第百五十九話目~初カラオケ! 恥はかき捨てピッツァは食べきり~
待ちに待ったクリスマスイブの昼。ディシディアたちはある建物の前に来ていた。すでに人はそこに入っているようであり、自動ドアの向こうではレジの男性が接客をしている。
良二は緊張している様子のディシディアをチラリと見やり問いかける。
「大丈夫ですか?」
「もちろん。武者震い、という奴さ」
彼女はカラオケを昨日からずっと心待ちにしており、朝準備している時も色々と音楽を聞いて予習復習をしていたほどだ。
彼女はスゥッと深呼吸を繰り返し、大きな一歩を踏み出す。それにつれて自動ドアが開き、奥にいた男性スタッフがこちらに頭を下げてきた。
「いらっしゃいませ。二名様ですか?」
「はい。学生一人と子供一人で……八時間コースでお願いします」
「かしこまりました。当店ドリンクバーは飲み放題となっておりますので、どうぞお楽しみください」
このカラオケ店は後払いのシステムを採用しているため、レジでもらうのは伝票とマイクが入った籠だけだ。良二はそれをしっかりホールドしつつ、階段を上っていく。二人の目的地は三階だが、彼は一旦二階で足を止め、左手側にあるドリンクバーを指さした。
「ドリンクバーで飲み物を先に取っておきましょうか」
「そうだね。何がいい?」
「俺はコーラで」
「わかった」
ディシディアは手早くコップを二つ取り、一つにはコーラを。もう一つにはメロンソーダを入れる。ちゃんと氷も入れ、ストローを添えた後で彼の方に向きなおる。
「よし、じゃあ行きましょうか」
「あぁ」
そうして、また歩みを再開。後は部屋に行くだけだ。ほんの数分もしないうちに、三階の端にある部屋へと到着。良二はゆっくりと部屋の扉を開け、彼女を中に迎え入れた。
「おぉ……これがカラオケというものか!」
中に入るなり彼女を迎えてくれたのは巨大なテレビだ。良二たちの家にあるものと比べるのすら馬鹿らしくなるほどの大きさ。すでに部屋のスピーカーなどはオンになっているらしく、画面に映し出されているバンドの音楽が部屋中に響いていた。
「こ、これは何だい!?」
「あぁ。それを使って曲を入れるんですよ」
彼女が持っているのは大きめのタブレットの様なもの。よほど珍しいのか、目をキラキラさせながら操作している。ここまではしゃいでいる彼女を見るのはずいぶんと久しぶりな気がする。ひょっとしたら、以前話に上がった時から楽しみにしていたためその反動が来ているのかもしれない。
「む? ご飯なども食べられるのかい?」
次に興味が移ったのはメニューの方らしかった。大きめのメニュー表には画像とともに商品の説明が記載されている。値段もそれなりで、かなり種類も豊富なように思えた。
良二は苦笑しながら持ってきていた籠や荷物などをソファに置き、後方に備え付けてある固定電話を親指で示す。
「ほら、あの電話を使って料理とかは注文するんですよ。後、時間になったらあの電話でお店の人が教えてくれます」
「ほぉ……便利なものだな。さて、まずは何を食べようか……」
早速食べる気満々らしい。思わずずっこけそうになるも、良二はすぐに居住まいを正し彼女の隣に腰掛けて機械を手に取った。
「検索する時は人名とか、曲名とか、ジャンルとかでも調べられます。どうしても難しかったら、歌詞を入力するだけでもいいみたいですよ」
「むぅ……ハイテクだな。だが、あいにくもう歌うのは決まっているのでね」
彼女はドヤ顔のままがま口財布の中から一枚の紙を取り出してみせる。そこにはびっしりと歌いたい曲が連ねられていた。唖然とする良二をよそに、彼女はそれを見ながらタブレットを弄り始める。
パソコンやスマホともまた要領が違うため困惑していたようだったが、なんとか曲名を入力することに成功。数拍置いて、スピーカーからはギターをかき鳴らす音が聞こえてきた。
「ふふ、じゃあ、一番手は私から行こう」
彼女はマイクを手に取り、コホンと咳払いをしてみせる。たまたまマイクの電源がオンになっていたからか、声が拡張されてしまい驚いたそぶりを見せていたが、すぐに落ち着きを取り戻して歌い始める。
巷で流行りの邦ロックという奴だ。冷静に考えてみれば、西洋風の見た目をしている彼女が邦ロックを歌っているのはやや違和感を覚える。
が、そんなものが頭から吹き飛んでしまうほど、彼女の歌声は素晴らしいものだった。
相当アップテンポで、普段彼女が歌うようなバラード系ではない。しかし、それでも完璧に歌っている。蠱惑的なビブラートをかけ、伸びやかに歌う。歌っている本人がとても楽しそうなので、見ているこちらも楽しくなってきた。
