表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
133/546

第百三十三話目~牛たたき丼と暗号地図~

 穏やかな昼下がり、ディシディアはてくてくと散歩をしていた。しかしいつもならもっと周囲の景色に目を配るはずなのに、今日に限っては下を向いて何か考え込んでいるようであった。


「さて……どうしたものか」


 ため息とともにか細い声を漏らす。彼女はすっと空を見上げ、流れていく雲をぼんやりと眺めていく。脳内では絶えず色々な考えが浮かんでいたが、そのどれもピンと来るものではなく、彼女はまた盛大なため息をつく。

 彼女が悩んでいる理由はただ一つ。良二に贈るプレゼントをどうしようか、というものだ。

 彼の家に来てからもう数か月になるが、考えてみれば自分はまだ彼にろくなお礼をしていなかったのだ。一応計画はあったのだが、ここ最近は何かとドタバタして手つかずになっていたのである。

 が、あらかた用事も片付いた今なら時間は十分にある。それに何より、良二も期末試験が近づいてきたからか家に帰ってくるのもまた少し遅くなるそうだ。これならば、より手の込んだ仕込みができそうな予感がしていた。

 ――ただし、それはあくまで計画がまとまればの話。ディシディアは渋い顔のまま、ガシガシと髪を掻き毟る。


「いや、まずは情報収集だ。彼にゆかりのある人物を当たろう」


 うんうんと頷きながら向かうのは珠江たちの店。今の時間ならば間違いなく空いているだろうし、大将と話をする時間もあるだろう。珠江もいればいいのだが、彼女は現在産休中だ。会う確率は極めて低いだろう。

 などと考えている内にも店が目に入ってくる。彼女はわずかに歩を早め、風でパタパタとはためく暖簾を手で押しのけながら扉を開いた。


「いらっしゃ……って、おお! ディシディアちゃんじゃねえか! 久しぶりだなぁ!」


「やぁ、久しぶり。ご飯を食べに来たよ。それと、ちょっと相談にね」


「相談? 悪いが、珠江は家だぜ?」


 案の定、彼女は家で休養を取っているようだ。正直話せないのは残念だが、それよりもまず彼女とお腹に宿った命が無事であればいい、とディシディアは素直に思う。

 珠江たちは長らく子宝に恵まれなかったが、それをディシディアが人知れず助力したのだ。正直なところ、それはあまり褒められた行いではないが大将たちの嬉しそうな顔を見たら罪悪感など吹き飛んでしまったほどである。


「で? 今日は何食べるんだ? またカツ丼か?」


「いや、今日は別の料理を頼むよ。そうだな……日替わり丼を一つ頼む」


「あいよ。ちょっと待ってな」


 大将はカラリと笑ってディシディアに手を振り、厨房の奥へと消えていく。最初の方こそサポート役の珠江がおらず苦労していた彼だが、流石に慣れたらしい。テキパキと動きながら、ディシディアの方に視線を向ける。


「リョージは学校か?」


「あぁ。試験が近いらしくてね。色々と慌てているよ」


「ハハッ! あるあるだな。俺も学生時代が懐かしいぜ」


 彼は懐かしむように目を細める。と、そこでようやくディシディアは本題を思い出し、カウンターから身を乗り出して彼に問いかけた。


「すまない、大将。相談を聞いてもらってもいいだろうか?」


「お? いいぜ。話してみな」


「ありがとう。実はリョージにプレゼントを送ろうと思っているのだが、男性から見て女性からどのようなものをもらったら嬉しいだろうか?」


「へぇ……プレゼントねぇ……」


 大将は即答することはなく、顎に手を置いて黙り込む。しかしそれでも手を休めないところは流石だ。彼は悩ましげに唸りながらも丼にご飯をよそい、一旦冷蔵庫に寄ってそこから小鉢を取り出してくる。

