第百二十七話目~凍える風とホカホカ肉まん~
とある昼下がり、ディシディアは買い物袋を手に買い物に出かけていた。ちょうど今は商店街から帰るところであり、袋の中はパンパン。彼女は満杯になった買い物袋を一瞥し、左手に持つメモへと視線を向けた。
「よし、ひとまず揃ったから後は大丈夫か」
満足げに鼻を鳴らす。お使いの時に得る妙な達成感は案外心地いいものだ。
ディシディアはニッと口角を緩めるが、ぴゅうッと冷たい風が吹き抜けるなりそれまでの調子はどこへやら自らの体を抱いて小さく震えた。
「寒くなりそうだな……今日は早めに帰るとするか」
とは言ったものの、荷物が重すぎて中々前に進めない。買い物の途中で随時必要な物を足していったことを、いまさらながら彼女は後悔していた。
正直なところ、魔法を使えば一瞬で家に帰れる。が、それを使うには場所が悪すぎた。
人も車も多数行きかう大通りで魔法を使ったならば、間違いなく注目の的になるだろう。何より、ディシディアの容姿はただでさえ人目を引く。
少々調子に乗ってしまった自分に対して軽く舌打ちしつつ、彼女は先へと進んでいく。が、そうこうしている間にも凍えるような風は吹きつけ、彼女の体力を奪っていく。
気づけば買い物袋を持つ手の感覚がほとんどなくなっていた。あまりの重さと寒さに肉体が限界を迎えたのだ。
「マズイな……ひとまず休むか」
幸いなことに、ディシディアたちはすでに昼食を取り終えている。だから、別段急いで帰らねばならないというわけでもない。良二は今頃買ったばかりのゲームをやりこんでいることだろう。
「にしても、あれは中々によかったな……」
最初は彼が勧めたからやっただけだったが、やっているうちにディシディアはゲームの奥深さに引き込まれていた。
当然ながら、アルテラにはコンピューターゲームの類は存在しない。そういった意味でも新鮮だったんだろう。彼女はすっかりのめり込み、気づけば良二と同じくらいやりこんでいたものである。
ディシディアは脳内に浮かぶ良二とのバトルの記憶を呼び起こしながらなるべく足を速める。けれど、まだまだ家には着かない。
とうとうディシディアは大きなため息とともに近くの壁に背中を預け、荷物を地面に置いてしまった。かじかんでしまった手を温めようと擦ったり息を吹きかけてみたりして見たものの、それもせいぜいその場しのぎに過ぎない。
ディシディアは手を開いたり閉じたりしながら少しでも暖を取ろうとしていたが――ふと、ある一点に目を奪われる。そこにあるのはコンビニエンスストア。彼女がいる場所から百メートルほど先の場所にある。
それを見た瞬間、ディシディアの脳内で何かの回路が繋がった。
一旦あそこに入ってしまえば、暖を取ることができる。それに、公衆電話を使えば良二を呼び出すこともできるのだ。そうすれば、もっと早くに帰れるに違いない。
「よし、ひとまずはあそこに移動しようか……にしても、本当に重いな……」
えっちらおっちら言いながらディシディアはコンビニエンスストアへと急行。その途中でまたも木枯らしが吹きすさぶが、目的地が目の前にあれば耐えることは容易である。彼女はできるだけ身を屈めて表面積を小さくしながらコンビニの中へと入りこんだ。
「いらっしゃいませ~」
店員の澄んだ声が聞こえてくる。見れば、昼のピークを過ぎているからか店内はかなり空いている。備え付けのイートインコーナーなどは閑散としていて、ポツンと置かれた調味料などがどこか寂しげな様相を醸し出していた。
ディシディアは全身を包む温かな空気に目を細めつつ、自分の耳に触れる。こちらは手以上に冷たくなっており、血の流れも悪くなっているようだった。彼女は丁寧に長いエルフ耳をマッサージしながら、店内を見て回る。
思えば、コンビニに入る機会はあまりないような気がした。
大抵は商店街で済ませてしまうし、外出した時はその土地の食べ物屋を巡ることが多いからである。
「案外、面白そうなものが揃っているじゃないか」
最近はコンビニの質もメキメキと上がってきている。コンビニスイーツなどはその最たる例だ。色とりどりの菓子が並ぶ様はまさしく露店に並ぶ宝石のよう。だが、それらは全て冷蔵物。この寒い中で食べる気には到底ならない。
なら、向かうのはどこか? 決まっている。
ホットスナックのコーナーだ。そこには揚げたての唐揚げやら焼き立てフランクフルトやらが並べられている。しかしそんな中でもディシディアの目を一番引いたのは――ホカホカと湯気を立てている白くて丸い物体だった。
「肉……マン?」
ズズイッとショーケースに顔を寄せ、そんなことを呟く。聞いたことはあるが、食べたことはない。中華街に行ったときにそれらしきものがあったような気もするが……イマイチ、ピンとこなかった。
「ご注文はお決まりですか?」
「ッ!?」
突然呼びかけられ、ディシディアは思わず飛び上がってしまう。すると、声をかけた方である高校生くらいの店員もビクッと体を震わせ、そそっと顔を俯かせた。
ディシディアはポリポリと頭を掻きながらレジの方へと歩み寄り、
「すまない。肉まんを一つ頼むよ」
「あ、はい! かしこまりました!」
