第百八十八話目~イチゴメロンパンとしばしのおやすみ~
ちょうど昼ごろのことだった。ディシディアがテレビを見てのんびりしているといきなり扉が開き、そこからぐったりした良二が姿を現したのは。
彼はふらふらとおぼつかない足取りで居間へと上がり込み、そのままバッタリと倒れ込む。そのただならぬ様相に、ディシディアも目を剥いて立ち上がった。
「お、おい、リョージ!? だ、大丈夫かい?」
「疲れました。もう一歩も歩けません」
どうやら体調不良ではないらしい。ただ単に、昨日の疲れがたたっているようだ。良二は心底疲れた様子でうつ伏せになり、ひらひらと手を振ってみせる。降参のポーズだ。
ディシディアはひとまず彼が無事であることにホッとしながらも、このままではいけないと布団を敷きはじめる。干したての布団はお日様の匂いがしてふかふかと心地よい。これなら快眠間違いなしだろう。
ディシディアはしわになっている部分を手を伸ばしながら、彼に問いかける。
「それにしても、今日は早かったね?」
「もうすぐテストですから、必要事項だけ伝えて早めにお開きになったんです……俺としては好都合ですけど」
「だろうね。お風呂に入ってきたらどうだい? 着替えないと寝にくいだろう?」
その言葉に良二は露骨に顔をしかめ、もぞもぞと体を捩らせた。
「え~……」
「自分で脱ぐのと、私に脱がされるのどっちがいい?」
「脱ぎます」
彼は芋虫のように這ったまま脱衣所へと向かっていく――が、そこで思い出したように鞄を指さした。ディシディアもそれに視線を移し、キョトンと首を傾げた。
「ん? 鞄? 何かいるものがあるのかい?」
「いや、そうじゃなくて……お土産買ってきたんで、後で食べませんか? お昼まだですよね?」
「あぁ、そういうことか。ありがとう……というか、疲れているならまっすぐ帰ってきてくれればよかったのに」
「ディシディアさんにはお世話になりましたから。色々と。もちろん、これだけでチャラになるとは思いませんけど」
「ふふ、相も変わらず義理堅い男だね、君は。ありがとう。じゃあ、早く入っておいで。その後は一緒にお昼寝でもしよう」
彼は頷き、脱衣所に消えていった。その間、ディシディアは良二の布団を整えてやる。自分の布団は出さない。今日もバッチリ添い寝するつもりだ。
彼も最近では添い寝をすることに色々と言わなくなってきた。どころか、たまに自分の方からディシディアの布団に入ってくることがある。そういう時はわざとからかうのだが、その時に見せる恥ずかしそうな顔がまた可愛らしいのだ。
一人クスクスと笑いながらディシディアは布団を敷いてやり、続けてテレビを消した。安眠するなら、テレビをつけている必要はない。もうすぐ寝ることは確実なので、電気も消した。昼時なので窓から差し込んでくる光だけでも十分部屋は明るく照らされている。
「しかし、何を買ってきたのだろうか?」
鞄をジィッと見つめる。ボロボロの使い古された鞄だ。正直中を見てみたいが、勝手に人のものを覗くことはマナー違反だ。ディシディアはふと視線を逸らし、それから静かに息をつく。
「むぅ……いっそ、私も入ればよかったかな?」
今入っておけばわざわざ夜入る必要がなくなる。それに、良二は相当疲弊しているようだった。介助という面目で入れば不審がられることはなかっただろう。まぁ、いまさら考えても後の祭りだ。
ただただ、彼が早く上がってくれるのを待つばかりである。ディシディアは大きな欠伸をしながらぐ~っと背伸びをした。
彼がいないとずいぶんと退屈に思える。彼が風呂場に行ってまだ十分も経っていないのだろうが、一時間以上待たされているようにも感じた。唇を尖らせ、部屋の壁に背中を預ける。
「むぅ……遅いな」
パタパタ、と足を上下させる。手持無沙汰の彼女はおさげの先を指で弄り、チクタクト動く時計の針を眺めていた。
――が、その時バタンッというドアが閉まる音が聞こえてきた。良二が風呂から出たのだろう。それを受け、ディシディアは長い耳をピコーンッと跳ねさせた。
「上がりましたよ~……もう疲れました。きついです」
良二は風呂から上がり居間へとくるなり、先ほどと同じようにバッタリと倒れてしまう。布団の上にダイブした彼は気持ちよさそうに目を細め、ゴロゴロと寝返りを打った。ふんわりとした布団はまるで自分の全てを包みこんでくれるようだ。
