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第百七十二話目~島めぐりと特製イサキ丼~

 朝、食卓に着いた良二たちの眼前に出されたのは大盛りの海鮮丼だった。

 イサキ、水菜、そしてうにが入っているのが特徴だ。見た感じは実に美味そうではある。

 ――が。


「あの、朝からこれ食べるんですか?」


 良二の問いかけに、その場に座っていた三人が頷く。ディシディアはまだわかるとしても、お年を召している美紀ばあまでとはこれいかに。

 良二は眼前の海鮮丼を見てごくりと喉を鳴らす。空腹によるものではなく、緊張によるものだ。朝からこのようなものが食べられるとは到底思えない。

 けれど、他の三人は食べる準備を整えている。どうやらこれで確定らしい。良二も覚悟を決め、隣に座るディシディアから醤油を受け取って海鮮丼にかける。


「それじゃあ、いただきます」


『いただきます』


 手を合わせて丼を持ち上げる。朝からヘビーな料理を出されるとは思っていなかった。が、食べねばやはり失礼にあたる。良二は恐る恐る海鮮丼に箸を入れ、そこでようやく刺身の下にあるものに気がついた。


「とろろ……ですか?」


「そそ。食べやすくなるけんね。これならよかろ?」


 確かに、とろろがあるのとないのではだいぶ違う。良二は意を決してイサキの刺身とうに、それからご飯をとろろに絡めて口に運ぶ。


「ッ!? お、美味しい……」


 一見すると重そうな料理だと思ったが、とろろのおかげでするすると食べられる。

 しかし、驚きはそれだけではない。


「りょ、リョージ。醤油が甘いように感じるのだが……」


 疑念を口にしたのはディシディアだ。その言葉に良二もうんうんと頷く。

 長崎を始めとした九州では甘い醤油が用いられる。かつて南蛮貿易によって砂糖が伝来した歴史から、甘い味付けの料理が多くなっているのだが醤油も例外ではない。

 しかもこれが異常なほど刺身と合うのだ。脂ののったイサキの刺身と甘い醤油のコンビネーションはたまらない。濃厚なうにもこの醤油と食べれば驚くほど後味がよくなる。

 瑞々しい水菜のシャキシャキ感も食感にアクセントを加えてくれる。ご飯も炊きたてを使っているからべっちゃりとしておらず、刺身などの旨みに負けていない。


「うんうん。朝からこういう贅沢もいいものだね」


 ディシディアは上機嫌で耳を上下させる。珠江たちの店で食べた海鮮丼とは違うが、これもまたいいものだ。

 うになどは癖があるため食べた時は顔をしかめていたが、食べていくにつれてハマったらしい。うにをたっぷりとイサキの刺身に乗せて口に入れれば磯の香りがふわっと弾ける。

 彼女は口の端からこぼれそうなとろろを指の先で掬い、口に入れる。ちゅぴっと指をしゃぶってから口から出し、またご飯を掻きこんでいく。その姿がなぜか扇情的に見えたことに自己嫌悪を覚えながら良二は目を伏せる。


(い、いかんいかん……何を考えているんだ、俺は!)


