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第百二十二話目~ガレットとチヂミとヘンテコオブジェ~

 薄暗い通路を二人の人影が歩く。一人は小学生くらいのもの。もう一人は彼女よりも頭二つ分ほど高い。


「ディ、ディシディアさん……あまり動くと危ないですよ」


 大きな人影の方――良二が震える声を発する。彼はひどく怯えた様子でおそるおそる暗がりの中を進んでいた。


「心配するな。私はこう見えても夜目が効くんだ。これくらいはなんてことないさ」


 そう答えるのは小さな影の方――ディシディアだ。彼女は心底楽しげに笑いながらお化け屋敷を散策している。良二はなるべく彼女を一人にしないよう気をつけて進みながら、ごくりと喉を鳴らす。

 良二とてもう成人している。おばけが本当にいるだなんて信じてはいない。

 だが、それとお化け屋敷が怖いのは別だ。普段ならなんてことないはずのチープなメイクをしたおばけも、この暗がりの中で急に飛び出して来たらそれは驚くに決まっている。

 ディシディアはガクガクと震える良二の手を握ってあげながら、やれやれと首を振った。


「君は案外、怖がりなんだね」


「しょ、しょうがないじゃないですか」


 若干上ずった声を漏らす彼の姿はどこか微笑ましい。けれど、ディシディアはよく知っているのだ。

 彼は普段は少々頼りないところもあるが、いざという時にはやる男だ。以前アメリカに旅をした時や自分が風邪をひいてしまった時など、彼が見せてくれた男気には思わずドキリとしてしまったほどだ。

 ただ、落差があるのがたまに傷だ。良二は相当お化け屋敷が苦手らしく、手はじっとりと汗ばんでいる。ディシディアはため息交じりに彼の方に身を寄せ、ギュッと抱きついた。


「ほら、私がついていてあげるから心配しなくていい。ね?」


「あ、ありがとうございます……」


「というか、苦手なら入る前に言ってくれてもよかったんだよ? 別に無理をして付き合うことはないんだからね?」


「それはそうなんですけど……でも、せっかくだからディシディアさんと一緒に楽しみたいじゃないですか」


「ふふふ、相変わらずだね。好きだよ、そういうところ」


「ハハ、どうも……」


 と、彼が苦笑いを返した直後だった。


「わっ!」


「ヒッ!?」


 曲がり角のところから血まみれの男がものすごい勢いで詰め寄ってきたのは。そのあまりの迫力に、良二は喉の奥から掠れた声を漏らす。

 が、ディシディアはというと……


「おぉ、ずいぶんとリアルな血糊だね。ほら、リョージ。大丈夫だから離してくれ。痛いよ」


「は、はい……」


 涙目の良二はそろそろとディシディアから身を離す。ほぼ反射的に抱きついていたことに今さらながら赤面しつつ、彼は大きくため息をついた。


「うぅ……寿命が縮まりますよ。ていうか、ディシディアさんはどうして平気なんですか?」


「これくらい別にどうってことはないさ。だって、襲われる心配はないんだろう? 以前旅をしていた時に出会った猛獣たちに比べれば可愛いものさ。それに、明かりもあるしね。想像してごらん? 何の灯りもない夜の森でいきなり猛獣の群れに襲われたとしたら……」


「あーあーあーっ! 聞きたくないです!」


 良二は耳を振って嫌々をしてみせるが、普段絶対に見せないような彼の可愛らしい表情がどうにもいじらしくて、ディシディアはつい目を細めてしまう。


(こうしていると、彼もまだまだ子どもだね)


 内心そんなことを思いながら道を進んでいくと、やがて明かりが見えてきた。どうやら、もう終わりらしい。


「お疲れ様でした~」


 外に出ると、可愛らしい魔女の格好をした女生徒が朗らかに手を振ってきた。ディシディアは彼女に軽く会釈して、チラと上を見上げた。良二はすでに落ち着きを取り戻したようだったが、まだまだ呼吸が荒い。


