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第百七十三話目~大晦日とガーリックチャーハン~

 島めぐりの翌日は大みそか――いよいよ年の瀬だ。やることはもちろん山積み。客人である良二たちも当然ながら手伝いに駆り出されることになる。

 良二は主に力仕事担当。流石に若いとはいえ華だけでは重い荷物などは動かすことができない。二人はひぃひぃ言いながらも家からいらない物を外に出していき、備え付けの物置へと運んでいく。

 美紀ばあはというと、仏壇まわりの清掃だ。そこには彼女の夫も眠っている。彼女は今年一年無事に過ごせたことを感謝しながら先祖たちの眠る仏壇を綺麗にしていく。

 そしてディシディアはというと……。


「こら、お前たち。少しは大人しくしないか、全く……」


 表で金魚の水槽を洗っていた。彼女の脇にはかなり大きめの水槽があり、四匹もの金魚たちが泳いでいる。彼らはこんな真冬だというのに、ばちゃばちゃと元気よく水しぶきを上げながら泳いでいた。

 そのせいで、ディシディアが着ているイモ臭いジャージの裾は濡れてしまっている。念のために言っておくが、これは彼女の私物だ。ネット通販という便利なものにハマったことと、ほぼ再現なくものを収納できる固有空間を持っているから性質が悪い。

 彼女は気になったものがあればすぐ大枚をはたいて購入する悪癖があるのだ。ただ、最近は良二に怒られるため多少控えている。それでもネットサーフィンをしている時に気に入ったものがあればついつい買い物かごに入れてしまうのだが。

 彼女はつい先ほどまで金魚たちが入っていたこれまた大きい水槽を井戸水で洗いながらふぅっと息を吐く。汚れ自体は簡単に落ちるのだが、水槽の淵などはぬめりがあるため念入りに擦らねばならない。


「やれやれ、結構な重労働だな、これも」


 仮にも生物の命を預かっているのだ。適当にやることは許されない。

 ――が、彼女は満足げな笑みを浮かべながら綺麗になりつつある水槽を眺める。

 元々彼女は生き物が大好きだ。たびたび暴れる金魚たちを注意しながらも、たまにニッコリと笑いかけてやる。その度に嬉しげに飛び跳ねる金魚たちは華に『龍兄ちゃんに似とる』と評されていた。

 聞くところによるとこの金魚たちとは縁日の日に出会ったらしい。もう五年ほど生きているというが、この元気さだ。流石に数匹は死んでしまったらしいが、その生命力を吸い取ったのではないかと思うほど活き活きとする金魚にディシディアは苦笑する。


「しかし、縁日か……懐かしいな」


 脳裏に浮かぶのはかつていった縁日の模様だ。色々な屋台が並んでいてとても煌びやかだったのを覚えている。そこで多くの出し物を見たし、良二と一緒に射的などのゲームを楽しんだ。もちろん、美味しいものだっていっぱい食べた。

 その光景はつい昨日のように思い出すことができる。こちらに来てからの日々はとても濃密であっという間に過ぎてしまった。


(やはり、感慨深いものだね……)


 もうすぐ一年が終わり、新しい年が始まる。そう考えるとどうしてもこれまでの日々を想起せざるを得なかった。

 あの退屈な生活を抜け出してこの世界にやってきた日。

 夜の神社で彼と語り合った日。

 アメリカに行って、大事な『家族』たちと出会った日。

 良二にプレゼントを贈って、想いを伝えあった日。

 ――どれもこれも貴重な思い出だ。考えるだけで胸がポカポカと温かくなってくる。

 今の自分があるのは良二と、周りの人々のおかげだ。

 今やすっかり顔なじみとなったマスターや珠江、そして大将。

 年の離れた友人と思えるようになった玲子や、自分を家族として迎え入れてくれたカーラたち。

 数え上げればキリがない。特に旅をしている時などは人との繋がりを特に感じたものだ。

 ふっと口元を歪め、なみなみと注がれた水槽の水を近くの排水溝に捨てる。そうしてそれを天に掲げ、ピカピカになったのを確認してから大きく頷いた。


「よし。これでいいかな。では、君たち。そろそろお家に帰る時間だよ」


 洗ったばかりの水槽にある程度まで水を入れてやり、金魚たちが入れる段階になったところで移しにかかる。この際用いるのは小型の魚網だ。昔は金魚用のものを使っていたらしいが、今は大きくなりすぎてそれでは入らなくなったらしい。

