第百四十一話目~いちゃラブ二人と純和食~
「……寒っ」
朝、不意に感じた寒さに寄って良二は目を覚ました。そこでようやく、昨日同じ布団で寝ていたはずのディシディアの姿がないことに気づく。彼はしばし夢見心地で彼女がいた場所を手で探り――ハッと目を見開いて勢いよく布団から飛び起きた。
「ディシディアさんッ!?」
「どうしたんだい? 朝から大声を出して」
一瞬、いなくなったのかと思い不安に駆られたがそれは杞憂だった。可愛らしいエプロンを身に着けた彼女は台所に立って、何やら料理を作っているようだ。すでに味噌汁と思わしきいい匂いが漂ってきている。
ディシディアは良二が落ち着きを取り戻したのを見て、ニヤリと口元を吊り上げる。
「やぁ、おはよう。いい朝だね」
「えぇ、おはようございます……にしても、やっぱり眠いですね……」
「ふふ、昨日はお楽しみだったからね」
「誤解されるようなこと言わないでくださいよ……一緒にテレビ見たりゲームしたりしていただけじゃないですか」
そう。彼の言う通りだ。別にやましいことはしていない。
昨日はあのままのテンションで色々と遊んだ後、たまには一緒の布団で寝ようということになって寝たのだ。ディシディアはかなり体温が高く、抱くと天然の湯たんぽのように思えた。あの心地よさを思うだけで、思わず目がとろんとなってしまう。
「さて、と」
まだ彼女の温もりが残る布団をまさぐりながら良二は身を起こし、丁寧に畳んでいく。すでに暖房は点いているらしく、徐々に部屋は温まりつつあった。これならば、あと少しもすればいい具合になるだろう。
「もうすぐできるよ。今日は私に任せてくれ」
ディシディアは昨日の続きをやっているかのように、テキパキと料理を盛り付けていた。良二はそちらを一瞥したのち、布団を脇に寄せて代わりに卓袱台をセットする。後はディシディアの料理ができるのを待つばかりだ。
このまま待っているのも忍びないと思い、良二はまず箸やコップを取りに行こうとする――が、ディシディアはピッと人差し指を立ててその動きを遮った。
「君は何もしなくていい。今日は私に任せろ、と言ったじゃないか」
「いいんですか?」
「もちろん。ほら、ゆっくりしていてくれ」
そう言われては反論することもできない。が、かといって何をすればいいのかわからず、良二はとりあえずテレビをつけてみた。まだ朝も早いということもあり、あまり面白い番組はやっていない。正直、退屈だ。
「はぁ……」
仕方なしに、放りっぱなしだったゲーム機を取る。昨日はディシディアと対戦をして遊んでいたのだが、中々に盛り上がった。
彼女は初心者だが、だいぶコツを掴みつつあるらしい。良二もその上達ぶりには息を巻いていたほどだ。まぁ、一応全勝したため、彼女はとても悔しそうにしていたのだが。
肩を竦めて笑っていると、いつの間にやらディシディアがやってきていた。彼女はトレイの上に料理が乗った皿を人数分乗せている。
「今日は学校があるんだよね?」
「えぇ。今日は三限目までですから、早めに帰ってこれますよ」
「それはよかった。昨日の雪辱を晴らしたいからね」
ゲーム機を見つめるディシディアの目はめらめらと燃えている。本当に悔しかったらしい。ただ、勝負事ではいつも彼女に負けている良二としてはこのゲームくらいは勝っておきたいのだ。
「返り討ちにしてあげますよ。まだまだ負けないですからね」
「言うじゃないか。私だって負けないよ」
二人は見つめあいながらそう呟き合う。ディシディアは配膳を終えると次は一旦冷蔵庫のところへと向かって中から麦茶の入ったペットボトルを取り出してきた。良二はそれを横目に、卓袱台の上に目をやる。
今日は白米とジャガイモの味噌汁。それから鮭の塩焼きと卵焼きという、なんとも豪勢な朝食だった。卵焼きと味噌汁は昨日のあまりというわけでもないだろう。味噌汁は具材が違うし、卵焼きは昨日食べつくしてしまった。
「今日はすごい豪華ですね」
「昨日の続きだと思ってくれればいいさ。だいぶ、私の腕も上達してきただろう?」
とくとく、と麦茶を良二のコップに注いでやるディシディア。良二はそれに薄い笑みを返し、そっと姿勢を正して手を合わせる。
「それじゃ、いただきます」
「あぁ、いただきます」
二人は手を合わせ、料理に箸を伸ばす。まず、良二は味噌汁を啜った。
