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第百七十六話目~お雑煮と二人の呼び方~

 すっかり日が昇った頃になって、二人はようやく帰路についていた。天気が回復するということはなく、結局朝日は拝めなかったのだが不思議と虚無感はない。むしろ、胸の奥からは絶えず温かいものが湧き上がってくるのだ。

 ディシディアは服の胸部分をギュゥっと握りしめて静かに息を吐いて目を閉じる。脳内に浮かび上がるのは良二と共に寄り添った時の記憶だ。それを思い出すだけで体が火照る。

 ばれない様に横を見てみると、彼の方も上機嫌でハンドルを握っていた。それを見て、ディシディアは満足げに息を吐く。


「さて、帰ったら何をしようか?」


「そうですね……とりあえず、寝てもいいですか? やっぱり辛くて……」


「むぅ……すまない。無理に連れまわしたらダメだったね」


 良二はブンブンと勢いよく首を振ってその言葉を否定する。運転中でなければ彼女に向き合っていたはずだが、あいにくそんな余裕はない。けれど、彼はわずかに車の速度を緩めてから彼女の方に力強い眼差しを向けた。


「そんなことを言わないでください。俺はディシディアさんと一緒の時間が作れて嬉しかったんですから」


「本当かい? なら、いいのだがね。まぁ、昨日はずいぶんと飲んでいたようだし、帰ったら思う存分寝るといい。私も徹夜は堪えた」


 こきこき、と首を回してみせるディシディアの姿がどことなく年寄り臭くて良二は苦笑いを浮かべてみせる。当の本人は気づいていないのが幸いだ。もしばれていたらじっくりと糾弾されていたに違いない。


「っと、そろそろですね」


 もう家は間近に迫っている。良二は慎重なハンドルさばきのままそちらへ急行。

 やがて納屋が見えてくるとわずかに速度を上げ、見事な腕前で駐車する。どうやら華たちももう起きているのだろう。家からは人の気配がした。

 良二はすぐさまエンジンを切り、抜き取った鍵を指先でクルリと回し、


「はい、到着しましたよ」


「うん、ありがとう」


 ディシディアもシートベルトを外すや否やすぐに外に歩み出る。もうだいぶ日が昇ってきているからかだいぶ暖かく思える。ともすれば、コートがいらないのではないかと思ってしまうほどだ。

 二人は玄関に来たところで立ち止まり、


『ただいま』


 そんな声と共に中へと上がり込んだ。すると、その声を聴きつけてか、まるでゾンビの如く緩やかな挙動で華が今から顔を出してくる。相当具合が悪いのだろう。顔面は蒼白で、終始顔をしかめていた。

 が、それでも彼女は二人の姿を視野に納めると笑みを無理矢理取り繕う。


「おぉ……二人とも、おかえり……どこ行ってたん?」


「初日の出を見に行ってたんだ。まぁ、結局見ることはできなかったがね」


 ディシディアは自嘲気味に肩を竦めながら居間へと入る。するとそこにはこたつに入ってテレビを見ている美紀ばあの姿もあった。


「あぁ、ディシディアちゃん。リョージ君。お帰りなさい。あけまして、おめでとう」


 美紀ばあはこたつから出るなり、上品な仕草で頭を下げてきた。当然、良二たちも慌てて彼女の元に歩み寄って頭を下げる。と、彼女はニッコリと微笑んでどてらのポケットから二つの封筒を取り出した。

 その封筒には可愛らしい猫のキャラクターが印刷されている。美紀ばあはそれを一旦両手で握りしめた後で、良二たちに差し出してきた。


「はい、これお年玉。ばあちゃんからのプレゼントよ」


「え!? い、いやいや! 悪いですよ!」


 泊めてもらっている立場でこんなものをもらうわけにはいかない、と言わんばかりに良二は手と首を振った。ディシディアはそもそもお年玉が何であるのかわからないのか、キョトンと首を傾げているばかりだ。


