第百六十一話目~波乱万丈クリスマス~
昼時のショッピングモール。その中にあるゲームセンターに良二とディシディアはいた。彼女たちが向かい合っているのはクレーンゲームの台。この時期ほしくなるブランケットが置いてあり、それをクレーンで落とすという至ってシンプルなものだ。
良二は今回傍観を貫いているのだが……ディシディアは相当真剣な様子なものの、あいにく落とすまでには至っていない。どころか、掠りもしないこともしばしばあって中々苦戦しているようだ。
「むぅ……難しいな」
彼女は歯噛みしながらボタンを押し、ちょうどいい所までクレーンを移動させるものの、あいにくアームの力がそこまででもないため持ち上げるまではいかない。クレーンは悲しげな音を立てながら元の位置に戻っていった。
「クソゥ……諦めてなるものか」
「もうやめましょうよ。千円以上つぎ込んでいるじゃないですか」
「いや、まだだ! 見たまえ、もう少しで落ちそうじゃないか!」
彼女の目は、完全にイっていた。元々負けず嫌いな性格な彼女はこういったゲームと相性が非常に悪い。最悪、これを取る為ならば数万円は浪費するだろう。金持ちだというのもそれに拍車をかけているのだ。
良二は両替機のところに行こうとする彼女の襟元をがっしと掴み、台から引きはがす。
「あぁ! ま、待ってくれ! 後一回、一回でいいから!」
「ダメです。そういう時は二回、三回ってやっちゃうんですから」
図星なのだろう。ディシディアはぐうの音も出ない、といったように肩を落とす。不覚にもその姿が悲しそうに見えてしまい、良二の良心がずきりと痛んだ。
彼は盛大なため息をつき、ポケットから財布を取り出し、百円を台に投入。すると非常に慣れた手つきでクレーンを操作し、あれほど彼女が苦戦していたブランケットを一発で取ってしまった。
口をあんぐりと開ける彼女の方を見もせずに彼は取り出し口からブランケットを引き出し、彼女に渡す。
「はい、これでいいでしょう? あまりお金を無駄遣いしちゃダメですよ?」
「む……そうだね。少々冷静さを欠いていた。が、元々それは君にあげるつもりだったんだ。取っておきたまえ」
ズイッとブランケットを押し返される。彼女なりに自分のことを思ってくれているのは嬉しかったが、それが元で無駄遣いされてはたまらない。良二は苦笑しながらブランケットを専用のビニール袋に入れて肩に担いだ。
ディシディアは不完全燃焼気味だったものの、彼に諌められてようやく落ち着いたのだろう。ガシガシと髪を掻き毟ってから、その場を後にする。けれどまだゲームセンターを出ることはなく、内装を確認しているようだ。
考えてみれば、彼女がゲームセンターへ来るのは初めてだ。まさしく庶民の娯楽、といった感じで老若男女が集まって楽しげに遊んでいる。アーケードゲームやクレーンゲーム、果てにはプリクラなども設置されている。大型ショッピングモールということもあり、品揃えは豊富である。
「ここも面白そうだね。今度は時間がある時に来ようか」
「はい。それより、そろそろご飯に行きませんか?」
それに応えたのは彼女の腹の虫。グゴゴゴゴ……と地鳴りのような音を響かせ、それを聞いたディシディアは顔を真っ赤にしてしまう。良二は面白そうにしていたが、彼女にジト目で睨まれ、グッと押し黙る。
「……賛成だ。ご飯を食べよう。オススメはあるのかい?」
「一応調べてきましたよ。こうなることは予想できていたので」
「流石だ。では、エスコートを頼むよ」
「かしこまりました。ディシディアさん」
騎士さながらの恭しい仕草で彼女の手を取り、エスコートする良二。先ほどまでは不機嫌そうにしていたディシディアだったが、今はすっかり気分をよくして彼についていく。
流石にクリスマスということもあって人はかなり多い。けれどその中を縫うように動き、良二たちは三階へとつながるエスカレーターへとたどり着いた。