 小型のコイ程度なら余裕で入りそうな大きさの魚網で金魚たちを一匹ずつ移していく……が、


「わぷっ!? こ、こら! 跳ねるんじゃない!」


 網でとらえられた金魚たちは必死で跳ねる。ひたすら跳ねる。意味を問いたくなるくらい跳ねる。当然彼らの体は濡れているわけで、水飛沫の直撃を喰らったディシディアはすっかり身体の全面を濡らしてしまっていた。


「うぅ……やはりジャージを着ていてよかったな」


 顔をしかめながら顔に貼りつく指で取り除く。一方の金魚たちは懐かしの水槽に帰れたことが嬉しいのか、優雅とはほど遠い動きで泳いでいた。


「まぁ、元気が一番、ともいうしね。ほら、動くよ」


 ゆっくりゆっくりと水槽を動かす。あまり揺らすと金魚たちにストレスがかかるため、必要最低限の動きで。それこそカタツムリの如くスローで運んでいく彼女を見て、物置付近で腰を下ろしていた良二がククッとくぐもった笑いを漏らした。

 ディシディアは彼をジト目で睨みつけ、それから中に入っていく。後は所定の位置に戻すだけだ。


「さて、と」


 専用の台車の上に乗せ、所定の位置に納める。金魚たちは温かい室内に入って少しだけ落ち着いたらしい。先ほどまでのハッスルぶりはどこへやら、ゆらゆらと力なく泳いでいた。


「むぅ……それはそれで不安になるな」


 ツンツン、と水槽をノックすれば確かに反応が返ってくる。だから、死んでいるわけではないらしい。何とも自由気ままな金魚たちだ。


「ディシディアさん。俺たちも終わりましたよ」


 ガラッという扉が開く音と共に良二と華が返ってくる。二人とも全身ほこりまみれだ。特に良二などは髪にクモの巣がかかっている。


「おぉ、お疲れ様。ほら、リョージ。ちょっとしゃがみなさい。クモの巣がついてるよ」


「ヒ……ッ!」


 身を屈めていた良二は掠れた声を漏らす。クモの巣を取り払おうとしていたディシディアが首を傾げると、横にいた華が困り顔で頭を掻きながら答えた。


「いやぁ、実はね。さっき物置にこげん大きかクモがおったとよ。こがんばい!?」


 華は自分の手をこれでもか、と開いて強調してみせる。良二は小刻みに頷き、


「想像できますか? それが頭の上に落ちてきたんですよ……」


「それは……災難だったね。可哀想に」


 クモの巣を取り払ってやりつつ、優しく頭を撫でる。どうやら砂埃も被ってしまったらしく、ジャリジャリとした手応えも返ってきた。


「華。お風呂を借りてもいいかな? 一旦体を洗った方がよさそうだ」


「そやね。もうやることもなかし」


 と、華はしばらく頷いた後で、ポンッと手を打ち合わせた。


「そうだ。二人とも汚れとるけん、一緒に入ってき。濡れたり汚れたりで気持ち悪かろ?」


「え!?」


 ギョッと目を見開くのは良二だ。が、華はけらけらと笑いながら答える。


「確かにウチのお風呂は狭かけど、ディシディアちゃんは小さかけんイケるやろ。行っといでね。ウチはお昼の準備しとくけんさ」


「あ、ちょ……」


 制止するまもなく、華は厨房の方へと消えていく。

 後に残されたのは唖然としている良二と、そんな彼の方を腕組みしながらニヤニヤと眺めているディシディアだった。


 昼間から風呂に入るというのは中々心地よいものだ。温かな日の光が差し込んでくる浴場は風情がある。

 が、良二はそんなものには目もくれず、浴槽の中で体育座りをしていた。彼は壁の方を向き、顔を真っ赤にしながらうろ覚えの般若心経を唱えている。


「こら、リョージ。こっちを見なさい。色々お話しようじゃないか」


「いや、でも、その……ディシディアさん、裸ですし、あまりじろじろ見ていいものじゃないかな、と……」


「何を言う、水臭い。それに、タオルを巻いているから裸ではないよ」


「それはそうですけど……」


 良二は顔を半分近く水に浸け、ぶくぶくと泡を立ててみせる。しかしこうして意地を張っていても仕方ないので、彼女の方に視線を動かした。

 すると、ちょうどこちらを向いていた彼女と視線が絡む。裸身にタオル一枚という扇情的な姿の彼女がはにかんでくる様はどことなく妖艶で、妖しい魅力に満ちている。

 うっすらとした胸は完全な平面ではなく微かに膨らんでいるのがタオルの下からでも感じられた。腰は寸胴ではなくくびれているのが否応なく彼女が『大人の女性』であることを認識させる。