「そんな遠慮せんでよかとよ。ほら、受け取って」


「で、でも……」


「年金が入っても使うものはなかし、それやったら二人がもらってくれた方が嬉しかとよ。ね? 遠慮せんでもらわんね」


 邪気のない笑みで言われては無下に断ることもできない。良二はスゥッと背筋を伸ばし、受け取りながら神妙な様子で頭を下げた。


「……ありがとうございます。大事に使わせてもらいます」


「はいはい。無駄遣いせんようにね。ほれ、ディシディアちゃんも」


「むぅ……お年玉、が何かわからないが、ありがたく受け取るとしよう」


 彼女はにこやかに可愛らしい封筒を受け取り、丁寧に破いて中身を取り出す。

 するとそこに入っていたのは――一万円札だった。思わぬプレゼントに、良二とディシディアは同時に顔を見合わせ、しかしすぐに美紀ばあを見つめる。

 当の彼女はけらけらと陽気に笑いながら、まるで他人事のような調子で言い放つ。


「前にも言ったけど、孫たちは帰ってこんくなったけん、あげる相手のおらんとよ。溜めこんでもどこかに旅行に行くわけでもなし。なら、使ってくれんね」


「……かたじけない」


 ディシディアは一瞬だけ深く息を吸って、キリリと表情を強張らせて頭を下げた。

 かつての大賢者時代を思わせる厳かな所作に良二のみならずその場にいた全員が息を飲むも、顔を上げた彼女がまた元の人懐っこい笑みを浮かべることで固く張りつめた場の空気が霧散した。


「本当にありがとうございます。大事に使いますから」


 良二も彼女に倣い、頭を下げる。と、二人の後方からわざとらしい咳払いが聞こえてきた。見るまでもなく、声の主は華だ。彼女は二人の前に来たかと思うとニヤリと口角を吊り上げながら台所を親指で示す。


「そういえば二人とも。お腹空いとらん? お雑煮ができとるけん、食べん?」


 待っていた、と言わんばかりにディシディアの腹の虫が喚きたてる。が、彼女はすぐに難しい顔になって首を捻った。


「おぞう……に? とは、なんだろう?」


「あ、そっか。ディシディアちゃんは初めてか。そやね。食べてからのお楽しみってことで。おもちは何個食べる?」


「むぅ……すまない。モチ、とやらも食べたことがないんだ」


「マジか……よし! じゃあ、適当に見繕うね。リョージ君は?」


「俺は三個入れてください。あ、ディシディアさんは結構食べる方なので多めに作ってあげてください」


「了解。んじゃ、ちょいと待っとってね!」


 華がすさまじい勢いで今を後にした後でディシディアはポツリと「ありがとう」と呟く。良二もそれに対し「どういたしまして」と言葉少なに返した。

 そうして、二人はこたつに潜り込み、美紀ばあが見ていたと思わしきテレビを見る。

 新春スペシャル、と題したテレビでは去年活躍した芸能人たちが多数並んでいた。やはり新年は心が躍るものなのだろう。どの出演者たちも非常に活き活きしていて、見てるこちらにまで興奮が伝わってくるほどだ。


「ところで、二人はどこに行っとったん?」


 美紀ばあの問い。ディシディアは耳をピクリと動かすや否や、彼女の方に体を向ける。


「飛行場だ。いい眺めが見える、と聞いたものでね」


「そうね。でも、今日は曇りやけんよう見れんやったやろ?」


「あぁ……でも、いいんだ。新年早々、リョージと一緒にドライブができたからね」


 堂々とした惚気に良二は飲みかけの緑茶を噴き出し、美紀ばあは頬に手を当ててカラカラと笑う。ディシディアは二人を交互に見て、やんわりと微笑んだ。


「そうね。ディシディアちゃんはお兄ちゃんが大好きやね」


「あぁ、大好きだ」


 即答だった。良二はどう反応したらいいのかわからず、とりあえず話を振られまいとみかんを口いっぱいに頬張っている。その姿がまたどことなくユーモラスで、美紀ばあはクスッと笑いをこぼした。