聞こえてくる雅楽調のリズムに彼女の透き通った声は非常にマッチしており、目を閉じればすぐに歌の世界へと引き込まれてしまう。もはや、聞く麻薬といっても過言ではない。音響効果によって増強された彼女の歌は人並み外れた魅力を有していた。
(ヤバいな……これは、クル)
すばらしいパフォーマンスに出会った時、人は畏怖する。そして、こうも感じるのだ。
この時間が永遠に続けばいい、と。
このカラオケボックスはさながら現世から切り離された檻のようだ。良二はそこで天使の歌声とも表現できるほどのものを聞いている。一瞬でも気を抜けば、延長を繰り返して彼女の歌を一晩中聞きたいと思ってしまいそうだ。
が、いずれ終わりはやってくるものである。
最後にピシッとポーズを極めてから、演奏を終えるディシディア。軽く息が上がっており、額はじっとりと汗ばんでいる。歌というのは真剣に歌えば相当カロリーを消費するものだ。彼女は「ふぅ」と満足げに呟き、ソファに腰掛けメニューを手に取った。
「ふふ、いいね。たまには全力で歌うのも気持ちがいいものだ。ここなら音漏れの心配もないしね」
風呂や路地で歌うことはあるものの、周りに聞かれる恐れがあるためいつもセーブしていた。けれど、この場所に来たことでその枷が外れたのだ。いつもよりも活き活きと、より心を乗せて歌う彼女の姿は人の心を惹きつける何かを有していた。
が、本人的には気づいていないらしい。メニューを凝視した後で、ちょこちょこと電話の方に歩み寄って受話器を取る。
『はい、こちらフロントです』
「あぁ、もしもし? 料理を頼みたいのだが……」
『はい。大丈夫ですよ』
「ありがとう。イカ明太ピザを一つ頼むよ」
『かしこまりました』
通話が切れると同時、彼女はまたソファに舞い戻る。そこでようやく我に返った良二は遅れて拍手を寄越した。
「ありがとう。いや、緊張するね。マイクを使って歌うのは初めてだ」
「すごかったですよ、ディシディアさん。プロ顔負けじゃないですか」
「褒めても何も出ないよ。だが、そこまで言ってもらえると嬉しいな。どれ、ではリクエストにお応えしてもう一曲歌おうじゃないか」
そう言ってタブレットを掠め取った彼女が歌うのは――演歌だ。実に渋いチョイスである。
画面には赤ちょうちんが映し出され、その傍には妙齢の女性が立って紫煙をくゆらせている。やがて尺八の緩やかなメロディーとともに、彼女は歌いだした。
先ほどまでとはまるでテイストの違う、こぶしの効いた歌い方。女の情念がこもっている――そんな歌だ。そのあまりの迫力に、良二は着物を着た彼女が燃えさかる山をバックに歌っているような錯覚を得てしまう。
これまた見た目とのギャップがある歌だが、やはり上手い。お世辞抜きで、プロ並みだと素直に思える。
異世界から来たのにすっかり日本の心を学びつつある彼女。流石の習得力だ。胸の前で握り拳を作り、曲に合わせて振りかざし、振り下ろす。相当気持ちが入っているようだ。
もちろん、それは良二も同じである。すっかり見入ってしまい、その場に棒立ちとなっている。が、数分もしないうちに曲は終わりを迎え、彼女は恭しく礼をしてみせた。
「ご清聴ありがとう。どうだったかな?」
「……正直、どう言えばいいのかわからないくらいよかったです」
「ほぅ。そこまで言ってくれると感慨深いな。じゃあ、もう一曲……」
次に彼女が入れたのは――以外にもアニソンだった。画面には可愛らしい女の子のキャラクターたちが映し出され、ポップでキュートな音楽が流れ始める。当の彼女は振付まで覚えてきたのか、妙に可愛らしさを意識したポージングを繰り替え――
「失礼しま~……す?」
していたその時、扉が開いて女性スタッフが入ってきた。彼女は眼前で踊りまくっている彼女を見て、ピシリと動きを止める。それはディシディアも同様だ。
これぞカラオケあるあるの一つ――『店員が入ってきたら急に冷める』という奴だ。
先ほどまで元気よく台詞込みで歌っていたはずのディシディアは途端に顔を真っ赤にして俯きながらぼそぼそと歌いだす。女性スタッフの方も苦笑しながら持ってきた料理をテーブルに置き、足早に去っていった。
それとほぼ同時、音楽もピタリと止む。するとディシディアはぐったりとした様子でソファにもたれかかった。
良二はしばし目を逸らしていたが、優しく彼女の肩に手を置く。
「ど、ドンマイです。こういうこともありますよ」
