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第十七話目~冷たいソバとサルミアッキ~

 時刻は昼。太陽が高く上り、セミたちも忙しなく鳴き声をあげている。

 そんな中、ディシディアは額から汗を流しつつも洗濯物を干しているところだった。彼女は元々背が小さいので、台座を使って背伸びをしつつ物干しざおに手をかける。キチンと前掛けをしているあたり、彼女の几帳面さが垣間見れた。


「さて、これくらいでいいかな?」


 彼女はパンパンと手を叩き、台座からピョンッと飛び降りる。ややたたらを踏んだものの、すぐに体勢を立て直し、空になった洗濯籠を脱衣所の方へと持っていく。この作業にも、ずいぶんと慣れたものだ。

 最初のころはそれこそ失敗続きだったが、今ではほぼ完璧にこなせるようになってきている。馴染みの浅い電子機器にも段々と適応しつつあることに、つい口角が緩む。彼女は故郷で伝わっていたわらべ歌を口ずさみながら、台所へと向かった。


「さて、と」


 彼女はとりあえず近くにあった鍋に水を入れ、それをコンロの火にかける。

 実際、魔法を使った方が一瞬でお湯が沸くので時間の節約にはなるのだが、この奇妙な電子機器の類が存外に気に入ったらしい。

 アルテラにいたころ、カラクリが栄えていた街に行ったこともあったが、これほどまでに複雑で実用的なものはなかった。そもそもあちらでは科学よりも便利な魔法が発展していたため、カラクリは大衆の娯楽としての意味合いが強い。

 かろうじて人の生活をサポートするメイド型の自動人形オートマトンなどはあっても、このように生活と強い結びつきを持っていたものはかなり稀有な存在であったのだ。

 ディシディアはつまみを弄って火の勢いを調節し、やや強火の状態で止めた。


「さて、お次は……ソバだね」


 こうも暑いと冷たいものが食べたくなるのは当然である。彼女は冷蔵庫からソバを取り出し、再び台所に戻った。そうして、ちょっとだけ多めに袋から取り出して、投入。バイト帰りの良二は相当腹をすかして帰ってくるだろう。そう考えてのことだ。

 鍋の中で徐々に柔らかくなっていくソバを見て、彼女はクスクスと含み笑いをしてみせる。


「ふふ、我ながらよくやれているね。これも彼の指導のたまものかな?」


 実のところ、ディシディアは良二から家事について教えを受けていた。夏休みを終え、良二の大学が始まった時に不自由しないようにである。そのため、時折であるが彼女はこうやって厨房に立つことがあった。

 元々一人旅をしていたせいか、それなりに家事のスキルは高い。食材などは違えど、調理法などはそこまで変わらない。基本さえ聞けば、後は簡単なことだった。


「さて、どうせなら冷たいものを食べたいだろうし……」


 ディシディアは食器棚から深めの皿を二つ取り出し、冷蔵庫に入れた。こうすることで、椀が冷たい状態で料理を頂くことができるのである。暑い夏にはうってつけの工夫だ。

 それを終えた彼女は再び厨房に戻り、菜箸を使ってソバを一本持ち上げて口に運んだ。まだ、少しだけ固い。彼女はチュルンとソバを啜ってから、菜箸で鍋の中をぐるりとかき回した。


「よし、次は薬味だね」


 次に、彼女は野菜室の中からネギと生姜を取り出す。彼女はいる分だけを切り取ってから、それらにラップをかけて野菜室に戻した。

 それから、彼女は鮮やかな包丁さばきを持ってネギを小口切りにしていく。やがて完成するや否や小皿に入れ、それも冷蔵庫に保管した。


「さて、次だ」


 彼女はおろし金を使って生姜をゴリゴリと卸していく。二人なので、そこまで量はいらない。小皿にちょこんと乗った生姜に慈しみのある視線を向けながら、それも冷蔵庫に仕舞った。


「……っと、そういえば、ソバがもうできるころだろうね」


 彼女はパタパタと鍋の元まで歩み寄り、ソバを啜る。今回は、いい茹で具合だ。彼女は満足げに頷き、ザルにソバを移す。それから冷水でキッチリ仕上げていると――ガチャリという音がドアの方から聞こえてくる。

