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第十五話目~勝負の後のタコ焼き~

 カタカタカタ……とキーボードをタイプする小気味よい音が部屋に響く。先日買ったばかりの伊達眼鏡をかけたディシディアは険しい目つきで画面を睨んでいた。そこに映し出されているのは、射的や金魚すくいなどの縁日にある屋台の攻略法だ。

 今日、彼女は良二と共に再び祭りへと行く予定になっており、そこで出店対決をすることになっているのだ。

 しかし、ああいった類のものはぶっつけ本番でできるほど甘くはない。長年の経験でそれを察知していたディシディアは朝起きるなり、パソコンを使って情報収集にいそしんでいるのだ。


「……ふぅ。目が疲れるな」


 目頭を指で押さえながら、ディシディアはそっと眼鏡を外した。形から入ったはいいものの、それが何かしらの効果を生むということはない。強いて言うなら、ちょっとだけ知力が上がったように感じるくらいだ。

 彼女は外した眼鏡を脇に置いていた辞書の横に置く。まだ日本語の読み書きには不慣れで、検索しても説明文の解読にはそれなりの時間がかかる。特に、専門用語が使われていた場合などは最悪だ。せっかくいいことが書いてありそうなのに、また一から探し直しなのである。

 そのため、半日を使って勉強したものの十分なまでに知識を蓄えたとは言い難いものだった。さらに、その情報が本当に正しいのかすらわからない。ここに良二がいればよかったのだろうが、あいにく彼はバイトに出かけている。こればかりは仕方ないだろう。


「さて……そろそろ準備をした方がいいか」


 チラ、と時計を見てみれば時刻はすでに五時半。もうそろそろ良二も帰ってくるころだ。

 ディシディアはパソコンの電源を切るなり、ふと立ち上がってタンスへ――向かおうとしたが、そこでグッと立ち止まり冷蔵庫に寄った。


「確かここに……あった」


 彼女が取り出したのは、小型のペットボトルに入った麦茶だ。市販のペットボトルに家で淹れたお茶を入れてあるのである。すっかり慣れ親しんだ麦茶を飲みほしてから、彼女は再びタンスの方へと足を向けた。

 と、その時、ガチャリという音が耳朶を打つ。見れば、ちょうど良二が帰ってきているところだった。


「ただいま帰りました。今日は結構涼しいですよ」


「そうか。私は家にこもりっきりだったから、よくわからないな」


 目を充血させながら言うディシディアに、良二は苦笑を返す。ディシディアはごしごしと目を擦った後で、彼が右手に抱えている大きな袋を指さした。


「ところで、それは何だい? 行く時には持っていなかっただろう?」


「あぁ、これですか? たぶん、気に入ってくれると思いますよ……ほら!」


 袋から引き抜かれた彼の手に握られているのは――桃色の浴衣だった。鮮やかな花弁の模様があしらわれており、見た目にも華やかである。あまりの美しさにディシディアはほぅっとため息をついた。


「それは、もしかして私にかい?」


「えぇ。バイト先の人に話したら、お下がりをもらったんです。よかったら、着てみませんか?」


「そうしたいのは山々だが……私はこういった民族衣装を着るのは初めてだ。この前のチャイナ服、とやらならまだわかるのだが……」


 確かに、浴衣の着方は異世界出身であるディシディアにとってなじみ深いものではない。しかし、良二は落ち着いた様子でポケットから一枚のメモを取り出してきた。


「そういうと思って、着付けのやり方を聞いてきました。これを参照してください」


 メモには着付けのやり方が丁寧に書かれている。しかも、日本語にまだ不慣れなディシディアのために感じの上に振り仮名が振ってある。これならば、何とかなるだろう。


「ありがとう。では、私はこれに着替えるから見ないでおくれよ?」


「わかってます。ただ、もし何かあったら言ってくださいね? 手伝いますから」


「助かるよ」


 ディシディアはくるりと彼に対して背を向け、手元にある浴衣をジロジロと見つめた。見た目よりもだいぶ軽く、いい手触りをしている。お下がりと言っていたが、そこまで古いものではないのだろう。染みも汚れも全く見当たらなかった。


