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第百六十八話目~島名物! すぼかまぼこ!~

 博多埠頭から小値賀島に行くには大型フェリー『太古』に乗らねばならない。この船はそれなりに巨大で個室なども設置されており、少ないがスロットなどの娯楽設備も備えているものだ。

 だが、あいにく個室は満席だったし、スロットは中年男性たちがやっているところだった。とすれば、ディシディアが行くところなど一つしかあるまい。


「おぉおおお……ッ!」


 目をキラキラさせた子ども……もとい、ディシディアは眼前に立ち並ぶ自販機の列を見やる。そこにあるのは飲み物の自販機だけではなく、ホットスナックやアイスを打っているものまで様々だ。

 なにせ、福岡から小値賀島までゆうに五時間以上を有する長旅になるのだ。夜食の備えはキチンとされている。良二たちが寝るのは一番ランクが下の客室なのでほぼ雑魚寝する形になるが枕やブランケットはレンタルできる。

 また、シャワールームなども空いていれば使えるらしい。要するに、個室ではないが船旅に支障はないということだ。


「いいものはありましたか?」


 キャリーケースを専用の場所に置いてきた良二がやってきた。彼は船ならば飛行機ほど怖くはないらしい。比較的ケロッとしている……少々目が泳いではいるが。


「あぁ、もちろんだ! ここは夢のようだ……夜食が楽しみだよ」


「それはよかった。もうすぐ出港するみたいですから、一旦戻りませんか?」


「うん、それもそうだね。立っていて転んだら洒落にならない」


 案外、船というのは不安定なものだ。特に今日は波が高いらしい。防波堤の庇護下にいる間は大丈夫だが、そこを出ればどうなるかはわからない。ひとまずは自分たちが取った場所に戻っているのがいいだろう。

 いくつかに分かれているスペースの内、一番端のそのまた隅っこに二人は腰かける。キャリーケースは枕元の専用の置き場に寝かしてあるのでどこかに行ってしまう心配はない。


「今日は人がかなり多いね」


「帰省シーズンですからね。むしろ、よくチケットが取れた方ですよ」


 それは本心からの言葉だ。二人がいる客室――一階客室と呼ばれているところには大勢の乗客たちが雑魚寝している。比率で見れば、男性客が多い。女性はこういった場所で雑魚寝をするのにも抵抗があるのかもしれない。

 ただ、ディシディアとしてはそこまで抵抗感は覚えない。アルテラにいたころは雑魚寝することなどザラだったし、あちらは衛生面で不安があった。けれど、このフェリー太古とやらは最近改装されたばかりなのだろう。不潔な感じはちっともしない。

 ふわぁ、と大きな欠伸をしつつ、窓の外を見やる。船内とは比べ物にならないほどまばゆい光を放つネオンの灯りが眩しい。が、それがぐにゃりと歪んでいるのを見て、ディシディアは船が動き始めたことに気がついた。

 船特有の、ぬるりとした動き。防波堤内にいる、とは言っても風の影響は受けるものだ。船は軽く上下しながら進んでいく。良二はそれに驚いたのか壁に手を置いて堪える。その様を見て、ディシディアはクスクスと笑った。


「ふふ、別に放り出されるわけじゃないだろうに」


「だ、だってビックリしたんですよ。怖くないんですか?」


「私は慣れているからね。あちらでは船旅もよくしたし」


 賢者として各地を回っている時には当然船に乗ることもあった。が、ここまで大きい船に乗るのは初めてだ。軽く言ってみせるが、内心は興奮と不安が半々、といったところである。


(まぁ、それを表に出すわけにもいかないがね)


 良二はやや怯えている。もしここでディシディアが怯えた様を少しでも見せれば、彼はそれを過敏に察知してしまうだろう。とすれば、負の連鎖が怒ってしまう。それは彼女としても望むところではない。

 ほうっと息を吐く。だんだん船の速度も揺れも増してきた。ぐわんぐわん、と。まるで船が跳ねているのではないかと錯覚してしまうほどだ。しかも、上下左右に。乗る時にはあれほど頑丈で頼もしく思えた船だが、今はとても頼りなく思えてしまう。


「う……すいません。俺、もうダメです」


 あまりの揺れに立つことはおろかその場に座ることすらできず、良二は横になった。見るからに具合が悪そうで、顔が真っ青になっている。ディシディアは慌てて彼の体にブランケットをかけてやり、自分も横になった。

