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第百五十六話目~冬至の日にはかぼちゃぷりんとゆず湯~

 視界に映ってくるのはもうもうと立ち上る湯気と、水滴が付着した風呂場の壁。ディシディアは下ろした髪を手で撫でながら視線を下に下げ、すぅっと息を吸い込んだ。

 すると、仄かに甘酸っぱい香りが風呂から立ち上ってくる。柑橘系の涼やかな香りは嗅いでいるだけで心地よくなるほどであり、彼女は目を細めながら手で風呂のお湯を掬った。

 微かに橙色に染まった湯からは絶えずいい匂いが立ち上る。ふと視線を横に向ければ、そこには空になった入浴剤の袋があった。

 今日は冬至ということで、柚子湯を敢行することになったのだ。良二が入浴剤を買ってきた時は懐疑的だった彼女も、すっかりこの魅力にやられてしまったらしい。ほぅっとため息をつき、パシャパシャと水を体にかける。


「いい湯だ……この国の文化はいいな」


 一応、あちらの世界にも温泉はあった。ただ、ここまで機能的だったかと言われればそうではない。何せ屋外だし、木の葉や虫の死骸が浮いていたのだ。あっちにいた時はあまり考えなかったが、こちらと比べれば衛生面で大きく劣っているように思える。

 それに、入浴剤というものも存在しなかった。本来の柚子湯と同じくいくつかの果実を入れて香りを楽しむことはあったが、手軽にやれるものでなかったのも事実。

 改めてこちらの技術力に感心しながら、ディシディアはニィッと口の端を歪めた。


「欲を言えば、ここで酒を飲みたいな」


 熱燗か……いや、むしろ冷で飲んでもいい。ぬくぬくと風呂で暖まりながら冷たい焼酎を煽るのもまた一興だ。肴は窓から見える綺麗な月で十分。あと少し風呂が広くて、ここに話し相手――つまるところ良二がいれば完璧だろう。

 彼はかなり初心なのでいつも入浴を拒まれるが、いつか共に風呂に入ってみたい、と思う。聞けばこの国にも混浴の文化があるそうだから、混浴風呂がある旅館にでも行った時に……と、そこで彼女はハッと目を見開いた。


「そうだ……そろそろ彼との旅行も考えておかねばな」


 行く場所は決めている。後は彼の了承を得るだけだ。


「よし」


 善は急げ。思い立ったが吉日だ。ディシディアはザパッと湯船から上がり、風呂場を後にした。


 一方その頃、良二はこたつにくるまってくつろいでいた。つまみとして出したミカンを貪りつつ、ぼんやりとテレビを眺めている。この時期は何かと特番が多く、お気に入りの番組が休止になってしまうのが辛いところだ。


「リョージ。上がったよ」


 もう一つミカンを取ろうとしたところで、彼女の声が聞こえてくる。見れば、ピンク色の可愛らしい寝巻に身を包んだ彼女がこちらにやってきていた。風呂上りの体は軽く上気しており、艶やかな白髪は顔にピタリと張り付いている。

 観察をする良二に構わずディシディアはこたつに潜り込み、だらんと身体を弛緩させる。


「うぅ……ミミックもビックリな中毒性だな。一度入ったら最後だよ」


「だから言ったでしょう? でも、こたつで寝ると風邪ひきますから気をつけてくださいよ」


「わかっているよ」


 そう返しつつ、彼の方に向きなおる。その瞳が真剣な色を帯びていたので、良二もミカンを食べる手を止めて彼女の方へと体を向けた。


「リョージ。ところで、学校はいつまであるんだい?」


「えと……今週の金曜までなんで、クリスマスイブ前には終わりますね。何かやりたいことがあるんですか?」


「あぁ。以前行ったとも思うが、旅行に行かないかい?」


「それはいいですけど……どこに?」


 その言葉にディシディアはニィッと口の端を歪め、ピッと人差し指を立ててみせた。


「ズバリ……長崎県だよ」


「長崎県!?」


 目玉が飛び出さんばかりに、良二は驚愕する。まぁ、それも当然だろう。何せ、関東から遠く離れた九州へと赴くつもりだと彼女は言い放ったのだから。

 けれども、ディシディアはそれも想定内だと言わんばかりに落ち着いた様相で、愛用のがま口から一枚の紙を取り出してみせる。それは名刺だ。戸惑う良二に対し、彼女はそれを突き出してくる。