「さて、では着替えるとするか」


 ディシディアは先ほどまで来ていた寝間着を脱ぎ捨て、浴衣を着始める。メモを見て、慣れぬ浴衣にてこずりながら、ゆっくりと袖を通す。そうして裾のラインを決めたら上前と下前の幅を決めていき、浴衣を整えていく。

 今のところ順調のようで、彼女の口元には笑みが浮かんでいた。良二はその様子を見て、ほっと胸を撫で下ろす。


(やっぱり、聞いてきてよかったな)


 などと暢気なことを思いながら、彼も浴衣に着替えていく。女性のものとは違い、男性の浴衣はややシンプルだ。それに、そこまで手間をかけることもない。あっという間に着替え終えた彼は、続いて次の支度に取りかかった。

 一方ディシディアはというと……存外ちゃんとやれていた。メモを見て時折顔をしかめていたが、それでもきちんとした形にはなってきている。


「これで、よし……っと」


 最後に伊達締めと呼ばれるものをしっかり腰に巻いた後で、彼女は満足げに頷きサッと良二の前に歩み出た。

 桃色の浴衣は彼女にとてもよく似合っている。輝くような金髪と白い肌がますます強調され、思わず目を奪われてしまいそうになったほどだ。

 満面の笑みを浮かべる彼女に優しい笑みを向け、良二は扉の方をピッと親指で指差した。


「とても似合ってますよ。さぁ、行きましょうか」


「あぁ。コテンパンにのしてあげるとも」


 挑発的なことを言うディシディア。着付けを自分一人でもこなせたということは彼女に大きな自信を与えたのだろう。すでに迷いはないようだった。

 二人は家を出るなり、昨日と同じように人通りの少ない路地に行き、再び辺りを見渡した。どうやら、人の気配は感じられない。これならば、大丈夫そうだ。


「では、行くよ」


「えぇ、頼みます」


 ディシディアの小さな手が良二の手に重ねられる。良二はこれから襲い来る眩い光に備えて固く目を瞑った。

 刹那、案の定瞼の向こうですさまじい光が発せられ――やがてそれが止むころには、二人は昨日の路地裏へと来ていた。すでに祭りは始まっているらしく、喧騒がここまで聞こえてくる。

 浮き立つ心を必死に押さえながら、ディシディアは不敵な笑みを良二に向ける。


「さて、これから私たちは勝負をするわけだが、ただやるんじゃつまらない。一つ賭けをしないかい?」


「賭け?」


「そう。負けた方が今日の食事代を全額負担するというものだ。乗るかい?」


 ここだけ聞けば、無謀にも思えるだろう。何せ彼女は全くの素人なのだから。

 だが、彼女のエメラルド色の瞳は力強い光を放っている。少なくとも、無策で挑んでいるわけではないようだ。

 当然、良二にそれを断る理由はない。彼は拳を掌に打ち付け、気合を入れる。


「いいですよ。返り討ちにしてあげましょう……あの輪投げでね!」


 彼が指差したのは、輪投げの屋台だった。すでに大勢の子どもたちが並んでおり、輪投げに興じている。

 彼がこれを提案したのは、単に輪投げが一番得意だから――というわけではない。輪投げというのは、案外見た目よりも難しいものだ。

 地元でのローカルルールというものが輪投げにはあり、一筋縄では攻略できない。例えば、輪っかが地面についてなくてはいけないという屋台もあれば、反対にちょっとでもかかれば景品をくれる屋台もある。そして、ここの屋台が前者であることは調査済みだ。

 良二は珍しく悪そうな顔をしながら、屋台に寄っていく。ちょうど小学生のグループたちが捌けていったところで、今は自分たちしかいない。


「へい、らっしゃい!」


「おじさん、二人分お願い」


「あいよ。ここの線から出ないように。ほれ、輪っかは五つだ。頑張れよ」


 受け取った輪は、プラスチック製のもので使い込まれた雰囲気を宿しているものだ。特に細工をしているようにも見えない。こう言った屋台では時折不正を行う不敬ものがいるのだが、ここの輪投げはホワイトらしい。これならば、フェアな勝負ができそうだ。