 良二が帰ってきたのだ。


「やぁ、おかえり。もうご飯はできているよ」


「ありがとうございます。じゃあ、ちょっと手を洗ってきますね?」


 良二は炎天下の中を歩いてきたせいか、だらだらと汗を流していた。

 やはりこの料理にしておいてよかったな、とディシディアは内心ほくそ笑む。

 彼女はしっかりソバの水を切った後で冷蔵庫から皿を取り出す。狙い通り、いい具合に冷えていた。これならば、暑さに対抗できる料理ができあがることだろう。


「ディシディアさん。何か、することありますか?」


 手と顔を洗ってきたらしき良二が問いかけてくるが、彼女はそれに小さく首を振った。


「いや、特にすることはないよ。ただ……できれば、麦茶を出しておいてくれないかい?」


「わかりました」


 良二はすぐにコップと麦茶をテーブルに置き、その後すぐ箸などを配膳していく。それから間もなくして、皿にソバを移したディシディアも合流した。

 ピンク色の皿に入れられたたっぷりのソバを見て、良二は嬉しそうに微笑む。


「へぇ。美味しそうですね」


「今日はぶっかけソバだ。暑い夏にはピッタリだろう?」


 笑いながら、ディシディアは手を合わせて「いただきます」と呟いた。それに続いて良二も手を合わせ、ソバに手をつける。ネギと生姜、めんつゆを好きな分だけ入れ、よくかき混ぜる。

 しばらく混ぜ、味が馴染んだころになって良二はソバを箸で持ち上げ、口に運んだ。刹那、冷たいソバがつるりと喉を下っていく。あまりの喉越しのよさに、良二は目を剥いた。

 よく冷やされたソバは、通常の数倍以上も喉越しと風味が倍増されている。薬味がネギと生姜だけ、というのもまたいいのだろう。余分な味がない分、ソバの旨みを十分に感じ取ることができる。

 歯ごたえもよく、キチンとアルデンテにしてある。十分な下ごしらえがなされているからだろうか。市販の安いソバとはいえ、高級なものには引けを取らない。


「やっぱり、ディシディアさんは料理がお上手ですね」


「褒めても何も出ないよ……と、言いたいところだが、君にいいものをあげよう。これだ」


 そう言って彼女が取り出してきたのは、七味が入った容器だった。いつの間にか、台所から持ってきたのであろうそれを振りながら、ディシディアはふふんと鼻を鳴らす。


「私は辛いものが食べられないが、これも合うはずだよ。試してみてくれ」


「えぇ。では、遠慮なく」


 良二は彼女から受け取った容器を開け、七味をわずかにソバにかける。その瞬間、ふわっと七味が持つ独特の香りが漂ってくる。唐辛子、ゴマ、山椒などなど。様々なものが混じり合うことで特有の風味を醸し出している。


「それでは、いただきます」


 良二はスッと箸で持ち上げ、一気にソバを啜った。先ほどまでとはまた違った味わいが口の中で広がっていき、また箸が伸びる。

 七味に入っている香辛料の中には、薬理作用などを持つものがある。食欲を増進させ、体調を整える。おそらくディシディアは知っていたわけではないだろうが、結果的に功を奏したようだ。

 バイト終わりで心身ともに疲れ切っていた良二にはうってつけの料理である。冷たくサッパリとしていて非常に食べやすい。気づけば、皿はあっという間に空になっていた。


「ご馳走様でした。とても美味しかったですよ」


「ふふ、ありがとう。なら、また作るとしよう。今度は、別の料理をね」


 ディシディアはそう返し、良二の皿を片付けようとする。

 が、


「ちょっと待ってください。俺も、ディシディアさんにお土産があるんです」


 と、良二が声を上げた。

 さっき自分が言ったことへの意趣返しとも思えるような言い方に、ついディシディアは口元を緩める。


「ほぅ。一体、なんだい?」


「それは、これですよ!」


 そう言って彼が胸ポケットから取り出したのは――小さな箱だった。

 煙草の箱のようにも見えるが、違うようだ。書かれているのはどこかの国の言葉。少なくとも、日本語ではない。全くの未知を目の前にして、彼女は興味深そうに箱に顔を近づけた。


