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第百三十四話目~ブドウゼリーとお手伝い~

「ここ、だろうか?」


 ディシディアは手元のメモから眼前の建物に視線を移す。一戸建ての真新しい家は見るからに清潔感があり、住宅街によく馴染んでいる。ディシディアはちょこっと背伸びをして改札の隣に備え付けてあるインターホンをそっと押した。


『は~い』


 と、そんな声が聞こえてくる。ディシディアはインターホンのカメラを覗き込み、


「やぁ」


 と、手を振ってみせる。すると、すぐさま扉が開き、そこからゆったりとした服を着た珠江が顔を覗かせてきた。久しぶりに見る彼女はやはりいつもと同じく慈愛に満ちた笑みを浮かべながら、ちょいちょいと手招きしてくる。


「いらっしゃい、ディシディアちゃん。ほら、寒かったでしょ? 中に入って」


「ありがとう」


 門を潜り、彼女に促されるまま中へと足を踏み入れる。玄関には二人の結婚式に撮ったものと思わしき写真が飾られており、その横には花が添えられていた。何とも温かい雰囲気を感じながら、ディシディアは珠江の腹部を見やる。


「ずいぶん大きくなったね。もう、五か月くらいかな?」


「そうね、それくらい。ふふ、触ってみて」


 ディシディアはコクリと頷き、こわごわ腹に触れる。柔らかいかと思いきや適度な硬さがあり、何より温もりが感じられる。ディシディアはふっと口元を緩ませながら、珠江の腹を優しく撫でた。


「元気そうで何よりだ。お腹の子も順調そうだね」


「えぇ、本当に。さぁ、立ち話も何だし、お茶でも飲みましょう。お腹、空いてるでしょ?」


 見透かしたような彼女の言葉に苦笑してしまう。珠江は心底嬉しそうに顔を綻ばせてから居間の方へと消えていき、ディシディアもその後を追った。


「座ってて。すぐに準備できるから」


「いや、手伝うよ。私だってもう子どもではないんだ」


「うふふ、そうね」


 珠江はいたずらっぽく笑いつつ、やかんを火にかけた。そうしてパックの紅茶を取り出してティーカップにセットし、ちょいと冷蔵庫を指さした。


「昨日作ったゼリーがあるの。出してもらえる?」


「もちろんだとも」


 ディシディアはトコトコと冷蔵庫の方に歩み寄り、中から小皿に入れられたゼリーを取り出す。ワイン色をしたゼリーからは甘酸っぱい匂いが漂ってくる。それを嗅いで、ディシディアはピクッと耳を動かした。


「ぶどう、かい?」


「そう。ブドウゼリー。美味しいわよ」


 珠江はできあがった紅茶と共にスプーンを持ってきてくれる。ディシディアはゼリーをテーブルに並べるなり、すぐさま彼女が持つ紅茶とスプーンを手に取った。


「あまり動いてはダメだ。君一人の身体ではないんだから」


「もう、あの人もディシディアちゃんも心配しすぎよ。でも、ありがとう」


 そう言ってもらえると、心の底からほんわかとした気持ちが湧き上がってきた。が、それを顔に出すことはなくディシディアはカップなどを配膳し、自分の椅子に座って手を合わせる。


「では、いただきます」


「どうぞ。召し上がれ」


 ディシディアはまず冷えた体を温めるべく紅茶を啜る。これは市販のものだが、決して安物ではない。香り高く、変な渋みや酸味もない。飲んでいると体の芯からポカポカしてくるようだ。


「ミルクとお砂糖は?」


「いや、いいよ。最近、ストレートで飲むのにハマっていてね」


「そう? 欲しくなったら言ってね?」


 珠江は子どもに語りかけるように言ってくる……まぁ、彼女はディシディアのことを良二の親戚の子どもだと思っているので仕方ないと言えばそうなのだが、若干むず痒さを覚えてしまう。


(彼女たちにも話していいんじゃないだろうか……?)


