第百四十七話目~試作段階の洋ナシのシブースト~
待つことしばらく、二人の前にはデザートと思わしき品が届いていた。ケーキに酷似したそれは上面がこんがりとあめ色に焼かれており、クリームらしき部分は雪のように白い。正直ここだけでは何もわからないが、そこでマスターが恭しく礼をする。
「こちら『洋ナシのシブースト』でございます。シブーストとはフランス発祥のデザートでして、クリームの層はメレンゲとカスタードクリームを用いて作っております」
「へぇ……初めて見ましたよ」
この店によく通っている良二ですら初めて見る品らしい。当然ながらディシディアは目をキラキラさせてそれを見やっている。見るからに冷たそうで、温かい店内で食べるればさぞいい気分になれることだろう。
「論より証拠。まずは実食くださいませ。きっと、驚いていただけると思いますよ」
マスターの声音は穏やかだが力強いものだった。先ほどのハンバーグがイマイチ二人に響いていなかったのを悔しがっているのかもしれない。彼とて料理人のはしくれだ。料理人としての矜持と意地は持ち合わせている。
「じゃあ、いただきます」
「いただきます」
フォークを手に取り、おそるおそるシブーストをカットしようとする。が、
「ッ!?」
ぽわん、と。フォークが弾き返された。見た目からは想像もできないほどの弾力に、ディシディアは目を見開いて驚きを露にする。
「これは……まるでスポンジのような弾力だ」
上面のキャラメリゼした部分はパリパリとしているのに、その下のクリーム層はぽわんぽわんとフォークを跳ね返すだけの弾力を持っている。ググッと沈み込んだかと思えば、一瞬でも力を抜いた途端元に戻ろうとするのである。
こちらに来てから数多くのデザートを食べてきたが、このようなタイプは初めてだ。ディシディアはしばし興味深げにシブーストをフォークでつついていたが、やがてごくりと喉を鳴らしてグッと腕に力を込める。
やはり押し返されそうになるが、なんとか切断に成功。最下層のパイ生地にフォークを突き立て、大口を開けて放り込んだ。
すると、まずはキャラメリゼされた部分の香ばしさと苦みが口の中に広がる。
キャラメリゼとは、糖類を加熱した際に起こる酸化反応によっておこる現象のことである。これによって香ばしさがグンと上がり、かつ微かな苦みが甘さの中でアクセントとなってくれるのだ。
簡単に言うならば、日本で言う『焦げ』の技術と似ている。あえて焦げを作って味のグラデーションをつけるように、フランスではキャラメリゼを行うのだ。
パリパリとした食感の後にやってきたのはクリーム生地のふわっとした食感。しかしそれは口の中で淡雪のようにしゅわ……っと儚く溶けていく。口当たりは滑らかで、くどくない優しい甘さだ。
よく冷えているからこそ、味が綺麗に整っているようにも感じる。冷たいクリームが口の中で広がっていく瞬間はもはや快感の域。
お次は洋ナシの層だ。洋ナシのフルーティーな甘みがクリームと意外にマッチしている。濃厚なクリームと、サッパリとした洋ナシはまさしくベストコンビ。洋ナシらしい食感も残されていたりと、この段階ですでに三種類の食感と味を堪能できた。
が、ここで終わりではない。残されているのはパイ生地の層だ。しっとりとしたパイ生地はバターなどの素材の旨みが活かされている。これの役割は文字通り、縁の下の力持ちといった感じだろう。
最下層のパイ生地が全てを優しく受け止める。ここだけで食べるとやや物足りないように感じるが、だからこそ主張しすぎず他の層を支えている。逆を言えば、これがなければシブーストはここまでの美味さを発揮できないだろう。
合計、四層。色合い、味、香りや舌触り、全てがバラバラだが、驚くほどに調和している。
キャラメリゼされた部分が醸す仄かな苦味、クリーム生地の濃厚な甘み、洋ナシの心地よい酸味、そしてパイ生地が持つわずかな塩味が口の中で一体になっていく。
