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第百四十話目~感謝と愛の和食パーティー!~

 飯塚良二は今朝の出来事を想起しながら帰路に着いていた。思えば、今日は朝からディシディアの様子がわずかばかり変だったのだ。

 普段なら「もう少しゆっくりしていけ」と引きとめてくれるのに、今日ばかりは、


「さぁ、早く行きなさい。遅刻すると大変だよ。ほら、電車が行ってしまう」


 ――と何やら焦っている様子で急かしてきたのだ。疑念はそれだけじゃない。

 最近ディシディアは何かを考えているようにボーっとしている時があるのだ。こちらが呼びかけても応えないこともあったし、どことなく上の空だったのは記憶に新しい。

 一瞬自分との生活が嫌になったのではないかと思いゾッとしたが、別段自分に対する扱いが悪くなってきているわけではない。とすれば、何か別の理由があるのだろう。彼女はミステリアスな女性だ。言わないことの一つや二つ、あって当然である。


「まぁ、いいか」


 そんな言葉とともに白い息を吐く。もう家は目の前だ。今日は運よく早く何の用事もなく、七時前には帰れている。久々に彼女と長く過ごせると思うと、胸が躍るようだ。

 独りの時間は嫌だった。楽しいテレビを見ても、ゲームをしても、どこか満たされなかった。

 けれど、彼女が来てからは変わったのだ。確かに色々と大変なことはある。たまに暴走してしまう彼女のリードは割と骨が折れるし、時折帰路の途中で寝入った時はおんぶしたりとすることが多いのだ。

 ――が、それに幸せを感じているのも、まぎれもない事実。いや、むしろそうやって世話を焼いたり、焼かれたりすることがいい。一緒に笑って、泣いて、時々衝突して……なんてことない、ともすればつまらない日常だ。

 その日常は普段なら気を留めることもないが、良二は一度それを失っている。家族というものを失い、孤独の海に溺れていた時期がある。特にこちらに来て、父親の借金を押し付けられてからは地獄だった。

 毎日借金取りに怯え、いない父親に怒りを向けようとするが、その発散の仕方もわからず、相談しようにも敬愛する母はすでに他界していた。おそらく、ディシディアが来なければ――彼は今頃、全く別の人生を歩んでいただろう。

 月を見ているとなんだか感傷に浸ってしまうようで、良二は苦笑交じりに肩を竦めて階段を上っていく。部屋の灯りは点いていないが、確かに気配は感じた。


(寝ているのかな?)


 この季節だ。寒いと布団を敷いたまま転寝してしまうことだってある。とすれば、起こすのは流石に無体というもの。良二はポケットからそっと鍵を出し、なるべく音を出さないようにして鍵穴に差し込み、手首を捻る。

 ガチャン、という確かな手ごたえを感じるなり、ドアノブをゆっくりと開いた――次の瞬間だった。

 パァンッと耳をつんざくような炸裂音が耳朶を打ったのは。


「わっ!?」


 思わぬ出迎えに、良二は後ろにのけ反ってしまう。危うく二階から落ちるところだったが、柵があって助かった。彼は額に浮かんだ汗を拭ってから前方を見やり――ポカンと口を開けた。


「やぁ、おかえり。リョージ」


「た、ただいま帰りました……」


 眼前にいるのはディシディアだ。彼女は手にクラッカーを持ち、こちらに向けたまま制止している。頭にはパーティーハットを被り、見るからに何かのお祝いをしようとしている感じだ。

 掠れた声を絞り出した彼に対し、ディシディアはクスリと薄い笑いを返す。


「どうしたんだい? 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしているよ?」


「い、いや、その……え? あの、どういうことですか?」


「説明は後だ。ほら、入りたまえ。君に、見せたいものがあるんだ」


 言うが早いか、ディシディアは良二の手を取って中へと引きこむ。彼は一瞬つんのめったが、それでもグッと踏みとどまり靴を脱ぐ。そうして前方に視線をやるとそこには――すっかり模様替えされた部屋があった。