 つい、そんな考えが脳裏に浮かぶ。現在、彼女が異世界から来たと知っているのは良二やカーラたちなど親密な間柄の者たちだけだ。

 正直、あまりベラベラ話していいものではない。もし情報を流されでもしたら自分だけじゃなく同居している良二にまで迷惑がかかってしまう。

 けれど、珠江たちなら信頼に足るとディシディアは常々思ってくれていた。彼女たちは自分のことを本当の娘と思ってくれているし、何よりこちらに来てから幾度も交流を重ねてその人柄はよく知っているつもりだ。

 とてもじゃないが、大事な秘密を誰彼かまわず打ち明けてしまうような者たちではない。


(……いや、これはリョージに相談してからだね)


 フルフルと首を微かに振りつつ、言葉を紅茶で流し込む。これは自分だけじゃなく彼にも関わる問題だ。だから決める時は相談した方がいい、と彼女は思う。


「ところで、今日は一体どうしたの? 何かあった?」


「ッ! そ、そうだ。忘れるところだった……実は、ちょっと相談があるんだ」


「相談?」


 珠江はパチパチ、と目を瞬かせた。が、次の瞬間にはコホンと咳払いをして居住まいを正し、話を聞く姿勢を整えてくれる。


「なぁに? 話してみて?」


「実は……」


 ディシディアは身振り手振りを交えながら話しはじめる。珠江はたびたび相槌を打ってくれるも、基本は何もしゃべらずディシディアのペースに合わせる。それを内心嬉しく思いながらディシディアはようやく内容を伝え終えた。


「なるほどね……確かに、プレゼントを贈るって難しいわよね」


 珠江はどこか遠い目をしながら紅茶を啜る。何か過去にあったのかと詮索しそうになったが、今はその時じゃない。ディシディアはコトリとティーカップを置き、彼女の目をじっと見据えた。


「何か、いいアドバイスはないだろうか?」


「う~ん、そうねぇ……ちなみに、予算はどれくらいなの?」


「とりあえず、これくらいあれば足りるだろうか?」


 ディシディアはがま口財布の中からポンッと三万円ほどを取り出してみせる。珠江はまさか三万も出てくると思っていなかったのだろう。口をあんぐりと開けて「……最近の子はリッチねぇ」などとどこか感心したように呟くのみだった。


「正直、何をあげたらいいかまだ決まっていないんだ。もし三万で足りないならもっと出そうと思うが……」


「だ、ダメよ! 子どもの内からそんなにお金使ったら!」


 珍しく声を荒げた珠江に驚いたのだろう。ディシディアは目を丸くしたが、すぐにハッとして彼女を掌で制す。


「お、落ち着きたまえ。あまり大声を出すとお腹の子が……」


「そ、そうね。ごめんなさい。二人とも、びっくりしたわよね」


 珠江は胸を撫で下ろして席に腰掛け、それから気分を落ち着かせるべくゼリーを口にした。それを見たディシディアもようやくゼリーの存在を思い出し、スプーンを使って口に入れる。


「これは……」


 口に入れた瞬間、甘さが弾けた。

 ぷるんっとしたゼリーを噛むとフルーティな香りが口の中を満たし、続けて濃厚なブドウの味が舌の上を席巻する。が、よく冷やされているおかげで後味は重いものではなく軽くスッキリとしたものに仕上げられていた。

 中に入っているブルーベリーも食感と味にアクセントを加えてくれている。噛むと皮のホロ苦さと実の甘酸っぱさがゼリーの中で際立つ。

 とぅるんっと喉を下っていく瞬間はもはや快感だ。正直なところ、店で出してもおかしくないレベルである。居酒屋だから難しいかもしれないが、もし出せばデザートとして大受けするだろう。そう感じるほどのクオリティだった。


「美味しい?」


「あぁ。これは珠江が作ったのかい?」


「えぇ。実を言うと、家のお料理は私が担当なのよ。だって放っておくと、あの人はいつも料理ばかりしているんですもの」


 クスクス、と珠江は子どものように笑いをこぼす。数時間前大将と話している時にも思ったが、やはり二人はラブラブだ。


「あ、話が逸れちゃったわね、ごめんなさい。プレゼントを贈るなら、あまりお金は関係ないと思うわよ? 気持ちが伝わるものだと誰だって嬉しいでしょ?」


「確かに。じゃあ、どういうものをすればいいだろうか?」


「そうね……あ、肩たたき券をあげるのはどう? 良くん、いつも疲れているみたいだし」


「ふふ、そうだね」


 考えてみれば、最近の彼は確かに疲れが溜まっているようで夜中勉強している時も寝落ちしていることが稀にある。なら、そういったマッサージなどをして疲れを癒してやるのも一つの手段だ、とディシディアは考えを巡らせる。


「お金があれば色んなことができるけど、お金をかけずにやるっていうのも大事だと思うの。だから、このお金は大事にしまっておいて。ね?」


 諭すような口調で言われては頷くしかあるまい。ディシディアはゆっくりと頷き、三万円をがま口へと戻す。それを見た珠江は「いい子ね」と優しく囁き、ピッと人差し指を立てる。


