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百三十九話目~紅茶とチョコチップクッキーと……?~

 夕焼けが赤く照らす道をディシディアはゆっくりと歩く。彼女は手元にあるメモを見てひとりニヤリと口元を歪ませる。すでに買い物は終えた。では、その荷物はというと……彼女が保有する自由空間の中に納めてある。別に持てないほどではなかったが、万が一良二に見つかれば言い訳する羽目になる。

 と、いうわけで見られる危険も取られる危険も皆無な空間の中に隠したのだ。こうしておけば、後は本番を待つだけ。ディシディアは妙な達成感を抱きながら口元を吊り上げて空を見る。

 今日は新月。月は見えない。けれど、その代わりと言わんばかりに色とりどりの星たちが空にちりばめられていた。普段は月のおまけ的扱いを受けている彼らは、ここぞとばかりに主張をしている。

 赤、青、緑、黄色や白……実に多彩な夜の星々は美しく、見ていると心が穏やかになっていくようだ。

 排気ガスなどによって淀んだ都会の空はいつもならばもう少し暗い印象を受ける。けれど、なぜか今日は神々しく、それでいて華々しく思えた。

 それはきっと自分の精神状態が大きく関わっていることを自覚しながらも、ディシディアは上機嫌で歩を進めていく――が、そこでふと、前方から見慣れた人影がやってきていることに気が付き、ピタリと足を止めた。


「あ! ガキンチョ!」


 声をかける前に、そんな言葉をかけられる。嘆息しながら前を見れば、そこには驚愕の表情を浮かべているヤスとサングラスをかけた筋骨隆々の――確か、アニキと呼ばれていた男性が立っている。普通の感性を持っている少女ならばすぐさま逃げ出しそうなほどの迫力だが、あいにく潜った修羅場の数が違う。


「やぁ、いい夜だね」


 ディシディアが柔和な笑みを浮かべながら手を振ると、男の方も無愛想ながら手を振り返してきた。ヤスはその様子を信じられない、と言わんばかりに見ていたが、ハッとしてディシディアに詰め寄る。


「お前、アニキの前で……ッ!」


「いい。落ち着け、ヤス」


 男――長谷川重三はせがわじゅうぞうは重苦しく口を開く。ヤスはその迫力に呑まれ、それ以上何かを言うことはない。ただ黙って、彼の隣に並んでディシディアを睨みつけるだけだ。

 当のディシディアはヤスの視線を軽くあしらいながら、重三の目を見据える。


「君たちも帰りかい?」


「……あぁ。そうだ……ところで、嬢ちゃん。ちょっと、時間あるか?」


「おや、デートのお誘いかい? あいにく、間に合っているよ」


「茶化すな。一度、アンタとは話がしてみたかったんだ」


 サングラスの奥から覗く彼の目は、真剣な色を讃えている。そこに何かしらの真意を読み取ったのだろう。ディシディアは一旦考え込む仕草をしてから、静かに首肯する。


「助かる。おい、ヤス。オマエは先に帰ってろ。俺は少しこの人と話をしてくる」


「え、あ……お、お気をつけて!」


 ヤスはピンと背筋を伸ばし、背中を向けた重三に頭を下げる。そうして、自分の隣を通り過ぎるディシディアに向かって「くれぐれも失礼のないように」と釘を刺して、自分も帰路に着いた。

 ディシディアは重三の隣に並び、改めて彼の顔を見上げる。良二よりも頭一つ大きい彼は、さながらトロールのようだ。けれど、彼のふるまいからは知性が感じられる。少なくとも、虚勢を張った強さではないのは理解できた。


「……とりあえず、ここでいいか?」


 しばらく歩いたところで、彼が右にある喫茶店を指さしてきた。お世辞にも綺麗な物ではなく、人がいる様子も見られない。だが、なにやら訳ありのようだし、秘密の話をするならここ以上の場所はないだろう。ディシディアは頷き、ゆっくりと中へと足を踏み入れる。

 すると視界に映ってきたのは――外観からは想像もできないくらい、小奇麗な店だった。店中ピカピカで、埃も見られない。外観はボロボロだったが、中には気を遣っているようだ。そこはやはり、飲食店だからと言うべきか。