 この揺れの中では何かを食べることなどできはしないだろう。そう判断したためだ。

 あいにくふかふかの布団ではなく固い絨毯の上なので寝心地は悪いが、それでも目を閉じれば今日一日の疲れがどっと押し寄せてきてあっという間に微睡に落ちていく。それは良二も同じようで、気づけば二人は揃ってすぅすぅと寝息を立てていた。


 ――たかが五時間の船旅。しかし、この強風だ。船は絶えず揺れ、傾き、乗客に浮遊感と不快感を与える。


「うぅ……」


「大丈夫かい? 何か飲むかい?」


 口元を押さえる良二の背を撫でるのはディシディアだ。最初は二人ともぐっすりと寝ていたのだが、揺れまくる船に何度も起こされ、しまいには良二が酔ってしまったらしい。彼は顔面を蒼白にして壁の方を向いている。

 飛行機のような恐怖感はない。沈没するのでは、という不安もない。

 だが、どうにもこの揺れにだけは慣れない。すぐに寝なければあっという間に三半規管をやられるのだ。おまけに、揺れがひどすぎてトイレに駆け込むことすらできない始末。今良二にできるのは到着まで耐えることだけだった。

 そんな彼を見て戸惑っているのはディシディアだ。彼女は時計を忌々しげに眺めている。本来なら到着してもおかしくない時間なのに、強風の影響か少しペースが遅れているらしい。

 苛立ち気味に歯噛みし、しかし首を振る。


「リョージ。ちょっと待ってなさい。お茶を買ってくるから」


 そう言って立とうとした矢先、船がふっと浮かび上がった。ちょうど前から来た波に乗った形なのだろう。一瞬の不安感の後、船がガクンと落ちる。


「ひゃっ!?」


 不安定な足場だ。華奢なディシディアはよろめき、尻餅をついてしまう。が、痛みをグッと堪えて自動販売機まで直行し、手早く硬貨を投入。ボタンが点灯するまでの時間すら惜しい。

 彼女はダダダダダ、とお茶のボタンを連打。数秒おいてガコン、という音と共に緑茶が出てくる。

 ディシディアの反応は早かった。サッとしゃがみ込んでペットボトルを手に取り、猛スピードで良二の元へ戻る。足音で気づいたのかこちらを向こうとする彼を掌で制し、ペットボトルのふたを開ける。


「ほら、ゆっくりでいいから飲みなさい。スッキリするよ」


「……」


 良二は無言だった。が、嬉しそうに口元を歪ませ、若干身を起こしてペットボトルの中の緑茶を煽る。冷たくて、気持ちいい。火照っていたからだが冷えていくようだ。


「ん……」


「もう、いいのかい?」


 コクリ、と頷くとディシディアは安堵したように胸を撫で下ろした。良二はまだ辛そうだったが、少しは気分がよくなったのか精気が戻っている。


『皆様、長らくお待たせしました。本船は間もなく小値賀港に到着いたします……』


 そんなアナウンスが聞こえてくる。パッと外を見れば、確かに港の灯りが目に映った。

 それを見て、ディシディアは心底安堵する。これ以上船に揺られれば、良二は間違いなく持たなかっただろう。ひとまずは長い船旅が終わったことに胸を撫で下ろし、荷物の整理をする。

 自分と良二のタオルケットを所定の位置に戻す。枕は自分のものだけ。完全に着港するまで良二は寝かせていた方がいいだろう。

 それ以外の荷物はいつでも取れるようにしておく。他の乗客たちはのそのそと降りる準備をしていた。良二は薄目を開けてそれを見ていたが、大きな息とともに寝返りを打つ。


「まだ寝ていなさい。無理はしなくていいから」


「すいません……情けないですね、俺」


「言うな。困ったときはお互い様だよ」


 それだけ言って、ぺチンと彼の額を叩く。良二はニッと口元を力なく吊り上げ、ふっと体から力を抜いた。

 ――と、そこで船がガクンっと揺れる。どうやら着港したらしい。船は穏やかな揺れを繰り返したのち、完全に沈黙する。それを受けてぞろぞろと乗客たちは出入り口へと向かっていく。その手に握られているチケットを見て、ディシディアはポンと手を打った。


「あぁ、そうか。降りる時もチケットがいるのだね」


 自分のポシェットの中からチケットの半券を引きだす。良二も気だるげにしながらポケットに手を突っ込んでチケットを取り出した。


「……じゃあ、行きますか」


 やがて乗客のほとんどが出ていったところで、良二がのっそりと立ち上がる。が、足元がおぼつかない。ディシディアがとっさに彼の体を支えるも、体格に差がありすぎる。よろめき、たたらを踏む。