「後、これはコツなんだけど、欲しいものとかやってみたいことをさりげなく本人に聞いてみるのもありよ? 普段の会話でわかることって案外多いんだから」


「へぇ……大将はそれに気づかないのかい?」


「幸いね。男の人って結構単純なのよ。特に、あの人はね」


 惚気全開だ。いつもは仕事の時にしか会わないからわからなかったが、彼女は相当彼のことを溺愛しているらしい。となれば、これから生まれてくる子のことも溺愛してくれることだろう。そう考えると少しだけ安心した。

 ――ディシディアは元捨て子だ。事情はわからないが、親に捨てられたという事実だけは今も心に残っている。すでに友人たちの助力によりトラウマは払拭したが、それでもまだ心には棘が刺さっている状態である。

 できることなら珠江たちには子を捨てるようなことをしてほしくないと思っていたのだが――どうやらそれは杞憂だったようだ。少なくとも、目の前の彼女を見ている限りでは。

 ディシディアは紅茶をゆっくりと飲み干し、ピンと背筋を伸ばして恭しく礼をする。


「色々とアドバイスありがとう。よかったら、また行き詰った時に来てもいいかな?」


「もちろん! いつでも……うっ」


 言葉の途中で、珠江の顔が蒼白になる。ディシディアは一瞬何事かと思ったが、すぐに理解した。


「ご、ごめんなさい……」


 珠江はふらふらとおぼつかない足取りで廊下に出てある場所へと向かっていく。ディシディアもその後を追い、ゆっくりとトイレのドアを開けた。

 すると珠江は半ば頽れるようにして跪き、げぇげぇと苦しげに餌付きはじめる。ディシディアはそんな彼女の背を優しくさすることしかできない。


「苦しいだろう……可哀想に」


 珠江は目に涙を浮かばせながら嗚咽を漏らす。普段は明るく振舞っている彼女だが、今日ばかりはその背中が小さく頼りなく見えた。

 やがてつわりが一段落ついたところで、珠江は力なく顔を上げ、無理矢理笑みを繕う。


「ご、ごめんなさいね、ディシディアちゃん……もう、大丈夫よ」


「大変だろう……苦しくはないかい?」


「ううん……って言いたいけど、本当はすっごく苦しいわ。泣きたいくらい。でもね、辛くはないの。だって……ずっと待ち望んだ子だから。変かもしれないけど、ちょっとだけ嬉しいの。なんだか、実感が沸いちゃって」


 珠江はいつもの明るさを少しだけ取り戻しながら愛嬌のある仕草で頭を掻く。ディシディアは健気に子を思う母に慈しみのまなざしを向け、スッと立ち上がった。


「……珠江。何か、手伝えることはないかい?」


「……え?」


「その調子では、家事をするのも辛いだろう? なら、私に任せてくれ。こう見えて、家事はだいぶ得意なんだ」


 ディシディアの言葉に珠江は何度か目を瞬かせた。一方、ディシディアはしっかりとした決意に満ちた様子で静かに息を吐く。


「場違いかもしれないが……私にも手伝わせてくれ。君たちには幸せになってもらいたいんだ」


「ディシディアちゃん……もう、ダメね。最近涙もろくって」


 ゴシゴシ、と目元を拭う珠江の肩にポンと手を優しく置き、ディシディアは台所へと向かっていく。先ほどチラリと見えたが、洗い物が溜まっているのが見てとれた。おそらく、育児休暇と言ってもつわりによる苦しみなどでろくに休めていないのだろう。今の光景を見て、何となくその事情を感じ取った。

 なら、やることは決まっている。幸い、自分は暇なのだ。


「さて、では早速始めるとするか」


 気合を入れるようにグッと腰のあたりで手を構え、まずは食器を洗っていく。少々勝手が違うが、やることは一緒だ。非常に慣れた手つきで洗い物をしていくディシディア。彼女の顔は真剣そのもので、言い知れない気迫に満ちている。

 珠江は少しでも彼女の手伝いをしようとしたが――当然の如く断られ、椅子に腰かけていた。今はただジィッとディシディアを見つめている。そうして大きなお腹をそっと撫でながら、


「あなたは幸せ者よ。だって……ほら。あなたのために、あそこまで頑張ってくれる子がいるんだもの」


 ――と、涙声で呟くのだった。


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