第十六話目~過去と花火とチョコバナナ
さて、対決から小一時間後――二人は依然として祭りを楽しんでいた。ディシディアは買ったばかりの狐の面を側頭部に着け、手首からは藍色の巾着袋を下げている。
左手には巨大なわたあめを掲げており、一方で右手に持っているイカ焼きをむぐむぐと美味しそうに咀嚼していた。
今時ここまで祭りを楽しんでいるものも少ないだろう。彼女は興味を持ったもの全てに手を出し、気づけばこうなっていたのだ。
「それにしても、ずいぶん買いましたね」
「まぁね。だって、この祭りというのは来年の夏までないんだろう? だったら、楽しまなくちゃ損じゃないか。それに、お金は腐るほどあるしね」
その言葉に良二は頬を引くつかせた。
彼女が持っている財宝を全て換金したならば、人生を七回ほど遊んで暮らせる額になるだろう。実際、今彼女が保有している額ですら、良二が一生かかっても稼げないのでは、と思うほどなのだから。
「困ったら私に言ってくれ。奢るよ?」
「いや、それは……」
とは言ったものの、現在良二の家計は彼女によって支えられている。例の借金取りによって金を根こそぎ持っていかれていたせいで、家賃もいくらか滞納していたのだがそれは全てディシディアが払ってくれたし、食費も賄ってくれている。
まぁ、それはおそらく少しでも美味い食事にありつきたいからだろうが。
彼女はひょいっと肩を竦め、わたあめにかぶりついた。
わたあめはふわりと口の中で溶けていき、優しい甘さを届けてくれる。彼女は多幸感に身を震わせながら、またしても口へと運んでいく。初めて食べる食感だったが、悪くない。いや、最高だ。
まるで雲を食んでいるような錯覚を得て、ディシディアはスッと目を細める。
「ふふ、このような食べ物まであるとはね。つくづく飽きない場所だよ、この世界は」
「たぶん、一生飽きないと思いますよ。だって、たった十数年しか生きていない俺がこう言えているんですから」
「そうだね。実際、私もまだここに来て一か月も経っていないんだから。もっともっとこの世界を見てみたいよ」
そう告げる彼女の目はキラキラと輝いていて、まるで夢見る子どものようだ。この、たまに見せてくれる輝くような笑顔が、良二は大好きだった。
ディシディアはいつも凛とした表情をしており、落ち着いた言葉遣いをしているがこうやって夢や目標を語る時にはやや興奮気味になる。何かを食べている時の幸せそうな顔もいいが、それよりもこちらの希望と活力に満ちている彼女も魅力的だ。
透き通るような緑色の瞳で見上げられ、良二は思わずゴクリと喉を鳴らしてしまう。一方でディシディアはまだ見ぬ未来に想像を膨らませているのだろう。耳をせわしなくピコピコと動かしていた。
「ところで、リョージ。君のオススメ料理というのはどこにあるんだい?」
その言葉に、良二はハッとした。
昨日、本来なら買ってあげようと思っていたのだがあいにくと品切れだったのだ。そのため、今日買うという約束を交わしていたのである。
「す、すいません! 忘れてました!」
彼も先ほどまでは勝負の事で頭がいっぱいだったのだろう。焦燥感を露わにした彼はディシディアの手を取り、先へと進んでいく。
当然、成人男性の彼と小柄なディシディアでは歩幅が違いすぎる。彼女は大股になりつつも必死に彼に着いていっていた。
「あ、見えましたよ! まだ売ってるみたいです!」
彼が指差した先には、大勢の客が並んでいる屋台があった。店先には――棒に刺さった真っ黒な何かが並べられていた。
その見慣れぬシルエットに、ディシディアはキョトンと首を傾げた。
「あれは?」
「チョコバナナって言うんです。棒に刺したバナナをチョコレートでコーティングしたものですね。一応、俺のオススメです」
その言葉に、ディシディアは深く頷いた。彼の口元には自信ありげな笑みが浮かんでいる。これならば、ハズレはないだろう。
実際、この行列がそれを裏付けている。比較的小さな屋台の前に大勢の人が並んでいる様は圧巻だ。
しかし、この屋台というものは回転が速いものがほとんどである。あっという間に最前列に来たディシディアは手前にあるチョコバナナを見やって悩ましげな吐息を漏らした。
漂ってくるのは、濃厚なチョコレートの香り。甘党の彼女にとっては、これだけでも決定打に等しい。
さらに、ただコーティングしたというわけではなくて銀色の玉のようなものや、ピンクや青色の粒状の何かがトッピングされている。提灯の明かりに照らされたそれらは、さながら宝石のようだ。
「どれにしますか?」
「……では、これを頼もうか」
彼女が指差したのは、色とりどりの粒チョコがトッピングされたものだった。見た目にも鮮やかで、陳列されている中でも特に美しいものである。
「じゃあ、それを一つ。俺はこれで」
そう言って彼が指差したのは、何とザラメがトッピングされたものだった。
