第百九十一話目~食べ比べ! つけ麺とちぃ麺!~
冬休みの初日。ディシディアたちは少しばかり遠出をしていた。電車に揺られながら窓の外を眺めると、景色の移ろいを感じることができる。そろそろ気候も温かくなってきたからか、薄着になってきている人も見て取れた。
ディシディアたちは電車の隅の方に固まっている。一応開いている席もあるにはあるのだが、二人分は座れないため必然的に立つ形になっている。ただ、この方が景色がよく見えるということでディシディアはご満悦の様子だった。
「そろそろ着きますよ」
「もうか。早いね。まぁ、いいのだけど」
ニット帽を被り、冬物で身を固めた彼女を見て良二は頬を緩ませる。彼女はポシェットの位置を直してからドアの前に立った。しばらくしてドアが開くなり、踊るように外へと歩み出る。
「くしゅんっ!」
と同時、吹き荒んだ冷たい風に身を震わせ、小さくくしゃみをした。良二はすぐに彼女の元に歩み寄り、自分の上着に手をかけるもそれは手で制される・
「心配するな。ちょっとくしゃみをしただけじゃないか」
「でも、あまり女性は体を冷やさない方がいいって聞きますし……」
「君は心配性だね。それより、早く行こう。歩いていれば体も温まるだろう」
言うが早いか、彼女は階段を下りて改札口へと向かっていく。良二もその後を追い、改札を潜るなりロータリーの方面へと足を向けた。今度はディシディアが彼についていき、やがて隣に並んでふと彼の顔を見やる。
「今日は変わった麺料理を食べさせてくれるのだろう?」
「えぇ。ラーメンの派生形……とでも言えばいいんですかね?」
「ラーメンか。ふふ、ちょうど食べたかったところだよ」
昨日味噌ラーメンを食べてからというもの、彼女はラーメンについて興味を抱いたようだった。実際、ラーメンほど奥深い料理はそうないだろう。同時にラーメンほど日本人の生活に根付いている料理も少ないはずだ。
元々日本人は麺料理が好きだった、という理由もあるかもしれないが今や日本には無数のラーメン屋がある。おまけに、ラーメンの種類はこうしている今も増え続けているのだ。
手軽で、しかしボリュームがあるという点もいいのかもしれない。ソバやうどんなどとは違って、スープに合わせて麺を変えるのも特徴かもしれない。いずれにせよ、あれほど庶民的ながら奥深い料理はないだろう、と良二は内心頷いた。
目的地まではそう遠くない。十分も歩かないうちに到着するなり、ディシディアはゴクリと喉を鳴らした。
店構えは中々に立派である。つい最近リニューアルしたらしく、それらしき看板やチラシが入っている。窓ガラス越しに中を見てみれば、ランチタイムの少し前だというのに大勢の客たちが押し寄せていた。
「じゃあ、行きましょうか」
良二に手を引かれ、中へと足を踏み入れる。湯気と芳香の洗礼を受けながら視線を横に動かすと、大きな券売機が目に入った。
「俺のオススメでいいですか?」
「いいさ。頼むよ」
「はい」
お金を入れてポチポチ、と券売機を操作する良二を尻目にディシディアはコップにお水を注いでから席に戻った。カウンター席はちょうどいい高さで、椅子の座りごこちも中々にいい。子連れ客も来るのだろう。それらしき配慮もいくつか見て取れた。
「ご注文お伺いします」
カウンターの向こうからひげを蓄えた若い店主がぬっと顔を覗かせる。それと同時、券売機から食券を取ってきた良二が戻ってきた。
「つけ麺とちぃ麺、お願いします」
「はい! 温かいのにしますか? 冷たいのにしますか?」
「温かいのでお願いします」
注文を終えた良二はゆっくりと席に腰掛けた。一方のディシディアは先ほど彼が述べた言葉の意味がわからないようで、首を捻っている。
「なぁ、リョージ。つけ麺、とはなんだい? それにちぃ麺、とは」
「まぁ、来たらわかりますよ」
彼は思わせぶりな態度を取りつつ、それしか言ってくれない。わざとらしく唇を尖らせてみたが、魂胆が見透かされているのか彼は取り合ってもくれなかった。仕方ないので、頬を膨らませたまま今一度店内を見渡した。
客はやはり男性が多い。そもそも、ここは住宅街にほど近い場所なのだ。学生やサラリーマン風の男性たちがチラホラと見える。良二はもう大学が冬休みに入ったため悠々と彼らを眺めていた。
「そう言えば、冬休みは何か予定が入っていたりするのかい?」
