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第三十一話目~食前のコンソメスープ~

 その日は、絶好の旅行日和だった。空は快晴、日差しは強くなく、そよ風が吹いている。しかし、電車に揺られているディシディアたちにはあまり関係のない話だった。二人は座席にちょこんと腰かけ、キャリーバッグを手で押さえている。


「リョージ。あとどれくらいで空港に着くんだい?」


「十分くらいですよ。まぁ、飛行機に乗るにはもう少し時間がありますけど」


「そうか。念のため聞くが、忘れ物はないかな?」


 良二は鞄を少し漁った後で、コクリと頷く。朝から確認をしてきたのだ。忘れ物があるわけがない。それに、最悪の場合はディシディアの魔法で瞬間移動を行って取りに行くことができる。それはあくまでも最終手段として、だが。


 窓の外で移り変わっていく景色を眺めながら、ディシディアはわずかに目を細める。異世界から来てまだ一か月程度しか経っていないのに、もう次の国へといこうとしているのだ。かなりの急ピッチだが、刺激的だ。少なくとも、ディシディアはそう思う。


(さて、これからどんなものが見えるだろうか?)


 当然ながら、飛行機や空港と言ったものはアルテラにはない。写真では見たことがあったが、生で見るのはやはり違うものだ。アメリカに行くことも楽しみであるが、その前段階にも胸を弾ませていることは否めなかった。


「あ、そろそろ着くんで準備してください」


 と、不意に良二が口を開く。見れば、窓の外にもそれらしきものが見えてきた。ディシディアはすぐにポシェットを肩にかけ、すっと立ち上がってドアのところへと向かう。それから数分もしないうちに到着し、ドアが開かれた。

 その直後、ディシディアは足早に外に出て改札口へと向かう。良二もその後を追い、ターミナルへと向かった。その間も、彼女は辺りに視線を巡らせる。やはり夏休みということもあってか、家族連れが多い。他にもスーツを着た会社員や民族衣装を着た人も見える。旅行の目的は、人それぞれのようだ。

 そうこうしているうちに改札を抜け、ターミナルへと向かっていく。上に登っていくにつれ、心臓の高鳴りも増していく。意図せず耳をピンと張りつめさせている彼女を見て、良二はクスッと笑みをこぼした。

 それから間もなく、三階の出発ロビーへと到着。そうして空港内へと入るとそこは――まさしく、異界の地、という感じだった。

 大勢の人々が慌ただしく動き回り、辺りからは喧騒が聞こえてくる。あちらこちらに観光ガイドと思われる人たちがいて、客たちを大声で案内しているのも見えた。


「おぉ……圧巻だな」


 その様に、ディシディアは呑まれているようだった。まだまだ人混みには慣れないのか、彼女は不安げな表情をしている。だが、同時に期待に満ちたまなざしもしていた。恐ろしさ半分、興味深さ半分、といった感じだろう。


「さぁ、行きますよ」


 良二は彼女の手を引き、まずは荷物を預けに行く。それからチケットを照合し、出発口へと向かっていった。

 ディシディアは後方を眺めながら、ほぅっと息を吐く。


「ふぅむ……にしても、先ほどのベルトコンベアー? だったかな? 中々に面白いものがあるね」


「たぶん、シカゴに着く頃にはもっと驚くと思いますよ」


 含みのある言い方をする良二に頷きを返し、ディシディアは再び辺りに視線を巡らせた。出発口に向かううちに、どんどん人が増えていく。それを見ているだけでも楽しめる。


「あ、ディシディアさん。あれ見てくださいよ」


「ん? って、おぉ? あれは……人形、か?」


 そう。彼女の視線の先にあったのは、人形だ。ただし、風神と雷神を萌えキャラにしたもの。もちろん多少の原型は留めている。風神は大きなアーチ状の袋を背負っており、雷神はお決まりの太鼓を背中に背負っている。さらに風神は緑、雷神は黄色の着物をそれぞれ羽織っている。かなり精巧な造りをしており『見目麗しい』という言葉は彼女たちのためにあるようにすら思えた。

