第百四十九話目~クレープと意地悪な貴女~
良二たちは久しぶりの休みを満喫していた。ちょうど面白そうな映画が二つもやっていたということもあり、朝から映画館にこもっていたのである。そこから出るころにはすでに昼を回っていたものの、ポップコーンがまだ腹に残っていて食欲は全然わかなかった。
「この後、どうします?」
良二の問いかけを受け、それまで映画の余韻に浸っていたディシディアはハッと顔を上げた。そうして、顎に手を置いてしばし考え込むジェスチャーをしてみせる。
「むぅ……そうだね。服は揃えているし、得に買いたいものはないね。しばしプラプラしないかい?」
「いいですよ。そうしましょうか」
二人は頷き合い、ショッピングモールの中を見て回る。やはり休日ということもあってか、人はそれなりに多い。まぁ、地方の小さなショッピングモールなので人酔いするほどではないのが幸いだ。
左右に広がるのは色とりどりの服が飾られたブティック。だが、ディシディアは特に興味を示すことなく先に進もうとする――が、はたと足を止めて良二の目を覗き込んだ。
「何か買いたい服などはないのかい?」
「特にないですよ。俺はある程度揃えてますから」
実のところ、良二はあまりお洒落に気を配る方ではない。清潔感のある服装などを心掛けてはいるが、給料などを数万もする服に使ったことはない。これには彼の家庭環境が関係している。
元々、彼の家庭はあまり裕福ではなかった。そのため、洋服などを買い揃える習慣がなかったのだ。せいぜい安い服屋くらいにしか行かないし、一万円もすると聞いただけで相当高いと思ってしまうくらいである。
では、現在自由を手にした彼が何に金を使うかといえば、大半が生活費――主に食費だ。愛らしい同居人が増えてから色々と食に関して気を配るようになり、必然的に家計を圧迫することになっている。
ただし、圧迫といっても困窮するレベルではない。ディシディアが賄ってくれる時もあるし、割り勘をする時もある。もちろん、本人的には格好よく奢ってあげたいと思っているのだが。
「む、リョージ。ちょっと本屋さんに寄っていかないかい?」
ピタッと足を止めた彼女に腕を引かれつつ右の方を見る。そこには大きめの本屋があり、人で賑わっていた。清潔感のある店内には本が美しく陳列されている。当然ながら、誘いを断る理由はない。
「いいですよ、行きましょうか」
足を踏み入れると、本が醸す独特の匂いが鼻孔を貫いた。話題の新書からニッチな本までが揃っているところを見るに、この小さいショッピングモールでも特に力を入れている部類らしい。
「へぇ、意外に品ぞろえがいいですね」
「あぁ。君の好きな漫画もたくさんあるんじゃないかな?」
そういえば今日が発売日だったのを思い出し、コーナーに立ち寄ってみると案の定横積みされていた。財布と相談した後、数冊を手に持つ。一方のディシディアは立ち読み用の小冊子を眺めていた。
「そういえば、ディシディアさんって結構読書家ですよね」
「そうかい? いや、こちらの本も面白いからね。学術書が少ないのが残念なところだが」
ひょいっと肩を竦めてみせる彼女に苦笑する。もしかしたら大学の図書館が気に入るんじゃないだろうか、そんな考えが頭をよぎった。
「おぉ、ガイドブックもあるじゃないか。どれどれ……」
などと思っているうちに、ディシディアはガイドブックのコーナーへとそそくさと言ってしまい、先に本を眺めていた。良二もその隣から顔を覗かせ、頬を歪ませる。
今、彼女が見ているのは海外旅行向けのガイドブックだ。金の面は問題ないとしても、時間がない。今年から仮にも就活生になるのだ。考える時が重くなるが、それでもやる時はやらねばならない。
「海外は……厳しいかもしれませんね」
「むぅ、そうか。じゃあ、近場でいいからどこかに連れていってくれないかい?」
「もちろんですよ! まだまだ日本もいい所がたくさんありますからね。飽きるほど旅行しましょうよ……まぁ、就活があるので厳しいかもですが」
「大変だね。早く終わらせなさい。君なら大丈夫だろう」
「……だといいんですけど」
意図せず、重いため息が漏れた。それを見たディシディアはぷくっと頬を膨らませ、若干背伸びをして良二の頬をつねる。微かな痛みとともに、横に引っ張られる。
「気持ちで負けていてどうする。そう心配するな。君がやってきたことは無駄ではないよ。というか、バイト先の店長から正式雇用の話が出ているんじゃなかったかな?」
「あの人は適当な人ですから……たぶん、思いつきで言っただけですよ」
ふぅん、と言いつつ、ディシディアは脳内で彼の将来を思い浮かべる。
今は何でも屋のバイトをしていると言っていたが、それこそ彼の性根に合っているのではないだろうか?
