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第十八話目~小腹塞ぎのカツサンドとサンマサンド~

 とある小さな映画館。人で賑わうそこに、ディシディアと良二はいた。


「ふむ……映画を見るにはこれがいるわけか」


 ディシディアは手元にあるチケットを見ながら呟いた。あちらの世界でも演劇を見る機会はあったが、その時は入場料を払うと紙製の腕輪をもらっていた。それがある限り、いつでも再入場が可能なのだ。


くさないでくださいね?」


「わかっているとも。心配しないでくれ」


 不安そうな顔をする良二にそう返し、ディシディアはチケットをがまぐちの財布に入れた。少なくとも、これで落とす心配はなくなった。


「さて、まだだいぶ時間があるが、どうする?」


 ふと、映画館に取り付けられた時計を見ながらディシディアが問いかけてくる。

 彼女たちが見る映画は十二時半上映だが、今はまだ十二時にもなっていない。ここでジッとしているのも難しいだろう。備え付けの椅子はあるものの、仮にも映画館の中だ。あまり長居すると他の客の迷惑になりかねない。

 良二は「タハハ……」と困り顔で頬を掻き、それからスマホを取り出した。


「とりあえず、どこかで時間を潰しますか? そういえば、まだお昼も食べていませんし」


「む? いや、待ってくれ。何やらあそこで食べ物を売っているようだが」


 ディシディアが指差すのは、ポップコーンやホットドッグを販売している売り場だ。そこにはすでに大勢の人が並んでおり、実にいいにおいが漂ってきていた。

 しかし、良二は首を振り、ピッと人差し指を立ててみせる。


「あれは映画を見る時に食べましょう。それに……どうせなら、色んなものを食べてみたいですよね?」


 その言葉に、ディシディアはグッと言葉に詰まった。そう言われては、反論しようがない。

 それに、映画館がある建物の中には他にも食べ物屋がいくつか備えられている。それを思い出したディシディアは、彼の言に肯定の頷きを返した。

 すでに彼女の扱い方を心得つつある良二は一瞬だけ彼女の綺麗な緑色の瞳を見つめ、それからその小さな手を握る。端から見れば、二人は兄弟のようにも思えるだろう。

 まぁ、実年齢的に見れば親子以上に年が離れているのだが。


「で、だ。これからどこに行くんだい?」


 映画館を出て、下の階へと続く階段を歩きながらディシディアが問う。すでにどの店もランチタイムに突入したせいかかなり忙しそうだ。もし中に入れば、かなり時間をとることになってしまうだろう。最悪、映画を見逃しかねない。

 良二は難しそうな顔をしながら、建物の見取り図がある柱まで歩み寄った。小さなショッピングモールだが、食べ物系は充実している。一階から三階まで、少なくとも二軒は食べ物屋が並んでいた。


「何か、リクエストはありますか?」


 と、良二は尋ねたがディシディアはひらひらと手を振った。


「いいや、特にないよ。それに、何がなんだかわからないしね」


 見取り図には店名しか書かれておらず、写真はない。ひらがなやカタカナだったらまだニュアンスは伝わったかもしれないが、漢字はまだ不十分だ。それが何屋であるのかがわからないディシディアは、どこか呆れたようにため息をついた。


「全く、この世界の文字は難しいね。もうちょっと頑張らなくては」


 とは言うものの、彼女はすでにひらがなとカタカナをマスターしている。これは十分すぎるほどの成果だろう。それに、簡単な漢字ならば多少は読めるようにはなってきている。普通ならば、考えられないほどの習熟スピードだ。

 やはり、大賢者としての経験が今もまだ根付いているのかもしれない。あくなき探究心と好奇心があるからこそ、彼女は困難にも思える新たな言語の習得にも望めているのだ。

 ディシディアは自嘲気味に鼻を鳴らした後で、トンッと見取り図を指でつついた。


「と、言うわけだ。今日は君に任せるよ」


「じゃあ……そうですねぇ」


 良二は見取り図の方に体を傾け、食べ物屋の欄を凝視する。見た限り、かなりの種類がある。

 イタリアン、中華、和食などなど。どれもこれも美味しそうだ。

 が、映画が始まるまであと数十分。本格的な食事をしている暇はない。


(やっぱり、テイクアウトかな?)


 内心そんなことを呟きながら、それらしきものを探し始める。とりあえず見つかったのはハンバーガー、クレープ、たこ焼き、そして……サンドイッチの専門店だ。

 サンドイッチの専門店、という文字に良二は思わず目を剥いた。ハンバーガーなどは聞いたことがあったが、サンドイッチとは。

 その聞き慣れぬ単語に好奇心をかきたてられた彼は無意識のうちに小さく頷き、ディシディアの方を見やる。それまでおさげの先をクルクルと指で弄っていた彼女は、期待を込めて見つめてきた。


「決まったかい?」


「えぇ、決まりましたよ」


 言いつつ、三階へとつながる階段を上っていく良二。その隣を歩きながら、ディシディアはきょろきょろと辺りを見渡した。

 夏休みということもあってか、非常に家族連れが多い。小さなショッピングモールだが、地元民にとっては貴重な娯楽施設である。休日をここで過ごすものも多いのだろう。予想外の人口密度に、たまらずディシディアは息を呑んだ。


