第二十五話目~試食会だ丼! ~肉祭編~
眼前に広がるのは、色とりどりの丼たち。見た目にも華やかで、美味しそうな匂いが漂ってきている。ディシディアと良二は目を皿のようにして見つめていた。
「さ、食ってくれ。感想が聞きたいんだ」
「すいません、俺まで。よかったんですか?」
「いいってことよ! できるだけ多くの意見が聞きたいからな!」
店主は腰に手を当てて豪快に笑う。確かに、大勢の意見を聞いておくに越したことはない。良二は静かに頷き、目の前の丼たちに改めて視線を戻した。
試食会だからだろう。丼は少しばかり小さめだ。これなら途中でお腹がいっぱいになってしまうこともない。しかし、手抜きは感じられずどれもしっかりとした仕事がなされていた。
「はい。途中でお口直しがしたくなったら食べてね?」
珠江が寄越してくれるのは白菜の漬物だ。あっさりとした後味の漬物ならば、口の中をリセットしてくれてまた一から丼を楽しめることだろう。
「じゃあ、冷めないうちにいただきますね」
「あぁ、いただきます」
良二が手に取ったのは、すき焼き丼。ディシディアが取ったのはソースカツ丼だ。どうやら、今日は肉を主体にした丼の試食を行うらしい。濃厚な肉の匂いが脳を揺らし、腹の虫を刺激する。
我慢ができなかったのか、ディシディアは大口を開けて丼を掻きこんだ。刹那、その顔が幸せそうに緩む。
カツはカラリと揚がっており、かつ、ソースがかけられているところはしっとりとしていて食感の違いが強調されている。ソースは市販のものではなく、オリジナルだ。より濃厚で、カツとよく合う。
だが、重たくはない。カツの下に敷き詰められたキャベツと水菜が脂っこさを中和させ、カツと絶妙なまでのコンビネーションを発揮する。
シャキシャキと瑞々しい野菜を食べているうちにまた肉の力強い味が欲しくなり、それを堪能しているとまた野菜が欲しくなる。見事なまでの循環がなされている。
無論、白米の出来は言わずもがなだ。丼の根幹であるからこそ、キチンとしていなくてはならない。その点、この丼に置いては完璧だ。白米はホカホカで、けれどその蒸気で衣の歯ごたえを損なわないようにキャベツがサポートしている。カツの脂もキャベツによってシャットアウトされているおかげで、互いの味を残しつつも互いの組み合わせの妙を感じることができるのだ。
歯を入れるとカシュッという音が鳴り、続けて肉汁が滝のように溢れてくる。流石と言うべきか、その出来に一切の曇りはなかった。
ソースカツ丼に舌鼓を打つディシディアをよそに、良二はすき焼き丼をパクパクと食べ進めていた。
こちらは普通のすき焼きよりも甘く仕上げてある。それが無性に食欲を刺激し、気づけば箸を伸ばしている。それぞれの具材もしっかりとした調理がなされていた。
牛肉は柔らかく、しっかりと味が染みている。牛脂を入れているのか、コクと深みは格段に増していた。肉でご飯を巻いて掻きこむだけで幸せな気分になってしまうというのに、豆腐や糸こんにゃく、白菜などが加わればたまったものではない。
豆腐に微かに焦げが入っているおかげで香ばしさと風味が格段に増し、豆腐本来が持つポテンシャルを十二分に引き出していた。さらに木綿を使っているおかげで、持ち上げても崩れることがなくしっかりとした食感を得ることもできる。
糸こんにゃくはくにゃくにゃとした独特の食感をしていて、それはこの丼の中で異彩を放つ。こちらも十分に割り下の旨みを吸収しており、噛めば噛むほど味わい深くなっていく。
個性が強い具材たちを補助するのは、白菜だ。瑞々しさと野菜本来の甘みを保ったそれは舌を優しく癒してくれる。すき焼き丼はガツン、と舌を響かせてくれるような力強さを持っているが、それだけだと疲れてしまう。そこに白菜が加わることで丼にまとまりが生まれるのだ。
ディシディアは口の中に入っていたそれを嚥下した後で、近くにあった丼に手をかける。それは、鶏肉の照り焼き丼だ。照り焼きの名に恥じず、香ばしく焼かれた鶏肉は艶々と照り輝いている。
ディシディアはまたしてもそれを一息に掻きこむ。
鶏肉はジューシーで、照り焼きにされているおかげでより重厚感のある味となっている。たれはここにある品の中で最も香ばしく、風味に満ちていて舌を十二分に満足させてくれる。
当然、照り焼きをただ乗せただけではない。細かく切った海苔とネギが散らされ、より多角的な味を感じることができる。鶏肉から染み出た肉汁とたれを絡めてご飯を掻きこめば、腰が抜けそうになってしまうほどだ。
「はぁ……」
思わず、ディシディアの口から悩ましげな吐息が漏れる。彼女は目をとろんと潤ませながら、照り焼き丼を口にしていた。
皮はプルリとしていて新鮮なものを使っていることがうかがえる。あえてパリッとさせていないのは、これが焼き鳥ではなく照り焼き用だからだろう。
焼き鳥ならば、パリッとしていて歯ごたえがある方がビールとも合うし、何よりスナック感覚でいける。だが、こちらは丼もの。それも、ごはんと共に食べるものだ。その時に重要視されるのは、二つの食材が織りなすハーモニーである。
パリッとした皮では、白米を十分活かしきることは難しいだろう。だからこそ、皮はあえて柔らかい状態のまま提供しているのだ。
「ディシディアさん。これも美味しいですよ」
そう告げる良二の手には、豚丼があった。しかし、ただの豚丼ではない。
