第百六十七話目~福岡裏名物!? うどん!
福岡空港に降り立ち、キャリーケースを受け取った後も良二はしばらくぐったりとしていた。地下鉄に乗り換え、博多駅に向かう途中でディシディアが穏やかに問いかける。
「リョージ。本当に大丈夫かい?」
「えぇ、一応……だいぶ落ち着きましたよ」
とは言うものの、まだ目は赤く充血していて声は掠れている。ディシディアは不安げにしていたが、ひとまずは彼を慰めるべくその頭を優しく撫でた。
誰かに頭を撫でてもらう快感に目を細める間もなく、目的地である博多駅に到着。空港からはそう遠くない距離にあるのだ。二人は他の乗客たちの後ろに続いて電車を降り、大きく背伸びをする。
「ふぅ。ようやく到着したね」
「はい。もう五時半ですよ。結構遅くなりましたけど……船に乗るまでまだ時間はありますから、色々と見て回れそうですね」
小値賀島への船は十二時間近に出る予定だ。だから、移動時間を入れても数時間は余裕がある。とすれば、初めて訪れた場所を探検するのが道理だろう。
期待を胸に改札を潜った二人を迎えてくれたのは、博多駅地下街だ。
ここには色々な店が立ち並び、活気というよりは外界との異質感を醸し出している。食べ物屋などもあるようだったが、つい先ほど弁当を食べたディシディアや飛行機酔いの良二にとってはそこまで魅力的に映るものではない。
「とりあえず、上に出ませんか? 外の空気も吸いたいですし」
「そうだね。そうするとしようか」
何個もある外界へつながる階段の内から一つを選び、昇っていく。もう外も暗くなりつつあるのだろう。出口の向こうには赤く染まりつつある空が控えている。
それを目にしながら二人は階段を上り終える。すると――巨大な駅ビルが目に映り込んできた。
博多駅は何度かの改装を経て巨大な建物へと変貌を遂げたものだ。そこには色々な施設が詰め込まれている。お土産屋や本屋などはもちろん、映画館などもあるのだ。
同じく福岡にあるキャナルシティと同じくらい――あるいはそれ以上の品ぞろえを誇る店が立ち並ぶ場所。それが博多駅だ。まだ完全に日が暮れていないのでライトアップされてはいないが数多のイルミネーションがある。
夜にくればきっと幻想的な光景が望めるだろう。そんなことを思いながら、二人は近くのバス停へと向かう。バスが出る時間帯を知っていれば、それに合わせた行動ができる。そう思っての行動だ。
てくてくと歩きながら、ディシディアは胸いっぱいに空気を吸い込んでニヤッと口元を歪める。
「新しい街の空気というのはいいね。とても新鮮だ」
「えぇ。酔いにもバッチリ効きますし」
気のせいか、良二の顔色もだいぶ良くなってきたようだ。この調子ならしばらくすれば駅の中を散歩するのも可能だろう。せっかくの旅行なのだ。体調不良で台無しになってはつまらない。
二人はのんびりと横断歩道付近まで歩いていき、青になるまでのんびりと待つ。ここは点灯式の信号で、後どれくらいで青になるかがわかるものだから、気揉みする必要がない。
あっという間に信号が青になる――と同時に、奇妙な音楽がどこからともなく聞こえてきて、ディシディアはきょろきょろと辺りを見渡した。
「む? この音楽は何だい?」
「あぁ『とおりゃんせ』ですね。福岡ではこれが使われるらしいですよ」
音響信号機から流れてくるのは童歌である『とおりゃんせ』。その独特なメロディに馴染みのないディシディアは戸惑っていたようだが、すぐに笑顔に戻って耳をピコピコと上下させる。それにつれて、つけている月型のイヤリングも跳ねた。
「ふふ、なるほどね。情緒的でいいじゃないか」
とおりゃんせのメロディというのは案外覚えやすい。ディシディアは上機嫌で鼻歌を歌っているが、その歌詞の意味を知れば驚くだろう。日本の童歌は案外重くて暗いのだ。
人が多かったのでわたるのに多少苦労したが、それでも何とかバス停の元へとたどり着く。すでにいた人たちの間を潜り抜け、時刻表をジィッと凝視する。
「ちなみに、どのバスに乗るのかな?」
「えと……『博多埠頭行き』ですね」
言われて目を走らせれば、すぐに見つかった。どうやらそこに向かうバスは全部で二つあるらしい。一つを逃してももう一つを期待できる寸法だ。
――が、ここで問題が一つ。
「うわ……九時以降、全然ないですね」