「あ、あそこですよ」


 ふと、良二が声をかけてきた。ハッとして、彼が指差す方向を見やれば――確かにそこには可愛らしいポップが掲げられた店があった。

 怪談を上りきった二人は、その店へと歩み寄っていく。すると、


「いらっしゃいませ。どうぞ、見ていってください」


 可愛らしい制服に身を包んだ売り子が、満面の笑みを浮かべて言ってきた。年のころは、良二と同じか、下だろう。あどけない笑顔が魅力的な少女だった。

 ディシディアは彼女を視界の端に映した後で、眼前にあるショーウインドウに視線を移す。そこにはズラリと美味しそうなサンドイッチが並べられていた。

 三角形のポピュラーな形をしたものから、四角形だったり、はたまたコッペパンにそのまま挟んだものだったりと、種類は様々だ。とりあえず『サンド』しているものを全般に売っているらしい。

 あまりの種類の多さに目移りしそうになるのをグッと堪えつつ、ディシディアは良二の服の裾を引いた。


「すまない。今は何時かな?」


「えっと……十一時四十分ですね。ですから、そんなに慌てなくていいですよ」


 時間の問題は解決された。これで十分悩むことができる。

 ディシディアはショーウインドウにべったりと張り付いて商品を見やる。値段はほぼ同じで、量も似たような感じである。だが、だからこそ難しい。味と見た目以外のすべての条件が似通っているからこそ、選択をミスしてしまった時の落胆は大きくなってしまうのだ。

 一世一代の決断を任されているような表情になっているディシディアを見て、良二と売り子は顔を見合わせてクスリと笑う。


「今日は、お二人でお買い物ですか?」


「えぇ。これから映画を見る予定なんです」


「あぁ、そうなんですね。ちなみに、どの映画を?」


 などと、頭上で繰り広げられる二人の会話などまるで耳に入っていないディシディアは、以前として困惑していた。

 肉が挟まっているもの、魚が挟まっているもの、はたまたフルーツと生クリームが挟まっているもの……その全てが、彼女にとっては道であり興味の対象だ。これの中から一つを選べ、というのはかなり酷な話だろう。

 しかし、決断の時というのは必ず訪れる。


「じゃあ、俺はこれで」


 良二が、手近にあったコッペパンに何かのフライが挟まっているものを指さした。売り子の少女はにこやかに微笑みながら、それを紙袋に入れ始める。


「え、えぇと……わ、私は……」


 このままでは、彼を待たせることになる――そう考えたのだろう。

 ディシディアはそう口にして、人差し指を立てたものの……その指針はまるで定まっていなかった。


「焦らなくていいですよ。じっくり考えてから決めてください」


 良二がサンドイッチをぱくつきながら言う。見れば、売り子の女性も柔らかい笑みを浮かべており、特に急かしてくるような雰囲気はなかった。


「……ありがとう。心遣い、感謝するよ。だが、時間も限られているだろう。すまないが、オススメがあれば教えてくれるかな?」


 最終手段――『困ったときは店員に聞く』を発動させたディシディアに、女性はやんわりと微笑む。


「えぇ。一番のオススメは、カツサンドですね。私もよく食べますけど、本当に美味しいですよ」


「では、それを頂こう」


「はい! じゃあ、四百円いただきますね」


 代金を置くと同時に渡されたのは、四角い容器。パカッと開けてみれば、中にはギッシリとカツサンドが敷き詰められていた。


「あそこに座って食べましょうか」


 良二が指差したのは、ちょうど店の前にあったベンチだ。無論、それに反論する理由もない。ディシディアはそちらに歩み寄って椅子に腰かけるなり、再びカツサンドを見つめた。

 白いパンの間に、分厚いカツと千切りにされたキャベツが挟まっている。パンの外側はカリカリに焼かれており、香ばしさを追求した一品に仕上がっている。まだ作られてそう時間が経っていないのか、手に持つとほんのりと温かかった。


「……いただきます」


 中身がこぼれないよう、少しだけ強めにカツサンドにかぶりつく。

 肉厚のカツはジューシーで、その旨みを吸収したパンと相まって凄まじい味わいを生み出している。キャベツが入っているおかげで脂っこさはだいぶ緩和され、意外にも食べやすい。濃厚なソースと、隠し味程度に軽くパンに塗られたマスタードがたまらない。

 豚肉はいいものを使っているのか、臭みがまるでなくとても柔らかい。揚げ具合も抜群で、中まで十分火が通っている。衣にも、多少下味をつけているのだろう。そのおかげで、濃い目のソースにも負けない……どころか、相乗効果でグングンと旨みを倍増させるようになっている。

 キャベツは歯ごたえがよく、噛み締める度にシャキシャキという快音が鳴り響く。

 ディシディアは唇の端から落ちそうになっていたキャベツの切れ端を指で掬い、ひょいっと口に放り込む。

 その時、良二が自分の持っていたサンドイッチを差し出してきた。


「食べ比べしてみませんか? ちなみに俺のは『サンマサンド』って言うらしいです」


「ほぅ。いいね。交換してみよう」


 と、カツサンドを差し出し、サンマサンドを受け取る。こちらは、食パンではなく、コッペパンベースのサンドイッチだ。中には、サンマのフライがサンドされている。キャベツなどが入っている点は、同じだ。


