第百十七話目~学園祭開幕! 焼き鳥と奇妙な仲間たち~
二連続の祭りを終えてから数日。興奮も冷めやらぬ中、ディシディアはまた新たな祭りの場へと赴いていた。
そことは――学園祭。もちろん、良二の大学で行われているものだ。
「ほう。中々に面白そうだね」
先ほど貰ったパンフレットを眺めながら、校門をくぐる。まだここには屋台はないが、奥の方からは学生たちの活気に満ちた声が聞こえ、すでに賑わっていることが伺えた。
もちろん、入場者もそれなりに多い。近所に住んでいると思わしき小学生や、別の大学から来たらしき女性たち、はたまた筋骨隆々の黒人男性など、とにかく見た目に統一性がない。
だが、唯一わかるのは彼らも皆この祭りを楽しみにやってきているということである。すれ違う人々の笑顔を見てつられ笑いを浮かべながら、ディシディアはチラと腕時計を見やった。
今の時刻は午前十時。良二は準備があるらしく、始発で出ていってしまったため、来場は彼女単独となっていた。が、すでにこちらの世界にも慣れたもの。電車は行先さえわかればあっという間だったし、何より大学時代が駅からそれなりに近い。
さして労力もないまま、ディシディアはやってくることができたのだ。おかげで、今日を遊びつくす体力は十分残っている。
ただし、祭りは二日間に分けて行われるという。催しも若干違うらしく、当然ながら彼女は両日参戦するつもりだった。だから、今日はあくまで様子見。明日に備えて、一応セーブしておかねばと考えてはいた。
「にしても、連絡手段がないのは不便だな。今度、私もスマホなるものを買ってみようかな?」
基本的に、ディシディアはパソコン、もしくは家の電話で良二と連絡を取っている。そのため、こういった外出時は連絡が取れないのが辛いところだ。
もちろん、やろうと思えば《発信》の魔法を使い、良二の頭の中に直接語りかけることは可能である。だが、魔法の発動はどうしても人目を引いてしまうため、これは究極の最終手段なのだ。
ディシディアはふぅっとため息をつき、改めてパンフレットを見やる。会場の全体図が描かれているのは非常にありがたい。どうやら、良二たちが出店している焼き鳥屋は中庭近くで催されているようだ。
「よし、まずは合流しよう。後はそれからだ」
彼女は一人ごち、チラチラとパンフレットを見て位置を確認しながら先へと進む。奥へ進むごとに人が増えていき、少々騒がしくなっていくが、この感覚は実に心地よい。
心の奥底から、喜びが溢れ出てくる――そんな感覚だ。
やがて彼女が至ったのは巨大な建物の前。どうやら、ここは本棟らしい。リフォームされているのか、全体的に近代的な印象を受けた。ガラス張りのドアの向こうには、多数の学生たちが集まっているのが見える。おそろいのユニフォームや楽器などを持っているところを見るに、おそらくはステージ参加者なのだろう。
それを察するや否や、彼女のエルフ耳が勢いよくピンッと跳ねた。
この間の祭り以来、ディシディアはこちらの世界の芸能にも興味を持ちだしている。時間は限られているが、それでも余裕はあるだろう。
彼女は期待に胸を膨らませながらそこを後にし、中庭を目指す。が、その途中で視界の端に移りこんできたものに、ディシディアは目を丸くした。
視線の先にあるのは電飾がいっぱいに飾り付けられた木々。その下には動物を象ったオブジェもあり、そこにも電飾がいっぱいくくりつけられていた。
「?」
一応近くに寄ってみたが、特にこれと言って変わった点はない。別段綺麗でもないし、動物と瓜二つというわけでもない。その様相に首を傾げたが、ディシディアはハッとしてまた中庭を目指す。
「ダメだダメだ。まずはリョージのところに行かねば……」
最後に電飾で作られた犬らしきオブジェを一瞥し、足を進める。ここから中庭まではそう遠くなく、ものの数分ほどで到着した。
「お、おぉおおおおお……ッ!」
人混みを抜け、やっと躍り出た中庭の風景を見て、彼女は歓喜の声を上げる。
そこにあるのは中庭を埋め尽くすほどの屋台。しかも、どれも食べ物の屋台で、実に美味そうだ。見たことがあるものもないものがごちゃ混ぜにされている感覚に、彼女はニィッと口元を歪める。
「あ、そこの可愛い子! 食べてかない!」
ふと、横から声をかけられた。何事かと見やると、髪を金色に染めたいかにも大学デビューしました、という風情の大学生が歩み寄ってきているところだった。
ディシディアは一旦後方を見やって誰もいないことを確認するなり、首を傾げながら彼に向きなおった。
「可愛い子、とは私のことかな?」
「そうそう! 君だよ、君! どう、食べてかない!?」
「ふふ、元気がいいね。にしても、あまりお世辞を言うものじゃないよ」
