第十八話目~暑い日にはシュークリームとアイスコーヒー~
外で鳴くセミの声を聴きながら、ディシディアはぐったりと布団の上で大の字になって寝ていた。クーラーはガンガンに効かせ、少しでも涼をとれるようにしてある。しかし、どうにも体に力が入らないのだ。
「……テレビでも見ようか」
ゴロン、と寝返りを打ち、リモコンを取ろうとする。だが、いつもおいてある場所にはなく、布団から少し離れた場所にぽつんと置いてあった。
おそらく、寝ている時に蹴飛ばしてしまったのだろう。ディシディアは嘆息しながら、ぐ~っと腕をそちらに伸ばす。立てばすぐに拾える距離だが、彼女は横着しているのか難しそうな顔をしつつ必死に手を伸ばしていた。
数度ほど、指が宙を切った後でようやくリモコンを掴む。彼女はすぐに赤い電源ボタンを押し、テレビをつけた。そして、テレビの左端にある時刻を見て目を丸くする。
「……そうか。もう、昼か」
どうやら、朝からずっと寝ていたらしいことに気づいた彼女は、しばらく呻いた後で枕をギュッと抱きかかえた。
「まぁ、仕方ない。たまには、こんな日があってもいいだろう」
普段は全身から活力をみなぎらせている彼女だが、なぜか今日ばかりはこのように堕落した状態のままだった。もしかしたら、ここ最近祭りやら何やらで歩き回ったツケが返ってきたのかもしれない。
思えば、しばらくぶりの外出――それも、未知の土地でときている。むしろ、この結果は必然と言えるだろう。
「ふふ、私も衰えたものだね。やはり、現役時代とは違うか」
関節がジンジンと痛む感じがする。筋肉痛……とはまた違うだろうが、辛いことには変わりない。彼女はため息交じりに自分の髪を掻き上げた。
「……リョージ。まだ帰ってこないのか……?」
良二は、朝早くからバイトに行っていた。ディシディアが目覚めた時――八時ごろにはすでにその姿はなく、書置きと綺麗な形のおにぎりだけが置かれていたのだ。
書置きには『昼時には帰ってきます』と、相変わらず丁寧な字で書いてある。ディシディアは彼の帰宅を今か今かと待っている。彼女は唇を尖らせ枕を胸元に抱えながら特に面白くもない映画を眺めている。
退屈さからか、はたまた疲れからか、意図せず大きな欠伸が出る。
「ふぁ……チャンネルを変えるか」
ためしにチャンネルを変えてみる。すると、映ってきたのは可愛らしい動物たちの映像だった。アルテラにいた野生動物たちとは比較にならないほど無害で愛らしい生物たちがじゃれ合っているのを見て、自然と頬が緩む。
「確か、あれは……『犬』という生物だね。中々可愛いじゃないか」
彼女はこの世界の知識を着実に蓄えつつある。だが、実物を見たことがないということがままあり、正直なところ犬が動いているのを見たのは今回が初めてだ。
図鑑に載っていた、平面的でどこか堅苦しい印象を受けていたころとは違う。ふわふわの毛玉のような容姿をした子犬たちはパタパタと辺りを駆け回り、時々何もないところで躓いている。見ているだけで、心が温かくなってくるような愛らしさだ。
ふ、と口元を緩めたとき、ガチャリという音が耳朶を打つ。見れば、ちょうど良二が帰ってきていたところだった。彼はディシディアの視線に気づくなり、右手に掲げているビニール袋を掲げてみせる。
「あ、ディシディアさん。起きていたんですね。おはようございます……って、もう昼ですけど。まぁ、それはいいとしてお土産貰ってきたんで後で食べましょうよ」
彼は冷蔵庫の元に歩み寄り、ビニール袋の中から四角形の箱を取り出す。やや小ぢんまりとしているものだ。彼はそれを冷蔵庫に入れると、額に浮かんでいた汗を拭いつつシャワーを浴びに行く。
ディシディアは風呂場から聞こえてくるシャワーの音に少しばかり耳を傾けた後、再びテレビに視線を戻す。と、そこには先ほどまで映っていた可愛らしい子犬たちの姿はなく、凶暴そうな虎の姿が映し出されていた。
