第百八十話目~島の夜と島料理尽くし~
一月四日。とうとう島にいられる最後の夜。ディシディアたちは手厚い歓迎を受けていた。
テーブルには無数の料理が並ぶ。地元ではクロと呼ばれている魚の天ぷらやブリの刺身。はたまた生うにやホームベーカリーを応用して作ったピザなど、見ているだけで楽しめるものだ。
「では、いただきます」
「いただきます」
ディシディアに続いて良二も手を合わせる。が、まずどれから食べるべきか思案するように顎に手を置いた。まぁ、それも無理はないだろう。これだけあって即決する方が難しい。
ディシディアは一通り取り皿にとってご満悦の様子だ。彼女はまず、クロの天ぷらを口にした。ふんわりとした食感で、身は淡泊ながらもしっかりとした味わいを有している。
塩は少しつけるだけでいい。あまりやりすぎるとこの繊細な味わいを台無しにしてしまいそうだ。彼女はちょいと塩をつけた後で天ぷらを齧り、続けてご飯を掻きこむ。
天ぷらとご飯の相性がいいのはよく知られていることだ。魚の天ぷらはたまに臭みが出ることがあるがキチンとした処理がなされているからかそのようなことはまるでない。
わざと皮をつけてあるが、これがまたいい。衣はカリッと、身はふんわり。そして皮の部分はパリッとしていて、一つの食材でいくつもの食感を味わうことができた。
「これはいい。もしかしたら、一番好きな天ぷらかもしれないな」
「そう言ってもらえると嬉しかね。おかわりはまだまだあるけんいっぱい食べてね」
華の言葉に即頷き、早速空になったお茶碗を彼女に渡した。すると、華はにこやかに微笑んで厨房の方へと消えていく。その間手持無沙汰となるディシディアはピザを一切れ口に運ぶ。
生地はカリカリしていて、中はもっちりとしている。チーズはとろりとしていて、口に入れると溶けていくようだ。
正直な話、ここにビールがあったらどれだけよかったか。せっかくの祝いの席ということでビールを飲んでいる良二の方をジト目で睨む。彼はそれに気づき、申し訳なさ気に頭を下げた。
基本的にディシディアもビールを飲める時以外は酒を断っているのだが、こういった席ではやはり付き合いというものが大事になってくる。それはディシディアもよくわかっているものの、それでも羨ましいことには変わりない。
彼女はブスッとしながらピザを齧る。と、すぐに笑みが戻った。
ベーコンの塩味と玉ねぎの甘みが絶妙なバランスで混じり合う。ディシディアは歓喜に身を震わせた。
「はい、お待ちどうさま。メインディッシュはもうすぐできるけんね」
いつしか戻ってきていた華がお茶碗を差し出してくる。彼女もディシディアが大食漢だとわかっているからだろう。日本昔話に出てくるような山盛りのご飯にディシディアはキラキラと目を輝かせた。
手に持つとずっしりとした重みが返ってくる。部屋の照明を浴びて艶々と輝く白米は実に美味そうだ。スゥッと息を吸い込むだけで食欲の湧く匂いが鼻孔をくすぐった。
「さてさて、なら次はこれでいただこうかな?」
彼女が取ったのはブリの刺身だ。それを刺身醤油につけると以前見たように脂が波紋状に広がっていく。それをご飯の上に乗せて口に入れると得も言われぬ旨みが炸裂した。
脂の乗ったブリに甘い刺身醤油がよく合う。濃厚なブリは口の中に入れるとトロリと溶ける。そのインパクトたるや大トロにも引けを取らない。いや、今が旬であるブリはマグロをはるかに凌駕する美味さだ。
「うにも乗せてみ? 美味しかけんね」
美紀ばあが自分のご飯の上にうにを乗せ、そこに醤油を一滴垂らす。ディシディアも見様見真似でやってみておそるおそる口に入れるなり、その細長い耳がぴょこんっと可愛らしく跳ねた。
ねっとりとしたうにとアツアツのご飯がよく絡み合う。これだけでも相当だが、刺身でうにとご飯を包んで口に運べばまた違った美味さが感じられる。
うにとブリは喧嘩することなくお互いを引き立てあっている。同じ海産物だからか、はたまた島で採れたものだからか、抜群のコンビネーションだ。
美味いものを食べると自然と頬が緩む。幸せの絶頂、と言わんばかりのディシディアは身悶えしながら料理に舌鼓を打っていた。
「華。そろそろよかっちゃない?」
「あ、そうやね。見てくるよ」
美紀ばあと華がそんな会話を繰り広げる。華はそそくさと厨房の方へと駆けていき、美紀ばあは思い出したように立ち上がり自室へと向かっていく。残された良二たちは顔を見合わせていたが、先に戻ってきた華が抱えているものを見てギョッと目を剥いた。
