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第百八十六話目~ポニーテールとチーズカレードリア~

 翌日。父親との対面を終えた良二は積み過ぎていた課題に四苦八苦していた。レポートも相当残っており、調べ物をしようにも時間が足りない。そもそも、彼はそこまで速筆ではないのだ。

 適当にやれば簡単に終わる課題だが、そうはできないのが彼の辛いところだ。


「うぉおおおお……終わらないですよ、ディシディアさん……」


「頑張りたまえ。私にはどうすることもできないからね」


 彼女はふいっとそっぽを向いてテレビを見てしまう。それは予想していたことだったが、実際にやられるとダメージは大きい。良二は悲しそうな顔になってしゅん、と肩を落としてしまう。

 ディシディアはそれをチラリと横目で見たかと思うと、表情を険しくして諭すような口調で告げた。


「いいかい、リョージ。勉強というのは自分のためにやることなんだ。私が手伝えば早くは終わるかもしれないが、それでは君の力にならない。頑張ってやりたまえ」


「……ぐうの音も出ません」


 正論で殴られたらどうしようもないだろう。良二は目に涙を浮かべながら必死に課題を終わらせようとしている。全体の三分の一は終わっただろうか?

 だが、後になればなるほど量が多かったり密度が濃いものでないとダメなものであるので時間は最初にやったものの数倍はかかるだろう。そう思うとやる気がグンとなくなっていく。いっそ投げ出したい……が、ディシディアの手前できないのが辛いところだ。


(もしやめたら怒るだろうなぁ……)


 ディシディアは普段は愛嬌があって自分と対等な関係を築いてくれているが、筋の通らないことをやってしまったら怒ってくれる、年上らしい面もキチンと備えている。

 彼女が怒った時のことを考え、良二はブルリと体を震わせた。烈火のごとく感情をぶつけるのではなく、穏やかだが確かな怒りを持って説教をされるのだ。考えるだけでゾッとする。


「うぅ……クソゥ。もっと計画的にやっておけばよかった」


「いい経験になったね。まぁ、私にできる唯一の手伝いをするとしようか」


 ディシディアは今まで見ていたはずのテレビを消し、ゆっくりと部屋の時計を見た。すでに時刻は昼の十二時を回っている。だが、彼女は特に慌てた様子もなく静かに席を立ち、厨房へと向かっていった。

 幸い、昨日のカレーの残りがたっぷりと残っている。これをちょっと工夫すれば立派なお昼ごはんになるだろう。彼女は腰に手を当てて「よし!」と気合を入れたかと思うと、そこである物を付け忘れていることに気がついた。

 軽い足取りで居間へと戻り、例のがま口財布から何かを取り出す。それはピンク色をしたエプロンだ。胸元にはハート形のワッペンが貼られており、実に愛らしい。


「ふふ、寸法もちょうどいいね」


 先日買ったばかりのエプロンを身に着けてご満悦の彼女はその場でクルッとターンをしてみせる。その時、良二がこちらを見ていることに気がついたのか口元を綻ばせる。


「ふふ、見惚れてしまったのかな?」


「べ、別にそんなんじゃないですよ」


 彼は慌ててノートに視線を移す。それを見てクスクスと笑いながら、彼女は厨房へと戻り様、耐熱皿を二つ食器棚から取り出した。

 炊飯器にはまだご飯が残っている。彼女は蓋を開けて頷いたのち、耐熱皿の半分程度までご飯をよそう。ちょっと足りないかもしれないが、その時はおかわりすればいいだろう。失敗するよりはマシだ。

 次に寄ったのは蓋がされているカレー鍋のところ。彼女はお玉を使ってカレーをご飯にかける。冷えているのでややどろりとした感触が返ってくるが、彼女は構わずカレーがご飯を覆い隠すところまで入れた。

 もう半分はできあがったようなものである。後は冷蔵庫からとろけるチーズを取り出し、パラパラとカレーご飯の上にかける。ちょっと奮発多く入れすぎてしまったような気がするが、気にしないことにした。


「さて、と」


 耐熱皿を二つまとめて電子レンジにぶち込み、加熱を押してしばらく放置。後はできあがりを待つのみだ。


「てか、エプロンする必要あったんですか?」


 食事が迫りつつあることを知ってか、良二は机の上を片付けていた。その質問に対し、ディシディアは小悪魔的な笑みを持って応える。


「まあ、ないかもしれないけど、可愛いからいいだろう?」


 踊り子のように優雅な仕草で舞う。爪先立ちでクルリとターンし、エプロンの裾をつまんで恭しく礼をしてみせた。当然ながら、良二はキチンと拍手を返してくれる。その心地よさに目を細めていると、チーンッという音が耳朶を叩いた。


「おっと、もうできたか」


 ウサギを模した可愛らしいミトンを手に装着し、レンジを開ける。すると、チーズとカレーの混ざり合ったいい匂いがふわぁ……と漂ってきた。チーズのまろやかかつ香ばしい香りとカレーのスパイシーな香りの合わせ技に腹の虫が呼応する。


「あつつつつ……」

 ディシディアはゴクリと息を呑みつつ、耐熱皿を一つずつ取り出してトレイの上に乗せた。ミトンをしていてもやはり熱い。二つを運び終えるなり彼女はミトンを外してフーフーと手に息を吹きかけていた。