「あぁ……実は、ゼミの合宿があるんですよね。一泊二日なんですけど、その時は留守番してもらっていてもいいですか?」
「構わないよ。その代わり、お土産を忘れずにね?」
「はいはい」
軽くあしらいつつ、水を煽る。お土産を買ってきてやりたいのは山々だが、合宿場所というのは大学の系列のペンションのようなもので、正直言ってあまりいい立地にあるわけではない。お土産が買えるかは正直微妙なところだ。
悶々とする良二をよそに、ディシディアはおしぼりで手を拭いながら卓上の調味料に視線を移動させた。すりおろしたニンニク、コチュジャン、はたまた醤油やお酢……まさかそれらすべてをラーメンにいれるのかと思ったが、どうやら違うようだ。
「サイドメニューも充実しているのだね。面白そうだ」
彼女は卓上にポンと置かれていたメニューを手に取る。そこには色々なメニューが描かれていた。
餃子、ライス、はたまたカレーなど。見たこともないメニューを見て、彼女は目をキラキラと輝かせていた。
「今日はつけ麺とかがメインですけど、今度はそれも食べてみたいですね。というか、ディシディアさんって餃子とか食べたことありましたっけ」
「いや、ないね。いや、待て。ヒスイ餃子なら食べた記憶があるよ」
「ですよね……今度、焼き餃子と水餃子を食べてもらおうかな」
顎に手を当てて何やらぶつぶつ言っている良二の様子がおかしくてクスリと笑うと、カウンターの向こうから手がにゅっと伸びてきて深めのお椀が良二の目の前に置かれた。
「まもなく麺も茹で上がりますので、お待ちください」
その言葉通り、奥で別の男性スタッフが湯きりを終え、麺を器に移す。店主はそれをよく手で揉みほぐしてから、良二の方に差し出してきた。
「つけ麺一丁、お待ち。ちぃ麺は茹で上がりに時間がかかるので少々お待ちください」
彼の言葉はディシディアの耳に入ってはいない。彼女は興味津々、といった様子でつけ麺とそのたれを交互に見やっていた。
麺は中太の縮れ麺。大きめの器をほとんど埋め尽くすほど入っており、かなりのボリュームだ。脇には一枚の海苔が添えられている。
たれの方にはネギ、ナルト、いちょう切りにしたレモン、メンマやチャーシューなどがたっぷりと入っていた。その様に、自然と二人の喉が鳴る。
こうしていてはせっかくの麺が伸びるし、たれも冷たくなってしまう。二人は手を合わせ、
「いただきます」
と告げるなり、今一度つけ麺を見た。が、ディシディアは良二の袖をちょいちょいと引き、先に食べるよう促す。お手本としての意味合いもあるのだろう、とメッセージを受け取った良二は快く頷いた。
「つけ麺は文字通り、こうやって食べるんですよ」
麺を掬い、たれに半分ほど浸して一気に啜る。ディシディアはおそるおそる箸を伸ばし、今しがた彼がやってみせたことを反復して行う。
「ッ!?」
その瞬間、彼女の大きな目がさらに見開かれた。
口いっぱいに広がるのは魚介の旨み。魚介とんこつベースのスープを使っているのだろう。そこに魚粉を加えているのか、コクとまろやかさが段違いに上がっている。
下に隠れていてわからなかったが、ホウレンソウも入っているようだ。シャクシャクとした感触が舌に伝わり、それが何とも心地よい。
縮れ麺はもっちりとしていて、弾力に富んでいる。喉をツルンっと勢いよく下っていく瞬間は至福としか言いようがないだろう。
何より、特徴はスープだ。つける、という特製のためか味が濃い目に作ってある。しかし、くどくはなくいくらでも食べられそうだ。
「おぉ、確かにラーメンとはまた違った味わいだね。美味しいよ」
「でしょう? つけ麺って好きなんですよね。まぁ、ラーメンより若干高いのがたまにキズですけど」
二人は代わりばんこで食べていく。ディシディアは小さな口を目いっぱいに開けて麺を啜っていた。その様が何とも微笑ましく、気に入ってもらえたことを今さらながら喜ばしく思う。
「はい、ちぃ麺お待ち!」
遅れて、ディシディアが注文した麺もやってくる。が、その異質な姿形を見て彼女は言葉を失った。
「こ、これは……?」
麺を一本持ち上げてみる。糸、というよりは細い帯、と表現した方が近いだろう。
形態としてはきし麺、あるいはフィットチーネに酷似している。ぴらぴらとしていて、先ほどまで食べていた中太麺とは箸での掴み心地もまるで違う。
ただ、それ以外はつけ麺と全く同じだ。トッピングも、スープも全く同じ。
なら、これはどのようなものなのか?
