第百四十九話目~風雲急を告げる焼き芋~
昼時の商店街。主婦たちで賑わう商店街の中、ディシディアと珠江は歩いていた。
「本当に重くない? 大丈夫、ディシディアちゃん?」
小さなビニール袋を右手に掲げている珠江が不安げにディシディアの顔を見る。珠江が持っているビニール袋の中には少量しか入っていないにもかかわらず、ディシディアは大きめのビニール袋を二つも抱えているのである。
実際、ディシディアの額には大粒の汗が浮かんでいた。が、彼女はそれでもニコリと笑ってビニール袋を二つとも上に掲げてみせる。
「気にするな。こう見えて、私は荷物持ちには慣れているんだ。それに、お腹の子に何かあってはことだからね」
言われて、珠江は空いている左手で徐々に大きくなりつつある腹部に触れた。もうそこには新たな命の鼓動が宿っている。それがわかっているのか、ディシディアは少し誇らしげに鼻を鳴らした。
「いつも君たちにはお世話になっているからね。これくらいさせてくれ」
実を言うと、珠江が懐妊してからというもののディシディアはたびたびお手伝いとしてやってきてくれていた。珠江としては嬉しい限りだったのだが、彼女はいつもこうやって重労働を引き受けてくれて少々気が引けていたのも事実。
だが、お腹の子に何かあっては、と思っているのは珠江も同じだ。だから、そこまで無理強いすることはなく彼女の意思に任せている。
思えば、懐妊してからは周りに人一倍気を遣われるようになった気がする。ディシディアはもちろん、夫からも、そして友人たちからも。嬉しいやら、恥ずかしいやら、よくわからない感情が胸の奥にこみ上げてくる。
「ところで、だいぶお腹の子は順調のようだね」
と、ディシディアから声をかけられてハッと我に返る。そうして優しく微笑み、
「えぇ、そうなの。だいぶつわりも収まってきたわ」
「それはよかった。早く会いたいよ」
そう告げるディシディアの顔は非常に晴れやかで、見ているこちらまで幸せになれそうだった。
(本当に、いい子ね……)
珠江は内心、そんなことを思う。もし、お腹の子が生まれたら彼女はいい『お姉ちゃん』になってくれるだろう。珠江はすでに、ディシディアのことを我が子のように思っている。
一目会った時から彼女のことが気に入ってしまったのだ。これ以上ないほど純粋で、無垢で、何より心優しい。もし、こんな子が自分たちの子どもだったら……と、何度思ったことだろう。
子供を授かってからも、その考えは変わらない。良二から、家庭の事情でこちらにやってきていると聞いてからますますそう思うようになった。
自分たちが、彼女の親代わりになれたら……と。
(……ちょっと、欲張りすぎかな)
瞑目し、フルフルと首を振る。少なくとも、今の彼女が何か不自由をしているようには思えない。だから、今はお腹の子のことだけを考えよう。
そう割り切り、珠江はふと前を見やる。すると、商店街の出入り口付近に仰々しく飾り付けられたクリスマスツリーが設置されているのが目に入った。
「もうクリスマスね……ディシディアちゃんは、サンタさんに何かお願いした?」
ケロッとした調子で語りかけたが、ディシディアの反応は思っていたものとは違う。彼女はきょとん、と目を丸くして小首を傾げてみせる。
「サンタ……さん? すまない、それは誰かな?」
「え?」
つい、驚きの声が漏れる。が、すぐに理解した。
彼女は明らかに西洋の生まれだとわかる容姿をしているが、クリスマス文化が浸透していないところもあるだろう。いや、もしかしたら例の『家庭の事情』によって、クリスマスを知らずに育ったのかもしれない。
珠江は一瞬表情を陰らせるものの、すぐにいつもの人懐っこい笑みになって続ける。
「えっとね……サンタさんっていうのはよい子にプレゼントをくれる人なのよ。十二月二十五日の朝にプレゼントを届けてくれるの」
「なんと! 親切な御仁もいたものだ……」
顎に手を置いて考え込むディシディアは本当にサンタさんが存在しているものだと思っているらしい。
あぁ、自分にもこんな時期があったなぁ……などと思いながら、珠江はさらに説明を入れる。
「でね、クリスマスっていうのはそれだけじゃなくて誰かと一緒にパーティーをしたり美味しいものを食べたりするの。ね? 面白そうでしょ?」
