第百二十六話目~パチモンとハムサンド~
何の変哲もない昼時。ディシディアはいそいそと洗濯物を畳んでいた。テレビから聞こえてくる心地よい音楽に耳を傾けながらも手を休めることはない。元々彼女は丁寧な仕事をする方であり、あっという間に洗濯物を畳み終えてしまう。
彼女はトントンと肩を叩きつつ、なにやら落ち着かない様子で宿題に向かい合っている良二を見やった。普段なら集中して解いているはずなのに、今日に限っては集中力が散漫でペンもほとんど動いていない。
「何かあるのかい?」
「え? あ、まぁ……」
良二は曖昧な返事を寄越す。その顔からは真意を読み取ることはできない。ディシディアはまだ何か言いたそうにしていたが、ふんと鼻を鳴らして立ち上がり畳んだばかりの洗濯物をタンスへと入れていく。
良二もまた机に向きなおろうとした――その時だった。
ピンポーンッという軽快な音が部屋の中に響き渡ったのは。
「ッ! はい!」
良二はサッと立ち上がり、どたばたと駆けていく。普段は滅多に見せないような様を見せる彼を見て不審に思ったのだろう。ディシディアは物陰からひょっこりと顔を出し玄関先を見やる。と、そこでは配達員らしき男性から小型の段ボールを受け取る良二の姿があった。
「はい。では、ありがとうございました」
「お世話様です」
パタン、とドアが閉まってから数秒後、良二はグッと拳を握りしめディシディアの方に子どもの如く無邪気な笑みを向けながら駆け寄ってくる。
「ディシディアさん! いいものが届きましたよ!」
「どうしたんだい。君がそこまで興奮するなんて珍しいね」
良二のパンツを棚に仕舞ってから、やれやれと言わんばかりに彼の方へと体を向ける。彼は見るからに上機嫌で、全身で喜びを表現していた。
彼を宥めながら、ディシディアは座布団の上に腰掛ける。と、良二も自分の座布団の上にあぐらをかいて座りこみ、慎重な手つきで段ボールの包装を解き中から何かを取り出した。それを見て、ディシディアは顔をしかめる。
「むぅ……? なんだい、それは?」
彼が持っているのはプラスチック製の薄い四角形の箱だった。しかも、それが二つ。けれど、パッケージに描かれている生物は違っていて、片方はコウモリのようなデザインなのに対し、もう片方はライオンのようだ。
良二は興味を示してくれるディシディアの方にズズィッと詰め寄りながら、ニパッと輝かしいばかりの笑みを浮かべてみせる。
「これはですね……『パチットモンスター』! 略して『パチモン』です! 俺の大好きなゲームなんですよ!」
その言葉は間違いないだろう。彼は童心に返ったような顔つきでゲームを手にしていたのだから。
だが、一方のディシディアはまだ訝しげに首を捻っている。彼女はコウモリらしき生物のイラストが描かれた方を手に取り、改めて興奮気味の良二の目を見据えた。
「それで? そのパチモンがどうしたんだい?」
「いや、どうしたんだいって……よかったら、ディシディアさんもやってみませんか?」
「あぁ、そういうことか。いいよ。君がそこまでオススメしてくれるんだ。やる価値はあるだろうさ」
「やった! じゃあ、早速やりましょ! ほら、ディシディアさん用のゲーム機も買ってるんですよ!」
言いつつ、良二は段ボールの中から二つのコンパクトなゲーム機を取り出してみせる。ディシディアは彼のテンションについていけないのか、苦笑を浮かべながら白いゲーム機を手に取った。
「あ、そうだ。まずは充電ですね。それが終わったら、やりましょう」
言いつつ、良二は二つのゲーム機をプラグにつなぎ、充電を開始。ポッと赤いランプが点灯するのを見て、ディシディアは目を見開く。
「おぉ。このゲーム機とやらを触るのは初めてだな」
「あ、言われてみればそうですね。詳しい操作法は俺が教えますから、安心してください」
ドン、と胸を叩く良二の姿が何だかおかしくてディシディアはぷっと吹き出してしまう。そこでようやく良二も自分が舞いあがっていることに気が付いたらしく、カァッと顔を赤くして俯き始めた。