出汁はいりこ。使われているのは白味噌だ。ジャガイモはホクホクとしていて、かつ味がよく染みている。昨日も思ったことだが、ディシディアもだいぶこちらの料理に慣れてきたようだ。
「美味しいかい?」
「えぇ、とても」
「そうか。おかわりはあるからね。いつでも言ってくれ」
彼女は料理を喜んでもらえたことが素直に嬉しいらしい。上機嫌で鼻歌を歌いながら鮭をほぐして口に運ぶ。こちらは既製品だが、我ながらいい焼き具合だと感心した。
火の通り具合はほぼ均一で、箸を入れるとほろりとほぐれる。皮はパリッとしていて塩味が効いており、ご飯と一緒に食べればこれ以上ないほどの美味さだ。
卵焼きも、昨日と同じくらい美味い。ただ、今回は少々表面が焦げてしまった。そこまで重大ではないものの、やはり雑味が混じる。それを感じた彼女はあからさまに眉を潜めた。
「納得いかないんですか?」
良二の言葉に、静かに頷く。そうして、憎憎しげに卵焼きを持ち上げた。
「昨日、君が褒めてくれただろう? だから、少々慢心していたんだ。ダメだね。今日も美味しいものを食べさせてあげたかったんだが……すまない」
「謝らないでくださいよ。とっても美味しいですよ」
「世辞を言うな。正直に言ってくれ」
「お世辞じゃないです。好きな人から作ってもらえたら何でも美味しいんですよ」
良二はそれだけ言って、卵焼きを二つほど取って口に放る。彼が取った二つは特に焦げ目が多いものだったが、それでも彼は嫌な顔一つニコリと笑みを浮かべてみせた。
それを見たディシディアは半ば呆れたように、けれども嬉しそうに目を伏せる。
「……君はズルいな。まぁ、次はいいものを作ってみせるよ。今日よりもずっと美味しいものだ。楽しみにしていてくれ」
「はい。楽しみにしていますよ」
良二はそれ以上何も言わない。ディシディアもだ。二人はチラチラと互いを見ては恥ずかしそうに頬を染めて俯く。しばし話し声ではなく味噌汁を啜る音だけが室内に響いたが、ややあって良二がため息を漏らす。
「おかわり、もらえますか?」
「あぁ、もちろん! たんと食べてくれ」
ディシディアはパタパタと台所に駆けていき、味噌汁をなみなみと注いで帰ってくる。良二は落とさないよう慎重にお椀を受け取り、ゆっくりと啜った。
一方のディシディアはいい食べっぷりを見せてくれている彼を見てにこにこ笑いながら食事を続けている。が、今日は少々ペースが遅い。いや、意識的にセーブしているのだろう。彼が少しでも多く食べてくれるよう、自分はおかわりに行かないつもりらしい。
良二もそれは自覚していた。が、言えば彼女の行為を無下にすることになる。喉元まで来ていた言葉をご飯と共に呑みこみ、味噌汁で流し込む。
「ところで、ディシディアさん。昨日は、ありがとうございました」
「君の方こそ、ありがとう。あんな風に思ってくれていたとは思わなかったよ。正直、嬉しいね。君が私のことを大事に思ってくれていたんだから」
「俺だってそうですよ。だから、その……これからも、末永くよろしくお願いします」
「む。確か、それはこの国では告白の言葉ではなかったかな?」
「し、知りませんっ!」
顔を真っ赤にしている彼はまたご飯をガツガツと頬張る。たまに男気を見せてくれるのに、普段はこんな調子だ。
(まぁ、これがいい所でもあるんだけどね)
彼はいわゆる奥手な人間だ。が、心の奥では自分のことを誰よりも大事に思ってくれていることがわかったのだ。あの時、久々に胸が高鳴ったのをまだ覚えている。胸に手を当てれば、あの時の感動が蘇ってくるようだ。
(やれやれ……いつの間にか、ここにいる目的が増えてしまったな)
彼と出会えたのはもしかしたら運命だったのかもしれない――などと臭いことを思ってしまう自分を内心で笑う。だが、実際にそうだとも思っていた。
もし、彼以外の人間のところに来ていれば、全く別の人生になっていただろう。いや、もしかしたらせいぜい数か月滞在した後は故郷に戻っていたかもしれない。
自分をここに引き留めてくれているのは、間違いなく彼なのだ。
彼は、自分を求めてくれている。
大賢者としてのディシディアではない。
ただのディシディアとして、だ。彼女にとって、それは何よりも嬉しいことである。
「ごちそう様でした」
などと考えているうちに、良二はあっという間に食べ終えていた。お椀には米粒一つ残っていない。ディシディアは満足げに頷き、手を合わせる。