 もしここに誰もいなければテーブルに頭をガンガンと叩きつけて自省をしているところだ。こうしている間にも、先ほどの彼女の姿が脳裏をよぎる。

 恍惚とした表情で、口の端からどろりとこぼれるとろろを指で掬って、あまつさえその指を丹念に舐めて……。

 また顔が熱くなってきたところで、華が急に大声を上げた。


「ちょ、リョージ君!? 鼻血鼻血!」


「へ? わっ!?」


 鼻から真っ赤なものが出つつあることに気づき、咄嗟に顔を上に向ける。その間にディシディアがティッシュを数枚ほど取って鼻に当ててくれた。


「大丈夫かい? ほら、ちゃんと押さえて」


「す、すいません……」


「謝るな。困ったときはお互いさま、だろう?」


「いや、そうじゃなくて、その……反省してます」


 キョトン、と首を傾げるディシディア。だが、彼が落ち着きを取り戻すのとほぼ同時、また食事を再開する。

 美紀ばあはハムスターのように頬を膨らませる彼女を見てわずかに目を細める。


「懐かしかね……華にもこんな時があったっちゃけどね」


「ば、ばあちゃん! 掘り返さんでよかけん!」


 思い出を掘り返されるのは誰にとっても気恥しいものだ。まして客人が来ている時ならばなおさらである。華は顔を真っ赤にして手をわたわたさせていた。

 良二たちもそんな微笑ましい様子を見ながらまたしても海鮮丼を頬張る。

 と、そこでディシディアがポンと手を打ち合わせた。


「そうだ。この後またドライブに行こうと思うのだが、車を借りてもいいだろうか?」


「よかよか。ぜひ使ってよ。でも、気をつけてね」


「わかっているとも。なぁ、リョージ?」


「えぇ。安全運転で行きますから、心配いらないですよ」


 ドンッと力強く胸を叩いてみせる良二に対し、ディシディアはジト目を向ける。


「君はそうやって自信ありげな時こそ失敗するからね……本当に大丈夫かい?」


「大丈夫ですよ……たぶん」


 本人的にも心当たりがあるのかもしれない。目を逸らして汗をだらだら流す彼を見て、一同はクスッと笑った。


 その数十分後。外に出たディシディアはふと空を見上げた。今日は雲一つなく、澄み渡った青空。ディシディアと良二はぐ~っと伸びをした後でそれぞれ車に乗り込み、シートベルトを締める。良二は窓を開け、納屋の出口付近で待ってくれていた美紀ばあに笑いかける。


「それじゃあ、行ってきます」


「行っといで。あまり遅うならんようにね」


 良二たちは彼女に笑いかけ、納屋を出る。今日もまたドライブだ。朝食を取ったおかげでお腹はだいぶ膨れている。昼まではあと四時間ほどあることだし、十分ドライブはできるだろう。

 ディシディアはまたも窓の外に視線をやり、鼻歌を歌っていた。それは心地よいBGMとなって良二の耳朶を打つ。無意識のうちに指でリズムを取る良二は非常に安定感のある運転で車を走らせる。


「今日はあの大橋を渡ってみないかい?」


「いいですよ。じゃあ、急ぎますね」


 ほんの少しだけ速度を上げる。法定速度ギリギリをキープしつつ、近道をして大橋を目指す。

 小値賀島には『斑島まだらじま』という分島があるのだが、そことは大橋によって繋がれている。何でも、数十年前に建築されて以来今も健在だそうだ。ディシディアたちはまだ見ぬ大橋を夢見ながらそちらへと急行する。


「それにしても……あの標識はいつ見ても驚かされるな」


 ディシディアの視線の先にあるものを見て、良二は困惑の表情を浮かべる。

 そこにあったのは牛のマークが描かれた黄色い標識。ご丁寧に『牛に注意』とまで書いてあった。まさか道路に牛を放っているわけではないだろう、と良二は視線を逸らしながら思う。

 牛は穏やかな生物と思われているがその認識は間違いでもある。仮に挑発すればこちらに容赦なく襲いかかってくるし、当然ながら牛は人間よりもずっと重く巨大だ。突進を受ければタダでは済まない。

 ただ、かつて旅をしている時に猛獣たちと死闘を繰り広げてきたディシディアは流石に肝が据わっている。むしろ道路に牛が飛び出してきてくれないか、とでも思っているに違いない。耳が激しく上下し、興奮を露わにしていた。

 良二は彼女を一瞥した後でゆるりとハンドルを右に切る。この一本道をまっすぐ行けば大橋にたどり着くはずだ。

 車はそのまま曲がりくねった道を進んでいき、あるところで完全な直線になる。車窓から覗ける青空はいつもと違って見える。ぷかぷかと浮かぶ雲はとても遅く思える。

 小さく欠伸をし、ディシディアは目をゴシゴシと擦る。ポカポカとした気候は意識を容易く奪いかねない。彼女はグッと体を伸ばし、改めて座席に体を預けたところで、前方に見えた生物たちに気づきハッと身を乗り出す。


「りょ、リョージ! あれは牛じゃないかい!」


「うわ……めちゃくちゃ多いですね」


 ちょうど大橋が見えた時だった。左右に広がる放牧場に無数の牛たちがいたのだ。彼らは牧草を食んでいたが、車に気づいたのだろう。一斉にこちらを覗き込んでくる。

 すれ違う時彼らの黒々とした目を見て、良二はゴクリと喉を鳴らした。一応柵は作られているが、彼らの膂力なら容易くここを破ってくるだろう。ほんのわずかに汗ばんだ手でハンドルを握りしめ、慎重に道を駆け抜け大橋を渡っていく。