「じゃじゃーん! ブリカマだよ!」
そう。華が抱えている皿に乗っているのは巨大なブリのカマ――つまり、頭の部分だった。しかし丸ごと乗っているわけではなく、真っ二つにされている。そのため、顔半分がない状態だ。それが少しばかりグロテスクだったので、良二は掠れた声を漏らしてしまう。
「鯛じゃなかけど、二人の見送りには申し分ない品やろ? ね?」
華の言葉にディシディアは何度も頷く。彼女はこの素晴らしいサプライズを気に入ってくれたようだ。興味深そうに何度も覗き込む彼女とは裏腹に、良二は今にも卒倒しそうな様子だ。
確かにグロテスクなのは否めない。頭を真っ二つにされているわけだし、何より巨大な目玉は白くてどろりと濁っている。小さく開いた口からはのこぎりのような歯が覗いていた。
そんな折、今度は美紀ばあが入ってきた。彼女が手に抱えているのはこの間ディシディアが着ていたはずの着物だ。彼女は笑いながらやってきて、ディシディアの方に渡してくる。
「はい、これお餞別ね」
「っ!? い、いいのかい?」
「よかよ。もう華は着られん大きさやし、それやったらディシディアちゃんに来てもらった方がこの服も喜ぶと思うっちゃん。お土産屋と思って、もらってくれんね」
「……わかった。ありがとう」
ディシディアは粛々として受け取り、そっと頭を下げる。と、美紀ばあのしわくちゃの手が彼女の小さな頭に置かれた。
「またおいで。いつでも待っとるけんね」
「……あぁ。帰ってくるとも。それまで健やかでいてくれ」
「もちろんよ。ディシディアちゃんたちもね」
ディシディアはもらったばかりの晴れ着をギュゥっと握りしめる。胸の奥がジィンと熱くなり、気を抜けば涙を流してしまいそうになった。
けれど、別れに涙はふさわしくない。彼女は精一杯の笑みを向け、
「本当にありがとう、二人とも。いつかまた帰ってくるよ」
「もちろん、その時は俺も一緒ですからね」
ドン、と胸を叩く良二を見て、ディシディアはやんわりと微笑む。それから目尻に浮かんでいた涙を拭い、眼前のブリカマへと視線を移した。
「さて、冷めては美味しくなくなってしまう。もう食べてもいいだろうか?」
「どぞどぞ。何なら取ってあげるよ。ほら、貸して」
「あぁ、ありがとう」
取り皿を渡すと華は器用にブリカマの肉をむしり取る。頬肉、頭頂部の肉、はたまた裏側の肉。裏返す時に断面を直視してしまった良二は掠れた悲鳴を絞り出した。
「おや、リョージ君はグロイの苦手?」
「ちょ、ちょっとだけですが」
「そっか……でも、美味しいけんさ。食わず嫌いせんで食べてみ? ね?」
「むぅ……わかりました」
華と共に良二も肉をむしり取る。ややグロテスクなため、顔を背けがちだが何とか成功。彼は一息ついた後で、改め取り皿を見つめる。摘み取った肉はグロテスクとは思えず、普通の焼き魚風だと思えるが、それでも先ほど見た断面のインパクトが後を引いているのだろう。良二は手をこまねている。
が、
「ッ!? リョージ! すごく美味しいよ! 食べてごらん!」
隣にいるディシディアがピコピコと興奮気味に手を上下させる。彼女がここまで賞賛するほどだ。それほど美味しいのだろう。
が、視覚は味覚にも多大な影響を与えるものである。だからイマイチ手が伸びない。
それを見かねてか、ディシディアが良二の皿にあるブリカマの一部を摘み取る。
「はい、あ~んだ。怖くないから、ね? どうしても嫌なら目を瞑ってごらん?」
「……お、お手柔らかに」
我ながら混乱している、と思いつつも良二は目を閉じた。
すると、塩っ気のある何かが口の中に入ってきた。噛み締めるとじゅわっと脂の甘みが広がり、けれど身はキリッと引き締まっている。
「どうだい? 美味しいだろう?」
「……えぇ。美味しいですよ。もうちょっと見た目がグロくなかったならなぁ……」
「まぁまぁ。虫を食べたことがあるのに今さら何を」
『ムシィ!?』
その場にいた美紀ばあと華が声を荒げる。そこでディシディアはハッと口を押えた。
「と、都会ではそげんものば食べるん? すごかね……」
「違いますよ!? 主食にしているわけじゃないですからね!?」
勘違いしつつある美紀ばあに弁解する良二。その横でディシディアはクスクスと笑う。
こうして、島にいられる最後の夜は賑やかなまま更けていくのだった。