「いやいや、お世辞なんかじゃないよ! 本当に可愛いって!」
彼はわざとらしく跪き、掌を天に掲げてみせる。
若さと勢いに満ちた呼び込みだ。ディシディアは案外それが気に入ったらしく、クスクスと笑いだす。それを見て、青年の方も調子づいてきたようでますます口を動かす。
「いや、お嬢ちゃんみたいな可愛い子が来てくれたら嬉しいな~お兄さん、嬉しすぎてちょっとおまけしちゃうかもな~」
「おまけ?」
自然と、がま口に手が伸びていた。彼女はごくりと息を呑み、財布を開け――
「い……いや、ダメだ! すまない。待ち合わせがあるんだ」
ようとしたが、すんでのところで自制心が復活。彼女は自らの右手を抑え込みながらブンブンと首を振った。
「え? 待ち合わせがあるの?」
「あ、あぁ……だから、すまない。今は合流しなくてはいけないんだ」
「う~ん……そっか。なら、仕方ないね」
てっきりもっと食い下がられるかと思ったが、案外あっさりと引いてくれた。見た目に反して、中身は意外と真面目らしい。やはり、大学に出てきてちょっと羽目を外したくなった類なのだろう。
彼は先ほどまでの芝居がかった調子を止め、柔和な笑みを浮かべた。
「じゃあ、気をつけてね。もしよかったら、来てよ」
「あぁ。ありがとう。では、失礼する」
言うが早いか、ディシディアは小走りでその場を後にした。
(あ、危なかった……ここは危険だ。誘惑に満ちている)
最近財布のひもが緩みがちなのは自覚済みだ。特に美味しいものの話や匂いを察知すると自然に手が動いている始末である。
そんな彼女からすれば、ここはまさしく地雷源とも言える場所だろう。なにせ、あちらこちらから面白そうな呼び込みや料理の得も言われぬ芳香が漂ってくるのだから。
しかし、ディシディアも大賢者の一人。誘惑を断ち切る術は心得ている。彼女は下を向き、なるべく匂いを嗅がぬようグッと息を止めながら早足で歩く。
そうして、何度かそんなことを繰り返していると、
「ディシディアさん?」
聞き覚えのある、優しげな声が耳朶を打った。それと同時、彼女はハッと顔を上げ、周囲を見渡す。
すると――いた。ちょうど右の屋台に、いつもと変わらぬ様子で手を振ってくれている良二が。
「おぉ、リョージ……ッ! よかった……ッ!」
「え、えぇ!?」
ディシディアはすたすたと彼の方に歩み寄るなり、その体をギュッと抱きしめて安堵の息を吐く。一方の良二はなぜ彼女がこんな状態になっているのかわからないのか、あたふたして手をバタつかせていた。
「ど、どうしたんです? 何か、問題が?」
「あぁ。聞いてくれ。ここはダメだ。キミと合流するまでに何度誘惑に負けそうになったことか……」
「確かに、食べ物屋さん多いですもんねぇ」
のほほん、とした調子で良二は呟く。それを見て、ディシディアもようやく落ち着きを取り戻したようだ。着崩れていた衣服を直し、ピンと背筋を伸ばして彼と屋台の近くに立っている人物たちを見やった。
人数は十人ほど。男女比は大体半分だ。彼らは一様に、良二を怪訝な視線で見つめており、ひそひそと何かを話し合っている。が、そこでディシディアが助け舟を出すように彼らを手で示した。
「リョージ。そちらの方々は?」
「え? あぁ。俺のゼミ仲間ですよ。皆さん、こちら、俺の親戚の……」
「ディシディアだ。いつもリョージが世話になっている」
ぺこり、とお辞儀をするディシディア。そうして数拍置いて顔を上げると、ゼミ生たちも頭を下げているのが目に入った。それがどことなくシュールで、ぷっと吹き出してしまう。
そんな彼女をよそに、良二はゼミ生たちから囲まれて質問攻めを受けていた。
「おい、飯塚。どういうことだよ。お前、あんな可愛い親戚がいたのか?」
「え? 近所に住んでる子? 小学生?」
「というか、来るなら連絡くれよ……クソゥ。来るとわかってれば髭剃ってきたのに」
「ま、まぁまぁ」
良二は質問を受けながら宥めようとしていた。けれど、ゼミ生たちは予期せぬ来客に興味津々らしく、チラチラと彼女の方に視線を送りながら、さらに良二へと距離を詰め、ぐるりと囲う。
良二としては異端審問を受けている気分だったが、ディシディア的には若人たちが語らっているように思えたらしい。微笑ましげな視線を送りつつ、ひらひらと手を振ってくる。むしろそれが逆効果であるのだが、彼女は全く気にも留めていない。
良二は苦笑いを浮かべつつ困惑しているようだったが……何かを思い出したようにポンと手を打ちあわせ、輪の中から身を乗り出してディシディアの方へと手を伸ばす。
「そ、そうだ、ディシディアさん! お腹、空いてませんか?」
「そう! 忘れるところだった。君のところの屋台を食べに来たんだよ。昨日からずっと楽しみにしていたんだ」