「ふふ、仲のよか二人やね。あぁ、そうそう。ばあちゃんたちは親戚まわりに行くけん、車が使えんごうなるけど、よかかな?」


「もちろんだとも。私たちは家でゴロゴロしているさ」


 ――と、二人が談笑していると、不意に扉が開いた。その先にいるのは当然ながら華だ。彼女はそれなりに大きな茶碗を持ってくる。そこから漂う芳しい匂いにディシディアの頬が緩んだ。


「はい、お雑煮ね。お待ちどうさま」


「おぉ! これがお雑煮か!」


 出された品を見て、ディシディアはピョンッと飛び上がりそうになる。

 醤油仕立てのすまし汁の中にはゴロッとした鶏肉やらスライスされた紅白かまぼこやらが沈んでいる。もちろん、メインであるおもちだってある。大きく丸いモチだ。

 ご馳走を前にすると誰しも自制が効かなくなるものである。ディシディアはすぐさま箸を取り、


「いただきます」


 手を合わせるとすぐさま茶碗を持ってまずは鶏肉を口に入れた。

 ゴロッとした鶏肉はパサついておらずジューシーで、噛むと肉汁が溢れてくる。決して脂っこいわけではなく、あっさり風味のすまし汁ともよく合う。いや、すまし汁の出汁として使われていたのだろう。相性的に悪いはずがないのだ。

 次に彼女が口に入れたのはほうれんそうだ。こちらもよく味が染みていて、歯を入れるとじゅわっと旨みが弾ける。微かに感じる苦味と甘味が混じり合い、いいアクセントを効かせてくれた。

 葉の部分はしんなりとしていて柔らかく、茎の部分はシャッキリとしている食感の対比も素晴らしい。箸休めとして断じるにはあまりに惜しい品だ。


「ディシディアちゃん。その白くて丸い奴がおもちよ。食べてみ?」


 華に言われ、ディシディアはモチを箸で持ち上げようとする――が、見た目よりもずっしりとしており、箸が持っていかれそうになってしまった。

 けれどしっかりとキープしたまま口に運んで食んだところで、おそらくはその場にいた全員の予想通り、彼女の目が見開かれる。


「ッ!?」


 驚くほどの弾力と香ばしさ。おそらく、すまし汁に入れる前に焼いているからこそだろう。焦げの部分が醸す苦味と香ばしさの競演がキラリと光る。

 しかし、驚くべきはその伸縮性だ。おそらくは数十センチ以上伸びるモチを見て、彼女は耳をバタつかせた。その姿を横で見ていた良二はくくく、ともはや隠すこともなく含み笑う。

 どこまで伸びるかも気になるところだろう。彼女はぐにょ~んっとモチを伸ばしていき、その度に興奮気味に一同を見渡す。

 やがてプチンッと切れた辺りでモチを口の中に仕舞いこみ、咀嚼する。モチモチとした弾力と表面のカリッと焦げた部分が癖になる。

 すまし汁との相性はこれ以上ないほどだ。メインとして恥じぬ味に彼女の口角も自然と下がる。まさしく至福、と言わんばかりに彼女は体を弛緩させ、今度は丸々と太ったシイタケを口に入れた。

