第百十六話目~チューリンガーソーセージと二人の思い~
そろそろ祭りの終了時刻も近づく中、二人は依然として屋台に並んでいた。今回は相当長い列であり、待つのに十分以上かかっている。しかし、それだけの労力をかけるだけの価値はありそうだ。
「ドイツ料理か……食べたことはあるのかい?」
そう。二人が並ぶのはドイツ料理の屋台。開場の中央付近に陣取っているからか、かなり人が並んでいたものの、今は残り数人ほど。間もなく、二人の番もやってくるだろう。
「えぇ。とても美味しいですよ。お勧めします」
良二は朗らかに答え、店先に飾られている写真を指さした。
「ソーセージにプレッツェル。ビールもあります。まぁ、流石にビールは飲めませんけど」
「無念だ。やはり、この体は不便だね」
ディシディアはギュルッと身を捻り、自分の体を見ながらそんなことを言う。家ならまだしも、こんなに人目がつくところでビールを飲んでいれば未成年飲酒で捕まってしまうだろう。
実年齢は成人どころではないのだが見た目が子どもなため、このような事態にたびたび陥ってしまう。彼女は心底疲れたようなため息をつき、良二の方に体をそっともたれた。
「他にも美味しいのがたくさんあるんですから、そう気落ちしないでください。ほら、もう俺たちの番ですよ」
その言葉通り、目の前のカップルが捌け店員がこちらへとやってくる。
「いらっしゃいませ。どれになさいますか?」
受付のドイツ人女性がぺこりと頭を下げると胸にあった大きなふくらみがバルンと揺れた。玲子よりも明らかに大きなサイズに、良二はつい顔を赤くしてしまう。
ディシディアは腕組みをしてニヤニヤと彼の顔を見やっていたが、数拍置いてちょいと彼の脇腹を小突く。
「ほら、照れてないで早く言いたまえ。後ろがつかえているからね」
「っと、それもそうですね。えっと……チューリンガーソーセージ一つ」
「はい、四百円です」
「え? 五百円じゃないんですか?」
良二はお品書きを指しながら問う。確かにそこには五百円と書かれていたが、女性はフルフルと首を振り、申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんなさい。実は付け合せのマッシュポテトが売り切れてしまって……」
「なるほど。だから値引きをしたわけか」
得心がいったように頷くディシディア。良二もすぐに笑みを浮かべ、女性の方へ四百円を差し出した。
「わかりました。じゃあ、一つお願いします」
「本当に、すみません……」
「いやいや、仕方ないですよ。気にしないでください」
ぺこぺこと頭を下げてくる女性に対し、良二は軽く手を振ってみせる。その穏やかな目を見てだろう。彼女の顔も少しだけ緩んだように見えた。
「ほぅ……相変わらずだね、リョージは」
「? 何がです?」
「別に。なんでもないさ」
ディシディアは半ば呆れたようにしながら肩を竦める。一方の良二はなぜ彼女がそんな態度を取っているのかわからないようだったが、自分の方にプラスチックのパックが差し出されているのに気付き、ハッとする。
「あ、す、すいません」
「いえいえ。はい、チューリンガーソーセージです。ありがとうございました」
またしても深々と頭を下げてくる女性に手を振り返し、二人は木陰に歩み寄る。ここならば、少なくとも通行人の邪魔にはならないだろう。
「このソーセージは中々に大きいな」
良二が持つパックを眺めながらディシディアが唸る。太さはせいぜい細巻程度だが、パックにギリギリ入るほどの大きさのソーセージは圧巻だ。
マスタードは小袋に入れられており、好きな量をかけられるようになっている。
しかし、二人の目を引いたのは付属のプラスチック製フォークとナイフだ。
「なぁ、リョージ。なぜ、ナイフがついているんだい? フォークだけじゃダメなのだろうか?」
「ですよね……ナイフって使わないと思うんですけど、これがドイツ流なんでしょうか?」
普通、ソーセージを食べる時にはフォークだけだ。ステーキのようにナイフを使って食べることなど、滅多にない。
が、とりあえずは食べてみることに決めたらしい。二人は顔を見合わせ、あらかじめ打ち合わせていたかのように同時に手を合わせた。
『いただきます』
良二がパックを開け、すかさずディシディアがマスタードをソーセージの一部にかけ、残りはパックの脇に出す。全部にかけてもいいが、それだとつけていない場合と比べることができない。彼女の判断は適切と言えるだろう。
指についたマイルドマスタードを舌でぺろりと舐めとり、ディシディアはフォークとナイフを構えた。が、やはり違和感があったのだろう。まずはフォークだけをソーセージに突き刺し、持ち上げようと――
「ッ!? お、重い……ッ!?」
してみせたが、ソーセージはピクリともしなかった。プラスチック製のやわなフォークではソーセージの重量に耐えきらなかったらしい。無理に持ち上げようとすれば、最悪落ちてしまうだろう。