「ごちそう様。そろそろ準備をするだろう? 片付けは私に任せておきなさい」
「ありがとうございます。でも、明日からは元に戻していいですからね?」
「そうかい? まぁ、気が向いたらやらせてくれ。いや、いっそ二人でやるのもいいかもね」
手を休めることなく茶碗などをトレイに乗せ、彼女は台所に戻っていく。良二はその後ろ姿を見送った後で、朝の支度にとりかかるのだった。
――そうして、それから数十分後。キッチリ身支度を終えた良二は玄関先で靴に履き替えていた。その背中を見るのは、もちろんディシディア。彼女の手には、可愛らしい布に包まれた何かがあった。
コホン、と咳払いをして、それを彼の方に突き出す。
「リョージ。これを持っていきなさい」
「え? これって……お弁当、ですか?」
「あぁ。朝から作ったんだ。食べてくれ」
受け取ってみると、確かな重さがあった。大きさは標準的な弁当箱だが、相当具材が入っているらしい。何が入っているのだろうかという期待と、彼女が自分のために作ってくれたという嬉しさが胸の内からこみあげてくる。
良二はそれを大事そうに鞄の中に仕舞って、ぺこりと会釈した。
「ありがとうございます。じゃあ、行ってきますね」
「おっと、待ちなさい。服に埃がついているよ。取ってあげよう」
ちょいちょいと手招きしてくるディシディアに促されるまま中腰になり、彼女の目線までしゃがみこむ。すると彼女は手を自分の首に伸ばし――
「……え?」
非常にゆっくりとした動作で、頬に口づけをしてきた。
一瞬、何をされたのかわからず良二は目を白黒させる。世界がスローになり、自分の心臓の音だけが聞こえてくる。
視界に映るのは頬を染めながら唇に人差し指を当てるディシディアだ。まだ、頬には彼女の唇の感触が残っている。そっとその部分を手で押さえると同時、ようやく脳が理解を開始し始め、遅れて体がカァッと熱くなる。
「ッ!?」
「行ってらっしゃいのチューだ。特別だよ」
どうやら、服に埃がついているというのは嘘だったらしい。
彼女は相も変わらず、こちらをからかってくるような視線を向けてくる。良二は恥ずかしげに目線を下げたが、そこでふと首を傾げた。
「あれ、ディシディアさん。ディシディアさんこそ、服に泡がついてますよ」
「む? あぁ、洗い物をしていたから……?」
と、彼女が服に目を落とした直後。彼がグイッと身を寄せてきて――先ほどの意趣返しだ、と言わんばかりに頬に口づけをしてくる。
それからは、先ほどの良二と同じだ。
数秒ほど硬直した後で、顔を真っ赤にして後ずさる。
「なっ!? な……ッ!?」
予想外の反撃を喰らったのは効果的だったらしい。彼女は狼狽していて、額からだらだらと汗を流している。こんな彼女を見るのは初めてだ。良二は誇らしげに胸を反らしながら、告げる。
「唇を重ねなければ、いいんですよね? さっきのお返しです」
「そ、それはそうだが……ッ! き、君は……ッ!」
エルフ族の掟では結婚を決めたもの同士でしか唇を重ねてはならない。良二はそれをちゃんと覚えていたからこそ、わざと唇から数センチほどの場所に口づけをしたのだ。
(あぁ、なるほど……これは、癖になるかもしれない)
ディシディアがいつもからかってくる理由が少しだけわかったような気がする。こんなに慌てている彼女は初めて見るが、実に可愛らしい。見ていると、もっと意地悪をしたくなってしまう。そして怒ったら「ごめんなさい」と素直に謝って、意地悪をした分ぎゅぅっと力強く抱きしめたくなるのだ。
ディシディアはプルプルと震えながら顔を真っ赤にしていたが、大きく息を吐いて額に手を当てる。
「……今日は君にしてやられたね。参ったよ」
「俺もたまにはやるんですよ? 見直しましたか?」
「あぁ、見直したよ。だから次やる時は……もっとロマンチックに頼むよ」
「はい。じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい。気をつけていくんだよ」
去っていく彼に対し、ひらひらと手を振る。そうして階段を下りる音が聞こえなくなった辺りでディシディアは声にならない声を上げて猛ダッシュで居間に戻り、布団にダイブ。
一方の良二もまた、息が切れるほど全力で駅まで駆けていくのだった。