「ふぅ……緊張しましたよ」


「どうしてだい? あんなに可愛らしいじゃないか……って、あぁ。そうか。君は自分より大きい生物が苦手なんだったね」


 一応否定はしたいのだろう。良二はぷいっと顔を背けるが、ディシディアは薄い笑みを浮かべた。

 かつてアメリカに行った時もエイやチョウザメを触れる機会があったが彼はそこでも相当怯えている様だった。犬や猫なら平気なようだし、おそらくは自分よりも大きく危険性が高いと思われる生物全般が苦手なのだろう、とディシディアは思う。


(彼が私の故郷に行ったら、卒倒するだろうね)


 ほんの少しだけ、彼がアルテラに来たらという妄想をする。人のいい彼は向こうの者たちともうまくやっていけるだろう。友達だってたくさんできるに違いない。

 だが、場所によりけりとはいえアルテラには巨大な魔法生物たちがうじゃうじゃいる。旅行する時に遭遇することだってそう稀じゃないのだ。

 きっと遭遇したら腰を抜かすか泣いてしまうだろう。バックミラー越しに牛たちを見て、ディシディアは深く嘆息する。

 ――ただ、彼は意外なところで男らしさを発揮することがある。以前ディシディアがエイの棘に触りそうになった時は自らの危険も顧みずに手を差し伸べて助けてくれた。それは彼女もよく覚えている。

 だから、なんだかんだ言って上手くやれるのかもしれない。まぁ、言ってみないことには推測の域を出ないが。


「ディシディアさん? どうかしたんですか?」


 話しかけられて、自分がずいぶん考えていたことを自覚する。すでに大橋は渡りきっており、曲がりくねった道を通って今度は海岸線を走っているところだった。右の方にはどこまでも続く水平線と、先ほどまで自分たちがいた小値賀島が見える。

 牧草地にぽつぽつと残っている黒い点は間違いなく牛たちだ。この距離からあの大きさなのだから、恐れ入る。


「いや、何でもないよ。それにしても、ここはずいぶんと見晴らしがいいね」


「えぇ。ちょっと窓を開けますね」


 彼女の頷きを得て窓を開ければ、ぴゅうっと海風が吹き込んできた。今日は少しだけ肌寒いものの、磯の香りが心地よい。自然と頬が綻ぶのを感じながら、ディシディアは島の見取り図に書いてある一点を指さす。


「もうすぐ到着かな?」


「見たいですね。ほら、見えてきましたよ」


 良二が指差す先には広い草原と、その先にある岩場。その中間地点にはなぜか鳥居が建てられている。その異様とも思える場所が今回の目的地だ。

 島では『ポットホール』と呼ばれているもので、国の天然記念物にも指定されているらしい。

 見知らぬ土地の食べ物を堪能するのもいいが、こういう名物もまた味があるものだ。ディシディアは待ちきれないのか、うずうずと体を捩っている。

 車はそのままゆっくりと進み、指定の駐車場の一部に停車。キチンとエンジンを切ってから、良二たちは外に歩み出た。


「む、今日はちょいと風が強いね」


 なびく髪を押さえながらディシディアが呟く。確かに今日は昨日より風が強い。ただ、突風というほどではないので危険性は少ないだろう。二人は段差を降り、草原を歩きながら周囲に視線をやった。

 近くに高層ビルが何もないからだろう。見晴らしがよく、周囲を一望できた。決して殺風景、というわけではない。青く光る海はもはや芸術的な域にまで達しており、見ているだけで心が満たされるようだ。

 やがて二人は鳥居をくぐり、岩場を歩いてポットホールへと向かっていく。


「大丈夫ですか? しっかり掴まってくださいね」


 観光名所として売り出しているからだろう。ある程度の整備はなされているが、それでも岩場だ。足場が悪いことには変わりがない。良二はディシディアの方に手を伸ばし、彼女の柔らかい手をがっしりと掴んだ。