 パーティーらしい装飾がなされた部屋はいつもの殺風景さをどこかへと押しやっている。綺麗なアーチが入口に飾られていたり、卓袱台の上にはアロマキャンドルが設置されてゆらゆらと美しい焔を灯していた。


「これ、は……?」


「驚いたかい? ふふ、ひとまず第一段階は成功だね。ほら、いつも君にはお世話になっているだろう? だから、少しでもお返しをしようと思って、ささやかながらサプライズを用意したわけさ」


 ディシディアはしてやったり、と頬を緩めながら言い放つ。良二はしばし呆けていたが、ようやく脳が状況を理解しだし、それに続いて言いようのない喜びが湧き上がってくる。それは温かくて、かつて感じたことがある懐かしいものだ。

 良二はディシディアにわからないようこっそりと目元を拭い、それから彼女ににこっと笑いかける。


「ありがとうございます、ディシディアさん。とっても嬉しいです」


「これくらいで驚かれては困る。ほら、まずはお風呂だ。寒かっただろう? もうお風呂は沸かしてあるし、着替えも用意しているから行っておいで」


 通学かばんを受け取りながらそんなことを言い、グイグイと彼の背中を押すディシディア。良二は戸惑いを見せつつも脱衣所に足を踏み入れ、渇いた笑いを漏らす。

 そこには彼女の言葉通り自分の衣服が畳んでおいてある。下着もパジャマも完璧だ。しかし、普段は置いていない小さなタオルがある。もしや……これを持って中に入れということだろうか?

 案外、ディシディアはテレビなどに影響されやすい。きっと頭にタオルを乗せて入浴している映像でも見て、それに感化されたのだろう。


「ま、いいんですけどね」


 誰に言うでもなく呟き、服を脱ぎ去って風呂場へと足を踏み入れる。もちろん、タオルも忘れない。彼は浴場に足を踏み入れて、ふふっと笑う。


「濁り湯って……凝ってるなぁ」


 あまり大きくない浴槽は白く濁っている。見たことがない入浴剤の袋が置いてあるのを見るに、彼女が買ってきたのは疑いようがない。実にいいサプライズだ。

 良二は彼女への感謝を胸に風呂場の扉を閉めた。


 ――そうして、それから数十分後。良二は困惑していた。

 なぜか? 決まっている。


「やぁ、ご一緒しても構わないかい?」


 風呂場の入り口に、裸体にタオルを巻いただけのディシディアが立っていたからだ。

 良二は酸欠の恋のように口をパクパクさせた状態で、股間をタオルで隠している。もしや、これは彼女の策略にまんまとはまったのではないかと思う。ツゥ……っと冷や汗が流れるのを感じつつ、良二はおそるおそる口を開く。


「あ、あの、ど、どういうことですか?」


「ん? いや、君を労ってあげようと思ってね。嫌かな?」


「い、嫌じゃないです!」


 一瞬彼女の顔が陰ったのを見て反射的に叫んでしまう。が、すぐにディシディアが演技をしていたことに気づいた。彼女は悲しげな様子をしていたかと思いきや、その言葉を聞いてニパッと輝くような笑みを浮かべる。


「うふふ、ありがとう。ほら、じゃあ浴槽から上がりなさい。背中を流してあげるから」


 バスチェアを設置し、トントンとたたきながら言ってくる。良二は戸惑いながらも、浴槽から上がってバスチェアに腰かけた。すると、数拍置いて冷たい何かが背中に当てられる。それがスポンジだとわかったのは、タオルとは違う柔らかさがあったからだ。


「動かないでくれよ。あぁ、痒いところがあったら言ってくれ」


「ど、どうも……」


「思えば、君と一緒にお風呂を入るのは初めてだね。今までは、ずっと断られてきたから」


「そ、そうですね」


 駄目だ。完全に声が裏返ってしまっている。後ろでディシディアがクスクスと笑う声を聴いて、良二はもう顔が燃え上がりそうだった。


「……君の背中は、おっきいね」


 ポツリ、とディシディアが呟く。良二がそれに応える間もなく、彼女は続けた。


「広くて、温かい……君も、立派な男だということだね」


「あ、ありがとうございます……」


 心臓が自分のものとは思えないくらい早く動いている。彼女のプニプニとした手が背中に触れる度、口から心臓が飛び出そうだ。

 彼女が漏らす微かな吐息すらも蠱惑的。今、二人を隔てているのは何もない。ディシディアはタオルを身に纏っているが、ほぼ裸だ。当然、見ることはできない。彼女は許してくれるだろうが、自分で自分を許せなくなってしまうのだ。