その様を見て、多少興味が沸いたのだろう。良二もソーセージを覗き込みながら、ディシディアの方へそっと手を伸ばす。
「あの、俺もやってみていいですか?」
「あぁ、これは経験しておくべきだよ。ほら」
「どうも」
フォークを受け取るなり、持ち上げようとグッと手に力を込める。
が、結果はまるで同じだった。いや、ディシディアの時よりは持ち上がったかもしれない。しかしフォークは軋み、たわんでいる。
「や、やっぱり無理はしない方がよさそうですね」
「その通りだな。大人しく、ナイフを使うか」
受け取ったフォークを一旦ソーセージから抜き取り、ナイフと共に掲げてみせる。
「よし、では改めて……実食といこうか」
ぷすっとフォークを突き刺し、次にナイフを入れる。すると、驚くほど簡単にすぅっと切れた。彼女はそのまま一口大にソーセージをカットしていき、マスタードに絡めてから口に入れる。
「~~~~~~っ!」
にま~っと顔を綻ばせ、頬に手を当てるディシディア。噛んだ瞬間にじゅわっと肉汁が溢れ、肉の甘さが口いっぱいに広がった。かと思うと、ピリ辛のマイルドマスタードがやってきて、これにより肉の甘みがより際立つのだ。
皮はパリッとしたタイプではない。けれど、もっちりとしていて食べごたえは十分。市販のソーセージと比べるのも馬鹿らしくなるくらいの美味さだ。
おそらく、上質の肉を使っているのだろう。力強い肉の美味さを醸し出しながらも、上品な後味だ。それこそ、いくらでも食べられそうなほどである。
「ほら、リョージ。君も食べたまえ。あ~ん、だ」
「はいはい。あ~……ん」
彼女から食べさせてもらい、良二は恥ずかしそうにしながらもグッと親指を突き上げた。
「これ、すっごく美味しいですね。ソーセージってこんなに美味しかったんだ……」
「毎日食べても飽きない味だな。これで四百円と聞くと、少々安く思えるよ」
マスタードを絡めたソーセージを頬張りながらディシディアが感想を漏らす。彼女は辛いものが苦手だがこれはマイルドマスタードであり、何より肉の甘さがメインなので辛さはそこまで際立たない。
味付けはマスタードのみだが、ソーセージだけでも軽く塩が効いているので食べられる。それに、表面を焼かれているので香ばしさもプラスされているので何も付けずともイケる味だ。
「ふふ、今日は大収穫だな。美味しいものがいっぱい食べられた」
「ですね。けど、俺はもう限界が近いですよ……」
良二はこちらへとフォークを突き出しかけていたディシディアを手で制す。気持ちはとてもありがたかったが、すでに朝から食べ通しで胃がはち切れそうなのだ。
途中休憩は挟んだものの、良二は別に大食いではない。こうなるのはある意味予想ができたことだった。
「むぅ……そうか。なら、仕方ないな」
ディシディアは悲しげに目を伏せながら、彼の方へと差し出しかけていたソーセージを口に放り込む。それを見てズキリと胸が痛んだが、良二は静かに首を振った。
ここで無理をして食べ過ぎたら、後に響く。そうなれば、せっかくの楽しいお出かけが台無しになってしまうのだ。
「すいません……でも、ディシディアさんは何か食べたいものがあったら食べていいですよ」
「そうかい? いや、でも今日は遠慮しておくよ。私だけが食べるのももったいないからね。二人で分けっこした方が美味しく感じるだろう?」
その言葉に同意を示すと同時、良二はスッと目を細めた。
ディシディアも良二も、孤独を知っている。『一人』で食べるのと『独り』で食べるのには大きな隔たりがある。前者ならいい。けれど、後者は酷いものだ。
いつからか食事がつまらなくなっていき、やがて食べることすら嫌になっていくのだ。事実、良二やディシディアにも似たような時期があった。
独りで祠に閉じ込められていた時。
独りで母親の帰りを待ちながらコンビニの弁当を食べていた時。
いつもなら美味しく感じていたものも、一人になった途端とても不味く感じてしまうのだ。
しかし、二人、もしくはそれ以上で食べる時は同じものでもより美味しく感じることがある。案外、食事には精神的な面も大きく関係しているのだ。
良二は一旦空を仰ぎ、息を吐いてからぺこりと彼女に頭を下げた。
「ありがとうございます。ディシディアさん。気を遣ってくれて」
「いや、礼を言う必要はないよ。私の方こそ、君と出会ってから久しぶりに食べる喜びを思い出したのだから」
「あはは……なんか、照れくさいですね」
「ふふ、確かにね」
二人は赤面しながら顔を背ける。妙な気恥ずかしさが胸中を渦巻き、互いの顔を見ることができない。
何やら、流れに任せてとてつもなくこっぱずかしいことを言ってしまったような気がした……が、やがてディシディアがコホンと可愛らしく咳払いをする。
「よ、よし。では、そろそろ帰ろうか」
「は、はい。帰りましょうか」
良二は依然として赤面してそっぽを向きながらも彼女の方へそろそろと手を伸ばす。その手慣れた所作を見てまた恥ずかしさと嬉しさを覚えながら、ディシディアは小さな手を重ねるのだった。