そう。九時五分のバスに乗れなければ、後はタクシーで向かうしかないのである。元々博多埠頭まで行く人たちが少ないのもあるが、今は年末年始だ。バスの数も少なくしてあるらしい。八時台でも四本しかなく、九時台では一本のみだ。
流石にこれは予想していなかったのか、良二は顔をしかめる。が、ディシディアは案外ケロッとしていた。
「まぁ、いいじゃないか。あっちに行ったらまた何かあるかもしれない。それまではのんびりここを回るとしよう」
こういう辺りは流石だ、と良二は思う。彼女は楽しみを見つける天才だ。
『博多駅付近を探索できる時間が少なくなる』と考えるのではなく『博多埠頭を探検できる時間が増えた』と考える。存外、発想の転換というのは難しい。
改めて感心しながら頷くと、ディシディアは満面の笑みを持って応えてくれた。それが嬉しくて、自分も笑顔を浮かべる。
「よし、そうと決まれば早速見て回ろう。体の方は、もういいのかい?」
「はい。見て回るくらいなら、問題はありませんよ」
「よろしい。ただし、無理はしないようにね? 休むことも大切だから」
「わかってますよ。ありがとうございます」
二人はそんなやり取りをしながら博多駅方面へと戻っていく。すでに頭の中はどのようなものがあるのか、という期待と興奮でいっぱいだった。
――それから約三時間が経過した午後八時。二人はほくほく顔でエレベーターに乗っていた。
十階以上もある建物の全てを見るのは時間がかかるけれど、それでも楽しいものだ。見たこともないお土産なども山ほどあったし、二人が好んでいるゲーム『パチモン』をテーマにした『パチモンセンター』や映画館には映画の限定フィギュアなどが売られているブースも設置されていて、とても一日では見て回れないほどの物量だったのは言うまでもない。
食べ物屋も同様だ。こういった場所では別の地方から来る人たちも多くなるのだろう。ご当地を売りにしたものがほとんどで、表に掲げられているメニューを見てはディシディアが矢継ぎ早に質問を繰り返してきたほどだ。
「さて、そろそろ夕食を取りませんか?」
エレベーターを降りて一階に到着した辺りで良二が告げた。確かにもうそろそろバスに乗らなければならない時間だ。博多埠頭付近に何があるのかもわからない状態なら、ここで済ませておくのが無難だろう。
そう思ってディシディアに提案したが、彼女は当然の如く乗り気のようだった。あらかじめ下調べを行ってきたらしき彼女はズズィッと良二の方に身を寄せ、ピッと人差し指を立てて自信ありげな顔をしてみせる。
「ふふ、それなら福岡の名物料理を食べよう。一応私もリサーチしてきたからね」
「奇遇ですね。俺もですよ」
言いつつ、良二は鞄からメモ帳を取り出してみせる。ディシディアはわずかに驚いた素振りを見せたが、すぐに腕を組んでニヤニヤと笑う。
「ほぉ……何だかんだ、君もこの旅行を楽しみにしていたんだね」
「い、いいじゃないですか。別に……」
「ふふふ、別に悪いとは言っていないさ。まぁ、今日は君のオススメに任せるとしよう。エスコートしてくれるかい?」
「もちろん。どうぞ」
恭しく手を差し出し、彼女の手を握る。そうして彼はメモ帳を片手に駅ビルを後にして外に出た。それが意外だったのか、ディシディアは目を瞬かせる。
「この建物の中じゃないのかい?」
「はい。でも、とても近いところですから」
彼はこちらを安心させるように笑いかけてくる。ここまで言うのなら、相当自信があるのだろう。ディシディアは押し黙り、彼についていくことに専念する。
「えと……あ、あの建物です」
と、彼が指差す先は博多駅に隣接するバスターミナルだ。どうやら、そこが目的地であるらしい。彼は足早にそちらへと向かい、中に入るなり地下へと向かうエレベーターに飛び乗った。
「して、何を食べさせてくれるのかな?」
「もうすぐわかりますよ。あ、足元気をつけてください」
エレベーターを降りた二人は曲がりくねった道を進む。どうもここには食べ物屋が密集しているらしく、いい匂いが漂ってきた。飛行機から降りて以降何も食べていないディシディアはゴクリと喉を鳴らす。
「あ、ほら。あれです」
言われてハッと顔を上げてみればそこにあったのは――小さなうどん屋だった。店先には券売機や商品の見本が展示されている。中を覗き込んでみれば、大釜に向かい合っている従業員や一心不乱にうどんを啜る客たちが目に映った。