 また、レジのところには絵が描かれている。そこにも、風神と雷神の姿があった。こちらも萌え絵で、非常に可愛らしい。それには、ディシディアも目を奪われているようだった。


「おぉおおおお……あの様な絵画は見たことがない。愛らしくて、どこか人を引き付ける魅力にあふれている……」


「そういえば、ディシディアさんって漫画とかアニメとか見たことがなかったですよね。あれが好きなら、たぶん気に入ると思いますよ」


「漫画とアニメ……確かにそうだな。うん。帰国したら見てみようか」


「ですね。まぁ、これから海外に行こうっていうのにって話ですけど」


「ふふ、確かにそうだ。せっかくの旅行だ。それは帰国の楽しみにしておくよ」


 ディシディアはそれだけ言って、また散策に映る。どうやら、ここはお土産屋が密集している地帯らしい。日本限定のお菓子や、お酒などがある。徳利などもかなり凝っているし、ここには日本の技術の全てが詰め込まれているようにも思えた。


「っと、いけないいけない。そろそろ飛行機に乗らなければね」


 ディシディアはふと思い出したように呟き、手荷物検査のところへと向かっていく。当然ながら、違反になるようなものは持っていない。あっという間に検査を終えて中に入り、飛行機の乗り場へと向かっていった。


「お手洗いは先に言っておくといいですよ。飛行機だと、色々大変ですから」


「それもそうだね。長旅になるだろうし……すまないが、少しだけ待っていてくれないだろうか?」


「えぇ、いいですよ。俺は近くのお土産屋を見ていますから」


 そそくさと手洗いへと向かっていく彼女を視界の端に納めた後で、良二はお土産屋に歩み寄った。彼が見ているのは、飲み物の棚だ。機内では飲み物がもらえるとはいえ、あらかじめ買っておいても損はない。なにせ、日本のお茶などはシカゴでは買えないのだから。


「むぅ……まぁ、いいか。せっかくだから、向こうの飲み物を試すとしよう」


 そう結論付け、お土産屋の外へと出る。すると、ちょうどハンカチで手を拭いながら出てきていたディシディアと目があった。彼女は微笑を浮かべ、男子トイレの方を手で示す。


「君も行ってきたまえ。私はここで待っているから」


「はい。でも、気をつけてくださいよ? 知らない人にはついていかないように」


「……君、だんだん私を子どもだと勘違いしてきてないかい? こう見えても君の数倍は生きているんだが」


 ジト目になるディシディア。良二はそんな彼女の視線を避けるように、足早にトイレへと駆けこむ。ディシディアは不満げに鼻を鳴らした後で、お土産屋へと足を踏み入れた。

 彼女が向かうのは――当然ながら、食べ物のコーナーだ。そこにはおにぎりやお弁当が置かれている。彼女は悩ましげに首を捻っていたが、やがて静かに目を閉じた。


「……ダメだ。ここは我慢だ。機内食を万全の状態で食べるために……」


 正直なところ、朝飯はおにぎりを二個ほど食べてきたくらいだ。その程度では、すぐにお腹が空いてしまうだろう。だが、だからと言ってここで何かを食べてしまえば、機内食を提供された時に得る感動が半減してしまう。そう思った彼女は涙を呑み、店の外へと出て良二と合流した。


「お待たせしました~……って、どうしたんです?」


 良二がそう問いかけたのも無理はない。ディシディアは目の端にわずかに涙をため、しょんぼりと肩と耳を落としていたのだから。


「いや、何でもない。気にしないでくれ」


「も、もしかして子ども扱いしたのがそんなに嫌だったんですか?」


「そうではないんだが……いいから放っておいてくれ。とりあえず、早く飛行機に乗ってここから去ろう」


 ずっとここにいれば、いつかおにぎりの誘惑に負けてしまいそうな勢いのディシディアはすぐに出発口へと向かっていく。すでにそこには飛行機の搭乗時間が来るのを待っている人たちで溢れかえっていた。

