手を当て、小さく呻いた。確かにあれらは癖が強いものだ。ディシディアはまだこの世界に来て間もなく、味覚が慣れていない。そこにあのようなものを食べては刺激が強すぎるというものだ。
良二はほぅっと息を吐いた後でディシディアの方を見やる。と、彼女はすでにサンドイッチを食べ終えて手をナプキンで拭いているところだった。
良二は彼女をジト目で睨みつつ、
「ディシディアさん……味見のつもりじゃなかったんですか?」
「いや、これは……すまない。やめられなかったんだ」
「……まぁ、予想はしてましたけどね。お腹が空いた時は言ってください。コンビニまでひとっ走りしてきますから」
嘆息し、ゴロンとベッドに横になってコミックを開いた。
が、やはり体の中には疲れがたまっていたのだろう。結局数ページも読まないうちに爆睡してしまい、ぐうぐうと心地よさ気な寝息を立てる。
ディシディアは彼の体にそっと毛布を掛けた後で、自分も横になる。
その後まもなく彼女も眠りに落ちていったのは言うまでもない。