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第百四十三話目~料理のすすめと高級チーズケーキ~

  夜の七時。食卓に着いている良二は満足げに腹を撫で擦っていた。相当食べたのだろう。かなり苦しそうな息遣いだが、どこか嬉しそうに頬を綻ばせている。それを横目で見るディシディアもつられて満足げな笑みを向けた。


「お粗末さま。だいぶ料理のレパートリーが増えたよ」


「ですね。まさか、温かいうどんまで作れるようになっているとは思いませんでしたよ」


「褒めても何も出ないよ?」


 二人は軽口を交わしながら片づけを行っていく。比較的筋力もある良二が大きめの丼などを持っていき、ディシディアは布巾で卓袱台の上を拭く。見事な連係プレーだ。互いが互いの役割を自覚している。これは中々難しいことなのだ。


「ところで、今日のお昼は気に入ってくれたようでよかったよ」


 台所にやってきたディシディアの言葉に、良二は皿を洗う手を緩めることなく頷く。


「本当に美味しかったですよ。特にあの卵焼き。昨日とはちょっと甘さが変わってましたね」


「あぁ。君は甘めのものが好きなようだから、少々砂糖を多めにして見たんだ。だいぶ君の好みがわかってきて、私は嬉しいよ」


「俺もですよ。ディシディアさんとは何だかんだでもう数か月以上一緒にいますからね」


「そうだね。月日の流れというのは案外早いものだということをようやく思い出したよ」


 その時、彼女の瞳がわずかに陰ったのを良二は見過ごさなかった。

 ディシディアは一時期祠の中で軟禁生活を強いられていたのだ。あの時ほど退屈で、無味乾燥な時間は今考えてもない。

 その点、彼と出会ってからの日々は毎日が新鮮で煌びやかなものだった。この感覚は、以前旅をしていたころに感じて以来である。

 ただ、あの時と決定的に違うのは、彼は自分よりもずっと年下であり、何より自分を慕ってくれているということ。そして、友というよりは家族という関係になりつつあることだ。


(案外、こういう生活も悪くないな……いやできるなら、このままがいい)


 瞑目しながらそんなことを思う。良二はもう、彼女の中では大きなピースとなっていたのだ。正直、このままの幸せが続くのかという不安はある。彼が、自分よりも早く死んでしまう恐怖もある。

 ――けれど、例えそうだとしても、この時間を大事にしたい。

 昨日の良二の告白を受けてから、ディシディアはそう思うようになっていた。

 チラ、と上を見上げると良二が優しく微笑んでくれる。それを見ているだけで、胸が温かくなった。同時に、少しだけ顔が熱くなる。見れば、良二も同じようで少々頬を紅潮させていた。


「あ~……そうだ。リョージ。今日面白そうなお店を見つけたのだが、明日時間はあるかい?」


「時間なら腐るほどありますよ。もちろん、お付き合いします」


 彼はわざとらしく従者のような礼をしてみせる。ディシディアはエプロンで手を拭ってから彼の額をピンと指で弾いた。


「そんなことはしなくていい。君はいつも通りが一番だよ」


「うぅ……はい」


 当たり所が悪かったのか、良二は痛そうに顔をしかめていた。ディシディアは「ごめんね」と彼の額を手で撫でてから居間へと戻っていく。が、


「あ、ディシディアさん。デザートを買ってきているので食べませんか?」


「デザート? もう卓袱台も拭いてしまったのだが……」


 と、言いかけるが言葉を止める。良二がどうしても食べてほしそうな顔をしていたからだ。彼女はしばし逡巡を見せてから額に手を置いて肩を竦める仕草をしてみせる。


「いいよ。冷蔵庫にあるんだね?」


「はい。一緒に食べましょう」


 彼の言葉を背に冷蔵庫を開けると、白い箱が目に入ってきた。手に持ってみると、確かな重みを感じる。どうやら、中に何か入っているようだ。匂いはしないが……この箱の感じからして、相当高級な物だろう。

 期待に胸を弾ませながら箱をちゃぶ台の上に置く。と、良二がのそのそとやってきて自分の眼前に腰掛けてきた。彼は眠そうに欠伸をしながらも、箱を開けるよう手で促してくる。