 こちらは繊維質なためか、これまで食べた食材のどれよりも汁の恩恵を授かっている。さらにこのシイタケは干しシイタケを戻したものだろう。

 乾物は旨み成分の宝庫だ。そこに出汁の芳醇さが加われば、まさしく意識を刈り取るがごときインパクトが生まれる。

 さらにここでモチを加えれば、また違った味わいが楽しめた。シイタケ特有の香りは思ったよりも気にならない。むしろ、癖になる類のものだ。

 すっかり上機嫌のディシディアだが――その隣にいる良二はイマイチ食指が伸びていない。その様子を目ざとく見ていた華は申し訳なさ気に首を傾げた。


「リョージ君、もしかしてお雑煮嫌いやった?」


「!? い、いえ! そうじゃないんですけど、その……俺が食べているものと違ったから驚いたんです。おもちの形とか、入っている具材の形とか……だから、ちょっと驚いちゃって。別に嫌いなわけじゃないんですよ?」


 その言葉に美紀ばあが同意を示すように深く頷き、補足を入れる。


「お雑煮は地域によって差があるけんね。無理はなかよ」


「そうなのかい? 色々と種類があるとは驚きだね」


 モチで口の中をいっぱいにしているディシディア。そんな彼女に良二は大きく頷く。


「俺のところでは焼いた角モチを入れてたんです。それにニンジンとか……あぁ、そうそう。中にはすまし汁じゃなくて小豆汁の文化もあるらしいですよ」


「小豆汁! いいね……いつか食べてみたいものだ」


「お汁粉やったら作れるけどね~」


 華がひらひらと手を振りながら言ってくれる。彼女もディシディアの食べっぷりが気に入ったようだ。ここまで美味しそうに食べてもらえたなら、作り手冥利に尽きるというもの。その気持ちは彼女と長くいた良二にはよくわかる。

 そんな折、ふと美紀ばあが部屋の時計を見て名残惜しげに立ち上がった。


「それじゃ、車も戻ってきたことやし、そろそろ行こうかね?」


「あ、そうやね。じゃあ、ウチらはちょいと親戚まわりしてくるけん。結構遅くなると思うけん、ゆっくりしとってよかよ」


「あぁ、気をつけていっておいで。私たちはのんびりお昼寝でもしているさ」


「行ってらっしゃい。留守番はちゃんとやっておきますから」


 美紀ばあと華は「ありがとう」とだけ言って家を後にする。それから数分もしない内に車のエンジン音が聞こえてきた。そうしてそのまま、どこかへと走り去ってしまう。


「……さて、残るは私たち二人だけだね。リョージお兄ちゃん?」


「ッ!?」


 目玉が飛び出んばかりにギョッとする。隣に座るディシディアは悪戯っぽい笑みをこちらへと向けながら、


「ふふふ、本当は君の方が年下なのにね。まぁ、君のことを『兄』と呼ぶのも中々悪くはないが……な、リョージお兄ちゃん?」


「や、やめてくださいよ……」


「照れるな照れるな。それとも、呼び方が気に入らなかったのかい? どう呼べばいい? 兄様? にーにー? それとも……」


「いや、そうじゃなくて」


 良二はぴしゃりと言い放ち、しばし口ごもった後でふいっと視線を逸らした。


「その……いつもの呼び方がいいです。その方が好きですから」


 しばしの静寂が二人の間を流れる。聞こえてくるのはテレビの喧騒だけだ。

 ――が、数秒ほどしてディシディアはにま~っと幸せそうに笑い、良二の背中を優しく叩く。


「ふふふ、そうかそうか。なるほどね……ふふっ」


「笑わないでくださいよ……ディシディアお姉ちゃん」


「ッ!?」


 今度はディシディアがビックリして飛び上がる番だ。意趣返しができたのが嬉しかったのだろう。良二は不敵な笑みを浮かべ、対するディシディアは真っ赤になりつつある顔を両手で押さえる。


「む、むぅ……た、確かにあれだな。妙なこそばゆさがあるな、これは……」


「でしょう? だから、いつも通りが一番ですよ。ね? ディシディアさん」


「……そうだね、リョージ。うんうん。私としてもこちらの方が言いやすい」


 その後、彼女は謳うように「リョージ」という言葉を連呼する。それでまた彼が気恥しさとこそばゆさを覚えたのは言うまでもないだろう。


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