最初はこれを使うにもおっかなびっくりだったディシディアだが、今は慣れた調子でピョンッと飛び乗ってみせる。良二はそれを横目で見て、クスッと笑う。
彼女は自分よりも何倍も大人なはずなのに、こうやって遊びに来た時見せる表情はとても可愛らしくて子供っぽい。いつもは大人びた態度をしている彼女も見知らぬものを前にすると外見相応の態度になるのだ。
どちらのディシディアも甲乙つけがたいが、個人的な好みとしては彼女が笑ってくれている方がありがたい。彼女が笑っているのを見ると、なぜだか自分まで楽しくなってきて自然と笑ってしまうのだ。
本人は気づいていないだろうが、良二は何度も彼女に助けられた。辛いことがあっても帰って彼女の笑う顔を見ていると明日を生きる気力が沸いてきたものだ。
最初はただの同居人、と割り切っていたがやはり彼女の存在は自分の中で大きくなりつつある。それは彼女も同様だ、ということを朝確認したせいか、胸の奥が温かいように思える。
「……と」
などと考えているうちにいつの間にか三階へと到着。良二はややつんのめりながらも着地し、一旦柱の方へと寄ってスマホを取り出した。
「えっと……あ、こっちですね」
スマホを確認しつつ、道なりに進んでいく。このショッピングモールは上から見ると巨大な円のように建てられているため、迷う心配がないのは利点だが歩き続けていると目が回りそうになるのが欠点だ。
それでも何とか歩いていくと『グルメテラス』と書かれた看板が見えてきた。二人は狭い路地を抜け、中央のグルメテラスへと到着。すると案の定と言うべきか、人々は店の前で行列を作っていた。
その様に、ディシディアはわずかに怯んだ様子で後ずさる。
「こ、これは……」
「大丈夫ですよ。もう予約してあるんで」
そう言って彼が歩み寄ったのは――スペイン料理屋だ。いきなりレジの方へと向かう彼に待っていた人たちの非難の視線が向けられるが、やがてやってきた店員の対応を見てそれが取り払われる。
「ご予約の飯塚様ですね。では、こちらへどうぞ」
店員が案内してくれたのは窓際の二人席だった。ソファはなく、どちらも椅子だが座れるだけマシ。良二は執事が如く椅子を引いてやり、ディシディアが座りやすいようにしてやった。
「ふふ、ありがとう。君は紳士だね」
「えぇ。今日だけはあなたの執事だと思ってください」
「ずいぶんキザな台詞を吐くね。それもクリスマスのせいかい?」
クスクス、と楽しげに笑うディシディア。良二はそれを見て、そっと胸を撫で下ろす。
クレーンゲームの件で一悶着あったため、まだ怒っているのかと思ったのだ。が、それは杞憂だったらしい。
そもそもあれはディシディアが勝手にエキサイトしていただけだ。だから、彼に非は全くない。当のディシディアもあの時のテンションには自分でも違和感を持っていたのだろう。少々気恥しげにしている。
が、空腹感を凌がなければ始まらない。二人は同時にメニュー表を覗き込んだ。
スペイン料理は初めて経験するものばかりで、見るものすべてが新鮮に映る。材料なども記載されている上に写真も載っているのでディシディアでもわかりやすい。
そんな彼女の目を引いたのは――スペイン名物とでもいうべきパエリアだった。
「パエリアか……美味しいのかな?」
「パエリアは美味しいですよ。俺が保証します」
「なら、それを頼もう。ドリンクバーをつけてね」
「わかりました。で、どのパエリアにします?」
言われて、ディシディアは軽く唸った。何せ、パエリアだけで十を超えるほどの種類があるのだ。正直な話、この中から選ぶのは至難の業。彼女はしばしメニュー表とにらめっこをしていたものの、やがて細い息を吐いて椅子に体を預けた。
「君に任せるよ。頼む」
「わかりました。じゃあ……すいません」
軽く手を上げ、ウエイターを呼ぶ。精悍な顔つきをした男性はメニュー表を片手に、優しく微笑んでくる。
「この『バレンシア風パエリア』を一つお願いします。あ、後ドリンクバーを二つ」