「うどん……? 博多と言えばラーメンだと聞いていたのだが?」
「実はうどんが美味しいらしいんですよ。隠れた名物って所ですね。先輩からの受け売りですけど……まぁ、それはさておき、どれを食べます?」
券売機には多種多様なメニューの名前が書かれている。うどんと一口に言っても、乗せるものでだいぶ種類も変わるようだし、おにぎりなどのサイドメニューも充実しているようだ。
「むぅ……難しいね。どれにしようか?」
「なら、一応オススメを聞いてきたんでそれをシェアしませんか? 大盛りにすれば二人でもそれなりには食べられるでしょうし」
「そうだね。なら、頼むよ」
「お任せください」
わざとらしく礼をしてみせる彼を見て、ディシディアはプッと笑う。良二はコホン、と咳払いをして照れ隠しをしてから千円札を投入し、ポチポチとボタンを押していく。
「何々……? ごぼう天うどんの大盛りと……かしわ?」
見慣れない単語に戸惑っている暇はない。後ろはつかえているのだ。そそくさと店内に入り、ちょうど空いていたカウンターに腰掛ける。それと同時、女性従業員がやってきてくれた。
「食券をお預かりします」
「はい、お願いします」
「ありがとうございます。麺の硬さはどうしますか?」
「え? 硬さが選べるんですか? うどんなのに?」
その質問には女性も驚いたようだったが、良二たちの傍にあるキャリーケースを見て彼らが観光客だと気づいたらしい。にこやかな笑みを浮かべながら、三本指を立てる。
「はい。やわめ、普通、かためが選べますよ。どうしますか?」
「なら……かためでお願いします」
「かしこまりました」
女性はメモを取るなり、大声で厨房へと語りかける。それを横目で見ていたディシディアはお冷を注ぎながら、興味深げにテーブルを見やる。
なんと、それぞれのテーブルごとにネギが入った箱が置かれているのだ。ちょっと店内を見渡してみれば、途中で継ぎ足している人やネギを山盛りにしている人も見れる。中にはもはやネギを食べているのかうどんを食べているのかわからない人もいるくらいだ。
「ここはネギが入れ放題なのかな? 良心的だね」
「値段も良心的ですよね。東京だったら、軽く千円超えてるはずなのに」
彼が見せてくれた領収書に書かれている値段は七百四十円。内訳としてはごぼう天うどんが四百八十円。大盛りにすることで七十円。かしわ、とやらで百九十円だ。
東京なら、下手をすれば並盛のごぼう天うどんだけでこれくらいいきそうなものだが……見知らぬ土地の相場というのも中々に興味深いものだ。
ディシディアは顎に手を置き、どうも感心しているらしい。何度もうんうんと頷いてはため息を漏らしていた。
と、その時だ。先ほどの女性従業員が巨大な丼が乗ったトレイを掲げてやってきたのは。そこにはうどんが入った丼だけじゃなく、たくあんが乗せられた小皿やおそらく『かしわ』の正体であると思われる炊き込みご飯、そしてなぜか小さめのやかんが乗っていた。
「お待たせしました。こちらのやかんは追加のスープです。麺が水を吸ってしまうので、足りないと思ったらこれを使ってください」
女性の丁寧な説明を受けた二人は改めてトレイを見やる。大盛りを頼んだのは事実だが……ここまで巨大だとは思っていなかった。
なにせ、普通の丼よりも一回り、いや二回り以上大きいのだから。幅もそうだが高さもすごい。うどんもキツネ色のスープもこれでもか、と入れられている。ごぼう天はよくある薄切りのものに衣をまぶしたものではなく、まるで春巻きのようなスティック状だ。
しかし、驚くべきはその香り高さ。カツオと昆布による出汁が丁寧にとられているからこそ醸せる力強くも上品な芳香。これを前にして空腹を我慢できるものなど、世界にそういないだろう。二人の腹の虫も盛大な唸りを立て、臨戦態勢を取る。
「じゃあ、いただきますか」
「あぁ、いただきます」
ディシディアはうどんを、良二はかしわ飯を取る。そうして互いに一口目を頬張るなり、その顔に気色が浮かび上がった。
麺はビックリするくらいコシがあって、噛むと押し返されるようだ。スープともよく絡んでいて、喉をツルンと滑っていく瞬間も絶大な存在感を放つ。