牙をむき出しにし、獰猛な唸りを上げている。その有様に、テレビに出ている者たちは恐れおののいているようだった。
が、ディシディアはそうでもないらしい。驚く出演者を見て、苦笑している。
アルテラには、地球にいるものとは比べ物にならないほど凶暴な生物たちがいた。例えば、三つの有毒の角を持つ『ヴァイレーン』という巨大な馬のような生物や、個々の力は弱いものの外敵を察知すると大声で仲間を呼び袋叩きにする『エバーホース』という蜂に似た生物がいた。
無論、賢者時代に旅をしている際、そのような生物と何度も鉢合わせたことがあるディシディアにとって、それよりもずっと小さく、ひ弱に思える虎などは恐怖の対象などではない。
「虎か……彼らなら、すぐに倒せてしまうだろうな」
言いつつ、懐古の思いに駆られるディシディア。
彼らとは、まだ駆け出しの賢者だったディシディアの旅にしばらく同行してくれていた傭兵たちである。
種族は全員バラバラで、生まれも違った。けれど、皆屈強で、気のいい奴らばかりだった。当時、世間知らずだったディシディアの面倒をよく見てくれていたものである。後に彼女が師を見つけるまでの間旅をしていたのだが、その間は彼女にとって忘れ難い思い出となっていた。
――しかし、彼らと出会ったのは、すでに百年以上前のこと。もう、誰も生きていないことは確認済みだ。あるものは病で、またあるものは寿命で、はたまたあるものは事故で……もう遠い昔の事とはいえ、彼らの死を知った時のことを思い出してしまい、ディシディアは顔を歪める。
「……久々に、思い出してしまったな。いや、忘れるよりはだいぶいいか」
長命のエルフ族は、必然的に他種族の友人たちの死を見送ることになる。そして、死者たちを見送る時には必ず痛みが伴う。その存在が、自分にとって大きなものであればあるほど、だ。
ツゥ……と彼女の頬を一筋の雫が転がり落ちる。彼女は枕に顔をうずめ、何度か深呼吸をし始めた。
「ディシディアさん。お待たせしました……って、どうしたんですか?」
いつの間にか風呂から上がってきた良二はコアラのように枕を抱きしめている彼女を見て眉を潜める。ディシディアは彼にばれないようこっそりと目尻を拭ってから、いつもの笑みを繕ってみせた。
「いや、少しばかり疲れてね。心配しなくて大丈夫だよ」
「疲れてるなら、ちょうどいいものがありますよ。待っててください」
「もしかして、お土産かい?」
「当たりです。きっと気に入ってくれますよ」
何が来るのか、そのことを考えながらディシディアはのっそりと身を起こし、テレビを消す。これ以上見ていると、また余計なことを思い出して泣いてしまいそうだった。
良二はというと、台所に立って湯を沸かしている。湧き上がる湯気を見て、ディシディアは露骨に顔を歪めた。
「大丈夫ですよ。熱いものじゃないですから」
それを横目で見ていた良二が言う。ディシディアは一瞬だけ不安げな表情をしてみせたが、すぐに元の調子に戻り、布団を部屋の隅に寄せてちゃぶ台を出す。
冷房の効いた部屋に置いてあったからか、ちゃぶ台はひんやりとしていて大変気持ちがいい。ディシディアはペットリと頬をつけつつ、微笑んでいた。
「はい、失礼しますよ」
と、上から声がかかる。良二はトレイに乗った二つの長いコップをちゃぶ台においた。そこには黒々としていて香りのいい液体と、たっぷりの氷が入れられていた。
「特製のアイスコーヒーです。ただ、まだ冷えていないと思うのでもうちょっと待ってくださいね?」
「む、そうか。なら、待つとするよ」
手を伸ばしかけていたディシディアはゆっくりと手を引っ込める。良二はそんな彼女の頭を軽く撫でてから、今度は冷蔵庫に寄って先ほどの箱を持ってくる。よく冷えているのか、ちゃぶ台においた瞬間冷気が漂ってきて、ディシディアはうっとりと目を細めた。
「さ、食べるとしますか」