 彼はディシディアの前にキュウリの酢の物が入った小鉢を置き、


「そうさなぁ。ありきたりだが、手作りのものならいいんじゃねえか?」


「手作り……なるほど。ちなみに大将は珠江から何かプレゼントをもらったりするのかい?」


「あぁ。珠江は手先が器用だからな。マフラーとか手袋とかをよくもらうぜ」


「ふむふむ。大将は何かプレゼントをあげたりはしないのかな?」


「もちろんプレゼントはするけどよ。あいにく俺にはこれしかねえから、新作料理しか出せねえんだわ」


 大将は太い腕をぱんぱんと叩いて陽気に笑い、また調理に戻っていく。ディシディアは言われたことをメモし終えてから手を合わせ、


「いただきます」


 と言って酢の物を口に運ぶ。コリコリとしたキュウリの上にはゴマが散らされており、プチプチとした食感と独特の風味が食欲を増進させる。

 ディシディアはそれらをつまみながら、またしても大将に視線を戻した。


「やはり、男性は手作りの品をもらうと嬉しいのだろうか?」


「う~ん……ぶっちゃけた話、男は単純だからな。もらったらなんでも嬉しいと思うぜ。って、わりぃな。ろくなアドバイスできなくてよ」


 申し訳なさそうに肩を竦める大将にディシディアは首をフルフルと横に振って応える。彼は誠心誠意自分の問いに向き合ってくれているのだ。それに、色々といい意見も聞けている。なら、後はどうするかだけだ。


「おし、まずは腹ごしらえだ。食べな」


「おぉ!?」


 いつの間にかやってきてくれていた彼が差し出してくれた丼を見てディシディアはギョッと目を見開いた。大きめの丼には薄切りにされたピンク色の牛肉が花びらのように散らされている。中央には刻んだ白ネギが乗せられており、実に鮮やかな逸品である。


「牛たたき丼だ。案外うまいから食べてみな」


 大将は厨房から出てきてディシディアの横に腰掛ける。彼女は彼の言葉に頷いてから丼を持ち上げ、米と牛肉を同時に頬張った。と同時、彼女は口元に手を当て、パチパチと瞬きをしてみせる。

 これまで食べたきたどの丼にも属さない品だ。牛肉は薄いが噛めば噛むほど肉の美味さを解放してくれる。一瞬生かと思って身構えたが、これはタタキだ。ただ生肉を乗せたのとは比べ物にならないほどインパクトがある。

 味は驚くほど濃厚で、それをご飯がしっかりと受け止めてくれている。何より、かかっているたれが絶妙だ。

 出汁しょうゆをベースにしたたれには生姜やニンニクなどの薬味類が入っているらしい。これだけでもご飯を数杯は食べれそうなものだが、肉と合わさった時の威力は想像を絶する。

 アツアツのご飯と一緒に刻みねぎを肉で巻き取って食べればたちまち全身を多幸感が包み込み、自然と笑みがこぼれる。肉とご飯だけが主体の料理ではない。名脇役の白ネギがキラリと光る一品だ。

 たれのおかげで濃厚だがあっさりとした後口になっているが、それでも肉とご飯だけでは単調なものになってしまう。そこに変化と彩りを加えてくれるのがこのネギだ。

 シャキシャキとした食感もほのかな甘みも肉とご飯を際立たせる大事なファクターだ。これがなければ数口目には飽きてしまうことだろう。

 いわばこれはカツ丼や親子丼で言うところの三つ葉である。味に清涼感をプラスする、なくてはならない存在だ。


「気に入ってくれて何よりだぜ。にしても、やっぱ美味そうに食ってくれる奴は嬉しいなぁ」


 大将は感極まったように呟く。ディシディアは口いっぱいにご飯を頬張ってハムスターのようになりながら彼に視線を向け、ゴクリと口の中のものを嚥下した。


「だって、美味しいからね。正直なところ、大将の料理で不味いものを食べたことがないから」


「本当、嬉しいこと言ってくれるなぁ……と、それは置いといて、だ。リョージへのプレゼントだろ? 俺の経験から言わせてもらえば、後に残るものだとありがてえな」


「後に残るもの?」


 大将はお冷を煽って口の中を洗い流したのち、コクリと首肯する。彼はどことなく気取った様子でテーブルに肘をつき、ニヤリと口元を歪めた。


「おう。さっきの珠江の話で言えばマフラーとかだな。できるだけ日常生活で使える奴だとなおさら嬉しいが、そこはリョージ次第だろ。あいつ、何か欲しがっているものとかねえのか?」