 ディシディアは近くの席に腰掛け、出発口を見やる。そこに立っている客室乗務員たちは互いに頷き合い、それからメガホンを手に取った。


『ただいまより、搭乗を開始します。慌てず、ゆっくりと列を作ってお並び下さい』


「ほぅ。意外に早いものだね」


「たぶん、混んでるからでしょうね。この待合席も、そうあるものじゃありませんし」


 確かに、それはありそうな話だった。席はほぼ埋まっていて、子どもたちは座っていることが退屈なのか走り回っている。もしここで怪我などすれば、それこそ楽しい旅行が台無しになってしまうだろう。

 それを危惧して、早めに搭乗を開始したのかもしれない。なんにせよ、早く乗り込めるのはいいことだ。二人はゆっくりと列に並び、チケットを手に取る。

 受付の手際がいいのか、列はすいすいと流れていき、気づけば彼女たちの番になっていた。二人がチケットを差し出すと受付の女性はニコリと穏やかな笑みをたたえ、


「はい。では、どうぞ」


 と、手慣れた様子で言ってみせる。二人はそれから細い通路を抜け――ようやく、飛行機内へと足を踏み入れた。

 国外線ということもあってか、かなり大きい。席も広いし、映画などが見れるスクリーンもついていた。


「えっと、私たちの席は……」


「ディシディアさん。あそこですよ」


 見れば、すでに先客がいた。窓際の席に腰掛けているのは、若い青年だ。大体、二十代中盤くらいだろう。彫が深く、どことなくワイルドな様相をしている。

 ディシディアはそんな彼の姿に怯むことなく隣に進んでいき、ちょうど目線を向けてきた彼に優しく微笑みかけた。すると、彼もにこやかに返してくれる。どうやら、悪い人ではないらしい。ディシディアは嬉しそうにしながら席に腰掛け、椅子の座り心地を確かめるように体の力を抜いた。

 椅子はとても綺麗で、安心感がある。ちゃんと幅もあるので隣と肘が当たることもないし、目の前についているスクリーンの映像も高画質で特に悪いところは見当たらなかった。


「リョージ。これは?」


 彼女が指さしたのは、スクリーンの下についているゲームのコントローラーのようなものだ。良二はそれを見て「ああ」と言葉を漏らす。


「それで見たい映画とかを選ぶんですよ。ほら」


 言いつつ、良二がやってみせてくれた。次々と映し出される映画に舌を巻きつつ、彼女も見様見真似でやってみて、ようやくお気に入りの作品を見つけたのか手を止めた。


「ヘッドホンはここですからね。寒かったら毛布を頼むように」


 良二は注意を促し、自分は静かに目を閉じる。どうにも、早く寝たいようだった。


 ――それからしばらくして、機内アナウンスが入る。ディシディアはヘッドホンを外して、前方に立つ女性客室乗務員に視線を移した。彼女は万が一何か起こった時の対処について説明しており、それはとても手馴れているように思えた。おかげでスラスラと耳に入ってくる。

 やがて説明を終え、去っていった彼女を見送った後で、ディシディアはヘッドホンを膝の上に置いた。


「……さて。注意が入ったということは、もうすぐ出発ということか」


 その言葉を裏付けるように、機体がわずかに揺れた。窓の外を見れば、景色が少しずつ移り変わっていく。どうやら、離陸の準備に入ったらしい。機体独特の揺れに戸惑いながらも、ディシディアはキラキラと目を輝かせる。


「おぉ……ッ! これはすごい! なぁ、りょ……じ?」


 そこまで言って、彼女は言葉を濁らせた。だが、それもそのはず。なぜなら、良二が今までに見たことがないくらい不安そうな表情になっていたのだから。顔面は蒼白で、呼吸も荒れているように思える。