(無心だ……無心になろう)


 脳内で般若心経を繰り返す。彼女の心遣いはとても嬉しいのだが、正直気が休まらない。


「よし、終わった。お疲れさま」


 ポン、と背中を叩かれる。彼女はニコリと笑いながら、その場を後にした。どうやら本当に、体を洗ってくれるだけだったらしい。

 良二は未だ早鐘を打つ心臓を抑え込むために深呼吸を繰り返す。結局彼が風呂場を後にしたのは、それからさらに十分後のことだった。


 そうして風呂場を後にすると、ディシディアはすでに卓袱台のところに腰掛けていた。彼女の眼前には――ズラリと料理が並んでいる。

 ただそれらはお世辞にも、このパーティーの雰囲気には合わない。

 肉じゃが、卵焼き、ほうれんそうのおひたしや、豆腐とわかめの味噌汁。山盛りのご飯など、純和食といった雰囲気だ。

 作った本人も、場違いなのは感じているらしい。困ったように笑いながら、ポリポリと頬を掻く。


「ハハ……すまない。君が好きな食べ物といったら『おふくろの味』だと思い至ったんだけどね。どうにも、飾りつけとは合わなかったようだ」


 しかし、良二はフルフルと首を振り、にこやかに語りかける。


「いいんですよ。こういうのは、気持ちが大事なんですから。だから、俺はとっても嬉しいです。ありがとうございます、ディシディアさん」


「君は優しいね。だから好きなんだけど。ほら、冷めては美味しくなくなってしまう。早く食べよう」


「ですね。それじゃあ……」


『いただきます』


 二人は手を合わせ、思い思いの料理に箸を伸ばす。良二がまず取ったのは卵焼きだ。

 焦げてもいないし、逆に半熟すぎてゆるゆるというわけでもない。初めてにしては上出来だ。良二は大口を開けてそれを口の中に頬張り、目を見開く。


「……これは」


 口に入れるとほんのりと甘い味わいが口の中に広がる――かつて母が作ってくれた、懐かしい味だ。卵の味が苦手だった自分でも食べられるようにと、甘くしてくれた卵焼き。甘くて、優しいものだ。

 もちろん、よく味わってみればわずかに違う。だが、非常に酷似していた。


「どうかな? 一応、頑張ってみたんだが……」


 滅多に見せないような不安げな顔になって、ディシディアは手をもじもじさせている。その時、彼女の手がわずかに荒れているのに気がついた。


「――ッ!」


 きっと、今日だけじゃない。彼女はずっと人知れず練習していたのだ。

 それを思うと、胸が温かくなる。胸の奥からこみあげてくる熱い思いをこらえることができず、良二は味噌汁を煽ることでごまかした。

 これまた、懐かしい味だ。いりこの出汁が効いていて、柔らかい豆腐が口の中でほろりと溶けていく。わかめはシャキシャキとしていて歯ごたえもよく、白味噌がいい味を出していた。

 ほうれんそうのおひたしもいい出来だ。葉はしんなりと、口はシャッキリとしている。かけられている汁も奥深い味で、箸休めにはうってつけだ。鰹節をかけるとまた違った味わいになっていくらでも楽しめた。

 肉じゃがもいい味を出している。ジャガイモはホクホクとしていて、ニンジンは柔らかすぎず固すぎない。独特の食感を持つ白たきや甘みのある玉ねぎ、力強さを兼ね備えた牛肉などが喧嘩をせず調和している。

 どれもこれもかなりの出来だ。ただ、少々未熟な部分も存在する。

 野菜などのカットは見事なものだ。が、いかんせん料理というのはわずかな誤差が命取りになるもの。彼女にとって、これらの料理はあまり縁がないものだ。どれだけ練習したと言っても、ずっと作り続けている良二には遠く及ばない。