「いや……思い当たる節がないわけではないが……イマイチピンとこないな」


 ディシディアはつい口ごもってしまう。良二は中々に物欲がないのだ。

 ディシディアもあまり物欲がある方ではないが、良二はそれ以上だ。彼が無駄遣いをするところなど見たことがない。それに、何かを買うために生活を切り詰めるという場面も見たことはなかった。

 好きなものに関しては大体把握しているが、それだけにハマっているわけではないようにも思える。ゲームや漫画が好きなのは知っているが、他にも色々と興味があるらしいのだ。

 大将は俯くディシディアを見て難しげに唸り、ポンと手を打ちあわせる。


「よかったら、珠江のところ寄ってくか? あいつならいいアドバイスもくれるだろ。俺とは違ってよ」


「そんなことはない。とても参考になったよ。やはり、男性からの意見と言うのはありがたいものだね」


「ハハハッ! そう言ってもらえると答えた甲斐があるってもんだ! ま、俺や珠江だけじゃなくて色んな奴らに話を聞いてみな。別にすぐ渡さなきゃいけねえわけじゃねえんだろ? なら、じっくり考えてから決めるのもありだと俺は思うぜ」


 彼はそれだけ言ってスッと椅子から立ち上がり、厨房の方へと戻っていく。昼時だが夜の営業に向けての仕込みも行っているらしく、彼は在庫と睨めっこしながら腕組みをしていた。その横顔はまさしく職人。漢の顔だった。


(珠江が惚れたのもわかる気がするな……)


 何事にも真摯に打ち込む者の姿は魅力的に映るものだ。実際、大将は料理というものに真剣に向き合っており、妥協をしたところなどディシディアは見たことがない。その証拠に出てくる料理は全て絶品で料理人の熱意が込められている。おそらく、これだけの品を提供できるものはそういないだろう。そう思ってしまうほどだ。


(そういえば、珠江も彼と同じ学校に通っていたというが……あまり彼女が料理をしているのを見たことはないな)


 思い起こせば、珠江はいつだって大将のサポート役だった。客たちの注文を受け、的確な対応をしつつ大将の仕事を手助けする。それが彼女の役割だった。

 できればいつかは彼女の手料理が食べたいものだ、などと思いながらディシディアは最後の一口を口に入れる。たれの染みたご飯がぱらりと口の中で解け、自然と頬が綻ぶ。やはり、美味しいものには人を笑顔にさせる力がある。


「ごちそうさま。美味しかったよ」


「おう! 珠江のとこに行くのか?」


「あぁ。色々と話を聞いておきたいからね。住所などを教えてもらえるかな?」


「待ってな」


 大将は伝票の一部を切り取り、ガリガリと何かを書きこんだ後でそっと紙を差し出してくれた……が、ディシディアはそこに書かれているものを見てピキリと表情を凍らせる。

 おそらく、地図を書いてくれたのだろうが字が汚くて何が書いてあるのかがわからない。というか、そもそも北にあるのか南にあるのかすらあいまいだ。

 ミミズがタップダンスを踊ったような筆跡を見て硬直するディシディアに対し、大将は照れ臭そうに頬を掻きながらポツリと呟く。


「……言ったろ? 俺は料理以外からっきしなんだよ」


「だ、大丈夫だ。頑張れば、読めないことはない……たぶん」


 フォローしようとしたが、正直かなり難しいところだ。本当に何が書いてあるのかわからない。別にこれは彼女が異世界出身だからと言うわけでもないだろう。知らない人に何も言わずこれを渡せば、きっと何かの暗号だ、とでも言われるに違いない。

 結局ディシディアは口頭で大将から住所を聞くことになるのだが、その時彼が軽く涙目になっているのを見過ごさなかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