「あ、す、すいません……つい、嬉しくて……」
「いやいや、謝らなくていい。それにしても、君がそこまでハマるとは相当面白いんだろうね?」
「もちろん! だって、俺が子どもの時からずっとやってるゲームですから!」
そこから良二の説明が始まる。
曰く、このパチモンは育成アドベンチャーだそうだ。モンスター……通称パチモン捕まえて育て、戦わせる。シンプルだが奥深い味わいがあるゲームだ。
よほど良二はこのシリーズが好きらしく、語っている時の顔は活き活きとしていた。
そうこうしているうちに、充電がある程度完了。それを見て、良二はサッとゲームの箱をディシディアの方に差し出してみせた。
「どっちにします? 俺はどっちでもいいですよ?」
「じゃあ……私は、こっちだな」
ディシディアが手に取ったのはコウモリらしき生物が描かれた方――『パチットモンスタールナ』だ。一方の良二が取ったのは『パチットモンスターソル』。バージョンによって出てくるパチモンが違うなど、それぞれ違った楽しみ方があるのである。
「じゃあ、これで決まりですね。じゃあ、後はスロットにカートリッジを入れて……」
言いつつ、良二はディシディアの分もやってやる。テキパキとした所作でやってみせる彼の横顔はやはり無邪気そのもの。よほど楽しみなのか、口元はにやけきっているほどだ。
「よし、できましたよ。それじゃ、やりましょうか」
「あぁ。こうすればいいのかい?」
電源ボタンを押すと軽快な音と共にゲーム機が立ち上がる。が、買ったばかりであるため初期設定が必要だ。とは言え、これはあくまで仮のもの。あっという間に時刻や現在住んでいる国などを登録し、やっとゲーム本編を開始する。
このゲーム機は二枚貝のような形をしており、下の画面と上の画面で分かれているのが特徴だ。上の画面では、映画顔負けのムービーが流されている。
「これは予想外だ。期待できそうだね」
「でしょう? 保証しますよ」
ムービーが一分ほど続いたところで、なにやらチャラそうな男性が現れた。かと思うと、今度は主人公――つまり二人の分身のメイキングだ。ただしこれも簡素版であり、あくまで肌の色や髪色、そして名前を決めるだけ。
「ディシディア……と。よし、できたよ」
「俺もできましたよ。どうです?」
一旦画面を見せあう二人。どちらも本名でのプレイだ。アバターも可愛らしく、これから始まる冒険への期待値がグンッと上がった。
そこから始まるのはチュートリアルだ。世界観の説明、パチモンという生物たちの紹介、そして最初の冒険……ッ!
「む。この三匹から選ぶのかい?」
ディシディアは顎に手を置き、上画面を覗き込みながら眉根を寄せた。
選択肢は三つ。
フクロウを模したデザインをしている木タイプのモフロー。
虎猫のような姿形をした火タイプのニャヒー。
アシカとピエロを合わせたような海タイプのアシカリ。
どのパチモンも可愛らしく、選ぶのは困難……かと思われたが、
「よし、この子だ」
即決だった。ディシディアが選んだのは木タイプのモフロー。彼女は画面上のパチモンに向かってニコニコと笑いかけている。
一方の良二はニャヒーを選んだようだ。彼は自分のゲーム機を一瞥した後で、ディシディアに問う。
「どうしてその子を選んだんです?」
「決まっているじゃないか。この前見た子たちにそっくりだったからだよ」
そこでようやく、良二はディシディアが以前行ったフクロウカフェのフクロウたちを溺愛していたのを思い出す。どうやら、ここまで影響が及んでいたらしい。
「おや? ニックネームとはなんだい?」
「あぁ、愛称みたいなものですよ。別につけなくてもいいんですけどね」
実際良二は付けないタイプのようだ。ニックネームをつけることなく、チュートリアルを終了。しかし、ディシディアはニックネームを入力し始める。
「ロ……ロ・カカ? どういう意味なんです?」