「じゃあ、遠慮なくいただくよ」


「えぇ、どうぞ」


 すでに良二が食べ進めていた方向から、ディシディアも頂く。

 こちらのパンは、ふわふわとしていて非常に柔らかい。それが優しくサンマフライを包みこみ、口内で混然一体となって混じり合う。

 サンマといえば、秋の食べ物という印象があるが夏に食べても十分美味い。むしろ、

完全に脂が乗りきっていないからこそ、フライにしても脂っぽさがないのかもしれない。その証拠に見た目からは想像もできないほどの食べやすさに、ディシディアは驚いているようだった。

 小骨はちゃんと処理されているし、魚特有の臭みもない。香辛料をまぶしているのか、サンマはより香りだかいものになっていた。

 また、こちらのサンドイッチはソースだけじゃなくてマヨネーズがパンに塗られている。それが味をまろやかにし、コクを生み出しているのだ。

 時折感じる酸味は、レモンだろう。清涼感をもたらしてくれる、最高の脇役だ。

 フライだけだとどうしても重たくなってしまうところをレモンとキャベツが上手く支えている。

 カツサンドにしても、カツとパンだけではいずれ飽きが来てしまうだろう。だが、ソースやマヨネーズ、キャベツやレモンなどの様々な要素が組み合わさることによって味が不均一になる。そのため、一口ごとにまた違った味わいを得ることができるのである。


「うん。美味しい。中々にいけるね」


「カツサンドも美味しいですよ。流石、オススメなだけはありますね」


 チラ、と店の方を見やって、良二は苦笑した。おそらく、二人がベンチに座って美味しそうにサンドイッチを食べていたからだろう。先ほどまでは空いていたのに、今では店に行列ができていた。

 前の客が捌けた時、さりげなく少女が手を振ってくれる。ディシディアたちもそれに手を振り返し、再びサンドイッチを貪り始めた。


(……私は、どちらかというとカツの方が好きだな)


 両者を食べ比べて、ディシディアはそんなことを思う。サンマサンドも非常に完成度が高く、甲乙つけがたいものであった。ここら辺は、個人的首肯によるものだろう。

 ディシディアは、長年の粗食生活がたたってか濃厚で強烈な味を好むようになった。もし、サンマが旬――つまりは秋の時期のものを使っていたら、サンマサンドの方を好んでいたかもしれない。

 だが、現段階ではジューシーで舌にガツンと響くような力強い肉の旨みを持つカツサンドの方が好きだったようだ。ディシディアはガツガツとカツサンドを頬張り、指についていたソースまでも舐める。

 美味しいものを食べる時、時として人は野生に返る。今の彼女は、さながら一匹の獣だった。

 良二も口元についていたソースを指で拭った――その直後、彼は声にならない叫びをあげる。


「どうしたんだい?」


「ディ、ディシディアさん! ヤバいですよ! もうすぐ映画が始まります!」


「何!?」


 ディシディアはサッと立ち上がり、良二の後ろまで回り込んで腕時計を見やる。確かに、今の時刻は十二時二十七分。上映まで、わずか三分だ。

 悩んでいた時間が長すぎたのか、はたまた味わって食べ過ぎたのか……いや、そんなことはどうでもいい。問題は、こうしている間も上映時間が迫ってきているということである。


「すぐに行きましょう!」


「ああ! しかし、まずはゴミを……」


「それなら、こっちでもらいますよ!」


 そんな声が、店の方から響いてくる。そちらにいる少女は、招き猫のように手招きしていた。


「ありがとうございます、お願いします!」


 良二はすぐさま彼女の方に歩み寄って、容器と紙袋を渡す。少女は快活そうな笑みを浮かべ、


「さぁ、早く行ってください。どうぞ、よい一日を」


 そんなことを言ってくれる。二人は彼女の心意気に内心礼を言いつつ、急いで映画館まで向かう。映画館が同じ階で、そこまで距離がないのが幸いだった。

 二人はすぐに自動ドアを抜け、チケットの引換所まで駆け寄る。だが、そこでグッとディシディアが服の裾を引っ張って、売店の方を指さしてきた。


「待った、リョージ! ポップコーンとやらを……」


「いや、もう時間がないので、今日はパスです!」


「そんな!」


 驚愕の表情を浮かべるディシディアに構わず、良二はスタッフに二人分のチケットを見せて中へと入る。そうして小走りでスクリーンまで向かい、中に滑り込んだ。

 ――ただ、彼は一つ失念していたことがある。

 上映時間はあくまで上映の準備が整う時間の目安であり、映画の本編が始まるにはもう少しだけ時間がかかるということを。

 スクリーンに映し出される広告を指さしながら、ディシディアが無言の非難を送る。

 この数秒後、彼はポップコーンとドリンクをダッシュで買いに行かされる羽目になったのは、言うまでもないことだろう。


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