「これは、サルミアッキっていう食べ物です。簡単に言うと、飴ですね。デザートに、どうぞ」


 その時、良二の口元が不気味に歪んでいる――様な気がしたが、すでに好奇心に囚われているディシディアにとってはどうでもいいようだ。彼女は箱に指を突っ込み、中からサルミアッキを取り出してみせる。

 見た感じは、小型の巻貝のような形をしている。匂いは……少し、独特だ。ハッカのような、ツーンとする刺激臭が微かに漂っている。


「さぁ、早く食べてみてください」


「そう急かさないでくれ……いただきます」


 彼女は小さく手を合わせ、小粒のサルミアッキをひょいっと口に放り込んだ。

 ――数秒ほど。時が止まったような錯覚を得る。

 が、次の瞬間。


「~~~~~~っ!?」


 彼女は、手足をばたつかせて口元を両手で覆った。

 口内に満ちるのは、強い塩味と苦みだ。いや、そんな生易しいものではない。もはや、刺激と言っても過言ではないくらい、舌が悲鳴を上げている。

 噛めば噛むほど刺激は強くなっていき、口内の感覚を奪っていく。


「み、水!」


 すっかりパニックに陥ったディシディアは麦茶を口に含む……だが、それこそ失策だ。


「がふっ!?」


 麦茶によって、サルミアッキの風味が口内に拡散される。麦茶の味を軽く打ち消し、上書きするほどの強い味。ハッカと同じく息を吸うたびに風味が蘇るので、逃げ場はない。

 ディシディアは涙目になりながらもごくりとサルミアッキを嚥下し、大きく息をついた。


「大丈夫ですか?」


「き、君は悪魔だ……」


「い、いや、ほら。前言ってたじゃないですか。不味い料理が食べてみたいって。だから、その……すいませんでした!」


 涙目になって、しなを作っている彼女を見て良二はたまらず頭を下げた。ディシディアはしばし恨めしそうに彼を見つめていたが、やがてニィッと不敵に口元を吊りあげてみせる。


「なぁ、リョージ。私だけが食べるのは不公平じゃないかい?」


「え? あ、その……ディシディアさん? 目が怖いですよ?」


 彼女の目からは、ハイライトが消えていた。咄嗟に逃げ出そうとするも、すでに遅い。体は見えない縄に縛られているようで、身動きすることすら叶わなかった。

 ディシディアは、ゆらりゆらりと幽鬼のように歩み寄ってくる。その右手にはサルミアッキが握られており、左手には箱が構えられていた。


「ちょ、ちょっとま……むぐっ!?」


 懇願しようとしたのも束の間、口内に劇物が投入される。良二は味覚が味を認識するよりも早く飲みこもうとしたが、それすらもできない。あまりの刺激に、体が拒否反応を示しているのだ。

 噛めば苦い汁が溢れ、さらに歯にこびりついて地獄を継続させる。飲みこんでも舌はビリビリと痺れ、息を吸うたびに口内がスースーする。良二は悶絶しながら、涙目でディシディアを見やり――ハッと目を見開いた。

 なんと彼女は――サルミアッキを次から次へとむしゃむしゃ食べていたのだ。


「ど、どうしたんですか?」


「……いや、リョージ。私も今気づいたんだが……四個ほど食べると不思議と慣れる。美味く思えてくる」


「いや、それ舌が麻痺しているんじゃないですかね!?」


 それが失言だったと気付いたのは、ディシディアの目が妖しくギラリと光った直後だった。


「ふふ、まぁ、それは自分の身で試してみたまえ。大丈夫。何事も経験だから……ね?」


「え? いや、あの、その、すいませんでした! だから、やめ……あぁあああっ!」


 良二の虚しい叫びと、ディシディアの狂気に満ちた笑いが夏の空にこだまし、静かに消えていった。


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