北海道では比較的ポピュラーとされている『十勝帯広豚丼』である。
これが普通の豚丼とどう違うのかと言われれば、調理法だろう。
普段、チェーン店などで提供される豚丼は牛丼と同じようなつくり方をしたものである。しかし、十勝の豚丼はたれを用いて作る。みりん、しょうゆ、砂糖などを豚から出た油などを使って作るのだ。
盛り付けも普通の豚丼とはまるで違う。まるで花弁のように豚ばら肉が丼の上に盛り付けられているのだ。味だけでなく、見た目も楽しめるような工夫をされているのも特徴である。
口に含めば分厚い豚ばら肉が肉汁を滴らせ、舌に快楽を与えてくれる。豚ばら肉はキチンとした処理がされているおかげで臭みはなく、非常に食べやすい。脂身は甘く、じんわりと口に溶けていくのだがそれがご飯と合わさると得も言われぬ美味さだ。
パラパラと散らされたゴマと細く切られた白ネギがあるので味が単調になっていない。テーブルの上に置いてある七味や粉山椒をかけてもまた違った印象を得ることもでき、この丼からは無限の可能性を感じることができた。
それからしばらく二人は皿の上の料理たちを食べ比べ――やがて満足げなため息をつく。
「で? どうだった?」
「あぁ、美味しかったよ。私のお気に入りはこれかな」
「俺はこれですね」
ディシディアが指差したのは鳥の照り焼き丼だ。一方で、良二が指差したのは十勝帯広豚丼。似たようで、全く違ったチョイスだ。
鶏肉は比較的あっさりしていてヘルシーであり、女性向けだ。対して、十勝帯広豚丼は『肉らしさ』を前面に押し出し、ガッツリとした品である。
対照的な二人の答えに、店主は小さく唸った。
「むぅ……なるほど。やっぱり、良二は育ち盛りだから肉が食いたい年頃なのかもな」
「ディシディアちゃんは女の子だものね。カロリーも気になるでしょうし」
と、珠江が付け加える。カロリーなどは気にしたことがなかったが、あの中では一番食べやすかったのである。
「でも、いい意見が聞けたな。やっぱり、年代別でいくつかやってみるか?」
「そうねぇ……お昼は学生さんたちがよく来るから豚丼の方がいいと思うし、夜は飲み会で来る人が多いだろうからあまり重たいのは好まれないかも。でも、そうなると……」
「コストと手間がかかるよなぁ……」
二人は同時に頭を抱え、深いため息をつく。その様子を思案気に眺めていたディシディアは小さく頷き、ポンッと手を合わせる。
「ならば、日替わりなどはいかがだろうか? それならば、二つの品を作るよりも手間はかからないと思うが」
「まぁ、それが妥当よね……でも、まだまだ試作段階なんだからそう考え込まなくていいかもね」
珠江がクスリと笑うと、つられて店主も笑みを浮かべた。
「だな。その通りだ。で、だ。二人とも。一番微妙だったのってどれだ?」
「これですね」
「これだね」
二人が指差したのは、すき焼き丼だ。良二はポリポリと頭を掻きながら、首を傾げてみせる。
「いや、もちろん大将の料理だからとても美味しかったんです。けど……」
「インパクトが足りない。そんなところだろう?」
ディシディアの補足に、良二は首肯を返した。確かに完成度は高かったが、他の品に比べるとインパクトに欠ける気がしたのだ。それは見た目的にも、味的にも、だ。
ソースカツ丼や十勝帯広豚丼などのような地域限定のマイナーメニューばかりが揃っていたからかもしれない。すき焼き丼と言うありふれたメニューはどうしても見劣りしてしまったのだ。
「あ~……そうか。一応、他がダメだった時の保険として普通のを混ぜたんだが、失敗だったか」
「やっぱり、ただのすき焼き丼じゃダメよね。なら、どうしようかしら? 卵を入れるのはありきたりだし」
「いや、待て。ウズラの卵を落とすのは……やっぱり、ダメだな。どうしても延長線上になっちまう。何かいいアイデアがあればいいんだが……」
「私も話し合いに参加してもいいかな?」
と、ディシディアが興味深そうに目を輝かせる。彼女は耳をピコピコとさせつつ、二人の元に歩み寄った。
「もちろんよ。お願い」
「ありがとう。で、思ったのだが他の品はもっとこう……食べた瞬間にハッとするようなインパクトがあったんだ」
「なるほど……肉を分厚くするのはどうだ?」
「そうね。他と違うところって言えば、そこだもの。すき焼きに使うお肉ってどうしても薄いものだから、それでインパクトが弱く感じたのかもね」
店主は頷き、しかしまた肩を落とす。
「つっても、肉を厚くしすぎれば食べにくくなるだろ? それに、しつこくなっちまったら元も子もないしよぉ」
「う~ん……お肉が厚いけどしつこくない料理って言えば、トンポーローとか角煮丼よね。それをアレンジしてみる?」
「だな。うしっ! いっちょやるか!」
「なら、私は試食を担当しよう。それならばできる気がするからね」
「ハハッ! 頼もしいや! んじゃ、それを作ったらまた一から評価しなおしだな! これを何度か繰り返して、最後に新メニューを決める!」
豪快に笑い合う店主たち。良二はそんな彼らをどこか遠い目で見つめていた。
そして結局、彼らの新メニュー……割り下にとろみをつけることでご飯とからめやすくし、比較的多めの砂糖と牛脂を入れてコクを出した『肉豆腐丼~あんかけ風~』が完成したのは夕方の開店の直前。
試食に試食を重ねて満腹になって苦しそうに息をしているディシディアを見て、良二は感心半分、呆れ半分と言った感じだった。