そう言って、彼は箱を開いてみせる。するとそこには――二つの大きな丸い物体が並べられていた。
色合いは、パンに似ている。だが、少し違う。指先でつついてみればやや硬く、それでいてひんやりとしていた。
「これはシュークリームって言うんです。帰り道、開店記念で安売りしてたから買ってきました」
良二はいつの間にか持ってきていたらしき小皿にシュークリームを乗せてくれる。上には白い雪のようなものがまぶされている。試しに舐めてみると、ほんのりと甘い。
「リョージ。これは?」
「えっと……すいません。今、調べます」
どうやら、彼自身も知らなかったようですぐにスマホを取り出して検索をし始める。
しばし待っていると、彼は「あ」と小さく声を漏らした。
「粉砂糖って言うらしいですね。なんか、もう少し凝った名前だと思ってましたけど」
「ふぅむ……砂糖の一種か。では、やはりこれは甘味なんだね?」
「えぇ。疲れをとるには甘いものが一番って言いますし、どうぞ」
その言葉に頷き、ディシディアはシュークリームを掴んだ。見た目に反して、意外にもずっしりとした重みがある。中身がぎっしりと詰まっているのだろう。期待に胸を膨らませながら、ディシディアは大口を開けてシュークリームを口に入れた。
次の瞬間、中から大量のクリームが溢れだしてくる。よく冷やされたそれはとても甘く濃厚で、満足感のある一品だ。舌が歓喜に震え、優しい甘さが体に染みわたっていく。
生地は上の部分はサクッとしているのに対し、下の部分はややしっとりとしている。その食感の二重構造が決して食べるものを飽きさせない。クリームとの相性も抜群で、一口ごとに幸せが押し寄せてくる。
粉砂糖も、いいアクセントになっている。クリームとはまた別種の甘さが舌を刺激し、淡雪のように溶けていく。
「アイスコーヒーも冷えたと思うので、よかったら口直しにどうぞ」
言われるがまま、コップを傾けてアイスコーヒーを頂く。
かなりコーヒーは濃く入れられており、独特の風味と味が口内に充満する。けれど、嫌なものではない。むしろ、甘いシュークリームとのバランスが取れていると言える。
甘いものばかりを食べていては飽きてしまう。しかし、そこにこの苦めのコーヒーを挟むことで口の中がリセットされ、また新たな気持ちでシュークリームを頂くことができる。
「結構濃くいれましたが、飲めますか?」
「あぁ、大丈夫だよ。濃く淹れたのは、氷をたっぷり入れるからかい?」
コップを傾けると、カランッと小気味よい音を立てて氷が鳴る。良二はチッチッチと指を振り、自慢げに続けた。
「実は、冷たいものを食べる時って舌が麻痺して味覚が弱るんです。ですから、濃い目に入れることで風味を存分に楽しめるんですよ……まぁ、マスターからの受け売りで恐縮ですけど」
良二は照れ臭そうに頭を掻き、コーヒーを啜った。ディシディアも彼に微笑を返してから、再びシュークリームを食べ進めていく。
夏の暑い日にアイスコーヒーと冷たいシュークリームを交互に食べる……これぞ、至福だ。涼を取りつつ、食欲すらも満たせる。この世界の住人たちの工夫に感心しながら、ディシディアは最後の一口を頬張る。
何とも言えない満腹感と食べ終えてしまったことによる虚無感を覚えながら、彼女はまたしても大きな欠伸をする。
「昨日、寝れなかったんですか?」
見かねてか、良二がそんなことを問いかけてくる。しかし、ディシディアはフルフルと首を横に振った。
「いや、よく眠れたんだが……すまない。やはり、疲れがたまっているようだ。少し、寝させてもらうよ」
「具合が悪くなったら言ってくださいね? 今日は家にいるんで何かあったら手伝いますから」
「あぁ、ありがとう。それじゃあ、おやすみ」
ディシディアは布団の上に倒れ込み、毛布を羽織る。
数秒もせずに眠りに落ちていった彼女を見て、良二は少しだけ困ったような表情になっていた。