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百三十七話目~父母と電話とシリアルと~

 時刻は午後の九時。空には大きな月が上り、窓の外では木枯らしが吹く音だけが響く。何とも静かな夜だ。ディシディアは今しがた空にしたばかりの食器たちを流しへと持っていきつつ、チラリと時計を見やる。

 今日も良二は帰るのが送れるらしい。先ほど連絡があったが、電車が遅延しているらしくいつ帰れるかはわからないそうだ。ひょっとしたら今日は近くの友人の家に泊まって明日の朝、帰ってくるかもしれないと言っていた。

 いつもならばこっそり魔法を使って迎えにいっていたかもしれないが、今に限っては好都合。彼が帰ってこないということは、作戦会議ができるということである。


「よし、ひとまずはこれで終わるか」


 食器を水に浸けた後で居間へと戻る。すでに卓袱台の上にはパソコンがセットされており、彼女が到着するころにはすっかり動作ができるようになっていた。

 こうなれば、することはただ一つ。彼女はカタカタとパソコンを弄り、とあるアプリを立ち上げる。それは海外の人とも無料で会話ができるアプリだ。それが完全に起動した辺りで彼女は少々身なりを整え、専用のマイク付きヘッドフォンを装着。これで準備は万全だ。


「さて、出てくれるかな……?」


 期待半分、不安半分といった表情で呼び出し画面を見つめるディシディア。手を組んだり離したりと落ち着かない様子をしていたが……ピコンッという音の後に聞き慣れた声が耳朶を打って彼女はパァッと顔を輝かせた。


「か、カーラかい?」


『えぇ、そうよ。ディシディアちゃん。久しぶりね』


 穏やかで、柔らかく弾むような声。嗚呼、間違いなく彼女だ。

 アメリカにいる彼女にとって義母とでも呼ぶべき存在――カーラ。アメリカから帰った後もちょくちょくメールでは連絡を取り合っていたのだが、声での会話はずいぶんと久しぶりだった。

 その懐かしさに目を細めながら、ディシディアは続ける。


「元気かい? ケントは?」


『えぇ、元気よ。ケントはまだ寝てるわ。だって、まだこっちは朝の六時だもの』


 言われて、ハッとする。日本とアメリカでは時差があるのだ。それをすっかり失念していたディシディアはバツが悪そうに頭を掻く。


「も、申し訳ない。都合が悪いなら、またかけ直すよ」


『いいのよ。どうせ暇だもの。今日は何もない日だからね』


 と、カーラは陽気に言い放ってみせる。顔は見えないが、ディシディアの脳裏には彼女がいつも向けてくれていた慈愛に満ちた笑みが浮かんでいた。それを思うだけで、また胸が温かくなってくる。

 そっと胸の前で手を握りつつ、ディシディアは本題を切り出した。


「ところで、今日は相談があるんだ」


『あら、何かしら?』


「実は、リョージにプレゼントを贈る計画を立てていてね。プレゼントを贈るにあたっていいアドバイスはないか、聞きたかったんだ」


 スピーカー越しに口笛を吹く音が聞こえてくる。これは、カーラのものではないだろう。


「……ケントかい?」


『アタリ! やぁ、おはよう、ディシディアちゃん! いい朝だね!』


『あっちは夜よ、ケント』


 朝から威勢のいいケントと冷静なツッコミを返すカーラについぷっと吹き出してしまう。彼女たちも随分うまくやっているようだ。まぁ、熟練夫婦だし、ラブラブなのはよく知るところ。暖房が効きすぎているわけでもないのに手で顔を煽ぎつつ、ディシディアは話しを続ける。


「そうだ。男性の意見も聞きたい。どのようなプレゼントなら嬉しいだろうか?」


『そりゃあもちろん、可愛い女の子からのプレゼントなら何でも嬉しいさ! ……と、冗談はさておき、既製品でもいいから何か工夫を凝らしたものがいいな。ラッピングとか、渡すシチュエーションとか……だから睨まないでくれよ、カーラ』


 おそらく、おどけようとしたところを睨まれ無理矢理理屈をつけたのだろう。やれやれ、とディシディアは首を振りながらパソコンにズズイッと身を寄せる。


「カーラとしてはどうだい? 送る時に何か気をつけていることは?」


『そうね。見ての通り、ケントはこういう性格だから時々何も考えずに渡したくなるところだけど……私なら、世界に二つとないものになるようにするわ。これは、今さっきケントが言ったことにつながるけどね』


「と、言うと?」


 コホン、という咳払いとともに、カーラの声が響いてくる。


『簡単よ。仮に同じものを贈るにしても、そこにプラスされた要素があるかないかで大きく違うでしょう? 例えば、ロケットのペンダントを贈る時、中にこっそり私たちの写真入れるの。そしたら、開けた時にビックリするし記憶に残りやすいでしょ?』