『研修中』というバッヂを身に着けた男性店員はたどたどしくも肉まんを袋に入れ、ディシディアの方に差し出してくる。彼女は代わりに代金を渡し、受け取ったレシートをポケットに仕舞いこんだ。
「さて、ちょっと休んでいくとするか」
重い荷物に顔をしかめながら彼女が向かったのはイートインコーナー。やはりがらがらで、座る場所はいくらでもある。その中でディシディアが選んだのは窓際の席だった。そこは日の光が差し込む絶好のスポット。
彼女は温かさに包まれながら、ビニール袋の中を見やる。すると、そこからはすでにほんわりと湯気が立ち上ってきていた。
ディシディアはごくりと息を呑み、紙袋で包まれた肉まんを持ち上げる。先ほど出したばかりだからだろう。ホカホカと温かく、持っているだけで心がほっこりとしてきた。
もちろん、芳醇な匂いを紙袋の隙間から放っているあたり流石である。ディシディアは手早く包装を取り、露わになった肉まんを見てごくりと息を呑んだ。
「いただきます」
小さく礼をし、かぶりつく。ふんわりもっちりとした生地は仄かに甘く、中の肉ダネと最高の対比を披露してくれる。
肉ダネは豚、タケノコ、そしてシイタケが用いられている。微かにニンニクの風味が香るが、これはあくまで隠し味程度なものだろう。しかし、中々バカにできない味である。
しいたけは肉の脂をこれでもかと吸いこみ、噛めばその旨みを爆発させる。角切りにされたたけのこはコリコリとしていて食感に変化を与えるとともに食欲を刺激してくるのだ。
ニンニクを使っているのも粋な計らいだ。あまり強すぎると少々重たくなりがちだが、香りづけとして用いる程度ならば問題はない。どころか、ニンニクの香りが胃袋をダイレクトに刺激し、気づけばまた食べている自分がいるのだ。
肉まんに舌鼓を打つディシディアは満面の笑みを浮かべて足をパタパタ動かしている。アツアツの肉まんは持っているだけでかじかんだ手を癒してくれるし、何より身体を内から温めてくれる。
温かいものを暖房の効いた店内で悠々と食べる。これも中々に贅沢だ。
「しかし、ここは危険だな」
口の中に残っていた肉まんを嚥下するなり、ディシディアはジロリと店内を見渡した。こちらの世界の人間にとってはありふれた場所かもしれないが、ディシディアからすればここは魔境だ。
簡単に食べものが買え、かつここで食べることもできる。下手すれば、おかわりを買いに行こうという気すら沸いてきそうだ。そうなれば無限ループに陥ることは目に見えている。
こういった場所で食べるとなると何でも美味しそうに見えてしまうのだ。それがわかっているからこそ、ディシディアは今ある肉まんを大事に大事に食べる。よく咀嚼し、味わってから嚥下。これで物足りなくなっておかわりを所望しないためだ。
「……よし、ご馳走さま」
最後の一口を口に放り込み、そっと手を合わせる。もう手は冷たくないし、痛みも引いた。お腹も膨れて体力も十分回復している今ならば、家までノンストップで帰ることができるだろう。
気合に満ちた顔つきでディシディアが買い物袋を取ろうと――したその時だった。
コホン、とわざとらしい咳払いが上から聞こえてきたのは。
ディシディアはチラ、と上目遣いになって見上げて頬をひくつかせる。
「りょ、リョージ……どうしてここに?」
「ディシディアさん……帰りが遅いので探しに行ったんですよ。そしたら、窓からディシディアさんらしき人物の姿が見えましたので……って、それは置いといて、まさか買い食いしていたんですか?」
「ち、違う。いや、買い食いしたのは事実だが……これには深いわけがあるんだ」
ディシディアは腕組みをして渋面を作っている良二に切々と語りかける。
あまりに寒すぎて体が限界を迎えたこと。
荷物が重すぎて運べなかったこと。
それらをきちんと説明すれば、良二の顔がわずかにいつもの穏やかさを取り戻した。
彼は盛大なため息をつきながら、ポリポリと頭を掻く。
「……やっぱり、連絡手段は必要ですね。ディシディアさんも携帯買いますか?」
「うん、私もその方がいいと思っている。正直なところ、連絡が取りにくいというのは大きな障害だからね」
「えぇ。まぁ、それはさておき、買い食いばっかりしてちゃダメですよ。食べ過ぎは体に毒です」
「ぐ……むぅ。気をつけよう」
ディシディアは力なく項垂れる。と、それを見た良二は苦笑しながら彼女が持とうとしていた荷物を持ち上げた。
「もちろん完全にやめる必要はないですよ。その代わり、次からは俺も誘ってください。俺も買い食いは好きですしね。何より、ディシディアさんと分けっこするの好きですから」
「嬉しいことを言ってくれるね。ひょっとして奢ってもらおうという魂胆かい?」
クスクスと笑いながらディシディアはがま口財布を取り出し、そこから千円札を取り出しぴらぴらと揺らしてみせた。
「いいよ。今の私は気分がいい。何か食べたいものがあったら買ってあげよう」
「ありがとうございます。じゃあ……」
そう言って良二が向かったのは案の定ホットスナックのコーナーだった。やはりみんな考えることは同じらしい。ディシディアは先ほどの時分と同じく商品たちと睨めっこをしている良二を遠い目で眺めていた。