「慰めないでくれ。恥ずかしさが蘇ってくる」
彼女の声は沈んでいた。だが、それも当然だろう。
ちょうどポージングを決めた瞬間、店員にその姿を見られてしまったのだ。良二はすでに家族同然だし、元々彼に見せるために練習してきたようなものだが、赤の他人に見られると途端に自分で自分が恥ずかしくなってしまう。
(うぅ……やってしまった……冷静に考えてみれば、私ももうすぐ二百歳じゃないか。いい年こいて何をやっているんだ、まったく……)
相当ダメージが大きいらしい。彼女はグロッキー状態でテーブルに突っ伏している。
「……ディシディアさん。ほら、料理が冷めちゃいますよ」
ツン、と二の腕をつつかれる。それが少しくすぐったかったので身を捩りつつ、前方を見ればそこには美味しそうなピザが置いてあった。
正確に言うなら、ピザではなくピッツァというべき代物である。諸説あるが、アメリカ風なのが『ピザ』で、イタリア風のものが『ピッツァ』だ。作り方にも形にも、差異がある。
ピザはオーブンで焼くもので、生地はパンのようにふわふわしたものが多い。
対してピッツァは石窯で焼き、生地は表面がカリカリしていてモチモチしているのが特徴だ。
流石にカラオケ店のため石窯はないだろうが、形はピッツァスタイルだ。具材はイカだけ。そこにチーズと明太がまんべんなく散らされている。
こんがりと焼けた生地と明太、そしてチーズの香りが一体となって鼻孔をくすぐる。自然と頬が緩み、ディシディアも居住まいを正した。
「まぁ、まずは食べるとしよう。いただきます」
「いただきます」
ディシディアは一切れ分を取り、持ち上げる。するととろ~りと溶けたチーズが滝のように垂れ、慌てて下からかぶりつく。この瞬間が、一番うまい。
トロトロになったチーズに明太の塩っ気がプラスされて、得も言われぬ味わいに仕上がっている。隠し味にはマヨネーズが加えられているのだろう。コクがあり、まろやかな味だ。
生地の耳の部分はカリッとしているのに、中はもっちりしている。以前食べたシカゴピザとは違うベクトルだが、かなり美味い。
食べごたえやインパクトではあちらの圧勝だが、香ばしさと一口ごとの満足感なら負けてはいない。口の中がチーズでいっぱいになったところでメロンソーダを飲めばまさに至福。炭酸のシュワシュワとピッツァの香ばしさが見事に絡み合った。
美味しいものには、人を笑顔にする力がある。事実、先ほどまでこの世の終わりのような顔をしていたディシディアも今では満面の笑みになっていた。
それを見た良二は満足げに頷き、目を細める。
「ああいうこともありますよ。俺だって経験ありますし」
「そうなのかい?」
良二は頬を掻き、遠い目をしながら答える。
「はい。あれは確か……ゼミに入った時でしたね。いや、出し物として女装してアイドルグループの歌を歌ったんですが、結果はディシディアさんと同じでしたよ。あの時のお兄さんの顔が忘れられません……」
「君も色々あったんだね。それにしても、女装か……ふふ、個人的に興味があるな」
「き、着ませんからね!? もう女装はしないって決めたんですから!」
反論する彼をよそに、ディシディアは観察を続ける。彼は顔立ちとしては悪くないし、キチンとメイクをすれば映えると思う。案外女装しても男性だとは思われないかもしれない。
「ディシディアさん。目が怖いですよ? ディシディアさん?」
「……ふむ。まぁ、女装の話は置いといて、だ。アクシデントはあったが、まだ歌いたいからね。楽しませてもらうよ」
と言って、彼女はマイクを手に取り、タブレットを操作して曲を入力。今度は彼女お得意のバラード……だが、画面を見て良二は驚愕する。
確かにバラードだ。が、デュエットをするタイプらしい。画面には水色とピンクで色分けされた歌詞が表示されている。
「さぁ、リョージ。おいで。一緒に歌おう」
「……もしかして、狙って入れました?」
「さぁて、それはどうだろうね?」
確信犯だ、と良二は思う。彼女はわざとらしくそっぽを向きながら、口元をいやらしく吊り上げているのだから。
けれど、悪い気はしない。彼女と一緒に歌ってみたいとはずっと思っていた。
良二は差し出された彼女の右手を握り返し、反対の手でマイクを握る。
一方のディシディアはスゥッと彼の方に体をすり寄せ、大人の色香を醸しながら歌い始める。良二は彼女の蠱惑的な歌い方と、小さな体から感じられる温もりにドギマギしながらも歌いきるのだが、しばらく心臓が激しいビートを刻み続けていたのは言うまでもない。