『そうそう。確か、前はお皿を贈ってくれたよね? 俺たちの名前が書かれた』


『そうね。たまには、その思い出のお皿を洗ってくれてもいいんだけど』


『か、勘弁してくれよ……』


 画面の向こうで会話をしている彼女たちの声を聴いているとどうにも郷愁に駆られてしまう。ともすれば、転移魔法を使ってあちらに行こうかと考えてしまったほどだ。

 ――が、すんでのところでそれを耐える。やってしまえば、歯止めが効かなくなるからだ。

 魔法は便利だが、万能ではない。一度それに慣れてしまえば、使えなくなった時に何もできないようになってしまう。これは彼女が魔法を習い始めてからずっと気をつけていたことだった。

 それに何より、今行ったのでは風情がない。あの長い旅を思うと、飛行機内での時間も中々に馬鹿に出来ないものだった。むしろ、その時にしかできない経験というのは確かに存在する。その点、魔法なら一瞬だ。

 時間の短縮にはなるが、少なくとも機内食を食べることや隣り合った他人と話す機会は失われてしまう。それは彼女の本意ではない。

 だからこそ、ディシディアはキュッと唇を噛み締めた後、ニコリと笑って声を発した。


「二人とも、色々とありがとう。助かったよ」


『どういたしまして。それにしても、よかったわ。ディシディアちゃんの声が聞けて』


『たまにはこうやって電話してよ。俺たちは暇だからさ』


「あぁ、もちろんだとも……さて、とりあえず、私の質問はこれで終わりだ。だから、もう少しお話してくれないかい? なんだか、二人の声を聴いていたら……よくばりかもしれないが、もっと話していたいと思ってしまったんだ」


 数拍の間を置いた後、スピーカーから笑い声が聞こえてくる。ディシディアもそれにつられて笑い、そっと姿勢を正して話す体勢を整えた。


『ふふ、ありがとう。実を言うとね、私たちもあなたの声が聞きたかったの。やっぱり、メールだけだと本当に元気かわからないもの。でも、安心したわ。本当に元気そうで』


『リョージは? あ、もう寝ているのかな? それとも……まだ学校?』


「いや、電車が遅延していて足止めを食らっているらしいんだ。だから、私が彼の分もお話するよ。いいだろう? ……父さん、母さん」


 そっと囁くように、けれどしっかりとした声音で彼女は告げた。スピーカーの向こうでハッと息を呑む声が聞こえたかと思うと、続いてどたどたっという慌ただしい音が聞こえてくる。


『もちろんだとも! さぁ、話そう!』


『ケント、落ち着いて。ごめんなさい、ディシディアちゃん。それと、ありがとう。また、私たちのことを父さんと、母さんと呼んでくれて』


 どうやら、ケントはディシディアがまだ自分たちのことを家族だと思ってくれていることが嬉しかったらしい。興奮しているのが声から伝わってきた。カーラも平静を装っているように思えるが、若干涙声になっているのまでは隠せていない。

 胸に温かいものがこみ上げてくるのを感じたディシディアはわずかに目を伏せ、嬉しそうな笑い声を漏らす。

 正直、言うのは怖かった。まだ、彼らが自分のことを娘だと思ってくれているのかわからなかったからだ。調子に乗っていると思われるのではないかという不安と恐怖もあったからだ。

 けれど、それは杞憂だった。彼女たちは血のつながりはなくても、自分の、自分たちの母であり、父だったのだ。堪えようとした涙はあっさりと目からこぼれ落ち、キーボードの上にぽたぽたと落ちていく。

 これがビデオ通話でなくて幸いだった。ディシディアはズズッと鼻を啜ってから、また話し始める。


「ありがとう。二人とも。実はね、いっぱい話したいことがあったんだ。聞いてくれるかい?」


『ああ! ああ! 当然じゃないか!』


『お願いするわ。何時間でも付き合うわよ』


「ありがとう。実はこの間リョージの学校で学園祭というものがあったのだが……」


 ディシディアは胸にこみ上げてきた情熱に任せて口を開き語り始める。その間、カーラたちは相槌を打ったり、たまに質問を交えながらこちらの話に興味を示してくれた。

 反応がよいともっと話したくなるのが常である。気づけばディシディアはこれまでにないほど饒舌になって、アメリカから帰ってきてあったことを事細かに語る。その迫真の語り口は現場を見ていないカーラたちにも容易にその光景を想起させた。

 そうして、そんな会話が数時間ほど続いた辺りで――。

 ぐごごごごぉ……。

 という、地響きに似た音がディシディアの腹から響いた。彼女は咄嗟に腹を押さえたがすでに遅い。


『ハッハッハッ! 大きなお腹の音だね! 相変わらず食いしん坊だ!』


『ケント。静かに。ディシディアちゃん、何か食べたら? お腹が空いていると、話せないでしょう?』


 正直、食べなくても話せるような気がした。それほどまでに、ノッている。

 けれど、カーラの提案を無下にするのは心苦しい。ディシディアは渋々頷き、一旦断りを入れてから台所に立つ。幸い、つい最近買い出しに行ったばかりなので品ぞろえに不足はない。