「じゃあ、先攻いきますよ」


 良二はサッと輪を構え、手首のスナップを聞かせて軽く放る。緩やかな軌道を描いた輪は見事に近くのキャラメルの箱を捕らえた。しかも、完全に地に着いている。文句なしの成功だ。


「さて、どんどんいかせてもらいますよ」


 良二は手慣れた動きで輪を放っていき、何と全ての輪で景品を捉えてみせる。これには店主も驚きだったのか、あんぐりと口を開けていた。

 良二は受け取ったキャラメルやらヨーヨーやらを鞄に詰めながら、自慢げに鼻を鳴らした。


「ふふん。どうですか? 中々やるでしょう?」


「……すごいな。君にこんな才覚があったとは驚きだよ」


 ディシディアは本当に感心したようで、惜しみない拍手を送っていた。良二はここまで褒めてもらえると思っていなかったのか、頬を染めながら彼女の背をトンっと叩く。


「さぁ、次どうぞ」


「あぁ、よろしく頼む」


 そうして彼女は輪を構えたかと思うと何度か投げる振りをしてみせる。どうやら、イメージトレーニングをしているようだ。


「よし。大丈夫かな?」


 そう、呟いた直後、彼女はひゅっと輪を放る。それは綺麗な弧を描いて近くにあったミニカーを捉えた。あまりに綺麗なフォームと、輪の軌道にその場にいた全員が息を呑む。


「……なるほど。もう少し修正がいるかもしれないね」


 ディシディアは何かをぶつぶつと呟き、再びイメージトレーニングをする。そうして十分に集中力を高めるなり、またしても輪を放った。それは先ほどと同じ――いや、それ以上に洗練されたフォームを持ってはなたれる。当然、外れるわけがない。手乗りの編みぐるみを輪っかが捉えたのを見て、ディシディアはグッと拳を握った。

 その後も彼女は次々と景品をゲットしていき――気づけば同点での痛み分けとなっていた。


「ふむ……中々難しいね。まぁ、結果オーライだ」


 彼女は受け取った景品を良二のカバンに入れてもらいながらそんなことを呟いた。一方で、彼はあんぐりと口を開けている。


「ディ、ディシディアさんって経験者ですか?」


「いいや。今、覚えた」


 その言葉に良二は戦慄する。彼女は知識を即座に戦力にするだけの力を持っているのだ。

 しかし、当の彼女はひょいっと肩を竦めてみせる。


「まぁ、リョージがいたから上手くいったようなものだけどね」


「? どういうことですか?」


「決まっているさ。君が綺麗なフォームで投げていたから、正解に近づくことができたんだよ」


 サラリと言っているが、彼女は相当な離れ業を披露している。一度見たものをトレースし、それを自分なりにアレンジしているのだから。

 この状況なら、誰でもが絶望するだろう。自分の技術を完全に模倣され、挙句にそれを上回ることをされるのだから。

 ……が、良二は違うようだ。彼はむしろ嬉しそうに次の屋台を指さす。


「じゃあ、次はあれで勝負しましょうよ!」


 彼が指差したのは、射的の屋台だ。確かに、あれならばフォームなどは関係ない。彼女の模倣技術も通用しないだろう。

 二人は屋台により、代金を渡して銃とコルク玉を受け取る。


「こうやってやるんですよ」


 良二は優しくディシディアにコルク玉の詰め込み方と発射の仕方を教えてやる。勝負というのは公平でなくてはいけない。ここでずるをすることなど、彼のプライドが許さないのだ。例え、負けたとしてもだ。


「じゃあ、いきますよ」


 先に装填を終えた良二が銃を構える。銃身を安定させ、照準をしっかりと合わせる。

 大事なのは、呼吸だ。少しでも集中力が乱れれば、判断に迷いが生じる。景品の重心を見極めるという、獲得に必須な条件を満たすには並大抵の集中力では歯が立たないのだ。

 良二は大きく息を吸い込み、呼吸を整える。それを数度繰り返し、やがて銃と自分が一体化していくような錯覚を得たところで――引き金を引いた。


「お見事!」


 店主が威勢のいい声を上げる。放たれたコルク玉は髪留めがくくりつけられた箱に命中し、それを軽々と吹き飛ばす。ポトリとネットの上に落ちたそれを拾いながら、店主は豪快に笑った。