「かしこまりました。ドリンクバーはあちらの方でご利用くださいませ」
それだけ言って男性は去っていき、二人もドリンクバーの方へと急ぐ。二人はコーラをチョイスし、入れ終えるとトコトコと席へと戻り、安堵のため息をついた。
「今日は本当に人が多いね。まぁ、色々と楽しめたからよかったが」
実を言うと、ゲームセンターによる前に二人は映画を見に行っていたのだ。
ちなみに今日見た映画の内容を簡単に言うと、男女の入れ替わりものだ。巷で大流行しているらしく、ディシディアもたびたび見に行きたいとねだっていたのだ。
実際評判以上の出来で、見た後はしばらく立てなかったほどだ。ディシディアも圧倒されているらしく、大好物のポップコーンにほとんど手をつけておらず退場する時になって急いでかっ食らっていたくらいである。
「それにしても、あの映画は色々と考えさせられるね……ところで、一応君に聞いておきたいのだが」
「何ですか?」
「君も女性と入れ替わったら胸を揉むのかい?」
コーラを口に含んでいるのが災いした。彼は勢いよく口の中の液体を噴出してしまい、それはディシディアの顔に直撃。彼女はしばし放心していたが、ややあって笑いながらおしぼりで顔を拭いた。
「あああああ……ご、ごめんなさい!」
「いや、いいんだよ。そこまで酷くないさ」
とは言っても、相当かかっている。良二は念のため持ってきていたハンカチの予備を使って彼女の顔を拭いてやる。その度に彼女は「う~……」と小さく呻いていたが特に嫌そうな気配はなく、むしろ気持ちよさ気に目を細めていた。
水滴は取り払えたものの、コーラをまともに浴びたのだ。当然ながら体はべたつく。濡れたおしぼりで拭いたとはいえ、完全に不快感が消えたわけではない。
ディシディアは唇を尖らせながらべたつく毛先を指で弄ぶ。
「……残念だが、今日はちょっと早めに帰りたいな。体を洗いたい」
「す、すいません……本当に」
「謝らなくていい。元々人ごみで疲れていたから、早めに帰るつもりでいたんだ。それより、質問に答えてくれるかい? 君は揉むのかい? 揉まないのかい?」
「……揉みません」
聞こえるか聞こえないかギリギリのか細い声だった。彼の顔は今にも火が出そうなほどに真っ赤になっている。正直、これ以上追及されれば恥ずかしさで逃げ出しそうだった。
が、ナイスタイミングと言うべきか、そこでウエイターがやってきて一枚のコースターと小皿を置く。
「こちら、パエリア鍋を置くコースターとトッピングのレモンとガーリックマヨネーズでございます。後しばらくお待ちください」
彼に軽く会釈し、ディシディアは良二へと視線を移す。彼は俯いていたが、たまにこちらをチラチラと見てくる。その仕草がどこか小動物じみていて可愛らしく思えると同時、いたずら心がふつふつとわいてくる。
「リョージ。もし私と入れ替わったら、その時は揉むのかな?」
「な……ッ!? も、揉みませんよ……だって嫌でしょう?」
「ん? 私は……別に君になら揉まれてもいいんだけどね」
驚くほどさらりと言ってのけるディシディアに良二は目を剥く。が、すぐに周囲から怪訝な視線を向けられていることに気づき、唇に人差し指を当てて「シーッ!」と言う。ディシディアは心底おかしそうに含み笑いをして、コーラを煽った。
「ふふふ、今のは本心だよ。私だって、知らない男性に触れられるのは嫌だ。が、君ならいいと思っている」
それが本心かどうかは、微笑を讃えている彼女からはうかがえない。ただ、一つだけわかるのは彼女がこの状況を楽しんでいるということだ。
良二が額に手を置いてガックリと肩を落とした直後、ふと二人の元へとウエイターがやってくる。
「お待たせしました。こちら、バレンシア風パエリアでございます」
「おお! これは美味そうだ!」
置かれた品に、ディシディアは賛辞を送る。実際に、かなり美味そうだった。