言いつつ、ディシディアは屋台わきにあるお品書きを見やる。良二の言う通り、ここでは焼き鳥を売っているらしい。
品物としては鳥皮、つくね、ももの三つ。味付けはたれと塩のみのシンプルなものだ。
が、値段は驚くほど安い。なんと、一本七十円。全種類制覇することは容易く思えた。
「どれがいいですか? 今なら、出来立てをお出ししますよ」
良二がサッと串を掲げながら告げる。良二は普段着だが、頭にはなぜだか鉢巻を巻いている。ちょっと似合っていないが、それも愛嬌だ。
ディシディアはコクリと頷き、五百円を彼へと渡す。
「とりあえず、全種類頼むよ。塩、たれの両方でね」
「はい。任せてください」
良二はそう答え、流れるような手さばきで串を焼いていく。その様をディシディアが身を乗り出して見守っていると、ちょいちょいと肩を叩かれる感覚。見ればそこには先ほどまで良二を囲っていたゼミ生たちの姿があった。
その中でも特に小柄な少女がススッと歩み出てきて、中腰になりながら語りかけてくる。
「こんにちは。えっと……ディシディアちゃんだよね?」
「あぁ、そうだよ。よろしく頼む」
「うん、よろしく。それで、その……飯塚君とはどういう関係なのかな?」
「ああ。今は一緒に暮らしているよ」
何気ない一言で、場がざわついた。良二も、あんぐりと口を開けてその光景を見守っている。
が、ディシディアはパチリと良二に目配せし、改めてゼミ生たちに向きなおる。
「実は、少々込み入った事情があってね。リョージの家に居候させてもらっているんだ。彼には感謝してもし足りないよ。私は彼のことを大事に思っている」
事情がある、といえば家庭内のことだと流石に察しがついたのだろう。ゼミ生たちは納得したように頷き合い、良二に歩み寄ってその肩をポンポンと優しく叩く。
「飯塚、お前やっぱいい奴だな」
「うんうん。でも、間違いだけは犯さないようにね?」
「もしテレビの取材が来たら一応擁護してやるから」
「……君の学友は面白い子たちばかりだな」
ディシディアはジト目でゼミ生たちを見つめていた。良二は彼らから好意的に思われているらしく、それは見るに明らかだった。
もともと良二は面倒見もよく、誰にでも平等に接する性格だ。だから、一癖も二癖もありそうなゼミ生の中でもうまくやれているのだろう。
その姿を見て、ディシディアはとある人物を想起してしまう。かつて旅をしている時、傭兵としてついてきてくれたウチの一人がまさしくこんな感じだったのだ。
ディシディアのような個性的なメンツが集まっていて、空中分解しなかったのは彼の存在が大きい。まぁ、後で聞いた話だと何度か心労で胃に穴が開いたらしいが、今ではいい思い出だ。
そんなことを考えている間にも、良二は最後の仕上げにかかっている。よく焼けた焼き鳥を一度たれに漬けこんでから、再び焼く。それと同時、先ほどよりも数倍鋭さを増した香りが鼻孔を貫いた。
朝は良二が作ってくれたおにぎりしか食べてきていなかったディシディアの胃にはこれ以上ないほど響く。彼女はパタパタと耳を動かしながら、今か今かと焼き鳥の完成を待った。
「はい。できましたよ」
その視線を受けたら自然と手も早まるというものである。良二はできあがった焼き鳥を紙コップに入れて渡してきた。たれと塩で味が混ざらないようになっているあたり、彼の気遣いが伺えた。
「さぁ、召し上がれ。冷めたらおいしくないですからね」
「あぁ。では、いただきます」
手を合わせ、まずはたれのかかったつくねを口に入れる。
ふんわりとしたつくねは口の中でほろっと解け、内に閉じ込めていた肉汁を解放する。たれにより香ばしさがプラスされたそれは初手にしては十分すぎるほどの出来だ。
「美味しいですか?」
「言わなくてもわかるだろう?」
ニヤッと笑いながらディシディアはそう返す。良二は鉢巻を取り、安堵のため息をついた。
どうやらディシディアは気に入ってくれたらしく、バクバクと焼き鳥を頬張っている。口の端からたれがこぼれようと、お構いなしだ。よほど我慢していたらしい。
「ほら、お洋服が汚れますよ」
ティッシュを出し、彼女の口元を拭ってやる。後ろから女子たちが甲高い声を上げたが、気にしない。
「ありがとう、リョージ。いい焼き具合だ」
言いつつ、今度は塩つくねを頬張る。ただ塩を振ってあるだけかと思ったら、実はそうではない。微かにレモンの風味が香る。どうやら、直前にレモン汁をかけたようだ。
「いいね。濃厚なたれの後にサッパリとした塩を食べるのは」
「ディシディアさんは塩派ですからね。ちょっと頑張りました」
「覚えてくれていたのか。嬉しいよ」
「いや、あれは忘れられませんって……」