第百六十二話目~聖夜のパーティー~
すでに時刻は十二時過ぎ。けれど、アパートの一室からは灯りと共に笑い声が漏れている。その発信源はもちろん、ディシディアたちの家だ。
二人は笑いながら、卓袱台を囲んでいる。その上に置いてあるのはコンビーフサンドイッチ、オイルサーディンの缶詰、生ハムの切り落とし、そしてクラッカーとアリゴだ。普段の彼らの食卓からは想像もできないほど散らかっており、食べかすが散乱している。
だが、構うまい。何せ今日は年に一度の行事なのだ。たまには羽目を外すのもいいだろう。
ディシディアは良二に寄り添うようにしてコンビーフサンドを齧っている。こたつはそこまで大きい方でないので、その一角に二人が集まるのは非常に窮屈だ。けれど、二人は仲良く寄り添ったまま、旅行のことについて話し合っている。
「あっちでの宿は取れているんですか?」
「あぁ。聞いたところによると、西住の祖母君が私たちを泊めてくれるらしい」
「ホームステイみたいな感じですか。なら、安心ですね」
ホームステイならアメリカで経験がある。あの時に比べれば、だいぶ楽だ。
何せ、こっちはいくら島という辺境だとは言っても日本国内。そこまで困ることもないだろう。妙な安心感を得ながら良二がビールを煽っていると、ディシディアが自分の目の前にあったクラッカーを取る。その時、彼女の白いうなじが偶然にも見え、良二は赤面しながら顔を逸らす。
現在、ディシディアが身に纏っているのは――ミニスカサンタの衣装だ。帰ってきて風呂に入るなり、いきなりこの衣装を着てきたのだ。正直驚いたものの、それよりも見とれてしまった。
ミニスカートの丈は非常に短く、ともすれば下着が見えてしまいそうなほどだ。上はチューブトップタイプで、肩出しスタイル。彼女の幼い体が醸す犯罪臭と内に秘める妖艶さのギャップが異常に扇情的だ。
「ん? どうかしたのかい?」
生ハムクラッカーを齧りながらディシディアが聞いてくる。きっと正直に言えば、彼女はますます面白がって身をすり寄せてくるだろう。だから、何を言っているのかわからない、と言わんばかりに肩を竦め、
「別に、何でもありませんよ?」
「……怪しい。正直に話したまえ」
言ってみせたが、彼女はズィッと顔を近づけてきた。理不尽だ、と思いつつも視線は下へ向いてしまう。するとやや眉を吊り上げて怒ったフリをしているディシディアと、平坦な胸元が見えてきた。
――いや、平坦というのは語弊があるかもしれない。彼女は幼女体型だが、すでに成人している。胸は壁の様なものではなく、なだらかな丘と言った方が正しい。きっと触れば、マシュマロよりも柔らかい。
(……って、何を考えているんだ、俺は!)