「あぁ……今日は死ぬほど寝ます。絶対に寝ます」
「昨日はほとんど寝れていなかったからね……可愛そうに。よく頑張ったよ」
「うぅ……泣けてきますよ」
良二はちょっぴり涙ぐんでいた。ディシディアは彼の目尻から落ちる雫を指の腹で拭い、近くにある鞄をそっと引き寄せた。
「さて、中には何が入っているのかな? 開けてもいいだろうか?」
「どうぞ。別にみられてもマズイものはないですからね」
「そうか。じゃあ、そうさせてもらうよ」
先ほどまで悶々としていたのが途端に馬鹿らしくなる。許可をもらえれば後はこっちのものだ。ディシディアは鞄の中に手を突っ込み、中から色々なものを取り出してみせる。
筆箱、財布、教科書、はたまた図書館から借りてきたであろう参考書、などなど。
最後に出てきたビニール袋に包まれたものを見て、ディシディアはポンと手を打ち合わせる。
「これがお土産だね? 中は……む? メロン、パン、かな?」
その言葉にはやや自信がないように思える。だが、それも当然だ。
中に入っていたものは間違いなくメロンパンの形をしていたが、その色がピンクだったのだ。ひくひくと鼻を動かしてみれば、イチゴの香りがする。
「イチゴメロンパンです。駅前で売ってたので、買ってきました」
「ほぉ……面白いね。じゃあ、いただきます」
二つある内の一つを取り出し、大口を開けてかぶりつく。
食感はメロンパンよりももっとサックリしている。皮の部分はイチゴの風味がとても強く、そこにミルクの味が上手く絡み合う。しかし、それはあくまで表層の話だ。
中は驚くほどにふんわりモチモチしていて、外皮との対比が面白い。イチゴの風味は決して押しつけがましいものではないので、いいアクセントになっていた。
甘酸っぱさが絶妙な清涼感を与えてくれる。普通のメロンパンとは一味も二味も違ったものだ。
お、と目を丸くするディシディアを見て、良二は会心の笑みを浮かべた。
「気に入ってもらえたなら何よりですよ。俺は……ちょっと食欲ないのでもう寝ます」
「大丈夫かい? 具合が悪いなら、病院に行ったらどうかな?」
しかし、良二はフルフルと首を振り枕に顔を埋める。
「いや、具合が悪いわけじゃなくて、超疲れてるんです。もう課題は見たくないです……試験怖い……お家帰りたい」
「ここがお家だよ……はぁ、やれやれ。ほら、もう寝なさい。リフレッシュも大事なお仕事さ」
そっと毛布を掛けてやる。相当気が滅入っているようで、良二は顔をしかめたままだ。
脳裏をよぎるのは泣きながら課題をやっていた良二の姿だ。昨日やり残しを見つけた後、結局午前三時まで起きていた。その後は実質三時間しか寝れていない。こうなってしまうのも無理はないことだろう。
「今日はゆっくり休むといい。ほら、目を閉じてごらん。横になっているだけでも疲れは取れるものさ」
と、ディシディアが彼の目元に手を当てた時だった。良二が「あ」と声を漏らす。
「ディシディアさんの手、気持ちいいです……」
「ん? そうかな? まぁ、いいさ」
ディシディアは素早くイチゴメロンパンを口に放り込み、もぐもぐと咀嚼。それからごくりと嚥下するなり、良二の隣に潜り込んだ。彼は一瞬驚きに目を見開くものの、すぐに目を瞑る。
もともと体温の高い彼女の体は湯たんぽのようである。疲れた体をゆっくりと癒してくれるようで、とても心地よい。次第に瞼が下りていき、意識も曖昧になってくる。
一方のディシディアは寝そうになっている良二のおでこをそっと撫でてやった。冷たい手が滑る感覚に良二は一瞬だけ眉根を寄せるも、すぐにだらんと身体を弛緩させる。それから眠りに落ちるまではそうかからなかった。
「ふぅ……落ち着いたみたいだね。昨日は大変だったから……」
彼の伸びた髪を手でまさぐる。湯上りだからだろう。まだしっとりとしていて、髪を手で梳くたびに石鹸の匂いがした。それを嗅いでいると、だんだんとディシディアの意識も薄れていく。
彼女はとろんと潤んだ瞳で良二を見つめ、その首筋に淡いキスを寄越した。
「お疲れ様、リョージ……よい夢を」
彼の逞しい胸に顔を埋める。結局二人が起きたのは夜の十時を回った頃だった。