先ほどのハンバーグも相当の完成度だった。が、これに比べるとどうしても劣るように感じてしまう。デザートとメインだから容易には比較できないが、口に入れた時のインパクトが段違いだったのだ。
ハンバーグは確かに美味かった。だが、シブーストのように目が覚めるような美味さではなかったのは事実。ディシディアと良二はもはや無言で食べ進めており、その様を見てマスターは満足げに微笑んだ。
「喜んでいただけたようで何よりです。確かに、マンネリというのは恐ろしいものですからね。私のお店ではジビエなどは出せませんが、この程度の品を出すことは可能ですよ」
少々誇らしげな口調だ。やはり満足してもらえた瞬間というのは彼にとってかけがえのないものなのだろう。彼は安堵のため息を漏らしつつ、髭を撫でる。
「……いや、マスター。正直驚いたよ。こんなに美味しいデザートを食べたのは初めてだ」
「おほめに預かり、恐悦です」
ディシディアは素直な賛辞を寄越す。今まで食べてきたどのカテゴリにも属さないデザートの登場は彼女に強い衝撃を与えた。それは良二も同様で、何か考え込むような仕草をしながらシブーストをチビチビ食べている。おそらく、すぐに食べてしまうのはもったいないと思っているのだろう。
「ところで、マスター。これはメニューにはないようだが……」
「えぇ、試作段階ですから。ですが、お気に召していただけたなら何よりです」
サラリと言ってみせる彼に、ディシディアは改めて舌を巻く。この段階でも十分観戦に近いだろうに、まだ先があるというのか。
「現在、色々と材料を選別しているところです。洋ナシも色々と種類がありますからね。それによって配合が変わりますので」
心を見透かされたような発言にドキリとしてしまう。マスターは年相応の落ち着きを見せながら仰々しく礼をしてその場を去っていった。
「……すごいな。ああ見えて、彼は相当ストイックな御仁だよ」
「ですね。俺もあんなマスターは初めて見ました」
いつの間にやらシブーストを食べ終えた良二が同意を示す。彼は顎に手をやりつつ、小さく頷いた。
静かな闘志、とでも言うのだろうか? マスターからはそれを感じていた。おそらく、若いころはもっとギラギラしていたに違いない。それだけの熱意と研鑽がこの品からは伝わってきた。
「私たちも見習わなくてはいけないな。それに、いいことを聞いた」
「何です?」
「マンネリはいけないということだよ。慣れ、というのは恐ろしいからね。自分でも気づかないうちに沼にハマっている時があるから」
ディシディアは食後のお冷を優雅に飲みながら遠い目をしている。もしかしたら、それは彼女の師匠の教えなのかもしれない、と思いつつ、良二は瞑目した。
と、そこでちょいちょいと頬をつつかれる感触。ゆっくりと目を開けてみれば、額が着かんばかりの距離にいるディシディアがにこやかにこちらを見つめている。彼は意図せず身を仰け反らせるが、それを見たディシディアはわずかに頬を膨らませつつ、窓の外を指さした。
「なぁ、リョージ。この後はいつもと違う道を歩いてみたいと思うのだが、いいかな?」
彼女なりに、マスターの言葉に感化されたらしい。良二はしばしの間を置き、グッとサムズアップをしてみせる。
「もちろん。どこまでもお供しますよ」
「頼もしい限りだ。流石、男の子だね」
「何なら、おんぶしていきましょうか?」
「おや、そこはお姫様抱っこじゃないのかい?」
悪戯っぽい笑みで返される。彼女が不意打ちに弱いことを知っていたから、今度は自分がからかってみせようと思ったのに見事に逆襲に合ってしまった。
「年季が違うよ。出直しておいで」
「……けど、耳赤いですよ?」
「うるさい」
ピシャリッと言われ、軽く頬をつねられる。ちょっぴり痛かったが、羞恥で顔を赤くしているディシディアの顔が見れたので満足がいったらしい。
良二は終始微笑ましげな笑みを彼女に向け、その度に彼女から頬をつねられるのだった。