一瞬頭をよぎった邪な考えを振り払う。すでにワインを一本飲みきってしまった。どうやらその余波でアルコールが回ってきているらしい。良二は雑念を振り払うべく首をブンブン振り、無理矢理視線を逸らす。
「こら、ちゃんとこっちを見なさい」
だが、引き戻される。耳元に当てられた彼女の手はプニプニとしていて柔らかく、ほんのりと温かい。彼女も酔いが回ってきているのだろう。目が若干潤んでいる。それがまたたまらなく可愛らしく思えてしまい、良二はゴクリと喉を鳴らす。
ディシディアは自分に対してとても好意的に接してくれるが、スキンシップが多いのがたまにキズだ。いや、もちろん自分だって彼女と触れ合うのは楽しいし、嬉しい。だが、彼女はこちらが照れれば照れるほど面白がってやってくるのだ。それがちょっとだけ悔しいとは思いつつも、抵抗できない自分が情けない。
「ふふ、鼻まで真っ赤だ。トナカイさんだな」
ミニスカサンタことディシディアはどこか勝ち誇ったように言ってみせる。もしや強制お馬さんごっこでも強要されるのでは――と思ったが、それは杞憂だった。彼女は良二の鼻の頭をチョンとつついただけで、また自分の位置に戻る。
少々不完全燃焼気味で終わったのがなぜだか自分でも納得がいかず、良二は彼女の小さな肩を抱き、自分の方に引き寄せる。彼女は一瞬驚いたように目を見開いて彼の顔を見たがすぐに笑みを取り繕い、
「甘えん坊だな。ほら、お口を開けなさい」
と、オイルサーディンを差し出してくる。ご丁寧に、油が畳に落ちてシミにならないよう自分の手も下に添えている。彼女の白く綺麗な手が汚れるのは良二とて本意ではない。
「あ~……ん」
大口を開け、自分からオイルサーディンを迎え入れる。今回は何もアレンジをしていない。だから、サーディン本来の旨みと缶詰ならではの熟成感を味わうことができる。
良二はもぐもぐと咀嚼しながらグッとサムズアップを彼女に贈る。
ディシディアは手の汚れを下でぺろりと舐めとり、嬉しそうに頬を綻ばせた。
流石に食べさせてもらってばかりでは不公平だ。良二はサンドイッチを作る時にカットしておいたパンの耳を一つ取り、アリゴ――ジャガイモにチーズなどを練り込んだものにディップ。みよ~んという効果音がつきそうなほどの伸びを見せるアリゴに驚嘆するディシディアに軽くウインクし、パンの耳で伸びるチーズの糸を絡めてから彼女の口へと運んだ。
「はむ……んぅ。熱いな……」
アリゴは簡単に言うと、チーズフォンデュのようなものだ。非常に伸びがよく、ジャガイモが入っているおかげで味にまろやかさとコクが生まれているのも特徴で、フランスでは郷土料理として親しまれている。
ディシディアは「はふはふ」と熱そうに口をパクパクさせながらもパンの耳を咀嚼し、ワインを煽る。口元は妖艶に歪んでいて、ピンク色の舌がチロリと覗く。
彼は一瞬だけ身を強張らせたものの、ハッと手を打ち合わせて立ち上がろうと……
「どこに行くんだい?」
したが、ディシディアが腰に抱きついてきた。彼は中腰の態勢のまま、すがるような形になっている彼女の頭に手を置く。
「いいものを持ってきますからね。ちょっと待っていてください」
「むぅ……わかった。なるべく早めに頼むよ」
渋々ながらも拘束を緩めてくれた。良二は彼女を待たせてなるものか、と小走りで冷蔵庫へと向かい、そこからビニール袋を取り出してくる。
「お待たせしました。今日のメインディッシュですよ」
「おぉ……ッ! 待ちわびたよ!」
ディシディアはぷは~と酒気を帯びた息を吐く。その様に苦笑しながらビニール袋を開けるとそこには――イチゴショートとガナッシュケーキが入れられていた。
白と黒の対比は見ているだけでうっとりとしてしまう。良二は逸る気持ちを押さえながらそれらを取り出し、彼女の方に差し出した。
「どっちがいいですか? 選んでいいですよ」
「むぅ……なら、私はこっちを頂こうかな?」
彼女が指を差したのはイチゴのショートケーキ。いかにもな見た目の、上に大きなイチゴがドンと乗った一品だ。