「西住龍、という男性を覚えているかい? ほら、以前アメリカに行ったとき私の隣に座っていた男性さ」


「……あぁ! あの人ですか!」


 そこでようやく、良二も思い至ったようだ。あの時、彼女とすっかり意気投合していた営業マン風の男性――西住龍。実を言うと、彼とディシディアは地味に親交が続いていたのだ。

 といっても、特に重要な話ではなく、ほとんどが雑談だ。アメリカでの生活や、自分が営業で回った土地の話など、この世界について無知である彼の実体験に基づく話は中々に興味深いものだった。

 彼としても色々と聞いてもらえるのは嬉しかったのだろう。惜しみなく情報を提供してくれて、こと熱心に話してくれたのが地元のことだった。

 彼は相当地元愛があるらしく、一度質問を投げかけるとパソコンの方に画像付きで説明を送ってくれたものである。その時視た写真がかなり綺麗だったために、ディシディアは長崎県に行くことを決定したのだ。

 良二の方はまだ理解が追いつかないようだったが、彼女のたっての願いだ。断る道理もない。それに国内なら、海外ほどの準備はいらないだろう。期末試験に関しても、そこまで影響はないように思われる。


「いいですよ。ちなみに長崎のどこですか? 佐世保ですか? それとも、長崎市内ですか?」


「いや……すまない。ちょっと待ってくれ」


 一旦断りを入れたかと思うとディシディアは地面にぺたんと腹這いになり、ぐぃ~っと体を伸ばして良二のスマホを取る。そうして暗証番号をクリアしてから、とあるサイトを開いて彼に見せつけた。


「えと……コネガ島……ですか?」


「いいや、これで『小値賀島おぢかじま』と呼ぶらしい。五島列島の一つだそうだ」


 開かれたサイトは、その小値賀島のホームページと思わしきもの。綺麗な風景写真などが映し出されており、なるほどこれは確かに人目を引くものだ、と良二は頷く。

 けれど、疑念もある。


「あの、どうせなら夏に行った方がいいんじゃないですか? 冬に島に行ったとしても、泳いだりはできないと思いますよ?」


 そう。それがネックなのだ。見たところ、この島には娯楽施設と思わしき場所が数えるほどしかない。しかも、その規模はとても小さいものだ。とすれば、自然とアウトドアがメインとなってくる。

 なのに、冬ではその楽しさも半減だ。正直、あまりいい案だとは思えない。これなら、こちらに留まって色々な場所に日帰りで行った方がいいような気もする。

 ディシディアは口ごもっているが、それは別に反論に困っている様子には思えない。何か決定打となる一撃を持っているのに、あえてそれを言わないようにしているようにも思える。とすれば、それはこの旅の核心――目的となりうるものなのだろう。

 顎に手を置き、思案する。彼女の提案だから、支持はしてやりたい。だが、自分がこの島について何も知らないというのが大きな問題だ。知っていれば比較もできただろうが、無知な状態ではそれすらもできない。

 ばれないようにこっそりとディシディアを見れば、彼女の潤んだ瞳はキラキラと輝いている。目が合った瞬間、良二は反射的に表情を強張らせた。

 ――ズルい。あんな表情を見せられては、無下に断れないではないか。

 やっぱり、彼女は自分の弱点を掌握しつつあるような気がする。このままだと近い将来尻に敷かれそうな気が……。

 はぁっと盛大なため息をつき、ガシガシと髪を掻き毟る良二。彼はまだ納得がいかないようだったが、それでも首を縦に振った。


「……いいですよ。どこまでもお供します。島っていうのも行ってみたいですし」


「おぉ! ありがとう、リョージ!」


 パァッと輝くような笑みを見せてくれるディシディア。


(あぁ、やっぱり断らなくてよかった……)