「どうしたんだい? もしかして、体調が……」


「いや、そういうわけではないんですが……」


「嘘を言うな。どう見ても普通じゃない。今からでも下りて……」


「いや、違うんです。その……苦手なんですよ。この、離陸の瞬間っていうのが」


「……ん?」


 眉根を寄せるディシディアに構わず、良二は続ける。


「いや、だって昔から苦手なんですよ。この、離陸の時の微妙な揺れとか、離陸する瞬間のふわってする感じとか……」


 言葉の途中で機体がガクンと揺れ、良二がハッと息を呑む。それを見たディシディアは温かな笑みを浮かべながら、台座に乗せられた彼の手に自らの手を重ねた。その温かな感触に戸惑いつつも、良二はふっと口元を緩める。


「すいません。ありがとうございます……」


「いいさ。それにしても……ふふ。意外に可愛らしいところがあるじゃないか」


「ぐうの音も出ません」


 そんなことを言い合っている内にも、飛行機は離陸の準備を整えていき、徐々に速度を上げていく。そうして――ふわ……っと浮遊感が襲い、内臓がせり上がってくるような錯覚を得る。

 その時にはすでに気を失いそうになっている良二とは裏腹に、ディシディアはケロッとして窓の外を見やっていた。先ほどまで見えていた景色はもうはるか下のところにあり、ゴマみたいにも見える。


「ほら、リョージ。見てみたまえ。もうすぐ雲の上だ」


「わかりました。わかりましたから助けてください……」


 ガタガタと震える良二を見て、ディシディアはわずかに口の端を吊り上げた。これまで変に肩肘を張っていた彼が、年相応――いや、非常に子どもらしい反応を見せてくれたのだから。

 ディシディアはそんな彼の頭を優しく撫でてやり、背もたれに体を預けた。この調子では、まだ機内食は運ばれてこないだろう。ディシディアはわずかな口寂しさを感じていた。

 それを紛らわせるようにヘッドホンを付け、映画を観賞する。が、やはり空腹感がやってきて内容がろくに頭に入らない。ため息交じりにヘッドホンを外し、辺りに視線をやると何やらワゴンがやってきているのが目に入った。

 そこには、たくさんの飲み物が並んでいる。それを見て、ディシディアはごくりと息を呑んだ。

 空腹感を紛らわせるには足りないかもしれないが、この物足りなさは埋めることができるかもしれない。徐々に近づいてくるワゴンを見ていると、期待感がむくむくと湧き上がってきた。

 数分後、ワゴンを引いた客室乗務員がやってくる。彼女は愛想のいい笑顔を浮かべて、問いかけてきた。


「こんにちは。お飲み物はいかがですか?」


 ディシディアはそれに答えようとした――が、客室乗務員の視線が自分の隣にいる男性に向いていると気付き、グッと堪える。その男性はふっと微笑み、


「俺はコンソメスープで」


 と、サラリと返す。それを聞いて、ディシディアは続けた。


「では、私も同じものを」


「かしこまりました。えぇと……こちらのお客様は?」


「おすすめの奴で……」


 精気のない声を絞り出す良二に笑みを向けた後、女性はコップにコンソメスープを注ぎ、奥の男性へと渡す。それからもう一つを作って、ディシディアに渡した。


「ありがとう」


 透き通るようなコンソメスープからは芳しい芳香が漂ってくる。空きっ腹を刺激し、食欲を掻きたててきた。クルトンなども入っており、中々に美味しそうな感じだった。


「では、いただきます」


 ディシディアはそれをよく冷ましてから静かに啜る。と同時、濃厚なうまみが口の中にふわりと広がってきた。それは喉元を過ぎても残り、十分な満足感を与えてくれる。これからのメインへの期待感を高めてくれる一品だ。


「……ふぅ。とりあえずは、ひと段落かな」


 そんなことを呟きつつ、窓の外を見やる。機体はすでに雲を突き抜け高度を安定させている。良二も徐々に落ち着きを取り戻したのか、コップに注がれたキウイジュースをチビチビと飲んでいた。


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