 ゴクリ、と喉が鳴った。しかし、それはシャワーの音にかき消されてディシディアまで届かない。彼女は髪をゴシゴシと洗ったところで、ちょいちょいと人差し指で招く仕草をしてみせた。


「リョージ。すまないが、背中を洗ってもらっていいかい?」


「え!?」


「いいじゃないか。頼むよ。ほら、早く。体が冷えてしまう」


 良二は何かを口にしようとしたものの、すぐにそれを飲みこんで立ち上がる。腰にはちゃんとタオルを巻いているので見られる心配はない。彼はゆっくりとディシディアの背後に回り、ボディタオルにボディーソープをつけた。


「じゃ、じゃあ、行きますよ」


「うむ、苦しゅうない。頼むよ」


 なぜだか王様気分の彼女。そういえば自分も以前彼女に背中を洗ってもらったことを思い出しながら、良二は彼女の白い背中を見つめた。

 そうしてゆっくりとボディタオルを背中に当てると、彼女の体がビクンっと跳ねた。


「す、すいません! 何かダメでしたか……?」


「い、いや。気にしないでくれ。ちょっとビックリしただけだよ」


 良二はコクリと頷き、今一度彼女の背中にタオルを這わせる。弱すぎず、強すぎず、絶妙な力加減で背中を洗う。


「はぁ……気持ちいいよ、ありがとう」


「ど、どういたしまして」


 ドギマギとしながらも返事を返す。心臓が跳ねまくって自分のものではないみたいだ。


(それにしても、綺麗だ……)


 実年齢で言えばゆうに百歳を超えているのに、肌にはシミやしわ一つない。素で湯上りたまご肌だ。白く綺麗な肌は瑞々しくて張りがある。その背にピットリと白い絹糸のような髪が貼りつく様はやはり蠱惑的だ。

 ――が、良二はしばらくしてわずかに目を伏せる。


(……ディシディアさんの身体ってやっぱり小さいなぁ)


 こうしていると本当に子どもみたいに思える。全体的にほっそりとしているし、後ろから思い切り抱きついただけで簡単に骨が折れてしまいそうだ。

 そして、その小さな体に似合わないほど、彼女は大きなものを背負っている。

 それはおそらく『業』とでも言うべきものだ。

 彼女は長い時間を生きている。その時間の中で見てきたものは何も美しいものばかりではない。中には目を覆いたくなるような悲惨なものだってあった。死別の別れに苛まれることだって一度や二度じゃなかった。

 そしてきっと彼女はこれからも生きて、たくさんの喜びと悲しみを味わうことになるだろう。考えてみれば、とても残酷な話だ。

 彼女の体が老いることはない。異常なまでの魔力が疑似的な不老を与えているからだ。だから、彼女はこの姿のまま一生を終えることになる。

 周りが成長していく中で、老いていく中で、死んでいく中で、彼女はずっと生きなければならない。置き去りにされているような孤独感に苛まれねばならない。


(……できれば、長生きしたいな)


 彼女とどれだけいれるかわからない。だが、一分でもいい。一秒だっていい。その横にいたい、と良二は思う。そして同時に、彼女がその小さな肩に背負っている重い業を分かち合いたい、とも。

 分不相応なのはわかっている。自分は所詮ただの人間だ。せいぜい百年程度の寿命しかない。もしかしたら、こう思うことすら彼女の重荷になるかもしれない。

 だが、この気持ちだけは本物だ。紛い物などでは断じてない。良二は覚悟と決意に満ちた瞳で彼女の小さな肩を見据える――と、おずおずとした調子でディシディアがこちらを見てきた。