べっこう色のザラメがチョコにたっぷりと飾られている。見た目的には地味だが、中々に美味そうなものだった。
「はい、落とさないように気をつけてくださいね」
良二は半腰になり、ディシディアにチョコバナナを与える。彼女は確かな重みを感じながら、ごくりと生唾を飲みこんだ。
「いただきます……」
バナナはかなり太く、大きい。彼女は顎が外れんばかりに口を開き、カプッと噛みついた。
「~~~~~~っ!?」
その瞬間、彼女の体がブルリと震えた。彼女は無意識のうちにギュッと手を握りしめ、襲い来る旨みに身構える。
塗られているチョコは、ただのチョコではない。おそらく、かなり質がいいものを使っているのだろう。濃厚で、かつ口当たりがサッパリとしているから食べやすい。その上、風味が段違いであっという間に口内を満たすのだ。
主役のバナナもしっかりとした味わいだ。甘く、けれどしつこすぎずにチョコとうまく混ざり合う。丁寧に筋を取ってあるおかげか歯触りもよく、するりと喉を下っていく。なのに、舌にはいつまでもチョコとバナナの余韻が残るのだ。
また、トッピングされていた粒チョコにも大きな役割がある。味に変化をもたらすとともに、カリッという小気味よい食感を与えてくれるのだ。見た目を華やかにするだけでなく、食べるものに『飽き』を与えない。見事な仕事だ。
パッと見た感じでは、簡単に見える料理だろう。だが、だからこそ――見えぬ工夫が凝らされている。食材や下ごしらえなどがちゃんとしていなければ、ここまでの味は生み出せない。職人芸が光る一品だ。
「よければ、こちらもどうぞ」
あまりに美味そうに食べていたからだろう。良二がそっと自分のチョコバナナを差し出してきた。彼女はそれを見るなり目を輝かせ、良二の顔を見上げた。
「いいのかい?」
「もちろん。食べてみてください」
「じゃあ、いただきます」
彼女はカプッとかぶりつき、またしても感動に身を震わせた。
こちらで使われているのはザラメだ。これが、粒チョコとはまた違った食感と味でチョコバナナに変化を与えてくれる。
ザラメはガリガリとしていて非常に歯ごたえが強いが、意外にもこれがチョコバナナに合うのだ。バナナが柔らかいからだろう。この歯ごたえがむしろ癖になる。
ザラメの無骨とも言える甘みが加わることで、チョコバナナに強い味わいが生まれるのだ。
ディシディアは心底満足げに息を吐き、続いて自分のものを良二に突き出した。
「お返しだよ。さぁ、どうぞ」
「えぇ、いただきます」
良二は小さく口を開けてそれにかぶりつき、グッと親指を立ててみせた。
「うん。やっぱり美味しいです」
「そうだね。君のオススメなだけあるよ。ありがとう。とても気に入ったよ」
「だと思いました。ディシディアさんって甘いものが好きですし、この前のリンゴ飴も気に入っていたみたいでしたから」
実のところ、ディシディアはかなりの甘党である。もちろん、塩辛いものや酸っぱいものも好きなのだが、特に好んでいるのは甘いものだ。
やはり、長いこと森で暮らしていたからだろう。こちらの世界で提供される様々な甘味に心を奪われたらしいのだ。
「さて……そろそろ時間だし、帰ろうか」
会場に設置された時計を見れば、今は九時近い。ところどころ店も閉まり始めているし、ここら辺が潮時だろう。良二もそれに同意を示し、共に帰路に着く。
「それにしても、楽しかった。ふふ、今日は君の意外な才能を見れたしね。どこかで修業したのかい?」
「修業なんて、そんな。ただ、習っただけですよ」
「ほぅ。誰にだい? 君にも師匠が?」
「いえ、師匠というか……母に、習ったんです」
その時、わずかに良二の瞳が陰ったのをディシディアは見逃さなかった。
が、今日はめでたい祭りの日だ。個人のことに詮索するような、無粋な真似はふさわしくない。
そう考えたディシディアはチョコバナナの棒を口に咥え、ピコピコと動かしてみせる。
「……そうか。まぁ、いいさ。気が向いた時にでも、話してくれ」
「えぇ。いつか、話しますよ」
それから、二人は言葉少なに道を歩いていく。
と、しばらく歩いたところで、ディシディアがはたと足を止めた。
「なぁ、リョージ。あれは?」
彼女が指差す先にあったのは――売れ残りの花火を売っている屋台だった。大きめのパックに入れられたものが、いくつもある。だが、売れ行きは芳しくないようで店主はガックリと肩を落としていた。
「せっかくだし、買ってみないか?」
「いいですね。じゃあ、後でやりましょう」
二人はそちらへ寄り、品ぞろえを確認する。袋詰めされたものの中には十分すぎるほどの量の花火が詰められていた。
「すいません、それ一つ下さい」
「あいよ! 三百円ね!」
大きめのビニール袋いっぱいに入っているのに、ここまで安いとは驚きだ。良二はわずかに目を見開きながら代金を渡し、中身を確認する。