 これらの品を評価するなら、中の上。あくまで、いい出来の域を出ない。

 ただし、それはあくまでこれだけを見た場合。大事な人が作ったと思えば、その味は一気に極上のものへと変貌する。


「気に入ってくれてよかったよ。今度は、もっと上手く作ってみせるさ」


 本人的にもまだ納得するレベルに達していないらしく、そんな言葉を漏らしている。だが、良二はそんなことなど気にも留めず、ガツガツと料理を喰らっていた。


「っと、そうだ。君に渡すものがあったんだ」


 料理のほとんどがなくなりかけたところで、ディシディアが思い出したように手を打ちあわせる。すると彼女の眼前に小さな魔方陣が出現し、そこからこれまた小さな箱を吐き出す。ディシディアはそれを上手く空中でキャッチし、良二の方に差し出した。


「さぁ、これがプレゼントだ。受け取ってくれ」


「ありがとうございます……ッ! 俺、とっても嬉しいですよ」


 丁寧に包装を解き、箱を空ける。するとそこには――新品の、真っ黒い金属製の時計が入っていた。俗に言う、クロノグラフという奴だ。

 手にするとずっしりと重く、けれどそのおかげで存在感を感じ取ることができる。良二は手に付けたり外したりしては、嬉しそうに頬を綻ばしていた。


「時計なら、いつでも着けるからね。それを見れば、私のことを思い出してくれるだろうさ」


「……あの、ディシディアさん。つかぬ事をお伺いしますが……もしかして、どこかに行ってしまうんですか?」


 言われて、ディシディアはハッとする。良二が今にも泣きだしそうな、そんな悲しい顔でこちらを見つめていたからだ。

 そして、理解する。自分と、彼の思いは同じだったのだと。

 彼もまた、自分のことを大事に思ってくれている。彼の瞳は愁いを帯びているが、それはきっと自分が去ることへの恐れも含まれているだろう。

 彼女は静かに俯き、彼の手を取った。彼の背中と同じ、温かくて、大きい手だ。

 ディシディアはジィッと彼の目を覗き込みながら、謳うように告げる。


「リョージ。私はね、この世界が好きだ。見たことがないものに溢れていて、退屈しない。こちらの世界の料理も大好きだ。どれもこれも、新鮮な驚きに満ち溢れている……けどね。君がいなければ、それらは味わえなかった。君と一緒じゃなければ、楽しくなかった。だから、言おう。リョージ。私は君を愛している。だから……どこにも行かないよ。私はまだまだ、この世界を君と見たいんだ」


 良二はそれを黙って聞いていた。だが、熱い迸りが目から滴り落ちる。

 彼はギュゥっと彼女の小さく柔らかい手を握り、震える口調で続けた。


「……俺も、ですよ。ディシディアさんがいてくれてよかった。あなたと一緒だと、毎日が輝いて見えるんです。ハハ、ちょっと恥ずかしいですけど、これが俺の気持ちです。きっと、あなたがいなかったら俺の人生は……灰色のままだった。でも、それを変えてくれたのはあなたです。他の誰でもない。今、俺の人生は虹色です。しかも、どんどん色が増えていっている。だから、お願いです。これからも俺と一緒にいて……その色を、増やしてくれませんか?」


 ディシディアは沈黙し、その答えをよく咀嚼し飲みこんでから、涙ながらに告げる。


「……もちろんさ。ありがとう、リョージ。私たちは、これからも一緒だ」


「えぇ、そうですね。ずっと、ずっと一緒です」


 二人はコツンと額を合わせ、くしゃっと顔を緩ませて笑う。そうして互いの温度を確かめ合った後、ディシディアが不意に身を離して見慣れたゲーム機を取り出した。


「さぁ! まだまだ私のサプライズは終わらないよ! 今日は徹夜だ。覚悟はいいかい?」


「もちろん! 望むところです! ゲームだろうと、映画鑑賞だろうとドンとこいですよ!」


 二人は互いに声を張り上げ、また、笑う。心の底から、笑う。

 その後、朝が明けるまでこの部屋からは灯りと笑いが漏れていた。


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