 が、決して彼の体を離さない。どころか、安心させるように優しい笑顔を向けた。


「歩けるかい?」


「えぇ……ちょっとめまいがしただけです。歩けます」


「そうか。たまには君をおぶって行くのもいいかと思ったのだが……残念だ」


 ぷぅっと頬を膨らませる。良二は申し訳なさそうに一礼しつつも二人分のキャリーバッグを手に取り、それから出入り口に向かっていく。そこでは乗組員がやきもきした様子で待っていた。なので、ディシディアが咄嗟に良二のチケットを掠め取り、乗組員に自分のものと共々渡す。


「はい、どうも。よい旅を」


 船員も疲れが溜まっているのだろう。やや声が掠れていた。ディシディアと良二は彼にぺこりと頭を下げ、タラップを降りていく。

 その途中、ぴゅうと音を立てて風が吹いた。船酔いの良二にとっては冷たくも心地よい風だ。海風は潮の香りを届けてくれるが、それは嫌なものではなくどこか懐かしいもののように思える。


「はて、迎えが来ているはずなのだが……」


 タラップを降り終えたディシディアが首を捻る。前日に西住と連絡を取ったところ、迎えを寄越してくれるということだったのだが、少なくともここには見当たらない。

 朝の五時なのでまだ日も昇っておらず辺りは暗いとはいえ、いたならばわかるはずだ。良二はキャリーケースに腰掛けながら小さく唸る。


「時間を間違えた……わけじゃないですよね?」


「そのはずだが……」


 と、二人が顔を見合わせている折、近くの乗用車から誰かが下りてきて駆け寄ってくる。

 最初は暗闇に紛れていてわからなかったが、船の灯りに照らされることでその姿が明らかになる。

 若い女性だ。年のころはちょうど大学を卒業したか社会人一年目、といった感じだろう。全身からエネルギーが満ちているものの、身長は良二よりもちょっと低いくらい。スレンダーな体つきをしており、服装もそれに合わせてボーイッシュなものにしている。

 そんな彼女は見かけにそぐわない明るさでニコッと笑いかけてきた。


「あの……飯塚さん、ですか?」


「えぇ、はい。そうです」


「あ! よかった! はじめまして、龍にい……じゃなかった。西住龍の従妹の西住華にしずみはなです! ようこそ小値賀島へ! 長旅疲れたでしょう!? 船揺れませんでした!?」


 矢継ぎ早に話しかけてくる女性……華に二人は困惑する。かつて飛行機で出会った西住龍は物腰の柔らかい男性だったが、彼の従妹だという女性は相当パワフルだ。

 彼女はニコニコとしていたが、やがて二人の持っているキャリーケースに目をやり、ハッとする。


「あ! 立ち話もなんですし、どうぞどうぞ! 荷物は私が持ちますよ」


 断る暇もなかった。彼女は二つのキャリーケースを軽々と持ち上げて自分の車のところまで持っていき、丁寧な所作で詰め込む。


「悪い人では、なさそうだね」


「ですけど、寝起きにはキツイテンションですよ……」


 苦笑交じりに良二が言う。そんな彼のことなど露知らず華は素早く運転席に乗り込み、遅れてディシディアたちも後部座席に乗り込む。二人が来るのがわかっていたからかはわからないが、車の中は清掃が行き届いているようだった。


「それじゃ、行きますよ。しっかり掴まっといてくださいねっと」


 一瞬聞こえた不穏な単語に二人は身構えるが、運転自体は穏やかなものだった。辺りも暗いし、乗っている二人は長旅で疲れている、という点を考慮したのかもしれない。なんにせよ、心地よい揺れの車は船と違って心地よかった。


