第百九十七話目~ブリ大根と冷燗~
「今日の夕飯も意外に豪勢だね」
夕方のランニングも終え、風呂から上がったばかりのディシディアはちゃぶ台の上に並ぶ料理を見てそんな感想を漏らした。
今日の夕食のメインはブリ大根。他にもサラダやお味噌汁、ごはんがついている。
「まぁ、制限しすぎるのもよくありませんから」
彼の言うことももっともだ。ボクサーならいざ知らず、彼女がやっているのはただのダイエット――それもちょっと痩せるためにやっているものだ。
その中で二人が決めた制約は二つ。
一つ。運動を欠かさないこと。下手に食事を制限するよりもしっかりと運動をして脂肪を燃やした方が何倍も効率がいい。これに関してはディシディアも了承しており、むしろランニングを楽しんでくれているので問題なしだ。
二つ。間食をしないこと。いつも良二が学校に行っている時、彼女は映画などを見ながらお菓子などを食べていたのだ。正直言って、それはあまり体にいいとは言えない。なので、元の体重に戻るまでお菓子、あるいはそれに準ずる甘いスイーツなども禁止にした。
それ以外は特に制限はない。おかわりをしていいかどうかは良二の裁量に任されているし、そこまでガチガチな規則に縛られているわけではないのだ。
「よし、じゃあいただきます」
席に座ったディシディアはサラダから箸をつけた。和風ドレッシング――もちろん油分控えめの自家製がかかっている。レタスやトマトは瑞々しく、風呂上りの体には嬉しい冷たさをしている。
「このドレッシング美味しいね」
「そうですか? ならよかった。中学の教科書引っ張り出してきた甲斐がありましたよ」
彼が持ち出したのは『家庭科』の教科書だ。それを受けとったディシディアはパラパラとページをめくり、感嘆の声を漏らす。
「へぇ……こういうのも習うのか」
「大学では習いませんけどね? 小中高で大体習うんですよ」
「面白いね。あちらの学校でもこういったものがあればいいのだけど」
「あっちはどんな感じだったんですか?」
その言葉にディシディアは小さく頷き、コップの水を煽った。
「私は通ったことがないので人から聞いた話だが、こちらの世界の大学と似たようなものだよ。専門課程を取って、それを重点的に勉強するんだ。中々楽しいらしいよ」
「ディシディアさんは学校に行こうとは思わなかったんですか?」
「う~ん……どうしても縛られてしまうからね。私は自由でいたかったんだ」
それを聞いた良二はなるほど、と頷く。確かに彼女は一つの場所に留まり続けるよりも自由を求めて歩き回る方が好きなタイプだ。
もちろん、一つの場所を拠点にするという例はありえる。今がそうだ。けれど、学校に所属したら違うだろう。
時間割を組まされ、あるいは寮に入れられる。そうなれば、自由気ままにどこかへ行くことなどできないだろう。
「お、これは美味しいな」
「ブリ大根って言うんですよ。スーパーで安かったんで買ってきました」
ディシディアは考え込む良二などよそに料理に舌鼓を打っていた。驚愕の表情を浮かべながらブリ大根を口へと運んでいる。
ブリの出汁がよく出たつゆが大根の中にギュッと詰まっている。噛むたびに旨みの爆弾が投下され、天にも昇るのではないかと思ってしまうほどだ。
上に乗っている水菜はシャキシャキとしていて見た目だけでなく味にも一役買っている。
この季節のブリは脂が乗っているが、決してくどいものではない……が、
「むぅ……酒が欲しくなるな」
「ですよね……」
もちろん、白米でも十分いける。だが、このブリ大根と合わせるならば日本酒だと自信を持って言える。
アツアツのブリ大根と冷燗を合わせる。どれだけいいものだろう。
「な、なぁ、リョージ。日本酒を出してもらえないかい?」
「ダイエット中でしょう?」
ジト目で睨まれ、グッと言葉に詰まる。が、ここで怯むわけにはいかない。
彼女は流し目で良二を見つめた。
「そう言って、君だって飲みたいんじゃないかい?」
今度は良二が言葉に詰まる番だ。それを見て、ディシディアはニヤリと口元を吊り上げる。
「一杯だけだ。それ以上は望まないから、いいだろう?」
「……本当に、一杯だけですよね?」
「もちろん! 信じてくれ。頼むよ」
「……わかりました」
彼は渋々と言った様子だが台所へと向かっていき日本酒を取ってくる。それからコップに氷を入れ、日本酒を注いだ。
「はい、どうぞ」
「おぉ! 久方ぶりの酒だ……味わって飲まねばな」
すぅっと息を吸い込む。芳醇な香りが鼻孔を刺激した。
コップを揺らせば中に入っている氷同士がぶつかって硬質な音を奏でる。
ゆっくりと口に含めば、辛口な味わいが口に広がった。そこに追い打ちをかけるようにブリ大根を頬張れば、至上の喜びが押し寄せてくる。
「~~~~~~っ! この世界の酒はやっぱり美味いな。いい肴もあることだし、もっと飲めそうだ」
「一杯だけですからね?」
「わ、わかっている。そう言うな……」
何やらぶつぶつつぶやきながら、それでもブリ大根をつつき続ける。もったいなさそうに日本酒もちびちび飲みながら、良二の方に視線をやった。
「あ、そうだ。そろそろ君のバイト先に顔を出したいと思っているのだが……いいだろうか?」
その時、彼の眉がわずかにピクリと動いた。平然を装って入るが、声を震わせながら彼は告げる。
「いいですよ。ただ、俺は仕事が入ってるのでずっと一緒にはいれませんけどいいですか?」
「もちろん。ふふ、楽しみだ。これまでは色々と都合がつかなかったからね。君がどんな仕事をしているかも聞いておきたいし」
彼女の脳裏に浮かぶのはアルテラにいた何でも屋だ。神出鬼没で助けが欲しいと思ったらいつの間にかいる不思議な人物だったのはよく覚えている。
(さて、こちらの世界の何でも屋というのはどういうものだろうね……?)
好奇心に目を輝かせながらそんなことを思う。一方で、良二は人知れず冷や汗を流していた。