むくむくと湧き上がってきた好奇心に従い、ちぃ麺をズズッと啜る。
口の中に入ってきた大量のちぃ麺を噛み締めた瞬間、ディシディアはすぐに違いに気づいた。
まずは食感だ。中太麺など比べ物にならないほど力強い弾力。わしわしとしていて、実に噛みごたえがある。一口ごとの重厚感なら、こちらの圧勝だ。
スープとも非常によく絡み合っている。喉越しは中太麺の方がやや滑らかに感じられるが、総合的な満足感ならばこちらの方が上に感じられた。
ディシディアは顔にかかる髪の毛を手で払いながら、良二に視線を移す。
「期待以上だよ。ありがとう」
「どういたしまして。オススメはこうやって食べることですよ」
言いつつ、良二はスープに入っていたレモンを箸でギュッと押しつぶしてみせた。そうして撹拌し、再び麺をつけて食べる。
それに倣ってやってみると、彼が勧めてくれた理由がすぐにわかった。
レモンによって清涼感が加わったスープは味がガラリと変わり、予想外の驚きをもたらしてくれる。仄かな酸味がきらりと光り、食欲を増進させた。
隣にいる良二を見ていると、彼はようやく具材に手を付け始めたころだった。そのまま食べたり、あるいは麺と絡めたり、工夫を凝らしながら食べ進めている。
ディシディアも見様見真似でやりつつ、にまにまと笑みを浮かべた。
チャーシューはいかにもな『肉』といった味わいだ。ナルトや海苔は独特の食感と共に豊かな風味を口の中で広げていく。コリコリとしたメンマやシャッキリとしたネギは口直しにはうってつけである。
「っと、もうなくなってしまったか」
無我夢中で食べていると、減りは当然ながら早くなる。器に残った最後の数本をつまんでスープに入れ、よく味をなじませてから啜る。
「よし、ご馳走……」
「待った。まだ楽しみ方があるんですよ」
手を合わせようとすると、良二が大きな手を差し込んできた。温かく固い掌の感触を得ると同時に彼の方を見ると、
「すいません、スープ割お願いします」
彼は自分のものとディシディアのものを店主に渡しているところだった。数秒もしない内に返されたそれを見て、またしてもディシディアは目を丸くする。
「スープ割って言って、最後はこうやって飲むのがいいですよ。まぁ、蕎麦湯みたいなものって言えばわかりやすいかもしれませんね」
良二は講釈を垂れながら合間を縫ってアツアツのスープを啜っていた。先ほどまでは若干冷えかけていたものの、継ぎ足されたスープの恩恵によって温かさを取り戻した器を持ち上げ、ディシディアは唇を舐めた。
まだ飲んでもいないのに、身体がこれを欲しているのがわかる。
魚介系の芳醇な香りが鼻孔をくすぐり、そこにレモンの清涼感が顔を出す。この誘惑に耐えられるものはそういないだろう。案の定、ディシディアは器を口につけゆっくりと傾けてスープを煽る。
こく……こく……と、喉が上下する。良二がさりげなく横を見ると、そこには目をとろんとさせている彼女の姿があった。
スープ割にしたことで味に深みと奥行きがプラスされている。濃い目の味付けだったのに今はちょうどよく、じんわりと体に染みわたっていくようだ。
外の冷気に晒されていた身に対し、これほどありがたいものはない。ディシディアは一度も口を離すことなくスープを呑みきり、満足げに息を吐く。
「どうですか?」
「見ればわかるだろう?」
その通りだ、と言わんばかりに良二は首肯する。彼女は至極幸せそうにしていた。
潤んだ瞳で空いたお椀を見つめ、生唾を呑みこんだ……かと思った直後だった。
「すまない、おかわりを頂けるだろうか?」
前代未聞の、おかわりを所望したのは。
店内の視線が彼女に集中する。流石に違和感に気づいたのか狼狽を隠せない彼女に、良二は優しく語りかける。
「……ディシディアさん。すいません、説明不足で」
「りょ、リョージ。ど、どういうことだい? スープ割とやらはできないのかい?」
「一度だけです……」
瞬間、彼女の顔がみるみる内に赤くなっていった。口は酸欠の金魚のようにパクパクと動き、目は左右に泳いでいる。
「か、帰ろうか、リョージ!」
とうとう耳まで真っ赤になってしまったディシディアは珍しく大慌てになって店を後にした。良二も店主に頭を下げ、その後を追っていく。
結局、この後家に帰るまでディシディアは口を開こうとはしなかった。