「あ、そうだ。名前、聞いてなかったけど聞いていいですか?」


「む、そうだね。自己紹介がまだだった。私はディシディア・トスカ。ディシディアでいい」


「飯塚良二です。今回は宿を提供してくれてありがとうございます」


「いやいや! ウチは広かけん、ばあちゃんと二人やとさびしんですよ」


 一瞬、ディシディアと良二の頭に疑問視が浮かぶ。が、運転席にいる華がパチン、と額を叩いたことで疑問が氷解した。


「あ~……すいません。ウチ、訛ってましたよね?」


 申し訳なさ気に華が聞いてくる。二人はそれに首肯を返したが、


「いや、だが気にする必要はない。それも個性だ。後、変にかしこまる必要もないよ。私たちはただの観光客なのだから」


「おぉ……なら、使わせてもらいますよ。まぁ、そがん言うてもウチはあんまなまっちょらんほうやけんね」


 バリバリ訛っていた。というか、彼女でこのレベルなのだから、他の人たちとのコミュニケーションが取れるかどうか不安なところである。

 不安に思う二人をよそに、車は順調に進んでいく。その中で驚きなのは、街灯の少なさだ。ほとんど真っ暗で、車のライトだけでは心許なく思える。

 けれど、そこにも情緒というものは存在する。


「おぉ……」


 ディシディアは窓に額をペットリとつけて外の景色を眺めている。その視線の先にあるのはどこまでも広がる海だ。水面には月が反射して映り、それはさながら二つの月が存在しているように錯覚してしまう。


「失礼。窓を開けても?」


「よかですよ。あ、頭は出さんように。車はそがん通らんけど、あぶなかけん」


 頷き、窓を開けると心地よい夜風が吹き込んできた。耳を澄ませば木々のざわめきと風の音色だけが聞こえてくる。

 この感覚をディシディアは知っている。かつてアルテラにいたころ、故郷の森を散歩していた時の感覚だ。あちらには海がなかったけれど、雰囲気がとても似ている。

 ウィスコンシンでカーラたちといったキャンプ地のような場所も近かったが、こちらの方が近い。おそらく、人の手がそこまで入っていないから、というのが大きな理由だろう。目を閉じれば故郷の情景が浮かぶようだった。


(不思議だな……向こうにいたころは疎ましくすら思ったのに、郷愁に駆られるとは)


 これもこちらに来てから覚えた感覚だ。少しずつ、自分の中でアルテラへの認識が変わりつつあるのだろう。それがいい方向であるのは素直に喜ばしい。

 ただ、里帰りしたいかと言われれば……否だ。まだこちらの世界を探検しつくしていないし、何よりあちらの世界に戻れば、こちらに戻ってこれるかはわからない。

 ディシディアは例のがま口財布を開け、その中にあるブローチをじっと見据える。

 この世界に来れたのはただの偶然だ。その偶然が二度も続くとは考えにくい。

 もし戻れなければ……。


(いや、やめよう)


 首を振り、息を吐く。考え込むと悪い方に行きがちなのは疲れているからだ。


「すまない。帰ったら、一旦寝てもいいだろうか? 長旅で疲れた。今日は休養を取りたい」


「全然よかですよ~。お布団も用意してありますんで、すぐ寝れますし……っと」


 車は曲がりくねった道を進んでいき、やがて島の端の方にやってきた。そこで、華は自慢げに前方を指さす。


「あれがウチです」


 車のライトに照らされているのは――いかにもな日本建築だった。

 木造の一戸建て。ひょっとしたら昭和初期から存在しているかと思うほど年季が入っていて、趣きがある。

 車はそのままぽこぽこという間延びしたエンジン音を響かせながら納屋に納まる。と、そこでようやく華がこちらに振り返ってきた。


「到着! んじゃ、荷物はこっちで運びますけん、中に入ってくださいな」


 言われるまま外に歩み出て、正面玄関に手をやる。と、あっさり開いた。

 こんな田舎だ。鍵はかけないのだろう。本来なら色々と聞きたいことはあったが、二人は靴を脱いで家に上り込む。


「あ、右の客間に布団敷いとりますんで!」


 頷き、客間のふすまを開けると隣り合った布団と――奥の方には仏壇が見えた。夜に見たらいけない物のような気がしてビクッと体を震わせる良二とは対照的にディシディアは欠伸をしながらそそくさと布団に潜り込んだ。

 無論、良二もその後に続く。

 華が客間に荷物を持ってきた頃には二人はぐぅぐぅとデカいいびきをかいていた。


 ――あれから、どれくらい経っただろう?

