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第百五十一話目~野菜たっぷりスープで体力回復~

 朝、寝苦しさによって目を覚ました良二はしばしまどろみながら辺りを見渡す。窓の外は明るく、日の光がカーテン越しに差し込んできている。チラリと時計を見れば、すでに九時を指していた。

 当然ながら、もう学校は始まっている時間である。が、心ではそう思っていても体が動いてはくれない。まだ熱があるのはわかるが体温計に手を伸ばす力もないのだ。彼は荒い息をつきながら目を瞑る。

 喉はヒリヒリと痛む。マスクをしているから多少は緩和されているが、まともに息を吸えば空気中の微細な粉塵にすら喉をやられてしまうだろう。

 鼻も詰まっているせいで、匂いが感じ取れない。目も熱のせいで霞み、五感のほぼすべてを封じられた状態である。

 しかし、そんな中でも聞こえてくる音がある。ゴウンゴウン、という重苦しい機械音と、トントントン、という小気味よい音だ。

 一つは洗濯機。もう一つは……ディシディアが何かを作っている音だろう。

 良二は力なく台所を見やり、ディシディアの姿を視認する。彼女は真剣そうな顔で鍋をお玉でかき混ぜていた――が、こちらの視線に気づき、小首を傾げながら視線を居間の方にやって優しい笑みを浮かべる。


「やぁ、おはよう。まだ寝ていていいからね」


 自分も「おはよう」と返したかったが、喉が痛すぎて言葉が出なかった。彼は仕方なしに軽く首を縦に振るが、それだけでこちらの意図を察してくれたのだろう。ディシディアはニコリと微笑を浮かべ、エプロンを外しながらこちらに歩み寄ってきた。


「食欲はあるかい? ご飯を作ってあるよ」


 食欲は、残念ながらない。起き抜けだし、まだ体も怠い。正直、昨日おかゆを食べたのもかなり無理矢理だ。栄養を取っておかねばならないという義務感があったからであって、それでも少ししか食べられなかったのだから今の状況は何らおかしいものではないだろう。


「……」


 フルフルと首を横に振る。それを見たディシディアはパンと手を打ちあわせ、


「そうか。なら、汗を拭いてあげよう。寝汗を掻いて気持ち悪いだろう?」


 確かに、寝ている間ずっと寝汗を掻いていたから体はベトベトだ。正直、服が体にべっとりと張り付いて気持ちが悪い。良二はまたしても小さく頷いた。


「そうか。なら、ちょっと待っていてくれ」


 ディシディアはすぐさま風呂場へと向かい風呂桶とタオルを持ってきたかと思うと、あらかじめ作っていたらしきやかんのお湯をそこに入れる。彼女はしばらくしてこちらへとゆっくり歩み寄ってくる。


「きつかっただろう? 昨日、ずっと苦しそうにしていたものね」


 彼女は慈愛に満ちたまなざしをこちらへと向けたまま、服を脱がしにかかる。少々恥ずかしい気もするが、抵抗する力もない。良二はされるがまま服を脱がされ、上半身裸の状態になる。


「ちょっと熱いかもしれないが、許してくれ」


 一拍置いて、背中に温かい布が当てられる。ディシディアはなるべく彼の負担にならぬよう、丁寧な手つきで体を拭いていく。その手つきが心地よくて、良二はついつい目を細めてしまった。

 彼女は一切手を緩めないまま、懸命に体を拭いてくれる。嫌な汗は徐々に引いていき、スゥッとした心地よさがやってきた。


「……さて、と。下の方は……私がやらない方がいいだろうね。着替えはここに置いておくから、自分でできるかい?」


「……はい」


 なんとか、掠れた声を絞り出すことができた。一日寝れば治るかと思っていたが、悪化しているようにも感じる。ひょっとしたら、これからがピークなのかもしれない。


(嫌だな……)


 症状が続くことが出はない。ディシディアが辛そうにしているのを見るのが嫌なのだ。

 彼女は先ほどからずっと笑っている。いや、無理に笑おうとしているのだ。

 普段の、弾けるような笑顔では断じてない。こちらに不安を悟らせまいと被っている笑顔の仮面なのだ。


(早く、よくなろう……)