正直なところ、良二は突出して何かができるわけではない。それならば誰にも負けない、といった特技が少ないのだ。専門職には向いていない。
代わりに、ある程度の指導と反復練習をこなせば技術をある程度自分のものにすることができる。よく言えば万能。悪く言えば器用貧乏。しかし、立派な長所だ。
(もしくは、料理関係の仕事も合っていると思うのだがな……)
良二と一緒に暮らしていてわかったことだが、彼はかなり舌が肥えている。たぶん、元から味覚のセンスがよかったのだろう。彼がオススメしてくれたものは――多少の例外はあるとしても大当たりだった。
それに、プロ級ではないとはいえ料理もかなりのものだ。いや、指導を受けて修業に励めばいずれはいい料理人になるだろう、とディシディアは確信している。
が、
(まぁ、彼の人生だからね。好きにさせてあげよう)
自分はあくまでもサポートだ。彼が迷った時に背中を押すのが役割であって、手を引いて誘導するわけではない。彼ももう一人の男だ。自分の将来は自分で決めねばならない。
二人はその後も本を物色して回った後、レジへと並ぶ。良二はいくつかの本を抱えているが、ディシディアは何も買っていない。良二は申し訳なさそうに、頭を下げる。
「すいません、買い物に付き合ってもらって」
「いいさ、いつも付き合ってもらっているの私だしね。他に行きたいところがなければ、今日は帰ろう。それでいいかな?」
肯定を示す頷きを寄越すと、彼女の顔が綻んだ。
「よし。じゃあ、帰って映画でも見よう。大作もいいが、B級映画もまた乙なものだ」
つい先日の上映会――もとい洗脳がよかったのか、彼女もB級映画沼に片足を突っ込んでしまったようだ。残念ながら、この沼から抜け出すことは不可能に等しい。良二は人知れず会心の笑みを浮かべつつ、レジを澄ませる。
もらったばかりの本を鞄に入れ、彼女の手を取って歩き出す。本屋の中と比べると外はまだまだ寒く感じる。北風が吹きすさぶごとに、良二は身震いした。
「寒いなら、これを貸そうか?」
ディシディアがマフラーを差し出してくる。が、それは手で制した。彼女もそれ以上何も言わず、手を握ったまま歩いていく。
このショッピングモールに来たのは二回目だが、最初に来た時とはずいぶんと違う。店のラインナップも、二人の関係も。
あの頃はまだ他人行儀な関係で互いに遠慮し合っていた節があったが、今は非常に打ち解けている。当時はこうやって手を繋いで仲良く歩くなど想像もしなかっただろう。最初のころは手を繋ごうとしたら良二の方がドギマギしていたくらいだ。
愛しい彼の成長を思い、クスッと笑う。そうこうしているうちにエレベーターを降りて一階に向かおうとしたその時だ。
どこからか、ぷ~んと甘く香ばしい香りが漂ってきたのは。
「ッ!」
長いエルフ耳がレーダーアンテナのように動き出す。その度に月型のイヤリングが揺れ、金属質な音をかき鳴らした。
「匂いの元はあれか!」
彼女の視線の先にあったのはピンク色にデコレーションされた店。店先にはショーケースが並び、そこには鮮やかなクレープが飾られている。その様に、ディシディアは目をキラキラと輝かせた。
「食べますか?」
こくこく、と力強く首肯される。思えば、彼女にとってクレープを食べるのは初体験だった。この反応も当然だろう。
「じゃあ、どれにします?」
その問いほど難しいものはない、とディシディアは内心呟いた。目の前のショーケースにはそれこそ無数のクレープが並んでいる。
温かいのと冷たいので分かれていたり、はたまたクリームかチョコレートソースかでも種類が変わる。中に入っている具材も千差万別。組み合わせはまさに無限大だ。
「むぅ……難しいな。リョージ、君に任せてもいいかい?」
「いいですよ。じゃあ……すいません。イチゴバナナスペシャルを一つお願いします」
「はい、かしこまりました!」
レジの女性は威勢よく応え、レジ打ちを始める。奥の方で調理をしているようだが、ディシディアでは背が低くて見えない。見かねて、良二は彼女の後ろに回り込んだ。
「ディシディアさん。ちょっと失礼しますよ」
「え? あぁ、ありがとう」
良二の意図を察したのか、ディシディアは両手を真横に広げてみせる。彼はそんな彼女の脇を抱え、そのままグイッと持ち上げた。まるで羽毛のように軽い彼女の体を持ち上げるのにそう力はいらない。極めて安定した状態のまま、ディシディアは作業工程を眺めることができた。
専用のプレートでまずは生地が焼かれていく。その手際の良さに舌を巻く間もなく、中に具材たちが敷き詰められていき、数分もしない内にディシディアの手にはクレープが納まっていた。
「おぉ……美味しそうだね」
「でしょう? クレープは俺も大好きですよ」