 言われるがまま箱を開けるとそこには――三角形にカットされたチーズケーキが二つ入っていた。目を剥くディシディアに対し、良二は穏やかに告げる。


「俺からのお返しです。いつもお世話になっているのは俺も同じですから」


「世話になっているのは私だよ。君のところで厄介になっている」


 しかし、良二は首を横に振り力強いまなざしで見つめてくる。


「違いますよ。俺もディシディアさんにお世話になっています。ですから、自分だけ背負わなくていいんですよ。だから、これは俺からのお礼です……まぁ、ディシディアさんのに比べると小さいですが」


「規模は関係ない。君の心が重要なのさ。さぁ、食べよう」


「それもそうですね。はい」


 良二はいつの間にやら持ってきたらしい小皿とフォークを突き出してくる。彼女はそれを受け取り、一つを皿の上に乗せもう一つを良二の方に押しやる。彼はそれを皿の上に乗せ、ディシディアの様子を伺いながら手を合わせた。


『いただきます』


 最初にケーキへと手を伸ばしたのはディシディアだ。フォークを指すとふわっとした感触が伝わってきて、いとも簡単にカットできる。この段階で、彼女の期待値はうなぎ上りだ。

 自分の喉がゴクリと重い音を立てるのをどこか他人事のように思いながら彼女はチーズケーキを頬張る。そして、それまでしていた真剣な表情をどこかへと追いやってへにゃっと顔を緩ませた。


「美味しいね……どこかの有名店のものかい?」


「はい。一乗寺さんに聞いたんです。気に入ってくれたなら、何よりですよ」


 良二の言葉にウインクを返す。これはお世辞なしに、かなりの出来だ。

 しっとりと柔らかいチーズケーキは滑らかで、コクがある。マスカルポーネチーズがわずかに用いられているのだろうか? 普通の品とは一線を画す料理だ。

 チーズケーキはたまに乳臭いものがあるが、これに関してはその心配はない。むしろチーズの奥深さとまろやかさだけが強調された品。雑味はなく、全体的な完成度はピカイチ。これほどの品はそう拝めるものではない。

 何より、このケーキで特筆すべきはその生地だろう。ふわっとしていて、ほとんど力を入れなくてもフォークで切れる。それを口に入れると舌の上で蕩けるようで、それだけでもう天に昇ってしまいそうなほどだ。

 全身が悦びで震える感覚を味わいながら、二人はチーズケーキを頬張っていく。

 実を言うと、この二つだけで千円近くしたのだが良二は全く後悔していない。彼は眼前のディシディアを見て、内心微笑む。

 彼女はこれ以上ないほど嬉しそうに食べている。この、子どものように無邪気で明るい表情が彼は大好きなのだ。これを見れるならば、たった千円ぽっちの出費など安いもの。給料日前でなければ、もっと奮発できたのに、と後悔している彼をよそにディシディアはぱくぱくとケーキを食べ進めている。


「あ、そうだ。そのお店ってどういうところなんです?」


 問うと、口いっぱいにケーキを頬張ったディシディアがこちらに視線を寄越してきた。彼女はサッと手で視線を遮り、ゴクリと嚥下してから続ける。


「まぁ、秘密さ。行ってからのお楽しみだ」


「いいじゃないですか、教えてくださいよ」


「ダメだ。君を驚かせたいんだよ……って、そんな目で私を見るな」


 悲しげな視線を向けてくる良二を見て、ディシディアは辛そうに顔を歪める。彼女はしばしそっぽを向いていたが、ややあってため息とともに視線を元に戻す。


「……まぁ、ヒントくらいはあげるよ。リョージは『ジビエ』というものを聞いたことがあるかな?」


「ジビエ……あぁ、鹿とかウサギとか、禽獣を示す言葉ですっけ?」


「そう、正解だ。実はそのジビエを専門的に扱うお店が見つかったんだ。よかったらどうかと思ってね」


「いいですよ。実を言うと、俺もちょっと食べてみたかったですし」


 良二は快活にそう答える……が、なぜだろう?

 彼女はまだ、何か、自分に言えない何かを隠し持っているような気がした。


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