骨付き肉、パプリカ、ブロッコリー、トマト、いんげんがゴロゴロと入れられており、上にはパセリが散らされている。黄色い米との対比も美しく、もはや芸術品のようだ。
香りの段階でも期待できる。空腹の胃には大変喜ばしい力強い香りだ。嗅いでいるだけでご飯が数杯はイケそうなほど。自然と口内には唾が溢れ、ディシディアはそれを嚥下して手を合わせた。
「では、いただきます」
「いただきます」
取り皿はない。だから、これから直接掬って食べるのだ。
ディシディアはスプーンをガッと突き入れ、米と一緒に野菜たちを頬張る。
刹那――舌に重い衝撃が走る。
「これは……何と見事な炊き出しか……ッ!」
ブイヨンと具材たちの旨みが複雑に絡み合っている。鶏肉には香草がまぶされていて、香りだけでなく味の方も抜群。野菜たちはそれぞれ独特の食感を持っていて、食べるだけで幸せが押し寄せてくる。
特に秀逸なのが野菜のあしらいだ。特に素晴らしいのがトマト。フレッシュで、噛むとじゅわっと旨みが溢れ出てくる。それが口の中で米と一体になり喉を下っていく瞬間は極上。
骨付き肉は臭みを香草によって完全に消している。手羽元が三本ほど入っているが、どれもそれなりの大きさを持っている。相当な食べごたえだ。ジューシーで、パエリアにもよくマッチしている。
パエリア鍋――通称パエジェーラのふちにある部分の米はカリッとしていておこげのようだ。対して、中央付近に行くとパラパラとした食感が特徴となる。この食感の対比も面白く食欲をそそるものだ。
ディシディアはすっかり気に入ったようで、ニコニコしながらものすごい勢いで食べ進めている。良二も負けじと頬張るが、そこでようやくトッピングのことを思い出す。
「あ、そうだ。ディシディアさん。レモンとかマヨネーズはどうします?」
「う~ん……お好みでしてみないかい? 個人でさ」
「それもそうですね。その方が失敗もしないでしょう」
彼は言うなり、マヨネーズをスプーンで掬って手近にある米の上に落とす。一方のディシディアはレモンをかけて、その部分を口に入れた。
すると――マヨネーズをかけた方はよりまろやかに。レモンをかけた方は涼やかな味わいへと変化する。元々ポテンシャルが高いとは思っていたが、まだ伸び白があったとは驚きだ。
二人は今度は別のトッピングをしてみて、また目を見開く。
「マヨネーズはいいね。案外合う」
「レモンは流石って所ですね。さっぱりしていて、いくらでも食べられそうです」
「まぁ、少々量が少ないのが難点だけどね」
パエジェーラは底が浅い鍋だ。だから、見た目ほどは量がない。あっという間に空になってしまうが――それでも満足感はあった。
二人は食後のコーラを煽り、同時に一息。ディシディアは一旦レジの方を見やり、肩を竦める。
「そろそろ出るかい? 待っている人たちも大勢いるし、私も早めに体を洗いたい」
「……すいま……ぐにゅっ!?」
口に入れられたのは、骨だけとなった骨付き肉。ガリッとした感触を得ると同時、良二は目の前の彼女がわずかに眉を吊り上げていることを理解した。
「何度も謝らなくていい。せっかくのクリスマスだろう? 楽しくいこうじゃないか」
「……はい」
口から骨が引き抜かれると同時、肯定する。と、ディシディアは満足げに胸を反らして席を立った。
「ほら、今日は私の執事をやってくれるんだろう? またエスコート頼むよ。好きなんだ、君に手を握ってもらうの」
差し出される小さな彼女の手が、今日だけは大きく見える。良二は皮肉げな笑みを浮かべた後でその手を強く握り席を立った。そうして、レジの方へと向かい、手早く会計を済ませるなり出口の方へと急ぐ。
ちょうどランチタイムを抜けたからだろう。人の流れは緩慢になりつつある。この調子なら早めに帰れることだろう。
二階に降り、駅へとつながる道を急ぐ。曲がりくねった道を行き、開けた場所にくれば駅まではあと少し。大きなエスカレーターを降りさえすれば建物から出ることになる……が、
「待った」