「どこかで休もうか?」


「お願いします……ちょっと疲れました」


 二人は校舎を出て中庭へと躍り出る。すでに昼を回っているためか、人だかりがあちらこちらにできている。ディシディアは一旦立ち止まってきょろきょろと辺りを見渡してから、良二の手を引っ張って近くのベンチへと向かった。


「ほら、ここならいいだろう? ちょっと休もう」


「ありがとうございます……うぅ。やっぱりお化け屋敷は苦手ですよ」


「お疲れ様。ちょっと私は買い物をしてくるから、君はここで待っていてくれ。何かリクエストはあるかい?」


「特には……あ、炭酸飲料があれば買ってきてください。ちょっと喉が渇きました」


(あぁ、なるほど。叫んでいたからか)


 言えば傷つくであろうことは明白だ。だからこそ、何も言わずにディシディアはその場を立ち去ってくれる。良二はその後ろ姿を見送ってから、大きなため息をついた。

 脳裏をよぎるのは先ほどのお化け屋敷の光景。衣装などは適当なくせに、やたら雰囲気作りや驚かすタイミングにはこだわっており、良二は何度も何度も悲鳴を上げてしまった。

 その度に恥ずかしさを覚えたものだが、ディシディアは一度もからかうことはなく優しく慰めてくれた。正直、自分が情けなく思える。

 てっきりディシディアももう少し驚くかと思っていたのだが、予想が外れた。考えてみれば、彼女は自分の想像もできないほど厳しい世界で生きてきたのだから当たり前といえば当たり前だ。


「俺、あっちの世界行ったら大変だろうなぁ……」


 彼女の故郷も一度は見てみたい。少なくとも、死ぬまでには一度訪れてみたいものだ。

 だが、今はまずこの世界を彼女と堪能したい。自分だってこの世界のことを全て知っているわけじゃないのだ。その末端を知りたいという思いはあるし、何よりディシディアと一緒に旅をしたい。

 彼女といると、何よりも楽しいのだ。おそらく、波長が合うのだろう。何というか、本当の家族と同じくらい親しみやすいのだ。


「にしても、いいなぁ。こういうの」


 空を見上げながらポツリと呟く。今日は天気もよく、雲一つない青空だ。風は寒くなりつつあるが、それでも心地よい日差しが差し込んでくる。


(たまにはのんびりするのもいいな……今度、ディシディアさんと散歩にでも行こうか)


 ふっと口元を緩める良二。自然とディシディアがここにいたらという想像をしてしまい、すでに彼女が自分の中で大きな存在になりつつあることを自覚した。

 少しだけもどかしいが、心地よい感覚に身を包まれながら目を閉じる。と、こちらへ駆け寄ってくるパタパタという足音が聞こえてきた。


「お待たせ。色々買ってきたよ」


 目を開けてみるとそこにいたのは案の定ディシディア。彼女は両手に長方形の紙箱と二つの缶を抱えている。どうやら、かなり満足ができるものが買えたらしく、ほくほく顔だった。