「おや、ありがとう。ふふふ、君は相変わらず紳士だね。離さないよう、しっかり握っていてくれよ」


「わかってますよ。ほら」


 彼女の体をグイッと引き寄せ、その細い腰に手を回す。ディシディアは一瞬驚いたようだが、すぐに微笑んで彼にされるがまま先へと進んでいく。

 そうしてしばらく歩いたところで――ようやく目的地にたどり着いた。そこにあるのは深い深い穴。その先にあるのは日の光を浴びて煌く巨大な丸い球だ。

 元からそのような形をした石ではないことは明白だ。この穴に落ちた石が岩の隙間から流れ込んでくる海水によって揉まれ、周囲の岩とぶつかって研磨されてできたのがこの玉石。まさしく自然の神秘とも言うべきものに、ディシディアたちも目を奪われた。


「おぉ、これは綺麗だね。普通の水晶よりも趣がある」


 最初はただの石だったはずだ。だが、それが長い年月を得てここまで綺麗な玉石になった。そこにこそディシディアは風流を覚える。

 彼女はスゥッと上に手を伸ばして良二の首に手を回し、自分の耳元まで彼の頭を下げさせた。そうして、驚く彼の頬に手をやり、


「君もあの石のようになりなさい。君にはその素質があるからね」


 と、優しく語りかける。すると彼も穏やかな笑みをもって返した。


「本当ですか?」


「もちろん。嘘はつかないよ。君はいつかきっと大物になるに違いない」


「じゃあ……その時まで待っていてくださいね?」


「当然だとも。楽しみにしているよ」


 邪気のないクスクス、という笑いが耳朶を打つ。その時胸の奥からこみあげてきた慈しみに任せ、良二は一度だけ彼女を後ろからギュッと抱きしめた。

 温かい、と感じるのは単純に彼女の体温が高いからではないだろう。彼は瞑目し、彼女の温もりを享受するようにますます力を込める。

 ディシディアも彼の真意を読み取ったのだろう。ふっと目を伏せ、自分の胸の前で交差している彼の手に両手を重ねた。

 ――わかっている。自分と彼では寿命が違う。きっと、彼の方が先に死んでしまうだろう。長く生きても百歳まで。もしかしたら、事故や病気などでもっと早くに死んでしまうかもしれない。そう考えると、胸をやすりで削られているような痛みを覚えた。

 ディシディアは彼が成長していく様を見ていくことができる。だが、良二は違う。どれだけ長く生きても彼女に追いつくことはできないのだ。

 ズキリ、とディシディアの胸が痛む。かつて感じた死別の痛みだ。

 いや、これはもはや呪いと言ってもいいかもしれない。実際、友人や師を亡くした悲しみは不意にやってきて彼女の心を苛むのだから。

 すでに良二は彼女にとってなくてはならない存在となっている。彼女というパズルの中で大きなピースとなっている。

 なら、それが欠けてしまったら?

 当然、彼女の心には大きな穴が開くことになる。その穴を塞ぐのは容易ではない。きっと数十年、あるいは数百年、別離の悲しみに苦しむことになるだろう。

 ディシディアはグッと唇を噛み締める――が、すぐにその形のよい唇を半月型に歪めた。

 彼と過ごせる時間がそう長くないことは最初からわかっていた。親しくなるごとに実感するようになっていた。

 だからこそ、今を生きるのだ。

 こうやって同じ景色を見て、色んなことをして、笑って、泣いて、時には喧嘩して……そんな些細なことでいい。彼との思い出が数百年経っても色褪せないものであるようにするべきなのだ。

 ふぅっと息を吐き、ディシディアはトントンと彼の手を叩く。良二は小さく頷き、ゆっくりと身を離してクルリと踵を返した。


「じゃあ、行きましょうか」


「あぁ。そうだね。またエスコートを頼むよ」


「はい、喜んで」


 良二はまたしてもディシディアの手を握った。しかし、今度は先ほどよりも握り方がやや強い。だから、彼女も同様に強く握り返す。

 もう心の中にもやもやした気持ちは残っていない。つい感傷に浸ってしまったが、それよりも楽しみを見つけることの方が先だ。

 ディシディアはすっかり遠くなってしまった後方の鳥居を見て、満足げに微笑む。

 彼と一生を共にすることはできない。必ず、自分は死別を経験することになる。そうなればきっと自分は悲しみの淵に落とされることだろう。

 けれど、彼との思い出はどす黒い絶望の中で一条の光となってくれる。かつて大賢者となり祠に軟禁され、友人たちの訃報を次々と聞いている時でも彼らとの思い出は彼女の心を照らしてくれた。