見た感じ、質が悪そうなものもないようだし、大丈夫そうだ。たぶん、消費期限が迫っているとかそんな理由なのだろう。
「さて……では、これができる場所へと行こうか」
ディシディアは良二の手を引っ張って路地裏に歩いていく。そうして人目がないのを確認してから、呪文を口にした。
――数秒後、二人が着いたのは会場からかなり外れた神社だった。ここも、つい最近まで祭りが行われていたのだろう。提灯が飾られており、微かな明かりが足元を照らしてくれていた。
「じゃあ、やりますか……と言いたいんですけど、マッチを買うの忘れましたね……」
困った笑いを浮かべる良二。だが、ディシディアはドヤ顔で指を振った。
「リョージ。忘れていないかい? 私はこんなことができるんだよ……《燃えよ、火の玉。太陽の如く》」
呪文を詠唱するなり、彼女の指から小さな火の玉がポンッと出てきた。ピンポン玉くらいの大きさをした火の玉は地面近くに浮かんでいる。
「流石ですね。これならすぐにできますよ」
良二は中から数本の花火を取り出して、彼女に渡した。ディシディアは初めて受け取る花火に興味を示しており、またしても目を輝かせている。
「こうやって、火をつけるんです。危ないので、気をつけてくださいね?」
言いつつ、花火の先端を火の玉につける良二。間もなく火を噴き始めた花火に、ディシディアの目が開かれた。
「……綺麗だね。まるで花のようだ」
シューシューと勢いよく出てくる火花は、静かな夜にとても映える。鮮やかな色の火花が散るのを見て、自分もやりたくなったのだろう。ディシディアも見様見真似で花火を火の玉に着けた。
すると、良二の持っていた花火とはやや違った火花の散り方をし始めた。一直線に飛ぶ火花は、さながら空を駆ける箒星のようだ。その幻想的な様相に、ディシディアはうっとりと目を細める。
「……本当に、綺麗だね」
「えぇ、とっても」
神社の石段に座りながら、静かに花火をする二人。使い終わった花火はディシディアが出現させた水球に浸けてしっかりと消化しているので不祥事が起きる心配はない。
良二はチラリと花火に照らされたディシディアの横顔を見やる。その姿がとても眩しく感じて目を細めつつも小さく嘆息した。
「あの、ディシディアさん。さっきの話ですが……」
「ん? あぁ、君の母君のことか。無理に言わなくてもいい。何か、事情があるんだろう?」
「そこまでわかっているなら、聞いておいてください……実は、その……俺の母は、数年前に他界しているんです」
「……だろうね。そんな気がしていたさ」
あの時良二が見せた顔を、ディシディアは幾度となく見たことがある。賢者として旅をしている時、疫病が流行っている村に立ち寄ったのだが、そこには彼と同じような目をした子どもたちが大勢いたのだ。
良二は手元で散る線香花火を見ながら、ぽつぽつと語りだす。
「俺の親父とは、ずっと前に離婚していたんですが……まぁ、結果はあの通り。俺は親父の借金の肩代わりをさせられたわけです。もう、ずっと会っていないのに」
「……」
ディシディアは、無言だった。それは、下手なことを言えばむしろ彼を傷つけることがわかっているからである。彼が話しているのは、別に慰めてほしいわけでも同情を引きたいわけでもない。ただ、話したいから話しているのだ。なら、それを聞くことに徹することが今彼女にできる最善の事である。
「まぁ、俺は恵まれてますよ。母が死んだ後、じいちゃんたちが引き取ってくれて大学まで行かせてくれたんですから。奨学金の補助もありますけど、やっぱりじいちゃんたちがいてくれてよかったと思います。少なくとも、孤独ではありませんから」
彼はディシディアに向かって、ニッと笑いかける。
「それに、ディシディアさんとも出会えてよかったですよ。だって、退屈しないんですもん。それに、一人じゃないから寂しくないですし」
「私もさ。君に出会えて本当によかった。いい巡り合わせだったね、互いに」
「そう思います」
と、そう返した時だった。
ディシディアが、不意に良二の頭に手を置いたのは。
小さな手の感触を得ながら、良二は首を傾げる。しかし、ディシディアは温かい笑みを浮かべたままだった。
「君が年の割に落ち着いているのはそういうことだったんだね。ただ、人生の先輩としてひとつ言っておくよ。君は、もっと自分に正直になりなさい。わがままが言えるのは、子どもの間だけなんだから」
「……ディシディアさん、ありがとうございます。話を聞いてもらって、ちょっとだけスッキリしました」
彼は立ち上がり、グッと背伸びをしてみせる。その顔は、先ほどよりもずっと晴れやかなものだった。
「さぁ、まだまだ花火はあるんだ。せっかくだし、語り合おうじゃないか」
ポンポン、と自分の膝を叩くディシディア。その仕草がどことなくおじさん臭くて笑いそうになったが、良二は静かにその隣に腰掛ける。
その後しばらく、神社からは話し声と微かな明かりが絶えなかった。