 不意に目覚め、覚醒した頭でディシディアはそんなことを思う。見慣れぬ天井に一瞬ドキリとしたが、隣にいる良二を見てそっと胸を撫で下ろす。彼は無理がたたったのか、泥のように眠っていた。


「あ、起きたん?」


 ふと、声がかけられる。視線を巡らせれば、ふすまからひょっこりと顔を覗かせている華の姿があった。彼女の姿を見てしばし逡巡するも、ディシディアはすぐに笑いかける。


「やぁ、おはよう。今、何時だい?」


「んと……昼の二時。ぐっすりやったね。まぁ、時化の中船で来たんやから当然やろうけど……あぁ、そうそう。お腹空いとらん? 朝食の残りやったらあるけど、食べる?」


「いただこう。ありがとう。助かるよ」


「よかよか。んじゃ、ちょいと待っといてね」


 パタパタ、と華が駆けていく。声が小さかったのは寝ている良二を思いやってだろう。

 彼女もだいぶこちらに対して警戒心が溶けてきたのか、訛りが出つつある。実を言うと、ディシディアは訛りを聞くのが嫌いじゃない。というか、むしろ好きだ。

 訛りというのは地域ごとに特色があって面白いし、何より自分の知っている言語が別の言い方をされているなどの面白さもあるのだ。それに何より、可愛らしい。

 彼女は含み笑いをしたところで、隣にいる良二の頬をぷにっと突いた。こうしているとまだまだ子どもだ。胸の奥から慈しみとわずかないたずら心が沸いてくる。

 が、それをこらえて居住まいを正す。パタパタ、と慌ただしい足音が聞こえてきたからだ。


「お待たせ。はい、どうぞ」


 華がトレイに乗せて持ってきてくれたのはいくつかのおにぎりと油揚げと大根のお味噌汁。それからめざしと、カットしたリンゴと……。


「失礼。これは何かな?」


「ん? どれどれ?」


「この、ねずみ色をしているものだ」


 彼女が指さす先には楕円形の物体。それは数センチ幅にカットされていて、パッと見た感じはつみれのようにも思える。が、華は「あぁ」と頷き手を合わせた。


「それはね『すぼかまぼこ』って言うんよ」


「すぼかまぼこ?」


「そそ。すぼってのは藁みたいな奴のことで、本当はそれを使って作るからすぼかまぼこ。これは自家製やからこんなに歪やけど、本物は綺麗な丸よ」


 唖然とするディシディア。早速、自分の知らない食べ物に出会った喜びが押し寄せてきているのだろう。彼女の顔が驚愕から喜色へと変わる。

 ぐぅうううう……。

 ――のとほぼ同時、盛大に腹の虫が唸りを上げてディシディアは赤面し、華は豪快に笑った。彼女は目尻に浮かんだ涙を指の腹で拭い、


「よかよ、食べな。お味噌汁が冷めたらまずかけん」


「ありがとう。いただきます」


 両手を合わせて一礼し、まずはアツアツの味噌汁を啜る。

 いりこの出汁が効いた味噌汁だ。中に入っている油揚げも大根もよく味が染みていて体の内側から温まるようである。

 ほっと一息をつき、次はめざしを食べる。と、彼女の目が見開かれた。


「美味しい……」


「本当? それも自家製やけん、そう言ってもらえると嬉しいなぁ」


 こんな離島だ。物を入手するのも一苦労なのだろう。ほとんど自給自足で賄っているらしい。実際、ここに並ぶ食材は一部を除きほとんどが島で調達できるものだ。

 おにぎりもいい塩加減で、めざしや味噌汁ともよく合う。米はふっくらとしていて艶々しているし、もしかしたらこれもこの島で採れたものかもしれない。素朴ながらも安心する味だ。


「さて、と」


 次にディシディアが視線を移したのは例のすぼかまぼこ。彼女はおっかなびっくり、カットされたそれを箸で掴み口に放り込む。

 そして、噛もうとして――歯が押し返される。

 かまぼこ、と言えばもっと柔らかいものだと思っていた。だが、これは違う。プリッとした弾力があって、醤油をつけなくとも下味が十分ついていてこれだけで美味い。

 普通のかまぼこはもっと淡白なものに思っていたが、こちらは実に濃厚だ。魚の風味が強いが、臭みはない。おかずとしても十分いけるが、酒と合わせればこれ以上の肴はないだろう。


「これはイケる。つみれとも違うし、かまぼことも違うな」


「やろ? すぼかまぼこはアジとかを使うんよね。それをミキサーでミンチにして、塩とかで味付けをして……」


 華は色々と解説をしてくれるが、ディシディアはほぼ聞き流している。

 それだけこの品々が魅力的なのだ。早速のもてなしに感動を覚えながら、ディシディアはガツガツと一心不乱に食べ進める。

 無論、その熱気に当てられた良二が目を覚ましたのは言うまでもない。


一言メモ:すぼかまぼこは小値賀(というより五島列島)の名産です。食べたい人は地元を訪れるのが一番だと思うのですが、確か通販もやっていましたので時間などがない方はそちらを利用してみるのもいいかもしれません

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