「わかりました。じゃあ、俺はこっちですね」
「うん。それじゃあ、いただきます」
すぐさまフォークを取り、ケーキを一口サイズにカット。勢いよく口に運ぶなり、彼女は頬に手を当てて歓喜に体を震わせた。
ふわふわのスポンジケーキと、適度な甘さのホイップクリーム。そしてイチゴのソースが絶妙なハーモニーを奏でる。シンプルながら、素晴らしい出来栄えだ。
「うん、甘くておいしい。メインにふさわしい品だ」
「でしょう? ケーキといったらショートケーキって言う人もいるくらいですからね」
「納得だね。これはいい。出来れば次は……あの大きなもので食べたいな」
彼女が指さす先にあるのはテレビ。そこにはちょうどホールケーキが映し出されている。何とも食い意地が張っている、とは思いつつも口には出せない。そうすれば軽い折檻を受けるからだ。まぁ、それも可愛らしいものなので受けてもいいのだが。
「ところで、リョージのも美味しそうだね?」
「食べます? 美味しいですよ?」
一口サイズにカットしてやり、彼女の方に差し出す。と、先ほどの自分と同じく、彼女は自分からくらいついてきて、幸せそうに目を細めた。
先ほどのショートケーキが甘さ特化だとすれば、こちらはビターテイスト。生チョコレートの微かな苦味が全体の甘さを引き立てている。
ガナッシュとはチョコレート生地に洋酒などを練り込んで柔らかくしたもののことだが、その名に恥じない柔らかさだ。まるで淡雪のように口で溶けていくクリームとチョコレートの食感に、ついつい口元を緩ませてしまう。
中に入っているチョコレートチップもコリコリカリカリしていて食感にアクセントを加えている。先ほどのショートケーキに勝るとも劣らない出来栄えだ。
「じゃあ、次は私の番だな。はい、どうぞ」
「いただきます」
はぷっと、彼女がくれたショートケーキを頬張る。仄かな甘さのショートケーキはビターなガナッシュの後だとより際立って感じられる。
良二はディシディアほどの甘党ではないが、このショートケーキは気に入ったようだ。意図せず、目じりが下がり口からは悩ましげな吐息が漏れる。ディシディアは妙な愛おしさを覚えながらも彼の口からフォークを引き抜き、自分の食事に戻る。
が、
「ディシディアさんって、ショートケーキのイチゴは最後に取っておく派ですか?」
と、良二に指摘されてしまう。彼の言葉通り、ディシディアの皿の端には分離されたイチゴがちょこんと寄せられていた。
「あぁ、いや、そういうわけじゃないんだ。ほら、こうしようと思っていたんだ」
最後の一切れを口に運ぶや否や、イチゴをフォークに突き刺し、良二の方へと突き刺してくる。彼は一瞬ビックリした様子だったが、ディシディアは優しい笑みを浮かべて説明を入れる。
「君はこのケーキが気に入ったようだからね。より美味しく食べてもらえる方がケーキとしても本望だろう。だから、ほら」
クリームたっぷりのイチゴが自分の方に寄ってくる。本当なら今すぐ食べたいところだが、小さく首を振る。
「い、いいですよ。ディシディアさんが食べてください」
「遠慮するな。ほら」
すでに本心は見透かされているのだろう。イチゴが自分の唇に当てられる。ひんやりとした感触が心地よい。スゥッと息を吸えば、甘酸っぱい果汁の匂いが鼻孔を貫いた。
「……ありがとうございます」
「そうそう。素直になっていいんだよ。召し上がれ」
ゆっくりと口を開け、舌でイチゴを迎え入れる。コロッと口の中に転がり込んできた甘い果実をもったいぶってゆっくりと噛む。じんわりと甘い果汁が染み出てきて、口の中を潤してくれる。たっぷりの生クリームによって滑らかさが増したイチゴは普段食べるものよりも美味しく感じた。
(いや、たぶん……違うかな)
ディシディアが食べさせてくれたから美味しいのかもしれない、などと思ってしまう。独りで食べるよりも二人で食べた方が美味しく感じることはよくあることだ。だから、これも何ら不思議ではない。
彼はじっくり味わうように咀嚼し、満足げに鼻を鳴らす。