「上手いねぇ、兄ちゃん! いい腕だよ!」


「どうもありがとうございます。では、失礼して」


 彼の目は真剣そのものだった。そこに込められた迫力に、ディシディアもごくりと息を呑む。普段は人のいい笑顔ばかり浮かべている彼だが、今日ばかりは歴戦の兵士のようにすら見えた。

 良二は比較的落としやすそうな景品を片っ端から落としていき、銃を納める。やり切った表情をしており、口元は不敵に歪んでいた。


「さぁ、どうぞ」


 良二は受け取ったばかりの景品三つを掲げて言ってみせる。

 ディシディアはごくりと喉を鳴らし、銃を構えた。

 が、その銃身はひどく落ち着かない。だが、それもそうだろう。本物ではないとはいえ、それなりの重さがあるのだ。彼女の細腕では、完璧に支えることすら難しいだろう。


「ディシディアさん。サポートを……」


 見かねて、良二が歩み寄ろうとしたその時だった。彼女の口が小さく動いたのは。

 その瞬間、彼女は銃をまるで割り箸であるかのように軽々と持ち上げ、サッと構えて最上段にあったゲーム機の箱を落としてみせる。


「ふふ、サポートが……何だって?」


 その瞬間、良二はすぐに理解する。彼女は魔法を使って筋力を上げたのだ、と。

 正直、不正ギリギリだ。何せ、魔法というこの世の理を全て壊すような力を使ったのだから。

 とはいえ、良二はそれを承認したようだ。いや、そもそもハンディがあっては面白くないと考えたのだろう。あくまで対等の条件で戦う、ということらしい。

 彼女も先ほどの良二と同様に三つの景品を獲得し、ドヤ顔で胸を張った。


「やりますね……」


「君こそ。ふふ、年甲斐もなく熱くなってしまったよ」


「俺もですよ。あ、そうそう。景品を落としたり妨害したりしないなら、今みたいに魔法を使ってもいいですよ。銃、重かったですもんね」


「ほぅ……よほど自信があるようだね。魔法の使用まで許すとは」


 静かな言葉の応酬だが、そこには熱い激情が込められている。二人はバチバチと火花を散らし、次の屋台へと向かっていく。

 金魚すくい、的当て、ヨーヨー釣りなどなど。様々な屋台を巡っていった。

 その結果――勝敗は今のところ五分五分。両者とも譲らぬよい戦いを繰り広げていた。


「そろそろ、決着といきましょうか」


「あぁ、ここで引導を渡してあげようじゃないか」


 景品を取りすぎてパンパンになったカバンを重そうに抱えながら、良二が言う。それに、ディシディアも荒い呼吸になりながら返した。


「じゃあ、やっぱり最後は……あれで」


 良二が指差したのは――昨日、ディシディアが興味を示していた型ぬきの屋台である。彼女もそれはなんとなく察していたのだろう。すぐにそちらに歩み寄り、店にいた若い男へと代金を渡す。


「はいよ。じゃあ、ここから好きなのを選んでね」


 どうやら、難しさによってもらえる金額が決まっているらしい。難易度は全部で三つであり、簡単、普通、難しいというようにカテゴリーで分けられている。

 二人が選んだのは、傘型のものだった。かなりの高難度景品である。

 二人はしゃがみこみ、型を台に置く。ここの台は結構しっかりとしていて、安定性がある。これならば予想外のハプニングが起きない限り失敗はないだろう。


「では、俺から」


 良二は備え付けの安全ピンを取り、それで型を削っていく。それも、最初から力任せにするのではない。カリカリと溝を削っていき、あらかじめ領域を作っている。こうすることで、多少なりとも余分なひびが出にくくなるのだ。

 ともすれば、気の遠くなるような作業だろう。彼の横でもディシディアが同じように額から汗を流しつつ作業を行っていた。


 型ぬきは、一瞬の油断が命取りとなる。少しでも焦ったり、力を込めてしまえばそれで全てが終わってしまうことだってあるのだ。

 良二は丁寧に作業をこなしていき、ディシディアも見様見真似で模倣していく。徐々に洗練されつつある彼女の針さばきに心を動かされそうになりながらも、良二は目の前の型へと集中した。