「ありがとうございます。じゃあ、いただきます」


「うん。あ、それとコーラだ。はい」


「どうも」


 缶コーラを受け取り、箱と一緒に膝の上に置く。それから、静かに手を合わせた。


「いただきます」


「いただきます」


 遅れてディシディアも言い、そっと箱を空ける。そこに入っているのは大きめのチヂミだ。二つに折り曲げられたチヂミは弾力に富んでおり、箸を押し返す勢いだ。

 そのため、持ち上げて食べるしか道はない。けれど、そうするとチヂミの重さで箸が震える。結局、ディシディアは紙を掻き上げながらチヂミを自ら迎えにいってかぶりついた。

 モチモチとしたチヂミの中にはニラやタコが入っている。それと特製のピリ辛ソースが絶妙な風味を醸し出し、食欲をそそる。

 折り曲げられたチヂミの間にはたっぷりのキムチとチーズが入っている。辛くシャッキリとしたキムチはもちろん、熱でとろけたチーズも素晴らしい。

 濃厚なのに、驚くほど食べやすい。キムチはディシディアにとってはやや辛めの味付けだが、チヂミと食べることで辛さが緩和され強烈な味だけが舌に残る。

 一方の良二も、自分の品をバクバクと食べている。彼が箸で持ち上げているのはジャガイモのガレット。見た目的にはチヂミとよく似ているものだ。

 ガレットとはフランス語で『円く薄いもの』を意味する。実際に、これはジャガイモを潰して薄く延ばし、その中に角切りのベーコンを仕込んだものだ。

 食感は非常にもっちりとしている。これは、ジャガイモのでんぷん質によるものだ。

 潰されることによってジャガイモのでんぷん質が滲み出て、そのような食感を生み出すのである。時折ジャガイモらしいほくほくとしたものなどもあったり、ベーコンのカリッとした部分などもあって食べているだけでも十分楽しめる。

 上に散らされているパセリも秀逸だ。香りづけだけではなく、色味をつけるという意味でも大きな役割を担っている。ここまで食べてきた中では断トツの完成度だ。


「リョージ。君のも味見させてくれないかな?」


「もちろん。ディシディアさんのもいいですか?」


「あぁ。じゃあ、交換だ」


 二人はそれぞれの料理を入れ替え、その合間に口の中をコーラで洗い流す。そうして口の中をサッパリさせてから、良二はチヂミを。ディシディアはガレットを口に入れた。


「おぉ、これも美味しいね。コーラによく合う。アメリカのチージーポテトのようだが、若干違うな」


「あっちは千切りにしたポテトでしたけど、こっちはマッシュしてありますからね。でも、どっちも同じくらい美味しいです」


「違いない。ところで、チヂミのお味はどうだい?」


「とってもおいしいですよ。ピリ辛だけど具材の味もしっかりついているからそこまで辛さは気にならないです」


「だろう? 私の審美眼も中々に鍛えられてきたようだ」


 彼女は自信たっぷりに言い放ち、自分の目を指さしてみせる。良二はニコニコと笑いながらチヂミを一口齧り、それから彼女の方に戻す。ディシディアもそれを受けて彼にガレットを返し、それからふと首を傾げた。


「さて、これからどうしようか?」


「そうですね……あ、じゃあ、もう少しだけ待っていてくれませんか? いいものを見せたいので」


「おぉ、楽しみにしておくよ。まぁ、まずはこれを食べよう。その後は……時間を潰すためにまたお化け屋敷に入ろうか?」


「そ、それは勘弁してくれますか……?」


 ひきつった笑いを漏らす良二と、それを見てクスクスと笑うディシディア。二人は顔を見合わせながら、また料理を口にしていった。


 ――そうして、それから数時間後。ステージを見て暇をつぶしてきた二人はある場所へと赴いていた。そことは――ディシディアが最初に見た奇妙な様相をした動物たちのオブジェのある場所。

 ディシディアはそれを見てまた首を傾げた。が、良二は腕時計を眺めながら口角を歪める。


「もうすぐですよ……ほら」


 と、彼がオブジェを指さした直後だった。そこに色とりどりの灯りが灯り、周囲を照らしたのは。その幻想的な風景に、ディシディアは思わず目を剥く。


「こ、これは……」


「イルミネーションって奴です。明かりがついてない時はあまりきれいじゃないですけど、中々すごいでしょう?」


 ディシディアはこくこくと何度も頷く。灯りの灯ったオブジェは色鮮やかで見ているだけで心が洗われるようだ。最初はへんてこだと思っていた動物たちも今見るとこれ以上ないほど優美に思える。

 ディシディアはうっとりと目を細めてこの光景を眺めていた。良二はそっと彼女の手を握り、誰にも聞こえないように囁く。


「ディシディアさん。昨日、言いそびれちゃったことがあるんですけど、聞いてくれますか?」


「なんだい? 言ってごらん?」


「その……来年も、その次の年も、また一緒にこうやってお祭りに来ませんか?」


 一瞬、二人の間の時が止まる。ディシディアは無言で赤面している良二を見つめていたが、数拍置いて、ニッコリと邪気のない笑みを浮かべる。


「もちろんさ。約束さ」


 ゆっくりと彼の小指に自分の小指を絡める。そうして、固く結んだ。

 まるで、一生離れないということを暗に示すように。


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