「ふふ、気に入ってくれたようでよかった。っと、ちょっと動かないでくれよ」
彼女の理知的な顔がこちらに近づけられる。身を固くする良二とは裏腹に彼女は飄々とした様子で彼の唇の横についていたクリームを指で掬い取り、ピンク色の舌でぺろりと舐めとる。
酔っているせいか、彼女の仕草は非常に色っぽいものだった。顔が熱くなるのを感じる。けれど、それを見透かされたらまたからかわれるに決まっている。
だから火照った頭と体を冷ますべく手近にあったグラスを取って中身を飲み干した。が、それを見ていたディシディアは驚きに目を見開いている。
「リョージ、それワインだが……?」
一気飲みしたのはワインだった。グラス一杯分とはいえ、度数はそれなりに高い。視界が歪み、火照りが消えるどころかますます体が熱くなる。
普通ならこの段階で違和感に気づくだろうに、アルコールにやられた脳では冷静な思考をすることすら難しい。良二はパタパタと手で顔を煽ぎつつ、空になったグラスにワインを注ぎ、ぐびぐびと煽った。
――当然ながら、良二は飲める方ではあるが強くはない。
だから……その数十分後。彼はべろんべろんに酔っていた。
「ディシディアさぁん……うぅん」
「わ、とと……」
自分の方にもたれかかってくる彼の体を全身で受け止める。重く、とても温かい。相当酔っぱらっているらしく、何かをぶつぶつと呟いている。
「やれやれ……ほら、大丈夫かい?」
「らいじょうぶれすよぉ……ディシディアさん……」
ダメだ、と直感する。もう支離滅裂、といった感じである。
嘆息し、彼を引きはがそうとする。が、良二は赤子のように首を振ってイヤイヤをしながら、ぎゅうっとディシディアの体を抱きしめてきた。いつもよりも強い抱擁に彼女の顔が苦悶に歪む。
「ディシディアさんの体はちっこいですねぇ……プニプニしてて柔らかくて温かくて……抱き枕みたい」
「もう寝なさい。ほら、布団を敷いてあげるから離してくれ」
「嫌ですよぉ。ディシディアさんと一緒にいるんです」
「……できれば、素面の時に言ってほしいものだな」
「何度でも言いますよぉ。ディシディアさんと一緒にいます。大好きです。愛してます。世界で一番です」
ずるい、とディシディアは思う。酔っている時は本音が漏れるということもあると聞くが、まさか彼がそうだったとは。
にしても、ここまで熱烈なラブコールをしてくるとは予想外だったのか、彼女は硬直して顔を真っ赤にしている。
と、良二はひとしきり愛を囁き終えたのか、スゥッと身を離した――かと思うと、ディシディアと向かい合う形になるや否や、彼女の小さな肩を掴んで自分の方に引き寄せはじめた。
強引な彼に戸惑いながらも、ディシディアは必死の抵抗を試みる。
「な……何をする!?」
返事はない。彼はただ真剣なまなざしでこちらの目を見据えてきて、自分と彼女の唇を重ねようとする。
彼も、エルフ族のしきたりは知っている。互いの唇を重ねる行為は生涯を駆けて相手に尽くす、ということである。ただ、この酩酊した頭でそこまで考えているかはわからない。
ただ、それでも、彼の目は真剣そのものだった。
――けれど、ディシディアはふぅっとため息をつき、自分の右手を彼の顔の前に突き出した。その瞬間、手が淡い桃色の光を放つ。
「……《眠りに誘え、卑しき夢魔よ。貪り喰らえ、夢と記憶を》」
「あ、れぇ……」
所要時間数秒。良二の体がぐらりと揺れたかと思うと、彼はその場に突っ伏してぐぅぐぅと心地よさ気な寝息を立ててしまう。
今、ディシディアが使ったのは『催眠魔法』の一種だ。きっと起きるころには、良二は自分がどんなことをしていたのかも忘れるだろう。
「やれやれ、困った子だ。この前も思ったが、やる時はムードを大切にしてくれ」
自分の気も知らずすやすやと眠る彼の額をピンと指で弾き……少々赤くなった部分に淡い口づけを寄越す。
「今日はこれで我慢してくれ。おやすみ、リョージ。次に期待しているよ」
その時、彼の頭がわずかに縦に揺れた――様な気がした。