「私の世界の言葉で『相棒』という意味だ。おそらく、この子は私の相棒になるだろうからね」
ディシディアはうっとりとした視線をモフロー……もとい、ロ・カカへと向ける。早速はまり込みそうな雰囲気を見せる彼女をよそに、良二はチラリと時計を見やった。
「そろそろ、ご飯を食べておきましょうか」
「もうそんな時間か。まぁ、まずは腹ごしらえだ。今日のメニューは?」
「ゲームがしたいので、手抜きでいいですか?」
「構わないよ。何か手伝えることは?」
「机の上を綺麗にしておいてください。後、コップを出してくれればいいですよ」
「わかった。じゃあ、頼んだよ」
言うなり、良二と共にゲーム機を部屋の端において準備に取り掛かる。良二は厨房へと向かい、ディシディアは食器棚へと向かってコップを取り出し、ついでに厨房に置いてあった布巾もかっさらった。
彼女も初めてやるゲームに心が躍っているのだろう。ササッと机の上を布巾で拭い、続けてコップを並べる。確か冷蔵庫にオレンジジュースが残っていたことを思い出し、彼女はすぐさま冷蔵庫へと直行。そこでは良二がハムを取り出しているところだった。
「ハムサンドにします。パンの耳はついていてもいいですよね?」
「いいよ。作ってくれるだけで大歓迎さ」
「どうも」
了承を得られたからか、良二は早速ハムサンドづくりに取り掛かる。
用意するのは食パン四枚とバター、マスタード、マヨネーズ、ハム。これだけだ。
食パンはひとり二枚ずつ。正直足りないかとは思うが、ひとまずは小腹塞ぎをするのが先決だ。良二はパンにサッとバターを塗り、続けてマスタードを薄く延ばす。
マヨネーズはあまり入れない。これはお好みで追加するのが一番だとわかっているからだ。それに、今回は贅沢にハムを三枚ほど入れる。元々塩味がついているため、最低限の味付けだけで十分なのだ。
「っし! できましたよ!」
調理開始から終了までわずか数分。良二は手をぱんぱんと払ってから即席ハムサンドを皿の上に乗せ居間へと足を向ける。すでにそこではディシディアが今か今かと耳をパタパタさせているところだった。
「待ちくたびれたよ」
「数分ですよ?」
「それでもさ」
などと言いつつ、ディシディアは良二のコップにオレンジジュースを注いでくれる。彼はそれを横目で眺めながら彼女の前に皿を置き、自分は彼女の対面に腰掛ける。
「じゃあ、いただきます」
「いただきます」
手を合わせ、ハムサンドを同時に頬張る二人。
ハムのキリリとした塩味とマスタードのピリッとした辛味が舌を痺れさせる。けれどマヨネーズとバターによってまろやかさがプラスされており、後味は軽い。
もっちりとした食パンは仄かに甘く、これがまたハムなどとの相性がいい。オレンジジュースもこれらを邪魔することなく、フレッシュな甘みを届けてくれた。
シンプルながら、飽きが来ない組み合わせである。良二は口の中のものをゴクリと嚥下し、
「たまにはこういう食事もいいですね」
「あぁ。これまでずっと豪勢な食べ物続きだったからね……秋は美味しいものが多くて困ってしまうよ」
「わかります……ついつい買い食いとかしちゃうんですよね」
二人はそんな会話を繰り広げながら、ちらとゲーム機の方に目線を向ける。
「なぁ、リョージ。これは対戦やパチモンの交換もできるのだろう?」
「えぇ。できますよ」
「そうか。なら、後でやらないかい?」
「いいですけど……負けても泣かないでくださいよ?」
珍しく挑発的な物言いに、ディシディアの眉がピクリと動く。だが、決して不快そうな様子は見せていない。むしろ、この状況を楽しんでいるようだ。
「ふふふ、言うじゃないか。返り討ちにしてあげるよ。私のロ・カカは最強さ」
ディシディアは自信たっぷりに言い放つ。だが、彼女はまだ気が付いていないのだ。
彼女が最初に選んだモフローは良二が選んだニャヒーと相性が悪いということに。
この数十分後、ディシディアは良二に言いようにやられてふて寝することになるのだが、それはまた別の話。