第百六十話目~クリスマスの朝・ベーコン卵焼きと共に~
「ん……ぅん」
朝、窓から差し込んでくる日差しを受けてディシディアは目を覚ました。昨日のカラオケの余韻が残っているのだろう。喉をさすり、声の調子を確かめるべく「あ、あ」と声を発し、それから満足げに鼻を鳴らす。
寝返りを打って横を見れば、そこに良二の姿はない。ならばと思って台所を見れば、そこにはエプロンを着て包丁を華麗に操る彼の姿があった。その堂に入った姿を見て目を細めつつ、彼女は昨日のカラオケのことを思い出す。
少々アクシデントはあったものの、あれからはとても楽しい時間を過ごせた。良二は中々に歌も上手く、聞いていて心地よいものだった。当然彼女はそれに賛辞を贈ったのだが、相変わらず謙遜したままだった。
良二は多芸だ、とディシディアは思う。確かに突出した才覚はないかもしれないが、一度やり方を聞けば大抵のことはマスターできる。これもある種の才能だろう。何でも屋という稼業はひょっとしたら彼に合っているのではないだろうか?
どれもこれも人並み以上にこなせればいいのだから、うってつけだ。本人的には別の就職先を探すらしいが、ディシディアとしてはそちらの方が彼の性分――困っている人を放っておけないというところにも合致していると思えた。
(まぁ、彼の人生だ。口出しするのはやめておこう)
自分がやれるのはあくまでアドバイスだけ。それで十分だ。
そう自己完結し、ぐ~っと背伸びをしてみせる。と、
「ん……んぅ~……ん?」
コツン、と指先に固いものが当たった。その感覚に戸惑いつつ枕もとを見るとそこには――大きな箱が置かれていた。綺麗な包装がなされており、蝶々結びにされているリボンが可愛らしい。
「ッ!? りょ、リョージ!」
意識が一気に覚醒した。ディシディアはバッと飛び起き、枕元にあったプレゼントを取って台所にいる良二の元へと駆け寄った。
「あぁ、おはようございます、ディシディアさん。メリークリスマス」
「うん、おはよう。メリークリスマス……じゃなくて、だ! このプレゼントは、君が置いてくれたのかい?」
その言葉に首を傾げる良二。彼はひょいっと肩を竦め、
「いや、俺じゃないですよ? たぶん、サンタさんが置いてくれたんじゃないですか?」
と、どこかわざとらしく言ってみせる。普段ならいつもと違う様相に気づいていたかもしれないが、ディシディアはすでにプレゼントに釘づけだ。目を皿のようにして箱を眺める彼女に、良二は出来立ての卵焼きを差し出す。
「もうすぐできますからね。味見、いかがですか?」
答えはない。彼女は餌を待つヒナのように口を開け、良二はそこに薄くスライスした卵焼きを入れてやる。今日はいつもの卵焼きとは違う。
「中に入っているのは……ベーコンかい?」
「はい。ちょっと贅沢版です。結構いけるでしょう?」
おそらく、入れる前にカリカリに焼いていたのだろう。食感は損なわれることなく、香ばしさを保っている。ふわふわとした卵焼きの中でカリッとした食感を見つけるのは中々に面白いものだ。
頬に手を当てて恍惚の表情を浮かべるディシディア。それを見て自分も幸せな気持ちになりながら、
「今日もお出かけしましょうね。美味しいものも食べましょうよ」
「あぁ! っと、それよりもこのプレゼントを開けなくては……」
丁寧に包装を破く。すると大きめの紙箱が露わになり、彼女はおそるおそるそれを開けて――ハッと息を呑んだ。
「ッ! これは……マフラー、かな?」
中に入っていた布を引き出し、びろ~んと広げてみせる。間違いなく、マフラーだ。カエデ柄のマフラーは可愛らしく、クリスマスの雰囲気にもピッタリだ。彼女はよほど嬉しいのか、目をキラキラと輝かせている――が、すぐに首を傾げてしまった。
「むぅ……確かに嬉しいが、私が望んだものとは違うな」
「えっ!? そ、そんなはずは……」
良二はあからさまに戸惑いを見せてしまう。
彼女がマフラーを欲しがっていることは調査済みだった。こちらの寒さにまだ適応できていないために、少しでも防寒服を集めているのは知っている。それでもまだマフラーだけは揃えていないらしく、外出時は首を縮めていたものだ。
だから、このチョイスは間違いない……はずなのだが、ディシディアは得心が行かないように唇を尖らせている。自然と、良二は彼女に問いかけていた。
「あ、あの、ディシディアさんが欲しかったものって?」
「む? 決まっているさ」
彼女は一旦マフラーを首にかけ、ほっこりとした顔になってから勿体つけて口を開いた。
「君といつまでも一緒にいられるようにってさ。その願いさえ叶えてもらえるなら、何でもいらないとすら思った……が、こうやってプレゼントが寄越された、ということは、それは叶わない願いなのかな……」
彼女の顔が悲しげに歪む。それを見ているだけで、胸がギュゥっと締め付けられるようだ。
――クリスマスに、悲しい顔は似合わない。
ほぼ、無意識だった。良二は咄嗟に彼女の右手を握り、それを自分の耳元まで持ってくる。必然的に彼女はつま先立ちになる形になり、良二は彼女を支えるべくその細い腰に反対側の手を回す。
「な……ッ!?」
ピトッと、二人の体が触れ合う。自分の胸を通じて伝わってくる彼の温度に戸惑っているのも束の間、彼の形のよい唇が優しく言葉を紡ぐ。
「……心配いりませんよ。俺からサンタさんには言っておきましたから。その願いは俺が絶対に叶えるって。だから、代わりにマフラーを送ってもらうように言ったんです」
「本当かい? 私は……君といていいのかな?」
「むしろ、いてくれなきゃ俺が困ります。知ってますか? クリスマスを独りで過ごすって結構寂しいんですよ? もちろん、今日だけじゃなくてこれからも一緒にいてください。お願いします」
彼の目は確かな覚悟と決意に満ちていた。それに応えるように、自分も彼の手を強く握る。それよりも強く握り返される。だから、お返しにこれでもかと強く握り返してやった。彼の顔は苦悶に歪むものの、そこには確かな喜びと幸福感が現れている。
ディシディアはしばし彼をジィッと見つめていたが、ややあって何かを思いついたかのように耳をピンッと立てるなり、自分が巻いていたマフラーを解き、彼の首にかけてやる。それなりの長さがあるので、二人が巻いても違和感はなかった。
「ふふ、サンタさんとやらも粋なことをしてくれるね。こうすれば、君と共有できる」
運命の赤い糸……ではないかもしれないが、二人を取り持ってくれるものとしては十分だ。胸がポカポカしているのは、きっと充足感によるものだ。ディシディアは彼の胸元にポスッと額をつけ、嬉しそうに目を細める。
対する良二も愛おしげに彼女の腰に回す手に力を込めていた……が、彼は一つ失念していた。
今、コンロでは魚を焼いていたのだが……彼がそのことを思い出すのは魚がもうもうと黒煙を放っており、もはやダークマターとなった後だった。