「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ」


 おそらく大学生であろうと思われる少女が席へ案内してくれる。見るからに威圧感のある重三を見ても怯まないところを見るに、彼はこの店の常連なのだろう。事実、ウエイトレスの少女とわずかながら言葉を交わしていた。

 二人は店の最奥、一番端の席に腰掛ける。シートもふわふわで、座っていてストレスを感じることもなさそうだ。ディシディアはまず手をナプキンで拭いてから、メニューを手に取る。


「好きに頼んでくれ。俺が誘ったんだ。奢らしてもらう」


「おや、ありがとう。君は案外、紳士なんだね」


「紳士じゃない。自分の分をわきまえているだけだ」


 彼はお冷で口を潤し、言葉少なく告げる。ディシディアは呆れたように肩を竦めつつメニューに視線を寄越し、やがてパチリと指を鳴らす。


「はい、ご注文をどうぞ」


 数秒もせずやってきたウエイトレスの少女。可愛らしい意匠が施されたエプロンが可愛らしい。おそらく、店の看板娘的ポジションなのだろう。彼女の笑顔には、人を和ませる何かがあった。


「では、私は紅茶を頼むよ。ストレートでね」


「俺はいつもので頼む」


「かしこまりました!」


 少女は律儀に礼をして去っていく。彼女の後姿を見送ってから、ようやくディシディアは眼前の重三へと視線を戻した。


「さて、私を呼びつけたのには何か理由があるのだろう? 残念だが、私と君では釣り合わないと思うな」


「からかわないでくれ。ちょっと、聞きたくてな。飯塚は、どうしてる?」


「? リョージのことかい? しかし、君たちは……」


「わかってる。俺たちはあいつに迷惑をかけた。が、その後の経過をな。一応聞いておきたかったんだ」


 重三は口ごもりながら、お冷を煽る。おそらく、彼には何かしらの矜持があったのだろう。だから、良二のことが気になるらしい。


「……元々、飯塚は親父の借金を押し付けられただけだ。だからって、こっちも商売だ。手加減はしてられん」


「わかっている。そこは彼も理解し、納得しているさ」


「ありがとう……で? 元気でやっているのか、あいつは?」


「あぁ、もちろんさ。元気すぎて困るくらいだよ。まだまだ子どもだしね」


 と、おどけてみせるディシディアを重三は無言で見つめ、押し黙る。何とも会話が続かず、ディシディアは居心地が悪そうに首を捻った。


「ところで、あいつの親父はまだ帰らねえのか?」


 ふと、重三が口を開く。その言葉を理解するのには数秒ほどかかったが、ディシディアは確かに頷いた。


「あぁ、帰らない。音信不通、だそうだ」


「そうか……元はといえば、あいつのせいだからな。こっちでも色々と探しているんだが、中々手がかりが見つからん。ひょっとしてそっちにいるのかと思ったが……」


「……なるほど」


 それだけ言って、ディシディアは口をつぐむ。この問題には、あまり触れるべきではない。

 良二はあまり父のことを語らない。彼はいつも、母の話ばかりしてくれる。

 薄々感じていたが、良二は父親のことがあまり好きではない――否、憎んでいると言ってもいい。以前、自分たち家族を捨てたと言っていたことからも、そう判断できるだろう。

 しかし、これはあくまでも彼の問題だと思っていたからこそ、ディシディアは触れることがなかった。だから、改めてこう言われるとどう返せばいいのかわからず、黙り込んでしまう。

 そうして嫌な沈黙が続いたかと思うと、


「お待たせしました。紅茶セットとイチゴパフェです」


 それを破るように、ウエイトレスが料理を持ってきてくれる。彼女はディシディアの方に紅茶と数枚のクッキーが乗った皿を。重三の方にはビールジョッキに入れられたイチゴパフェをそれぞれサーブする。


「……悪いな、イメージと違って」


 考えを先読みしたように呟く重三の耳はわずかに赤い。その様子にクスッと笑いつつ、ディシディアは手を合わせた。


「いただきます」


 まずは、紅茶の香りを楽しむことにする。新鮮な茶葉を使っているのだろう。エグみのない、清々しい香りだ。それだけで胸がスゥッとなって、疲れが溶けていくようですらある。