 長い時を生きてきた彼女が自ら命を断たなかったのは、その行為自体が彼らとの思い出すらも断ち切ってしまうものだとわかっていたからだ。

 絶望の底でも彼らとの思い出があれば生きていけた。そして、それに負けないくらい素晴らしい思い出を誰かと作ろうと思えた。だから、命を断たなかったのだ。


「ディシディアさん。段差、気をつけてくださいね」


 言われて自分が考え込んでいたことにまた気づく。彼女は不安げな良二に対して満面の笑みを向け、


「あぁ、ありがとう。大丈夫だよ」


「……」


 彼は無言だった。自分の異変に気づいているのかもしれない。それをあえて口にしないのは彼も自分と同じ思いを抱いているからだ。口にしてしまえば、いやがおうにも自覚してしまう。

 二人はそのまま無言で車に乗り込み、また道を走っていく。この島はそれなりに小さいため、一周するだけならそこまで時間はかからない。あっという間に一周した二人はまた大橋を渡って本島へと向かっていく。

 来た道を戻り、後は適当にプラプラしよう。そう思ってアクセルを踏み込んだ時だった。

 ふと、前方に黒い何かが連なっているのが見えたのは。良二は一旦速度を緩め、よく目を凝らして前方を注視する。


「あ」


 そう呟いたのはディシディアだ。数秒遅れて良二もポカンと口を開け、しかし頬をひくつかせる。

 だが、それも当然の反応だろう。前方にいたのは数匹の牛たちと牛飼いと思わしき男性だ。公道を牛が歩いているなど、普通は考えられないものだ。


(あ、あの標識はそういう意味だったのか……ッ!)


 今さらながら良二は戦慄する。この島を巡っている時に見つけた牛マークの標識はてっきりジョークだと思っていたが、こういう場合があるということを暗に指摘していたに違いない。

 彼の動揺を感じ取ったのか、その内の一匹が足を止めてこちらをじろりと睨みつける。それを見て、ディシディアは目を瞬かせながら彼らを指さした。


「りょ、リョージ! ど、どうして牛が道路を歩いてるんだ!?」


「わ、わかってます! てか、こっちに突進してきたりしませんよね!?」


「わ、私に聞くな!」


 ディシディアはいい意味で興奮しているようだが、良二は完全にパニックに陥っている。ハンドルを操る手はおぼつかなくなり、車はふらふらと蛇行し始める。

 しかし、公道を走るくらい人に慣れている牛たちだ。襲いかかってくることはおろか、こちらに歩み寄ってくることすらない。彼らは牛飼いの先導に身を委ねて歩き続ける。

 牛たちが近くの小道に入っていったことにすら気づかず、車内は大騒ぎのまま近くの藪に突っ込んでしまうのだったが、二人の表情には明るさが戻っていた。

 ぜぇぜぇと肩で息をしながら、ディシディアは目元を手で覆った。そうして、深いため息をつく。


(嗚呼……そうだね。いつまでもうじうじしているなど、私らしくない。楽しまなければ損だ)


 悔やんでいる暇はない。時間は一瞬たりとも待ってはくれないのだ。

 ならば、彼との思い出を作ろう。それが彼と自分を少しでも長く繋ぎ止めてくれるように。

 ディシディアは横で半泣きになっている良二の頬をつんとつつく。そうしてこちらを向いてきた彼に満面の笑みを向けてやると、彼も数秒おいて力ない笑みを向けてきた。


「ほら、涙を拭きなさい。もう怖い牛はいないから」


「うぅ……マジ怖かったですよ……よくあるパニック映像みたいになるかと思いました」


 ぐすぐすと鼻をすすりながら良二は車をバックさせて藪から出るなり、また道を走っていく。ディシディアは彼を終始宥めながらも、微笑を絶やさずにいた。


一言メモ:うにとイサキは小値賀の名産です。特にイサキは値賀咲として売り出しているようです。興味のある方は是非。某人間観察バラエティモ○タリングでも牛のことを特集していたようですので、そちらもぜひ

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