百三十八話目~生姜ラーメンとハイセンス~
とあるラーメン屋のカウンターに小柄な少女と柄の悪い男が座っている。二人の間には椅子が一個置いてあるだけだが、その距離は思ったよりも近い。男の方は少女を見てこれ見よがしに舌打ちしたが、当の彼女は気にした様子もなくクスクスと含み笑いをする。
「……ったく、どうしててめえがいんだよ……」
頬杖をついて面白くなさそうに目を細めながら男の方――ヤスが呟いた。彼は相も変わらず趣味の悪いネクタイをつけており、それが絶妙にダサい。しかし当の本人はそうは思っていないらしく、しきりに身なりを整えるような仕草をしていた。
それを横目で眺める少女――ディシディアはこくこくと水を煽り、喉を十分に潤して話せる体勢を作った後で彼の方に向きなおった。
「さて、ヤス。こうしてあったのも何かの縁だ。君に聞きたいことがある」
真剣なまなざしを向けてくるディシディアを見ることもなく返事をしながら、ヤスはコップをクイッと傾けた。
「あん? 何だよ」
「君は意中の女性に何かを贈られるとしたら何が嬉しい?」
ブシュッとヤスの口から水が噴水のように噴き出る。幸い、店にいたのが二人だったからよかった。彼はげほげほと苦しげに咳き込みながら、憎憎しげな視線をディシディアに送る。
「は、はぁ!? てめえ、何言ってやがる!?」
「落ち着きたまえ。ほら、恵に聞こえてしまうよ?」
と、意地悪な笑みを浮かべながらディシディアは親指で厨房を指さした。それを見たヤスはグッと息を呑み、ぎりりと悔しそうに歯ぎしりしながらも椅子に腰かける。彼はこの店の女店主である恵には頭が上がらないのだ。
ようやく彼が落ち着いた頃を見計らって、ディシディアが穏やかに語り始める。
「実は今度リョージにプレゼントを贈ろうと思ってね。色々な人に意見を聞いて回っているんだ。君に聞く予定はなかったが、この際だ。聞かせてくれ」
「……お前、割と俺の扱いぞんざいだよな」
ヤスは少しだけ悲しげに目を伏せたが、ディシディアはそれを華麗にスルー。それはヤスも予想していたことらしく落胆のため息を漏らすだけで特に怒ったりはしなかった。
「いいぜ、答えてやるよ。そうだな……ま、俺に任せとけ」
ドンと胸を叩いてみせるヤス……だが、ディシディアは渋面を作っていた。
今気づいたが、ヤスはこれまた趣味の悪い腕時計をしている。南米に生えているキノコ顔負けの毒々しい色をした腕時計……むしろ、どこに売っているのか気になるほどだ。
(大丈夫だろうか……?)
正直なところ、ヤスはかなりセンスが悪い。それも性質の悪いことに自覚がないのだ。
お洒落に興味がなくてダサいのはある程度は仕方ないことだろう。意識がそこに向いていないだけで、もしかしたら改善するかもしれない希望が残っているからだ。
が、彼は自分では相当お洒落だと思っている上にセンスは壊滅的。おそらく誰かが忠告しても改善する可能性は低いだろう。少なくとも、現時点ではそう判断できた。
ヤスはもったいぶるように髪を掻き上げる仕草をしてみせるが、つい先日坊主頭にしたのを思い出し、やや赤面しながらコップに手を伸ばす。そうしてさながらバーにいるかの如くカウンターに肘をつき、コップを手で揺らしながら息を吐いた。
「俺に言わせればだな、なるべく日常生活で使うものがいい。時計とか、ストラップとかな。ガキでもそれくらいなら買えんだろ」
「して、その理由は?」
「簡単だよ。目につくからだ。その度に贈られたことを思い出すだろ? それに、長持ちする奴なら重宝するしな」
「……意外にまともだな」
「てめ……ッ! 聞いといて何だ、その口のきき方は……ッ!」
ヤスは額に血管を浮かび上がらせて怒りをこらえている様だったが、すぐに恵が丼を抱えてやってきたのででれ~っとだらしなく鼻の下を伸ばしてしまう。が、ディシディアがいるのを思い出しハッとした様子で背筋を伸ばし視線を逸らした。
「はい、お待ちどうさま。生姜ラーメン大盛り二つね」
「ありがとう」
受け取った丼の確かな重さを感じて顔を歪めながら、ディシディアは口の端を不敵に歪める。一度来たからわかるが、この店のラーメンは相当美味い。ついつい大盛りにしてしまったが、後悔はなかった。
立ち上る湯気の下からは透き通った黄金色のスープが覗いている。そこに入っているのは細い麺と大量の青ネギと白髪ネギ。それからいくつかメンマ、三枚ほどのチャーシューと海苔とナルトが一枚ずつ。おそらく、おまけしてくれたのだろう。見ればヤスのものよりも若干具材が多めだ。彼はそれが悔しいのか唇を尖らせているが、ディシディアは構わずに箸を手に取る。
「いただきます」
まずはスープからだ。外の冷気によって冷やされた体はまず温かいスープを欲する。
レンゲを使って掬い、フーフーと息を吹きかけてよく冷ましてから啜る。
以前食べたものとはまた違う味わい。今回は生姜ラーメンというだけあって、スープからは強烈な生姜の風味が感じられる。
清湯スープはあっさりとしていてサラッとした飲み口だが、ここに生姜が加わることでより味に深みが生まれる。以前食べた中華そばよりも濃厚な味付けなのに、癖がなく食べやすい。
おそらく、それにはいくつかの要因が関係している。