「りょ、リョージ。確かに見てもいいと言ったが、そうまじまじと見られるのは……」


「ち、違いますよ!? これはその……」


 言いかけたところで、ディシディアの白い指が唇に触れた。彼女は自分の方にすぃっと身を寄せて、ふっと淡い笑みを浮かべる。


「言わなくていい。君の気持ちはちゃんと伝わっているよ。ありがとう」


 そうして彼女はゆっくりと立ち上がり、今度は良二の背中を洗い始める。そのさなか、彼女はポツリと口を開いた。


「本当に、ありがとうね、リョージ。君のおかげでこの半年はとても充実していた」


「それを言うなら俺の方ですよ。で、その……よければですけど、これからも一緒にいてくれませんか?」


「当然だよ。君といるととても楽しいからね。こちらこそ、よろしく頼む」


 背中にあたる手の小ささと温度を感じながら、良二は静かに目を閉じた。


(もっと頑張ろう……この人にはやっぱり笑っていてほしい)


 かつて自分は願った。彼女には笑っていてほしい、と。

 決意を新たにしながら良二は息を吐いた――ところで、耳朶をくすぐる甘い吐息に気がつく。

 ディシディアは一所懸命体を洗ってくれているのだが、その度に「んっ」やら「ふぅ」などの声を漏らすので非常にマズイ。何がとは言わないがマズイ。

 結局良二は疲れなど少しも癒すことができずに、風呂場を後にするのだった。


 ――そうしてしばらくした後、ディシディアたちは昼食を取っていた。

 今日の昼飯はガーリックチャーハンだ。精がつくようにたっぷりとニンニクが入っている。香ばしく、この香りだけでもご飯が数杯はいけそうだ。


「華は料理が美味いね。今日もとっても美味しいよ」


「ディシディアちゃん、お世辞言っても何も出らんよ! あ、おかわりいる?」


 さりげなく皿を受け取った華は一旦厨房に戻り、チャーハンを大盛りにして持ってくる。ディシディアは目を輝かせてまたがっつきはじめた。

 中に入っているのはゴロゴロとしたチャーシューだ。どうやらこれももらいものらしい。実にジューシーで、噛み締める度に肉汁が溢れてきた。甘じょっぱい味付けにしてあるのも中々に憎い。メインでありながら、アクセントとしての側面も有していた。

 これがチャーハンの中でキラリと光る。中華風とはまた違うものの、インパクトなら負けてはいない。手作りとは思えないほど米もパラパラしているし、店で出しているものと遜色がない味だ。


「ッ!」


 ピリッとしたブラックペッパーの辛味を感じ、ディシディアは顔をしかめる。が、麦茶で喉を潤すとまたチャーハンを貪りだした。

 ワサビなどのような強烈な辛味は苦手だが、七味やブラックペッパーなどは食べられる。むしろ、このようなアクセントは大歓迎だ。

 適度な刺激は味に変化と楽しみをもたらしてくれる。ディシディアは終始口角を歪めながら幸せそうに耳を上下させる。

 対する良二は麦茶で口の中のものを嚥下した後で、ポツンと空いている席を見つめてため息をついた。


「それにしても、残念ですね。美紀ばあさん。今日も一緒に食べられると思ったのに」


「仕方なかよ。やっぱり島やと近所づきあいが大変やけんね。ばあちゃんは顔が広かけん、色々なところからお声がかかるんよ」


 それを聞いて、ディシディアと良二は同時に納得する。

 華を見ていればわかるが、彼女は誰にでも好かれるタイプの人間だ。まさしく竹を割ったような性格をしている。その祖母である美紀ばあも同様だ。裏表がなく、誰にでも平等に接する。だから人望を集めるのだろう。


「しかし、夕方には帰ってくるのだろう?」


「そそ。あ、そうだ、ディシディアちゃん。ばあちゃんと話したんやけど、いいものばあげるよ」


「いいもの? 何だい? 食べ物かな?」


 やはりそこに着地するのか、と良二は隣でずっこけてみせる。まぁ、数秒後にはディシディアから脇腹をつねられて悶絶するのだが。


「違う違う。けど、たぶん喜んでくれると思うよ」


 と、華は含みのある言い方をしてみせる。ディシディアたちは顔を見合わせて首を傾げるが、それを見た彼女はどこぞの悪役のようにニヤニヤとあくどい笑みを浮かべてみせるのだった。


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