ごぼう天は厚めの衣に覆われているが、よくあるエビ天のようなガッカリ感はない。衣にも若干の味付けがなされていてこれだけでも十分美味い。スープに浸すとカラッと揚がっていたのがまた違う雰囲気を纏い、飽きが来ない。
ごぼう本体も下処理がちゃんとされているのか泥臭さは微塵もなく、スープの味を阻害しない。食べごたえも抜群で、自然と笑みがこぼれてしまう。
(しかし……これはスープが要だな)
味の根底をなしているのはスープだ。もちろん、うどんだから麺がなければ始まらないのは当然であるとして、スープもそれに比肩するものでなければバランスが取れない。
九州の味付けは関東のものとはまた違うが、それでもこれが相当のレベルと判断するには十分だ。出汁に使われた素材たちの臭みやエグみ、雑味はこれっぽっちもない。ただ純粋なうまみ成分の塊だけが濃縮されたスープだ。不味いわけがあるまい。
これを吸えば麺もごぼう天も爆発的に化ける。
スープ一つでここまで変わるとは思っていなかったのだろう。ディシディアは食べる手を止め、驚愕に目を見開いて口元に手を当てている。
一方、その横では良二がガツガツとかしわ飯を喰らっていた。
元々、かしわ飯とは九州・山口では『鶏』のことを指す。これはその流れをくむ料理だ。
甘辛い味付けに仕上がっており、細かく刻まれた鶏肉やニンジン、ゴボウなどがたっぷりと入れられている。それだけじゃなくてところどころにお焦げがあって、香ばしさを倍増させている。
ご飯もいい炊きあがり具合だ。べちゃべちゃとしておらず、ふっくらとしている。ちゃんと出汁の風味も感じられるし、普通の炊き込みごはんとは一線を画す強烈な味わいだ。
また、かしわ飯とは鶏の出汁を用いて炊き上げた料理だ。鶏の出汁とご飯の親和性については世界が認めるところである。形は違えど、このような形態の料理は世界各地に存在するのだ。
あまり具材が凝りすぎていないのもポイントが高い。食材が多ければ色合いも旨みも増すが、味がぼやけてしまう場合もあるのだ。その点、これに入っているのは鶏肉、ゴボウ、ニンジンのみ。シンプルだからこそ醸せる味わいだ。
「リョージ。このうどんは美味しいよ。食べてごらん」
「じゃあ、取り換えっこしましょう。はい」
彼女が持つ丼を引き寄せ、かしわ飯をやる。ディシディアは受け取るなり嬉々として器を持ち上げてご飯を口に流し込み、これ以上ないほど幸せそうな顔になっていた。
「あ、そうだ。ディシディアさん。ネギ入れますか?」
「おぉ、忘れるところだった。頼むよ」
あまり入れては味が壊れてしまう。なので、まずはちょっと入れた。すると清涼感がプラスされ、ますます箸が進むようになる。油ものであるごぼう天の後に食べれば口の中をスッキリさせてくれた。
それから二人は交換し合い、しばらくしたところで大きく息を吐く。最初は食べられるか不安だった大盛りうどんはいともたやすく二人の胃袋に収まっていた。
「ふぅ……福岡最初の料理がこれでよかったよ。とても美味しかった」
ポッコリと膨れたお腹を撫でるディシディア。目はとろんと潤んでおり、多幸感に浸っているように思える。ここまで満足している彼女を見るのは久しぶりだ。
しかし、それも納得だ。良二も頷きながらお冷を煽る。
スープやネギを追加できるシステムは中々に革新的だった。が、これはおそらく福岡だからできたことだろう。東京などでやろうとすればかなりのコストになってしまう。
ほっと一息をついてから良二は腕時計を見やる。今の時刻は午後八時三十分。移動を考えれば、そろそろここを出た方がよさそうだ。
彼は食べる時に脱いでいたコートを羽織りつつ、席を立つ。それを見て、放心状態だったディシディアも我に返って椅子からピョンッと飛び降りた。
「じゃあ、行きますか」
「あぁ。早速いい思い出ができたよ。君に任せてよかった。ありがとう」
「どういたしまして」
軽口を交わし合いながら店を後にする。ここからバス停までは少々遠いが、乗り過ごすことはないだろう。二人は食べた感想を言い合いながら、バス停へと向かっていった。
一言メモ:福岡県民のソウルフードとも言えるものです。福岡に行った際は是非お試しください。私のイチオシです。やわめで食べるのが通、と言われていますがそれはお好みで。美味しく食べるのが一番です