 すでに下準備は終わっている。余計な部分は手でちぎり、後は完全に型を抜くだけ。

 焦ってはならない。惑わされてはならない。冷静に、ただ冷静に――。

 自分に言い聞かせるようにしながら、良二は針を動かしていく。もう少し、もう少しだ。最後の一仕上げ――特に壊れやすい細い部分に差し掛かる。彼は手首を使って角度を変え、あるいは型の向き自体を変え、割れないように工夫を凝らす。

 その努力は――報われた。最難関を無傷で突破し、気づけばそこには綺麗に型ぬきされた傘があった。


「よし!」


 思わず、ガッツポーズをとってしまう良二。


「できた!」


 数秒遅れて、ディシディアも声を張り上げた。彼女の傘も、綺麗に抜き取られている。


「じゃあ、ジャッジしてもらいましょうか」


「緊張の一瞬だね。負けた時の言い訳は考えてあるかい?」


「その言葉、後悔しないでくださいよ」


 などと冗談交じりに挑発を言い合いながら、店主の元へと持っていく。彼はそれを受け取るなり――ハッと目を見開いた。


「……美しい。一切無駄な削りがない。機械でも使ったみたいな正確さだ」


 確かに、彼らの型に余分な取り残しはついていない。それこそ、やすりでもかけたかと思うくらいだ。


「く……ッ! もってけ、泥棒!」


 店主は叫び、四千円を取り出してみせる。二人はそれを受け取り――不満げに顔を歪めたかと思うと、ほぼ同時に店主へと詰め寄る。


「それで、私と彼。どっちの型が綺麗だね?」


「判定をお願いします」


「え、えぇ……む、無理だ。俺には決められない……だって、どっちもこんなに綺麗なんだぜ!?」


 彼が渡してきた二つを受け取った良二たちは、互いの物を見やる。その真剣なまなざしに店主は委縮していたようだが、数秒後。二人は顔を見合わせて笑い合う。


「本当だ。どちらも同じくらいのレベルだね」


「ですね。粗を見つけようにも、ないんじゃ仕方ありませんよ」


「うむ。では、今回の勝負は引き分けってことだね。店主。騒いですまなかった。またご縁があれば、是非やらせてもらうよ」


 ディシディアたちは店主に手を振り、その場を後にする。二人はとても満足そうにしていた。


「それにしても、ディシディアさんってすごいですね。初心者とは思えないですよ」


「謙遜するな。君の方がすごいさ。正直、魔法のサポートがなければ射的は負けていただろうしね」


「それは身体的な不利だから仕方ありませんよ。にしても、楽しかったですね」


「あぁ! とても楽しかった。満喫できたよ」


 と、その時だ。

 二人の腹から、ぐ~っという間延びした音が響き渡ったのは。

 照れくさそうに腹を押さえながら、良二が鼻の頭を掻く。


「そういえば、まだ何も食べてなかったですね」


 時刻は七時。普段ならもう夕食を食べている時間帯だ。


「なら、何か食べていこう。せっかく収穫を得たことだしね」


 先ほどゲットしたばかりの二千円をちらつかせるディシディア。彼女は言いつつ、辺りに目をやって、ある一点ではたと立ち止まった。


「リョージ。あれが食べてみたいな」


 彼女が指差した先にあったのは――タコ焼きの屋台だった。かなり大きめで、腹を満たすにはもってこいだろう。

 良二はすぐさま首肯し、屋台へと寄る。すると、強面の男性がギロリと彼らを睨んできた。


「らっしゃい!」


「すいません、たこ焼き二つ」


「あいよ! ちょっと待ってな!」


 どうやら、今から作ってくれるところらしい。すでに生地は鉄板に流し込んであり、後はタコを入れるところである。その様を、ディシディアは興味深そうに見ていた。


「ほぉ……これは、以前のたい焼きとは違うのかい?」


「う~ん……惜しい感じはしますね。タコ焼きには本当のタコが入ってますし、甘味ではないですよ」


「ほほぅ。それはまたいい。早く食べてみたいよ」


「もうすぐできるぜ! ほら、見てな!」