 などと思いながら体を拭いていく。そうして服を着替え、今一度布団に潜り込んだ。

 今の自分にできるのは、体力回復に努めることだ。そして、一日でも早く彼女を安心させるべきだ。

 と、そんなことを思わなくてもやがて睡魔が訪れる。汗を拭いてもらったら少々気分がスッキリした。彼は数秒もしないうちに、微睡の内へと落ちていく。


 ――そうして、それから数時間後。良二は再び目を覚ます。最初よりも快適な目覚めだ。

 嫌な汗はまだ掻いていない。彼は大きく欠伸をして今一度台所を見る。が、そこにディシディアの姿はない。

 けれど、


「やぁ、おはよう」


 と、彼女の声は聞こえてきた。しばしきょろきょろと視線を巡らせると、いた。

 台所でもない。ベランダでもない。自分の、枕元だ。

 彼女は正座をしたまま、こちらの顔を覗き込んできている。そこでようやく、彼女の小さな掌が自分の額に当てられていることに気づき、良二は目を見開いた。


「気持ちいいだろう? さっきまで洗い物をしていたからね。冷えているはずだよ」


 確かにその通りだ。きっと、自分が寝ている間に家事はすべてこなしてくれたのだろう。その後はこうやって、ずっとそばにいてくれていたのだ。

 胸の奥から熱いものがこみ上げてくる。けれど、それをこぼしてしまえばまた彼女を心配させてしまう。だから、それをグッと堪えてわずかに目尻を下げた。


「……おはようございます」


「あぁ、おはよう。二度目だね。そろそろ薬を飲まなければいけないだろう? 食べられそうなら、何か口にしないかい?」


 小さく首肯する。まだ本調子ではないが、少しは口に入れられそうだ。


「わかった。じゃあ、ちょっと待っていてくれ」


 彼女はそう断って台所に向かっていく。カチャカチャという食器が擦れあう音が聞こえていたかと思うと、その次はパタパタとこちらへと駆け寄ってくる音。目線だけをそちらに向ければ、小さめのお茶碗を抱えてきているディシディアの姿が目に入った。


「おかゆは私が食べてしまったからね。新しく別のものを作っておいたんだ。これなら、食べられるだろう」


 言いつつ、彼女はまた昨日と同じように自分の右側に腰掛けてきて、レンゲを使ってスープを掬い、フーフーと息を吹きかけてよく冷ましてからこちらへと差し出してくれる。


「ほら、食べられるかな?」


「……ん」


 マスクを外して口を開けると、レンゲがゆっくり口の中へと入れられた。彼は器用に舌を使ってそれを飲む。

 栄養面を考えてくれているのだろう。今日は生姜とネギがたっぷりと入れられた野菜スープだ。中に入れられているのは賽の目切りにされたニンジンと玉ねぎ。実にバランスを考えている料理だ。

 生姜がたっぷりと入れられているから、後味がサッパリとしていて飲みやすい。千切りにされた白ネギも口当たりを柔らかにしてくれる。

 喉が痛いが、これならば飲みやすい。おかゆよりもすいすいイケる。


「無理はしなくていいからね? 飲めるだけでいい」


 頷き、またレンゲを迎え入れる。鶏ガラが使われた和風スープは味わい深い。正直なことを言えば、風邪じゃない時に呑みたかったと思えるほどだ。


「……ん」


 お茶碗全てを空にしたところで、首をフルフルと横に振る。もうここが限界だ。

 ディシディアは空になったお茶碗を見て少しだけ満足したようなため息を漏らし、


「よかった。じゃあ、お薬と水を持ってくるからね」


 そう言って、また台所の方へと行ってしまう。が、すぐさま帰ってきて、錠剤とコップに入れられた水を渡してくれた。

 流石に、この時ばかりは寝ているわけにもいかない。良二は何とか体を起こし、錠剤を水で流し込む。そうして大きく息を吐くと、彼女がそっと肩に手を置いてくれた。


「可哀想に……早くよくなるといいね」


 彼女にされるまま、横になる。こうしていると、やはり楽だ。

 おそらく症状は数日ほど続くだろう。しかし、寝るのが一番回復には適している。

 良二は静かに目を閉じ、それを見たディシディアはまた額に手を置いてくれて子守唄を歌ってくれた。

 気恥しいけれど、彼女の唄には抗いがたい魅力があった。聞いているうちに次第に意識が曖昧になり、まるで雲に乗っているようなぽわぽわした感覚に見舞われる。

 その感覚を得た時にはすでに遅い。彼の意識は闇に呑まれていた。


「……よし、寝てくれたようだね」


 ポツリ、と呟きディシディアは胸を撫で下ろす。ひとまずは落ち着いたようで、彼は安らかな寝息を立てている。

 だが、油断はできない。昨日は寝ている間もずっと咳き込んでおり、時折苦しげに呻いていたのだから。

 そのため、ディシディアは夜通し彼の看病をしていた。以前大賢者となる為の修業で七日七晩起きていた彼女からすればこれは大したことではないが、あの時とは状況が違いすぎる。

 苦しそうな彼を見ていると胸が押しつぶされそうで、その苦しみを少しでいいから引き受けてやりたいと願ったほどだ。

 残念ながら、病を治す魔法は存在しない。彼女は歯噛みしながら、優しい手つきで彼の額を撫でる。


「……すまないね、リョージ。私にできるのは、君と一緒にいてあげるくらいだ」


 その言葉が聞こえていたかはわからない。だが、一瞬だけ、彼の表情が和らいだ――気がした。


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