 フーフーと息を吹きかけて啜れば、期待に違わぬ風味が体を駆け抜ける。そこに付け合せのチョコチップクッキーを挟めば、ついつい頬が緩む。

 チョコチップクッキーは当然ながら市販のものではない。おそらく、自家製だ。

 生地はしっとりと柔らかく、中に入っているチョコはコリコリとして実にいい食感だ。

 砂糖は控えめにしてあり、これならばするすると食べられる。何より、紅茶を挟むことで一旦味がリセットされ、また新しい気分で臨むことができるのだ。

 本来なら、もっとガッツリ食べてもよかったのだがあいにく今から帰って料理の支度をせねばならない。そのため、こうやって軽食で済ませることにしたのだが、結果的に大成功だった。

 紅茶の蒸らし具合も完璧の一言で、雑味が全くないのである。紅茶は案外、ちゃんと作ろうと思うと難しいものだ。ほんのわずかなミスが、味を破綻させることだってある。

 それに、クッキーも同様だ。こんがりと焼けていて、焦げ一つ見当たらない。けれど加熱されたチョコは旨みを何倍にも増幅させていて、濃厚な甘みを口いっぱいに広げてくれた。

 今さらながら、ストレートで頼んでいてよかったと思う。仮にこれがミルクティーならともかく、レモンティーなどであったならば今頃口の中は味の乱反射が起こっているはずだ。

 我ながらよい選択をした――と薄く笑うディシディアに対し、重三は重い口を開いて語りかける。


「……なぁ、俺はずっとアンタに聞きたかったんだ。頼む、教えてくれ。アンタ、なにもんだ?」


「ん? ふふ、気に留めることもない、ただの小娘だよ」


 ディシディアの言葉に、重三は首を振る。彼はしっかりとした眼差しでディシディアを見ながら、静かに呟いた。


「はぐらかすのはやめてくれ。俺は……お前のような目をした奴を以前、ムショの中で見たことがある。澄んだ瞳をしてるが……奥には底の見えねえ闇が巣食っていやがるんだ。アンタのはそれだけじゃねえ。その闇の中に……もっと恐ろしい何かが潜んでやがる。なぁ、一体、何を見たらそうなった?」


 その指摘に、ディシディアの眉がピクリと動いた。

 彼女はあまたの視線を潜り抜けている。だから、彼の指摘は概ね正しい。

 彼女はこれまで、多くの物を見てきた。いや、見過ぎた、といった方が正しいかもしれない。

 彼女が過ごしてきた数百年は、あまりに長大だ。その中で見た物や得た経験によって彼女という人格ができあがっていったのは言うまでもない。

 ――が、瞳の奥に巣食う闇、という言葉にはイマイチピンとこなかった。

 しかし、それは当然だ。何せそれは――彼女自身すらも、知覚できない深層。むしろ、それに気づけた重三が異常なのだ。

 彼は大きな図体に似合わず、声を震わせながら続ける。


「……教えてくれ。アンタ、本当になにもんだ? ただの小娘なら……そんな目をしているわけがねえ。どれだけの修羅場を潜ったんだ……? その心の中に、何を抱いている……?」


「……ふぅ。君は、中々にいい目を持っているね。人を見る才能がある。が、詮索はお勧めしないよ。乙女のプライバシーなら、なおさらね」


 ディシディアは軽い口調で言い放ち、残っていたクッキーを全て口の中に放り込み、紅茶で煽る。もはや味わっているのかわからない状態だったが、それでも彼女は満足げに息を吐いて席を立った。


「馳走になった。では、失礼するよ」


「待て! 俺の質問に……」


「答える義理はないさ。あぁ、そうそう。言い忘れていた。君たちがリョージの父を追うのは勝手だが、そのいざこざをこちらへと持ち込まないでくれよ? もし、大事な彼の笑顔を曇らせるようなことになれば……なんてね。では、失礼するよ。機会があれば、また」


 ディシディアはカラッと笑ってみせ、店を出ていく。重三は座ったまま、大きなため息をこぼして天井を見上げた。


「……ハハ、ヤベえな。ああいうタイプが、一番こええ。生きた心地がしねえよ、まったく」


 世の中には、怒らせてはならない者がいる。ディシディアもその類だ。

 重三は確かに感じていた。彼女の中に眠る、恐ろしい怪物の気配を。

 自然と手が震える。もし仮に、彼女の逆鱗に触れることがあれば、まず間違いなく自分は無事では済まないだろう。

 重三はガクガクと震えながら、ただただ静かに俯いていた。


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