「ああ! 今から楽しみだ!」
すごく目がキラキラしている。たぶん、美味しいものが食べられると聞いてだろう。
彼女は食べることに至上の喜びを見出している。それはおそらく、長年の軟禁生活のせいもあるだろう。いくら体にいいからと、似たようなものばかりを数百年食べていれば誰だってそうなるに決まっている。
ディシディアはジィッとクリスマスツリーを凝視していたが、やがて視線を外して先を歩きはじめる。幸い、珠江の家はここから割と近い。
見栄を張った手前引くことができなくなってきているが、荷物が重すぎて腕が千切れそうだ。珠江は遠慮してくれていたが、そこを自分が無理矢理押し切った形なので文句は言えない。
額からだらだらと汗を流しつつ、歩いていく。ふぅふぅ、と自然と息が上がる。
だが、もう珠江の家は間近だ。ディシディアはグッと歯を食いしばり、ビニール袋を落とさぬようしっかりキープ。
そうして、数分もしないうちに珠江の家に到着し、その後は大きなため息とともに玄関先へとビニール袋を置いた。
「お疲れ様。お茶、飲む?」
「い、頂こう……」
ディシディアはぜぃぜぃ言いながらビニール袋を居間まで運び、それから珠江からもらったばかりの麦茶を煽る。キンキンに冷えた麦茶は体に染みわたっていくようで、心地よい。自然と、安堵のため息が漏れ出た。
「あ、そうそう。はい、これお駄賃ね」
と、珠江が部屋のタンスから何かを取り出してくれる。だが、それはお金ではない。彼女がいつも作っている料理のレシピだ。
最初はお小遣いをあげようとしたのだが、
『いや、これは私が善意でやっていることだ。お金はいらないよ』
と一蹴されてしまったので、彼女が好きそうな料理をピックアップしてレシピを渡すことにしたのだ。彼女としてもそれは願ったり叶ったりだったらしく、嬉々として受け取ってくれる。
「ありがとう。これでまたレパートリーが増えるよ」
「ふふ、もう立派なお嫁さんになれるわね」
少々からかってみると、彼女の顔が朱に染まった。その姿がどこか微笑ましくて、珠江はクスリと笑ってしまう。
と、そこでディシディアの長い耳がピクリと揺れた。
「……ん? 珠江、何か聞こえないかい?」
「え?」
言われて、耳に手を当てて神経を集中させる。すると、遠くの方から何やら声が聞こえてきた。最初は不明瞭だったが、徐々に近くなってきているのか声がハッキリしていき、そこで珠江はパンッと手を打ちあわせる。
「あぁ! 焼き芋屋さんね!」
「焼き芋屋……?」
「そう。移動販売みたいな感じでね? 焼き芋を売ってくれるの。美味しいわよ」
「おぉ……では、早く行かねば! リョージの分も買っておきたい」
「うん。今日もありがとう、ディシディアちゃん」
「またな、珠江」
手を振り、ディシディアと別れる。元気に駆けだしていく後ろ姿はとても微笑ましいもので、珠江はまた目を細めた。
一方のディシディアは耳をぴくぴくと動かして音の出どころを探りながら路地を駆けていた。音はだんだん近くなっていき、それと同時に期待値も膨らんでいく。
『い~しや~きいも~やきいも~』
そんな間延びした声がスピーカー越しに聞こえてくる。もう、目的地は間近だ。
「む……あれか?」
角を曲がったところに、一台の車が停まっている。そこには何人かの主婦が集まっており、店主と思わしき男性から大きめの袋をもらっている。ディシディアはおそるおそる、そちらへと歩み寄った。
「いらっしゃい! 焼き芋、美味しいよ!」
店主が威勢のいい声を上げる。近くまでやってくると、焼き芋の香ばしい匂いが鼻孔をくすぐった。深みのある甘い匂いを嗅いでいると夢見心地になってしまうが、そこはグッと堪える。
そうしてがま口財布を取り出し、ピッとピースサインを店主へと向けた。
「焼き芋を二つ頂こう。出来るだけ、大きいものを頼むよ」
「あいよ!」
店主は特別製の窯のようなものを開け、そこからアルミホイルでラッピングされた焼き芋を取り出してみせる。かなり大きく、男性である店主の手からもはみ出ているほどだ。
彼はそれを備え付けの測りに乗せ、ニコリと笑う。
「はい、千八百円ね」
「千八百円!?」
目玉が飛び出そうだった。単純計算で、一個九百円。いくら大きいとはいえ、それでも焼き芋。少々高すぎるのではないだろうか?