えっへん、と良二は胸を張る。彼も中々の甘党だ……ディシディアほどではないが。
目を輝かせる彼女はクレープをジロジロと凝視している。綺麗に焼かれた生地の中にはたっぷりのホイップクリームとバニラアイス、イチゴとバナナが敷き詰められていた。
その上からは色とりどりのカラースプレーが散らされ、さらにはチョコソースがかけられている。焼き立ての生地は持ち手の部分の紙を通しても熱いと思えた。
「出来立てを食べないともったいないですよ」
「あ、あぁ。そうだね。いただきます」
美しさについ見惚れてしまっていた彼女は良二の声で我に返り、ぱくりとクレープにかぶりつく。その瞬間、彼女の顔に喜色が浮かんだ。
「~~~~~~っ!」
興奮気味の彼女は無言でバンバン、とこちらの背中を叩いてくる。しょうしょう痛いが、喜んでもらえたら何よりだ、と涙ながらに自己完結。
「……な、何だこれは!」
口の中のものを呑みこんでようやく喋れるようになった彼女は素直な感嘆を口にした。しかし、次の瞬間にはまたかぶりついている。よほど気に入ってくれたようだ。
ディシディアはまぐまぐ、とクレープを咀嚼する。これまで色々なデザートを食してきたが、これはトップクラスに位置する味だ。
焼き立ての生地は一番外側はややパリッとしているものの、内側に行くごとにもっちりとした食感になっていき、仄かな温かさとアイスクリームの冷たさが上手く調和している。
ホイップクリームはやや甘味が強いように思われるが、酸味の強いイチゴやビターテイストのチョコソースが味に変化と面白みを加えてくれていた。たまに顔を出してくるバナナはねっとりと濃厚で、これだけでも蕩けるような美味さである。
カリカリした食感が特徴のカラースプレーも忘れてはいけない。食べ進めていくごとに深みが増していくような、そんな料理だった。
何より、こうやって手で持てる手軽さがいい。歩きながら食べられるとちょっぴりおいしく感じてしまうのは食べ歩きならではである。
「ん、ディシディアさん。ほっぺにクリームがついてますよ」
良二はわずかに身を屈めてぷにぷにのほっぺを指でなぞり、クリームを指で掬った。
「はむっ」
「うぇっ!?」
直後、自分の指にディシディアが食らいついてくる。が、噛まれはしない。
ただただ、舌で指を舐められるだけだ。指に付着したクリームを小さな舌が掠め取る。まだ残っているので、今度はこそぎ落とすように舌の腹を使ってきた。もうキチンと舐めとったはずなのに、ちゅうちゅうと吸ってくる
潤んだ瞳がこちらを見上げてきた。別に悪いことをしているわけじゃないのに、なんだか申し訳ない気分になり良二は指を彼女の口から引き抜く。唾液の糸が彼女の口と自分の指を繋いでいるのが妙に扇情的だった。
「あ……ふふ、ご馳走さま」
「な、なんか最近のディシディアさんって大胆じゃないですか?」
「ん? そうかい? ふふ、そうかもね」
彼女は一人で楽しく笑っているだけだ。何だかよくわからなくなり、ポリポリと頭を掻く。
と、クレープがひょいっと差し出されてきた。
「ほら、君も食べなさい。美味しいよ」
「……いただきます」
カプッと齧りつき、ゴクリと飲み下す。
なるほど、これは美味い。だが、あそこまで指にしゃぶりつくものだろうか……?
(いや、考えないようにしよう……)
そう自分に言い聞かせる。
いや、もちろん嬉しい。とても嬉しいのだが、絵面が完全にヤバい。端から見たら幼女に指舐めプレイをさせている変態鬼畜ド外道男にしか見えないだろう。
まだ二十代になったばかりだ。刑務所行きは避けたい。
(……てか、俺の反応を見て楽しんでいるよな……)
たまに彼女はちょっぴり意地悪になる時がある。こちらの反応を見て攻め手を変え、困惑するのを楽しんでいるのだ。
ついぶすくれていると、横からディシディアが袖を引いてきた。彼女はコホンと咳払いをし、
「その、だな、リョージ。そんなに食べたかったなら、後で買ってあげようか?」
「え? って、おわっ!?」
考えごとに夢中になっていたせいで気づかなかったが、クレープはもう後少ししか残っていなかった。イチゴやバナナはおろか、クリームすらもわずかに残っている程度である。
「す、すいません! つい、考えごとをしていて……」
「むぅ……心配事かい? 私でよければ相談に乗ろうか?」
これだ。意地悪になった後にこういう風に優しくされて、あまつさえ綺麗なエメラルドグリーンの瞳で見つめられると反論する意欲すら失せてしまう。
つくづく、自分は彼女に甘くて弱いと思う。たぶん、一生勝てることはないだろう。尻に敷かれるのが運命づけられているようだ。
結局その後、良二は先ほどのクレープ屋に戻り別のクレープを彼女に買い与えたのは別の話。