と、ディシディアが制止をかける。良二はグイッと手を引かれ仰け反るがすぐに体勢を立て直し、彼女の方へと改めて向き直る。
「どうしたんですか?」
「あれだよ、あれ」
彼女が指さしているのは――小さなドーナツショップ。だが、普通のドーナツではない。
ハワイのドーナツ、通称マラサダを売っている店だ。それを見て、良二はポンと手を打ちあわせる。
彼女があれに興味を示したのは、最近ハマっているゲームである『パチモン』にそれを模した食べ物が出てくるからだろう。ゲームでは『ダサラマ』と表現されている。なるほど、いかにも安直なネーミングだ、と実物を前にした二人は同時に頷く。
無論、この後の展開は読めていた。良二は前に出ようとする彼女を手で制し、財布を取り出してレジにいる女性に千円札を渡す。
「すいません。マラサダ二つ。味は……シュガーとアップルシナモンシュガーで」
「承知しました。揚げたてをお持ちしますので、お待ちください」
女性はそれだけ言って奥へと消えていってしまう。ディシディアはその間、マラサダの説明書きを読んでいた。
元々はポルトガルの菓子だったそうだが、ハワイに輸入された時に大人気を博し、あちらでの伝統料理という扱いになったらしい。
今回のパチモンもハワイをモチーフにしているのでこのマラサダがかなりストーリーに絡んできたのだが、ディシディアはずっと食べるのを楽しみにしていたらしい。耳がピコピコと動き、興奮を隠しきれないでいる。
それを見かねてというわけではないだろうが、奥から女性が二つの紙袋を手にやってくる。すでに甘い匂いが漂ってきており、先ほどパエリアを食べたばかりなのにもう食欲が湧いてきた。
「はい、お待たせしました。シュガーとアップルシナモンシュガーです」
「どうも。はい、ディシディアさん」
渡されたのはシュガー。一番シンプルで人気の味だ。対して良二のものは期間限定商品。シナモンの香りが強く、ややクセがあるように思える。
けれど、まずは食べてからだ。二人は同時に手を合わせ。
『いただきます』
口を揃えて言うなり、マラサダにかぶりつく。直後、二人を襲ったのは未知の食感だ。
ふわぁ……と綿のような食感を得たかと思うと、噛み切ればもっちりとした歯ごたえ。噛み締める度にグラニュー糖のカリカリが感じられるのに、一方の本体はうまみ成分の塊となって喉を下っていってしまった。
人は美味いものを食べた時、自然と頬が綻ぶ。おそらく、周りから見れば歩きながらにやけている二人の姿は異様にも思えただろう。だが、構わない。
何せ、それほど美味いものなのだ。周りの目など気にしていては楽しめない。
二人は一瞬顔を見合わせるものの、すぐにまたかぶりつく。するとやはり、道の食感が二人を襲った。
油で揚げられているはずなのに、全くくどくない。グラニュー糖だってたっぷりとまぶされているのだ。少しは油っぽかったり後味が重かったりしてもいいようなものだが、それがないのだ。
驚くほどすいすいと食べられる。が、全部食べることはできない。
「ん、リョージ。取り換えっこだ」
「はい。こっちも美味しいですよ」
彼から受け取ったマラサダにかぶりつく。と、今度はシュガーとはまるで違う味わいが口の中に広がった。
シナモン特有の香りが口いっぱいに広がったかと思うと、アップルの清涼感のある甘さと酸っぱさがやってくる。シュガーとはまた一味も二味も違う。使っているマラサダ本体は同じなはずなのに、ここまで差異が出るとは驚きだ。
しかし、やはりこの独特の食感がたまらない。いっそ、マラサダのクッションを作ればどうかと思ってしまうほどだ。ふわりと沈みこみながらも確かな弾力を持つマラサダをクッションにして寝れば極上の眠りが得られるはずだ。
ただ、一つ難点を上げるとすればたっぷりとまぶされてるグラニュー糖のせいで口が汚れてしまうことである。良二などは白いグラニュー糖を口の周り一杯につけており、その姿はさながらサンタさんのようであった。