まずは麺。こちらは超がつくほどの細麺だ。豚骨ラーメンに使われていそうなほどの細さの麺はわずかに縮れており、スープによく絡む。しかも細いにもかかわらずしっかりとしたコシがあってつるつると喉を下っていくのだ。
おそらく、幅広の麺や太麺ならば最初はよくても後半から啜るのが億劫になってしまうだろう。けれど、この細麺ならばどれだけ食べても飽きない。
次にネギだ。青ネギと白髪ネギ――これがなければ、この品は破綻する。
どちらのネギも新鮮でシャキシャキしており新たな食感を加えるとともに、後味をサッパリとさせてくれるのだ。特に白髪ネギは麺と絡めて啜れば実に美味。モチモチとした麺とシャキシャキのネギの対比は見事と言わざるを得ない。
この二つの要因があるからこそ、この品は格段に美味いのだ。ディシディアはすっかり気に入っているらしく、ニコニコと笑いながら食べ進めている。
それを見ている恵もまた、満足げに唇を半月型に歪めていた。
「やっぱり、美味しそうに食べてくれると嬉しいわねぇ」
「メ、恵さん! 俺もこれ、めっちゃ美味いと思いますよ!」
「う~ん、ヤス君のはちょっと演技っぽいかな~?」
「そんな!?」
負けじと賞賛を贈ったヤスの言葉を一刀両断し、恵は食べ進めているディシディアの方にカウンターの向こうから身を乗り出す。
「ねぇ、ディシディアちゃん。さっき、ヤス君と何話してたの?」
「む? あぁ、実はある人にプレゼントを贈ろうと思ってね。できれば、話を聞かせてもらえるかな?」
「いいわよ……あ、食べて食べて。麺が伸びると美味しくなくなっちゃうから」
食べる手を止めたディシディアに注意を寄越し、一息ついた後で恵は頬に手を当てて考え込む仕草をしてみせた。どうやら色々と考えているらしく、答えが出そうな気配はない。ので、ディシディアはまたラーメンを堪能する。
メンマはかなり味が濃い目だ。が、これをスープと一緒に食べると面白い具合に味が中和される。メンマはどこか野暮ったい印象を受けるものだが、このあっさりスープと絡まることでそれを完全に消し去っていた。
チャーシューの味はもちろん絶品で、ついつい食べ過ぎてしまう。三枚ほど入れてくれていたのはそのためだろう。気を抜けば、あっという間に一枚を食べ終えてしまっていたのだから。
海苔とナルトもいいアクセントだ。海苔が醸す磯の風味は魚介だしを使ったスープと相性抜群。また、魚で作られているナルトも加われば鬼に金棒だ。
「ふぅ……暑いな」
そんなことを言い、ディシディアは上着を脱ぎ去る。生姜の薬効作用によって、体の内からポカポカと温められているのだ。スープを飲めば飲むほど、代謝がよくなっていくのが自分でわかる。これなら、毎日でも飲みたいと思ってしまったほどだ。
「……そうね。うん、とりあえず、考えはまとまったわ」
ラストスパートをかけようとした辺りで、恵が声をかけてくる。彼女なりの結論が出たらしく、その瞳は力強い光を宿していた。ディシディアは自分の喉が重苦しい音を立てたのを感じながらも彼女の目をジィッと見据える。
それに恵も応え、厳かに口を開いた。
「まず、イメージが大事だと思うの。例えば服なら、もらった人が着たイメージ」
「イメージ?」
「そう、イメージ。プレゼントを贈る人は男の人?」
ディシディアがコクリと頷くと、恵はすぐさま隣にいるヤスを指さした。
「じゃあ、見て。その人がヤス君みたいなファッションをしていることをイメージしたら……どう?」
「……壊滅的に似合わないな」
「そういうこと。だから、案外イメージって大事なのよ? 買う前に、少しだけ考えてみるといいわ。本当にこれがいいかな? って、ね?」
「あぁ、ありがとう。助かったよ」
「どういたしまして」
「……二人とも、やっぱ俺の扱い酷くねえか?」
ヤスは珍しく涙をにじませながら気弱な声を漏らす。が、恵はコロコロと楽しげに笑い声を漏らしながら彼の肩をポンと叩いた。
「だってしょうがないじゃない。ヤス君ってそういうキャラでしょ?」
「むぅ……」
「ほら、そんな顔しないの。今度また新しいお洋服買ってあげるから」
「……え?」
二人のやり取りを見ていたディシディアが素っ頓狂な声を漏らす。彼女は二人から視線を受けてようやく我に返り、ブンブンと手を振った。
「い、いや、すまない。つかぬ事をお伺いするが、ヤスの服は……」
「もちろん、私のプレゼントよ。ふふ、中々いいセンスしているでしょう?」
恵はえっへんと胸を反らしながらドヤ顔で答える。ディシディアは空いた口が塞がらない様子でヤスの方を見たが……当然ながら、彼もまんざらではなさそうだった。
別に意中の女性に贈られているから渋々着ているというわけではなくて、本当に彼の好みドストライクらしい。ディシディアは何かを言おうとしたがキュッと唇を結んでスープを啜り、喉元まで来ていた言葉を飲みこんだ。
数拍置いて、彼女は二人の方に柔らかな笑みを向ける。
「……案外、二人はお似合いかもしれないね」
「ば、馬鹿野郎、ガキンチョ、てめえ! お、おだてたって何も出ねえぞ!?」
言いつつ、ヤスは財布から金を抜き取ろうとしている。恵の方は「まさか」と真に受けていないようだったが、ヤスは完全に舞い上がっているらしい。
(なるほど……人のセンスはそれぞれ、か)
これからはなるべくヤスのセンスも尊重してやろう……そんなことを思いながら、ディシディアは店を後にした。