「大丈夫ですか? 火傷したなら救急箱出しますけど……」


「いや、心配いらないよ。ありがとう。ほら、もうできたから休憩しなさい。お疲れさま」


 労いの言葉と共に出来立てのチーズカレードリアを彼に渡す。よほど疲れていたのだろう。彼は大きなため息をついて天を仰いでいた。


「ふふ、あと少しの辛抱じゃないか。頑張りなさい」


「はい……頑張ります」


 くしゃくしゃ、と彼の頭を撫でる。そこで、ディシディアはふと眉をひそめた。


「ずいぶん、髪が伸びたね?」


「ディシディアさんもじゃないですか?」


 互いに髪を触りあう。もう結構伸びていて、そろそろ鬱陶しい。

 が、まずは昼食が先だ。二人は席に着き、同時に手を合わせる。


『いただきます』


 良二が出してくれていたらしきスプーンを手に取ってチーズカレードリアを掬う。すると、熱によってトロトロになったチーズが糸を引いた。スプーンから溢れたカレーと混じり合いながら落ちていく様はどことなく幻想的だ。自然と喉が鳴ってしまう。

 当然ながらまだ熱いので、フーフーとよく息を吹きかける。先走ってしまった良二は舌を火傷したらしく、涙目で水を煽っていた。


「あ~……ん」


 十分冷ましたところでぱくりと一口。その瞬間口の中が爆発した。

 最初に感じたのは熱さと辛さだ。だが、続けてやってきたとろりとしたチーズがそれをマイルドにしてくれる。絶妙なバランスだ。

 所要時間は数分程度だったが、それでも十分な美味さに仕上がっている。合格点は軽く超えている優秀な料理だ。


「そういえば、カレーはどうして一晩おいた方が美味しくなるんだろうね?」


「確かに……あまり考えたことなかったです」


 良二は口をもごもごさせながらそんなことを言った。ディシディアはドリアの山を崩し、一口食べる。

 一晩おいているおかげで味が馴染んでいるような気がするし、スパイシーさの中にも確かな味わい深さが感じられた。チーズとの相性も抜群で、食べれば食べるほどハマっていくようにも思える。


「どうせなら、サラダでも作ればよかったかな?」


 レタスを千切ってトマトをカットするくらいなら数分もかからなかっただろう。今日はかなりの手抜き料理を作ってしまった、とディシディアは項垂れる。


「でも、俺はいいと思いますよ。たまにはこういうものも」


「そうかい? 君の料理はいつも手が凝っているから、どうしても比べてしまうんだよね……」


 ディシディアはドライカレーにしたのか、と思う勢いでカレードリアを撹拌している。だが、これにもきちんとした理由があるのだ。

 トロトロになったチーズは撹拌するごとにご飯とカレーに絡んでいく。それを口に運べば、頬が落ちてしまうんじゃないかと思うほど痛烈な味わいが口に広がった。

 水を煽って口の中を洗い流す。舌がピリピリと痺れているのはカレーのスパイスによるものだろう。ディシディアはぺろりと小さなピンク色の舌を突き出し、顔をしかめてみせる。


「あ、そうそう。さっきの話ですけど、今度髪切りに行きませんか?」


「いいね。どんな髪型が似合うかな?」


「ディシディアさんならどんな髪でも似合いますよ」


「ふぅむ……ちなみに、リョージはどんな髪型の女の子が好きなんだい?」


「俺ですか?」


 良二は驚いたように目を見開くものの、しばらくしてゆっくりと頷いた。


「俺はロングの女性が好きですね。あぁ、後ポニーテールも好きかもしれません」


「ほほぅ……今の髪なら、できるかもしれないな」


 ディシディアは髪の毛を縛っているリボンをしゅるりと解き、長く伸びた髪を後ろで束ねるなりすかさずリボンで括った。それから位置を何度か調整した後で、ニパッと笑いかける。


「ほら、どうだい?」


「……」


 返事はない。良二は見惚れていた。

 普段は髪をおさげのようにしてまとめている彼女が、ポニーテールにしているのだ。首を傾げる度に髪の束も揺れ、良二はゴクリと喉を鳴らしてしまう。やや高めの位置で結んでいるので、普段は絶対に見えないであろううなじも彼女が首を傾げるとチラリと見えた。その肌はやはり、驚くほどに白い。

 しかも、しかも、だ。髪を全て後ろに持っていっている形になっているので、ディシディアのおでこまで露わになっているのだ。小さな顔に比例する狭いおでこ。おそらくは滅多に見ることのできないものが晒されている様は背徳的な感情を抱かせた。

 彼女の美しい白髪はまるでユニコーンの尻尾のように揺れている。カーテンから差し込む日の光を浴びて煌くそれはこの世ならざる美しさと気高さを醸し出す。

 ディシディアはぽかんと口を開けて呆けている彼を不審に思ったのか、小首を傾げながら彼の方に身を寄せる。


「リョージ? 変だったかな?」


「いや、むしろ……めちゃくちゃ可愛いです」


 言った後で、ハッと口を噤むも遅すぎた。

 目の前の彼女は自分の言葉を聞いてにまにまと笑みを浮かべている。ほぼ無意識のうちに答えてしまったが、失策だった。

 良二は照れ隠しのように耐熱皿を持ち上げてドリアを口に流し込む。そんな彼にディシディアはずっと温かなまなざしを向けていた。


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