 会話を聞いていたらしき店主はサッと千枚通しを掲げてみせる。無論、たこ焼き用のものだ。

 彼はそのごつい見た目には似合わないほどの繊細かつ素早い手つきでクルクルとタコ焼きをひっくり返していく。目にも止まらなぬ早業に、ディシディアもたまらず唸る。


「は、早い……この店主、只者ではないと見た」


「ありがとよ! ほら、もうすぐだぜ!」


 彼が取り出したのは、プラスチックのケースだ。彼はできあがったタコ焼きを次々とそこに入れていき、手早くソースを塗りたくる。さらに鰹節、青のりを散らしてからまずディシディアに差し出してきた。


「お待ち! おあがりよ!」


「ありがとう。では、いただきます」


 どうやら、この店では爪楊枝を使って食べるらしい。アツアツのタコ焼きに爪楊枝を指していくと、やがて弾力のある何かにぶつかった。タコである。それも、感触からしてかなり分厚くて大きい。

 期待感に胸を弾ませながら、ディシディアはタコ焼きを頬張った。

 その直後、彼女はその場で小さく飛び上がり、口をきゅっとすぼめてみせる。

 歯を入れた瞬間、とろりとした熱い何かが飛び出してきたのだ。


「だ、大丈夫ですか!?」


「ほれ、水だ!」


 良二は店主から水が入った紙コップを受け取り、すぐに彼女に手渡す。ディシディアは目尻に涙を浮かべながらごくごくと水を煽り、大きく息を吐いた。


「熱くて死ぬかと思った……だが、美味しいな」


 熱さに悶えていたものの、気に入ってはいたようだ。彼女は再びタコ焼きを持ち上げ、今度は入念に冷ましてから頂く。

 すると、またしても熱い中身が飛び出してきた。外はカリッとしているのに、中はとろっとしている。これがたまらなく美味い。タコはやはり大きく、噛みごたえがある。しかしただ固いというのではなくて、噛み切りやすいものだ。キチンとした下ごしらえがされているのだろう。でなければ、ここまでのよさはないはずだ。

 さらに、とろみのある生地には下味が付いており、これだけでも十分美味い。だが、ここにソースや鰹節が加わることで味が別のステージへと上がっていくのだ。

 甘辛いソースは食欲を刺激し、これまた単体でも十分いける。だが、真価を発揮するのはやはりたこ焼きと合わさった時だ。濃厚な味付けなのに驚くほど全体をまとめ上げており、味に変化と奥深さを持たせる役割を担っている。

 鰹節も忘れてはいけない。たこ焼きの上でひらひらとダンスを踊り、風に乗せて芳醇な香りを届けてくれる。口に含むとしっかりとした旨みが広がっていき、たこ焼きを引きたてつつキッチリと自己主張をしていた。

 また、このたこ焼きにおいては地味に思われるかもしれないが、青のりの役割は非常に重要だ。たこ焼きを食べると散らされていた青のりが磯の香りと深い風味を放つ。決して、主役にはなれない。だが、青のりがいるからこそ、たこ焼きの美味さは確立されているのだ。


 熱そうにしながらもタコ焼きを頬張るディシディアと良二。口蓋を火傷しそうなほど熱いのに、全く手が止まらない。中身がトロッと溢れ出て、ソースや鰹節などと絡み合った瞬間は筆舌に値する美味さだ。


「……ふぅ」


 手についていたソースを舐めながら、ディシディアが満足げに息を吐く。本当に美味しかったのだろう。あまりの美味さにトリップしているようだった。

 同じく食べ終わった良二も彼女ほどではないが、多幸感に見舞われていた。が、すぐにいつもの調子に戻って彼女に語りかける。


「さぁ、ディシディアさん。まだまだ行きましょう。今日はいっぱい食べようじゃありませんか」


「もちろんだとも。出だしは好調だったからね。もう次の準備はできているよ」


 と、腹をポンとたたきながら言うディシディア。その姿がなぜか無性に可愛らしくて、良二はほぼ無意識に表情筋を緩ませていた。


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