「さて……とりあえず、これくらいでいいか」


 ディシディアが手に取ったのはココアパウダーとシリアル。それから台所から取り出したミルクだった。深めのさらにまずはシリアルを投入し、続けてなみなみとミルクを注ぐ。そうして落とさないよう細心の注意を払って居間へと戻り、スプーンを取ってから手を合わせた。


「いただきます」


『おぉ、それを聞くのも久しぶりだね。懐かしいよ』


 ケントの声を聴いて苦笑しながらシリアルを口にする。

 ポリポリパリパリとした食感のシリアルは冷たいミルクとの相性も非常によく食べやすい。が、ここだけではあくまで既製品の味だ。

 だからこそ、アレンジを加える。

 カーラたちが言うように、この世に二つとないものへと作り変えるのだ。

 まずはココアパウダーを投入。チョコレート色の粉末が加わり白と黒のコントラストを描く皿を一瞥した後で、ディシディアは思いついたように台所へと戻って蜂蜜を取ってくる。

 それをゆっくり注げば、黄金の渦が皿の中に生まれた。ごくりと喉を鳴らし、スプーンを使ってゆっくりと混ぜる。すると黒、白、黄金の全てが混じり合い、淡いココア色に変貌する。十分に撹拌した後で食べれば――美味さに全身が震えた。

 元々ミルクにココアパウダーを混ぜる手法は存在する。が、そこに蜂蜜を加えることで味に重厚感が生まれるのだ。

 すでにシリアルはふやけてふにゃっとしているが、味が染みていると解釈すればいい。仮に物足りなければ追加するだけで済むのだ。


(なるほど……確かにその通りだな)


 用いたのは普通の食材ばかり。今作ってみせたのは即席料理だが、料理と呼んでいいのかわからないレベルのものだ。つまるところ、やろうと思えば誰にでもできそうな料理である。

 ――が、今、この時点において彼女が作ったものは誰にも再現できない。使ったものは既製品ばかりだとしても、これは紛れもなく彼女のオリジナル料理。それだけは疑いようのない事実だ。

 ディシディアはそれで空腹を満たしつつ、またしてもパソコンに語りかける。


「待たせたね。うん、二人の言っていることがよくわかったよ」


『あら、よかった。ところで、リョージはこのことを知っているの?』


「いいや、これは……」


 と、答えようとした直後、ガチャガチャっと乱暴な音を立ててドアノブが回った。ディシディアはキッと鋭い視線と共に右手を玄関の方に向けた。すでに指先には強い赤色の光が宿っている。

 後一節詠唱すれば、赤い閃光が侵入者を貫くところだっただろう。が、入ってきた人物を見てディシディアはほっと胸を撫で下ろす。


「ディシディアさん! すいません、遅くなりました!」


 玄関に立っていたのは顔を真っ赤にして息を荒くしている良二だ。もしかしたら、駅から全力で走ってきたのかもしれない。額には汗が浮かんでおり、少々辛そうな顔をしている彼はこちらに歩み寄り、ムッと唇を尖らせた。

 彼の視線はまっすぐディシディアの抱えている深皿に向いている。


「ディシディアさん……夜食は控えるようにってあれほど言ったじゃないですか」


「い、いや、これは……」


『違うのよ、リョージ。私たちが無理矢理付き合わせたの』


 自身が弁解するよりも早く、スピーカーからカーラの声が聞こえてくる。ハッと後ろを振り返ってみれば、いないはずのカーラがウインクをしてくれているような気がした。

 当の良二は一瞬硬直したものの、すぐハッとしてパソコンの方に歩み寄る。


「カーラさん……ですよね?」


『えぇ、そうよ。元気にしているみたいで安心したわ』


「わぁ! 本当にお久しぶりですね! 元気でしたか!?」


 すでに良二はディシディアが夜食を取っていたことを忘れている様だった。見るからに上機嫌で、パソコンに向かい合っている。


「え? そういえば、どうして二人はお話していたんです?」


『女子トークよ。男の子は入っちゃダメ』


『らしいよ、リョージ。悔しいから、今度は男だけで話をしよう』


『ケントさんも! あぁ、いや。間違えました。父さんと母さんって呼んだ方がいいですね』


 先ほどの自分と同じことを言っている良二を見てクスクスと笑いながらディシディアは深皿を両手で掲げて口元まで持っていき、グイッと煽る。

 まだ半分ほど残っていたが、飲み干すには十秒もかからない。ディシディアは口元をペロッとしたで拭い、良二の隣にススッと身を寄せて話に参加する。

 結果的に、彼らがパソコンを閉じるのはそれから数時間後。丑三つ時をすっかり回った後だった。


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