 この笑顔が見れるなら、多少の不便や困難はドンとこいだ。もう覚悟は決まったも同然。良二はパンッと膝を叩き、一旦席を立つ。


「そういえば、当時にうってつけのものを買ってきたのを忘れるところでした。後は食べながら話しましょう」


 そう言って彼が冷蔵庫から取り出してきたのは――かぼちゃのプリンだった。彼はそれを小型スプーンと共にディシディアにサーブし、自分もこたつに潜り込んでから手を合わせる。


「いただきます」


「いただきます」


 パカッと蓋を開けると、ふんわりとかぼちゃの甘い匂いが漂ってきた。しかし、香りだけを楽しむものではない。スプーンを取り、まずは一口頬張る。と、二人の目がほぼ同時に見開かれた。

 口当たりはまったりとしていて、けれど滑らかで嫌な感じが残らない。ゴテゴテとした味ということもなく、かぼちゃの素朴な甘みが活かされた味だ。上に乗っているホイップクリームと下に沈んでいるカラメルのホロ苦さの対比も秀逸だ。


「うん、美味しい。風呂での酒もいいが、こたつでプリンも乙なものだね」


「? 何の話です?」


「何でもない」


 キッパリといい、追及されまいとプリンを頬張る。プルプルしたものではなく、どちらかというと濃厚な餡のようだ。が、それがいい。

 かぼちゃの餡というのは存在する。発想はそれに近いのだろう。そこに西洋のエッセンスを加えることで、二つとない味に仕上がっている。

 カラメルを下から掬い上げ、軽くかき混ぜると黄色いプリンがやや黒みを帯びた。それを口に含むと、まずはカラメルの苦みがやってきて、けれどすぐに甘さが追いかけてきて口の中を癒してくれる。

 別々に食べるのもいいが、こうやって混ぜた方が意外に美味しかったりするのだ。もちろん相性の問題もあるだろう。その点で言えば、今回は大成功だ。

 普通のプリンをかき混ぜた場合見た目は異常なまでに醜悪になるが、今回は問題ない。元がペースト状に近いので、ビジュアル的にはそこまで劣化しておらず、味の方はより強化されているように感じた。

 ディシディアは一口ごとに幸せそうに表情を緩ませる。ここにこれを作ったパティシエがいれば、きっと歓喜の涙を流すことだろう。それほど、彼女はこれを満喫していた。


「ディシディアさん。ちょっと、いいですか?」


「ん?」


 一足先に食べ終えた良二は部屋の隅へと手を伸ばし、ドライヤーを掲げてみせる。それを見て、彼の意図を察したのだろう。ディシディアはプリンの容器を持ったかと思うと不意に立ち上がり、あぐらをかいている良二の股のところにゆっくりと腰かけてきた。


「ディ、ディシディアさん!?」


「髪を乾かしてくれるんだろう? なら、頼むよ」


「で、でも、これは……」


「いいじゃないか。この方がやりやすいだろう」


 それはそうだが、彼女の小さなお尻の感触が足全体で感じられるし、髪からは自分と同じシャンプーを使っているはずなのに少女らしい甘い香りが漂ってくる。おまけに、先ほどまでゆず湯に浸かっていたからだろう。仄かに柑橘系の香りが漂い、良二の思考力を奪っていく。

 が、一瞬トリップしそうになるもすぐに自我を取り戻した良二はドライヤーのスイッチをオンにし、彼女のまだしっとりとした髪を乾かしていく。

 温風で髪がたなびくたび、こちらの脳を刺激する麻薬のごとき彼女の匂いが鼻孔をくすぐる。当の彼女は無自覚なのか、ドライヤーを当ててもらえる心地よさに目を細めている。一方の良二は自分の理性と戦っているようで、終始顔を真っ赤にしていた。


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