などと思ってしまうが、この匂いを嗅いでいれば思考が鈍ってしまうのも当然である。それに、ディシディアはこの世界での相場に疎い。
だから、そういうものだと割り切って財布から二千円を取り出す。
「毎度!」
店主から二百円と紙袋が渡される。ドデカイ焼き芋が二つも入っているのだ。一瞬落としそうになるが、それでもグッと堪えて持ち上げる。
「さて……帰るか」
そう呟き、家へと足を向ける。もちろん、その間に焼き芋を食べることも忘れない。
二つの大きさはほぼ同じ。だから、最初に目についた方を手に取った。
そうして片手で紙袋をキープしながら、アルミホイルを剥がしていく。熱いが、それでも耐えられないほどではない。彼女はペリペリとアルミを剥がしていき、露わになった焼き芋を見て目を丸くする。
「ほぉ……こういうものなのか」
アルミホイルで過剰包装していた、というわけではなく中の焼き芋は相当巨大だ。小さい彼女の手では、両手で持ってようやく安定するほどである。
包装を解いた瞬間、得も言われぬ香りが漂ってきた。それだけで胃の中の虫がぐ~っと喚きだしてしまう。
口の中に溢れる唾を嚥下し、大口を開けて焼き芋にかぶりつく。むろん、皮は剥かない。
アツアツの焼き芋を頬張ると口の中を火傷しそうになったが、それよりも濃厚な甘みが口の中に広がっていく方に気を取られてしまう。
中は黄金色で、かつクリームチーズのように滑らかな口当たりだ。皮のパリパリとした部分や焦げた部分も味にアクセントを加えてくれる。
「むぅ……シンプルだが、美味いな」
変に味付けをしていない分、素材の良し悪しがハッキリする。もちろん、これはいい方だ。エグみや苦味がちっともなく、優しい甘さをしている。
中はホクホクねっとりとしていて、素朴ながらも力強い。炭火で焼かれているからか、うまみ成分が何倍にもなって増強されているように感じた。
「うん、これは食べ歩きにはピッタリだ」
歩きながら、パクパクと食べる。その間に景色を見るのもまた乙なものだ。
自分の周りの時間だけが流れていく感覚を味わいながら、ディシディアは歩いていく。これまで色々なお店に行ってきたが、こうして食べ歩きをするのはずいぶんと久しぶりに感じた。
こちらに来た時は夏で、その後は過ごしやすい秋だったために食べ歩きがしやすかったのだ。冬だと、防寒をしていなければ寒さで体が凍えてしまう。
しかし、焼き芋ならばその点は安心だ。体の中から温まるようで、しかも食べ歩きに適した形状をしている。
ただ、一つだけ不満を言うならば、
「リョージがいてくれた方が、よかったな……」
ポツリ、と彼女はこぼす。
一人での食べ歩きもいいのだが、横にいて笑ってくれている彼の姿があるのとないのでは大きな違いがある。
確かに一人で景色を楽しむのもいいが、彼と談笑することはとても楽しいものだ。
これまで、彼女はずっと独りだった。だから、二人でいるととても安心するのである。
いや、別に誰でもいいというわけではない。彼でなければだめなのだ。
きっと波長が合うのだろう。変に肩肘を張らず、対等に触れ合える存在というのは貴重なものだ。その点で言えば、かつての友人たちと似ているかもしれない。
だが、決定的に違うのは彼と自分が似た境遇を経験したことがあるということだ。
お互い、独りの辛さを知っている。だから、ここまで波長が合うのだろう。
「今の私を見たら、彼らには笑われてしまいそうだな」
脳内に浮かぶのは友人たちの顔だ。きっと彼と二人で仲睦まじくしているのを見たら、彼らはきっとからかってくるだろう。だが、その後には祝福してくれるとも信じている。
あの友人たちのことは生涯忘れないだろう。それだけ、彼女の中で大きな存在だったのだ。そして今、良二もその大きなピースになりつつある。
それはとても嬉しいことだが、悲しいことでもあった。
誰しも寿命というのがある。死というものに連れていかれてしまう。長命であるエルフ族の彼女はまだまだ生きるだろうが、人間の良二はそうはいかない。
百歳まで生きればいい方だが、その間に病に罹るかもしれない。そうなれば、自分よりもずっと早く先立たれてしまうことだろう。そう思うと、胸がきゅぅっと閉まり切なく思えた。
「いや、やめよう。せっかくの食事が美味しくなくなってしまう」
彼女は頭の中から嫌な考えを払い、焼き芋を頬張る。優しい甘さによって脳がリセットされ、再び味に没頭できた。
――と、そうこうしている間に自宅が見えてきた。ディシディアはわずかばかりに髪を手櫛で梳き、身なりを整えながら階段を上がる。そうして自分たちの部屋の前に来たところで鍵を取り出し、鍵穴に差し込んで一回転。
そうしてドアを開けようとしたが、返ってきたのは固い手ごたえ。出かける時は確かに鍵を閉めていたのに、これはおかしい。
考えられるのは二つ。良二が先に帰ってきていた。もう一つは……誰か、知らない者がいる。
「……ふむ。その時はやむを得ないな」
右手を前に構え、臨戦態勢を取る。魔法を見せても、他に見ているものがいなければ《記憶消去》を使って何とかできる。
しかしそうならないことを祈りながら鍵をまた一回転させてドアを開き、ディシディアは安堵のため息を漏らした。
玄関には良二が朝履いていった靴が。どうやら、彼が帰ってきた後鍵を閉め忘れていただけらしい。ディシディアは苦笑しながら後ろ手に鍵を閉めつつ、声を上げる。
「リョージ? いるのかい? いいものを買ってきたよ」
返事は帰ってこない。だが、いないわけではないだろう。もしかしたら、寝ているのかもしれない。
そんなことを思いながら居間へと向かった彼女は……驚きに目を見開いた。
確かに、良二はいた。しかし――ぐったりとした様子で、布団に横たわっていたのだ。
その呼吸は荒く、全身にはびっしょりと汗をかいている。部屋の隅には放り捨てたと思わしき鞄が転がっていた。
「……リョージ?」
返事はない。返ってくるのは、ただただ辛そうな呼吸音のみ。
気づけば、ディシディアは血相を変えて寝込んでいる良二の元へと駆け寄っていた。